第2話:誘い―Conflict―
「パパ!」
アルネイシアというハワイ付近に作られた人工島。そこに設立されている空港にて黒髪で短いツインテールのような髪型をした五歳ほどの少女が、パパと呼んだ一人の背丈があまり高くない男の元へ駆けて行く。
「久しぶり、カエデ」
そのパパはそんな少女にそう言って腕を広げる。バフっという鈍い音が小さく空港の中で響いた。カエデと呼ばれた少女がそのパパへ思いきり抱き付いたのだ。パパと呼ばれた男は、十代後半と間違えられてもおかしくはないほど若々しく、28という歳からしてはあまり体格がいいわけではなかったが、5歳の少女程度を受け止めるには苦など感じなかった。
カエデの頭を撫で、いつもごめんな、と何度目かも忘れるほど言ったそのセリフをカエデを抱きしめながら言う。そんな娘と同じ黒髪の男の元に、少女の後ろから長身で黒髪を一つに纏めた女性がゆっくりと彼女を追ってきた。赤と緑の縁のメガネが表情に切れ味を乗せている気がするが、その表情は大変穏やかであった。
「久しぶりねヒューマ。大丈夫?」
「大丈夫だ。後腐れもなく全て終わらせてきた」
ヒューマと呼ばれた日本系の男は、そう言いながらニカッと少し大げさ気味な笑みを浮かべた。身体に相応の無邪気な少年の表情に思える。彼の歳から考えると少し不格好に見えるその表情は、しかし彼女にとってのヒューマの本質が変わっていない事を表していた。
「テルリが空港まで車で来てくれているわ。行きましょう」
「あぁ。新しい家のために戻ってきたようなものだからな」
ヒューマはそう言いながら、まだ自分を抱きしめているカエデを肩で担ぐ。パパがいつもしてくれる行為にカエデは嬉しさを溢れさせ、キャッキャと声に出して喜んだ。ヒューマからすれば、これが彼女にやって上げられる最大限の事だ。
女性に連れられて、ヒューマは空港を後にする。人工島アルネイシア。戦争とはおよそかけ離れたこの平和な鋼鉄で出来た大地。この大地は、何か自分には合わないな、とヒューマは微かにそう思っていた。
◇◇◇◇
「しっかし博士も無茶ばっか言ってくれるぜ。車、ヘリ、船となんでもござれと豪語してたけどよ。まさか次世代の戦艦の操舵師をやってくれときたもんだ」
黒人でサングラスをかけた体格のいい陽気な男が、軽快に車を運転しながらそう笑い声混じりでそう言った。そんな男に、隣に座っていたヒューマはあぁ、そうかと何か納得した様子で頷く。
「だからお前は俺より一週間も先にこちらに来ていたわけか」
「そーそー。七日間でマスターしろってよ。無理言ってくれるぜ」
そう陽気に文句を言う黒人に、その文句の対象である後ろの席で、ヒューマの肩車ではしゃぎ過ぎて疲れて眠るカエデをあやす、博士と呼ばれたメガネをかけた女性が皮肉交じりに呆れを込めてテルリに返す。
「三日で粗方のシステムの起動完了。四日で運動性テスト完了。残り三日間でナンパしてたのはどこのどいつよ」
「ハハハ! 俺の手にかかればイチコロよ!」
果たしてそれがナンパの成功か、それとも操舵の事かは解らない。だが少なくとも傍らにいるのがヒューマという男であるという事は、恐らくはナンパに失敗したのかもしれない。
ヒューマはそんな馴染みの深い年上の友達を心配してか、思わず言葉に漏らす。
「大丈夫か、テルリ。泣いているように見えるが」
「バーロー! くそー! なんでヒューマには女ができて、俺にはできねぇんだよぉ、チクショー!」
知らん、とヒューマもまた呆れる。ヒューマは後ろにいる博士を妻としている。そんな彼の何気ない一言はテルリと呼ばれた男にとっては茨の棘よりも痛い。テルリは確かに体格もいいし頼りにはなる。だがその軽薄で陽気でフレンドリーな態度は悲しいかな、ナンパをする側としては向いているのかもしれないが、必ずしも成功には結びつかないのだ。
いつかいい出会いがあるといいな、という人生の勝利者であるヒューマの一言でテルリは完全に敗北。ドット・テルリ、三十代中盤。女運の無い悲しき操舵師。もとい、未知なる領域の乗り物をも操れる天才なる操舵師。この男は、ヒューマ達にとっては切っても切り離せられないほどの深い縁で繋がっていた。
「そういえば、戦艦にはグレイとキノナリの二人もいたな。博士、あの二人はどうすんのよ?」
「二人は戦艦の留守番よ。完全な受領の許可を得なければならないから数日かかるからね」
「再会には時間がかかるか……残念だな」
名前に上がったグレイとキノナリは彼らの仲間であり戦友である。ヒューマとテルリの黄金コンビとは別行動をしていたようだが、今回の一件で博士の元へ集合する事になっていた。二足も先に博士の元へ着いた二人は、アルネイシアにて建造され、試運転のために海上で試験運行をしている戦艦の護衛のために向かわされたのだ。
新しい家とも言える戦艦の受領のためなのだから仕方がないとは言え、久々の再会を楽しみにしていたヒューマは残念でならなかった。
石造りの街並みを進み、アルネイシアに唯一ある丘へ登っていく。そしてすぐに肉眼でも確認できるほどの、少し大きめの家が彼らのしばらくの拠点となる。木造だが海が見え、活気あふれる街部から少し離れているため騒々しくもない。聞こえるのはカモメの鳴き声と家のすぐ後ろにある断崖にぶつかる波飛沫の音ぐらいで、ここまで上質な別荘はそうそうないだろう。
「ツバキ、いいところに住んでいるんだな」
「あ、そっか。ヒューマは初めてだっけ、ここ?」
「傭兵業のおかげでな。ここでならしばらくはゆっくりできそうだ」
博士ことツバキはそんなヒューマを気遣ってか、肩をポンと叩いた。今回の長期休暇はヒューマの精神の回復のための方が役割が大きい。傭兵業という職もあってか、ヒューマの精神は非常に摩耗している。これはツバキが用意したヒューマの人生における休憩所みたいなものだ。
勿論それだけではない。ツバキはここで自分の職業である開発も行うし、テルリは買い物などの運転を任されている。カエデは父に細やかで身近な幸せのために積極的に接するだろう。カエデ自身、父と遊びたいのだ。
「先に入っといてくれ。車、止めとくわ」
テルリがそう言うので、テルリを残してカエデを先頭に三人はその家に入っていく。別荘の内装は他者に見せても恥ずかしくないほどの立派な様相で、電気もちゃんと通っているようだ。ツバキの趣味か、民族的な模様の装飾が多いのが目に惹くが、カエデの遊んでいたであろうおもちゃが床に散らかっていた。
ツバキがカエデに片づけるように、と言いつけ、ヒューマはそんな日常的風景に微笑みながら深くソファに腰をかけた。ヒューマにとってはこういうソファでさえ久しく感じられる。雇われる先では駒のように扱われる事が常であった事もあり、久々に真っ当な人間の文化をヒューマは身で感じていた。
「あら、十分ぐらい前に留守番電話が入っている」
そう言ってツバキは固定電話に入っていた留守番電話の内容を聞きだす。しばらくの沈黙。ツバキの表情が少しずつ曇っていく様を見て、ヒューマは何か嫌な予感がして、立ち上がってツバキの元へ向かう。
すると、ツバキがくるりと振り返り、ヒューマと目と目が合った。そしてすごく申し訳なさそうに、しかしどうにもならなさそうに、
「ごめんヒューマ。海上防衛隊からヘルプ入っちゃった」
と、ウィンクをしながら舌を出し、受話器を持たない方の手で可愛く頭を叩くようなジェスチャーを見せる。あざとい、がヒューマはそんなところではなかった。
即ち、出動しろというのだから。ヒューマの長期休暇は数十分で終わりを迎えたのだった。
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