第4話:覚醒―Decision―

 自分に過去の記憶はない。ニーア・ネルソンは虚空の心象風景の中で己の抱える闇を見つめる。ハッキリとした自我を会得した――――記憶の始まりがあるのはたぶん九歳の頃。真っ当な記憶がない中、自分と同年代もしくはそれ以上の子供達の中に放り込まれ、ただ鉱山の採掘のやり方を教えられて生きてきた。自分より年上の子供が死んでいく中、ニーアはただ生きるために反抗せず働き続けた。その内、自分より上の子供はいなくなり、自ずと自分が子供達のトップとなった。

 それからしばらくした後、何がどうしてそうなったかは知らないが自分に機動鎧装――――ギアスーツの適性がある事が判明し、鉱山採掘組から外された。その頃は皆を纏める程度の自我はあったから、作業用のギアスーツを使えれば、これで皆の作業が楽になればいいな、と楽観して考えていた。しかし現実はそうはいかなかった。自我を得てから採掘しかしてこなかった自分は、鉱山採掘を取り仕切る海賊のギアスーツ部隊に組み込まれ、世界機構の海上防衛隊との戦争に巻き込まれてしまった。命を危険に曝しながら、だからと言って己が身を護る以外に意図的に人を殺す事はできず。ニーアはやりたくもない戦闘をさせられていた。

 だがあの日。いつものように一方的な戦闘に参加させられていた時の事。戦う事もできないまま、止める事もできないまま戦闘が終わったあの時。それは上空そらからやってきた。


「ッ!?」


 突然、自分達の母艦の近くで水柱が発生した。海上防衛隊はその時点では完全に沈黙しており、砲塔もまともに機能していない。ではなぜ水柱が発生するのか。クジラがいるのか。そんなわけがない。

 周りの他の大人達を見ると、皆、上を向いていた。自分もつられて上を見る。その瞬間、母艦のブリッジが粉々に崩壊する音を聞いた。


「ッ!?」

「なんだ!?」


 誰かが狼狽える。その瞬間、母艦の中から何かが現れた。そして母艦の防衛をしていた大人の一人が切り殺された。一瞬だった。続けてもう一機。その何かが右腕に搭載している大型のブレイドで大人の右腕を切断した。


「ヒッ!?」

「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおッ!!」


 別の大人がその攻撃を仕掛けた黒いギアスーツを攻撃しようとする。黒いギアスーツは右腕を切断したギアスーツを盾のように扱い、アサルトライフル、フンド204による攻撃を防いだ。その残虐な戦い方に恐怖心を覚える。

 アサルトライフルで黒いギアスーツを撃った大人が撃たれた。何に? それは黒いギアスーツが盾にした大人のアサルトライフルだった。しかし盾にされた事により、その大人は少なくとも意識はない。一瞬にしてアサルトライフルを奪ったのか。ニーアは理解できなかった。


「襲撃だ! 総員、臨戦態勢!」


 隊長機が通信で喚く。だがニーアにはその通信など聞こえていなかった。恐怖は彼に正常な判断などさせない。呼吸が荒くなる。視覚が異常をきたす。冷静な思考など望めるわけがなく、ただただ、目の前で大人が死んでいく姿を見る。

 隊長機を黒いギアスーツがやった。それが対抗する最後のカルゴだった。自分を除けば。次は自分が標的である。黒いギアスーツがこちらを睨む。ヘッドディスプレイにターゲットロックのアイコンが表示される。銃を構え引き鉄を引けば、もしかしたら生き残る事ができるかもしれない。そんな淡い希望と、叶うはずもない理想が頭を過ぎる。

 それでも、ニーアには引き鉄を引く事はできなかった。それどころか銃を構える事も出来なかった。恐怖心。それがニーアの心を強く縛り付け、彼に戦うと言う選択肢を奪った。その結果、ニーアは死ぬかもしれないという絶望が心に根付いて動けなかった。

 接近する黒いギアスーツ。まともに手を出せないまま、その刃は急速に接近して――――



     ◇◇◇◇



「ぐぁっ!?」


 その頭を強く打たれたような衝撃にニーアは目が覚めた。酷い鈍痛。その霞む意識の中、ニーアは無意識に己の状況を確認していた。見慣れない天井。薄い黄色の天井と、柔らかく綺麗な布団。明らかに自分の知っている場所ではない。海賊の宿舎はここまで綺麗じゃない。


「起きたか」


 ふと横から誰かの声が聞こえた。男の声であったが、それは何か優しく聞こえた。横目でその声の主を見る。黒髪でショートの女性ぐらい髪がある少し目つきの厳しい男性。だがその目つきからも優しさを感じる。


「水を持って来よう。安静にしておけ」


 そう言って男性は部屋から出ていく。ニーアは節々の痛みに耐えながらもゆっくりと上半身を上げる。横にある窓からは遠いが町が見える。近くにある観葉植物。ここがいかに平和なのかが解る。でも、それがニーアにとってはあまりにも不安を煽る光景であった。

 ニーアはこのような光景を知らない。こんな平和に満ちた一瞬をニーアは見た事がない。だから不安になる。動悸が収まらない。心臓の鼓動が止めどなく動く。荒い息を落ち着かせられない。自分の手で胸を押さえようとする。止まらない。もっと強く握る。皮膚が引っ張られる感覚で胸の痛みが増す。自分が何をしているかが解らなくなる。


「っ!? おい、大丈夫か!!」


 そうもしているとあの黒髪の男性がペットボトルを持って戻ってきた。だがそれどころではない。吐き気が、胃液が逆流して、思考が纏まらない。

 男性がそんな自分に近づいて背中をさする。温かい。まるで毒を宿した自分の肉体を触れるだけで浄化してくれているようだ。異常なまでの動悸は、それに合わせてゆっくりと治まっていく。


「飲めるか?」


 男性の言葉に首を縦に振る。手渡されたペットボトル、中身は水だ。少し冷たく感じるそれを喉に通す。先程とは違う、清涼感が中身の毒気を流していくようであった。思わず無理矢理にでも全てを飲み干そうとする。

 落ち着いた。男性に空になったペットボトルを手渡し、一呼吸だけ深呼吸した。


「落ち着いたか」


 男性が安堵を覚えたかのようにそう言う。しかし表情はさして変化しなかった。だから本当に安堵したかは解らない。でも、たぶん、自分のために安心してくれたと思う。

 男性は横に置いてあった椅子に座った。この人が僕が起きるまで世話をしてくれていたのだろうか。ニーアは気を失う前までの記憶との照合のために男性に思わず聞く。


「あ、あの、すみません……」

「ん、あぁ。状況が呑み込めていないのか。すまなかったな」


 ニーアが何も言わずに男性はそう察した。察しのいい人のようだ。申し訳なさそうにしているが、表情は相変わらず大きくは変化しない。ポーカーフェイスな人なのだろうか。


「君は保護されている。数日前の海上戦にて、君はギアスーツに乗っていた。部隊は壊滅。その中で生き残った君を俺達が救出した」

「あ、あの黒い、ギアスーツは?」

「黒? あぁ、ブロード・レイドのことか」


 男性があの黒いギアスーツの名前を言う。それは即ち、彼らはあのギアスーツの仲間だということだ。

 恐怖心を覚える。目の前で人を殺し、幾度も命を散らせたあの悪魔の仲間に保護されたのだ。自分の身の危険を覚える。


「あぁ、待ってくれ。別に君に何かするわけではない。確かにブロード・レイドで部隊を壊滅はさせたが、君は被害者のはずだ」

「被害者……?」

「海賊。海上防衛隊から挟んでいた情報だが、彼らは子供を道具のように扱っていると聞いている。君もそうなんだろう?」


 その質問に、ニーアはすぐに答えることはできなかった。疚しい事があるわけではない。ただ、その質問に答えられる過去が自分の中にはなかった。


「……解りません。生まれてから、僕はあそこにいましたから」

「そうか。ではハッキリ言おう。君が生まれ育った組織は、世界的には害悪とされている。俺達は軍の依頼で戦場に参戦した。君はその戦いで利用された被害者だ。君に罪はない」


 まるでその言い分は、ニーアを突き放すように聞こえた。確かにニーアは直接的な人殺しをした事はない。海賊に言われたようにギアスーツに乗っていただけだ。

 でも何か、その言い方は気に入らなかった。


「君にはこの町、アルネイシアの市民権を与えられる予定だ。しばらくはこの家の滞在をしてもらうが、数日後には別の家も与えられる」

「それって……」

「あぁ、君はもう海賊と関わりはない。関わってはいけない」


 それなら、共に生活した子供達はどうなるだろうか。一緒に精一杯生きようとした仲間達の事を忘れろ、というのか。

 無責任に感じた男性の言葉に憤慨を覚える。ニーアは見るからに不服そうな表情を見せる。男性はそんなニーアの心情を理解していたのか、それとも気付かなかったのか、無情に、冷静に呟く。


「君はもう海賊ではない。だからこれまでの人生は忘れる方がいい」


 それは、これまでのニーアの人生の否定であった。



     ◇◇◇◇



「ヒューマ……」

「ツバキか」


 白髪の少年が眠る部屋から出たヒューマを待っていたのは妻であるツバキであった。どうにもヒューマに何か言いたげにしているので、ヒューマは彼女が言いたげな事を先に言う。


「厳しい言い方をした。それは解ってるさ」

「……彼は?」

「寝た。まだ覚醒して一時間も経っていない。突然の事に精神を疲弊したのだろう」


 ヒューマは申し訳なさそうにそう言う。彼とて、あの白髪の少年に真実を伝えるのは辛い。彼の生まれが海賊であるならば、その組織の事を忘れろと言う事は酷であると理解している。仲間もいただろうし、居場所を失うという恐怖感、何よりこれまでの自分を失う事への恐怖感はヒューマも理解している。


「だが言わなければならない。それが彼のためになる」

「海賊と戦うという事は厄介よ。組織の規模も不明だし」

「解ってる。でも野放しにするのは、あの人に怒られる」


 ヒューマは首にかけているロケットを右手で握りしめる。絶対に許せない事があるのだから、そのためにならば自分の命を賭けるのがヒューマという男である。


「ツバキ。俺は戦うつもりだ。海賊を許せない」

「私もよ。海賊を討ちましょう。真に時代を動かすのは生まれゆく子供達。その子供達を蔑ろにする大人は、大人である私達が決着をつけた方がいい」


 ツバキがヒューマの心情を読み取り彼に賛同する。エゴイズムに近い思想。でもそれが、彼ら『TPA』が戦場に挑む理由であった。

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