第54話:決戦―Commit―

 ニーアはこれが最後になるかもしれない眠りの中で、あの場所へ立っていた。虚ろな空、虚ろな海であった場所。いつものこの心象風景なのに、どこか違う。それに気づくのはあまりにも普遍的で自然であったからか。

 色が広がっていた。色彩豊かな世界が生み出されていた。空は灰色ではなく空色を描き、海は黒ではなくニーアがよく知る世界を埋め尽くす原初の蒼を描いていた。これが本当の世界の姿だ。ニーアが生まれてきた時から見続けていた、現実の世界。いつの間にか色褪せていたニーアの世界だ。

 そこへ、ニーアは愛機であるサバイヴレイダーの姿で立っていた。こんな事は初めてだ。だが同時に、目の前にいるのは声をあげている自分の姿だった。私服で、でも己が感情を高らかに嘆き、まるで自分に訴えかけるようにこちらを向いている。だが叫んでいるはずの彼は、その口から声が出ていなかった。

 彼が何を伝えたいのか。彼が何を訴えかけているのか。ニーアは解らない。でも、それが、たぶん、自分の叫びだという事は解っていた――――



     ◇◇◇◇



 早朝。日が昇り始め、海上を白金に染めていく。ホウセンカのブリッジで時間の経過を見据えていたツバキは、通信機でホウセンカの隣に並び立つ戦艦にいるトロイド博士と状況の照らし合わせをしていた。


「向こうも臨戦態勢ですね……」

『だが、こちらが仕掛けない限りは海賊も攻撃はしてこないだろう。巨大な後ろ盾を失った彼らが戦闘をしたいはずがない』

「それでも戦艦の数は二対三十……我ながら、厄介な状況だけど」


 だが、それでも面を向けて挑むしかない。戦力差はあれど、質に関してはこちらの方が十分に上だ。自惚れではなく、皆と考えて挑む事にしたから、この道を信じるのだ。

 ツバキはトロイド博士との通信を切り、そして今度はホウセンカの中の全クルーに通信を送る。


「ホウセンカに乗艦している皆! この初めての戦いに逃げずに参加してくれてありがとう! 中には恐怖を感じていた人もいるでしょう。ですが、結果的に皆はこのホウセンカについてきてくれました! 艦長として、感謝の言葉を!」


 これが最後になるかもしれない。そう思うと言葉はつらつらと出てしまうものだ。勿論、死ぬつもりはないが、皆の命を預かる者として不安と恐怖でいっぱいなのだ。

 でも、それを面には出さない。ここで弱音を吐けば、皆に不安を煽る事となる。だから漏れそうになる恐怖を胸にしまいこんで、ツバキは高らかに宣言する。


「私達は生きるためにこの海を駆け抜ける。皆の力を一つにし、勝利を掴みとりましょう!!」


 そのツバキの言葉にホウセンカの中のクルーは皆が皆、雄たけびを上げる。艦長としての鼓舞は少なくとも効果があったようだ。ブリッジの中でも聞こえてくるホウセンカの声は、ツバキの頬を思わず緩めてしまう。

 だが、ここからである。ツバキはホウセンカに生きる者達に指示をする。


「非戦闘クルーは中央フリースペース、及び中央エリアに移動を! 技術者、パイロット達はギアスーツデッキへ出撃準備!」

「チャッコ、カナ、ボブ、レイ! お前達は俺の近くへ来い! 何かあったら絶対に守ってやるッ!!」

「カエデとマリーは私の隣へ。大丈夫?」

「はい……ここなら、ニーアも見えますし」


 テルリが子供達を操舵スペースの周りに、そしてツバキがマリーを自分の隣の席に、そして彼女の膝にカエデを座らせた。子供達が勝手に動かないように、そして自分達の目に届く場所にいてほしかったのだ。

 この戦いで、もし外へでも出てしまえば死ぬ可能性が出てくる。二人ができる、最大限の事でもある。ツバキは艦長として、ホウセンカを仕切る者として目の前の戦場を見つめる。



    ◇◇◇◇



『――――ギアスーツデッキへ出撃準備!』

「遂に始まるか……」


 グレイの専任技術者が感慨深げに呟いた。ここから先は自分達の出る幕はない。生きるか死ぬか、全てをギアスーツパイロット達に委ねる事となる。

 自分達の無力さに唇を噛みながら、それでも仲間の力を信じ彼らを送り出す。


「いいな、グレイ! 無理すんじゃねぇぞ!」

「解っている。任せてくれ」


 一方、同時に発進するキノナリの専任技術者が涙をこぼしながらも彼女を見つめていた。彼女の表情はヘルメットによって見えないが、彼女が自分の事を想って慈しむ笑みを浮かべているのは理解できた。


「行ってくるよ」

「……はい。私達はここで待っています!」


 だから、彼女にこれ以上の悲しい表情を見せるわけにはいかなかった。涙を腕で拭い、赤く腫れた目を彼女にぶつけた。専任技術者のひたむきな感情に感謝を覚えたキノナリは、真っ直ぐとスターターデッキの先に見える海を見つめる。


「行くよ、グレイ」

「当然だ。行くぞ、キノ!」


 二人はお互いの名を呼び合って戦場へ赴くためにスラスターを展開し起動させる。高まる熱の中、二人は己が命を叫ぶようにその名を発した。


「タイガートパーズ。キノナリ・フジノミヤ――――出るよぉ!」

「グレイ・グリース。イーゼィス――――Start!」


 命が海へ向かいゆく。グレイはホウセンカの甲板に搭乗し、キノナリは同時に発進したミスティア部隊の前衛担当と共に前へ出る。

 そして、次の番はニーアであった。ニーアが機体に乗り込み、身体が引き締まるかのような感覚に親しみを覚える。これから向かうは戦場。でも、今は前に進めると心から思える。ホウセンカには仲間が待っている。スミスが待っている。マリーが待っている。ニーアには生きるための帰る場所がある。

 それがなんて素晴らしい事か。ニーアは噛みしめるように海を見た。


『なぁ、ニーア』

「ん? どうしたんだい?」


 出撃数分前に、スミスが通信でニーアに語りかけてきた。最後になるかもしれない親友の言葉だ。ニーアは続く言葉を持った。


『そ、その……だなぁ。も、もし帰ってきたら……』

「帰ってきたら?」


 スミスがその次をなかなか言い出さない。でもニーアは待った。スミスの言葉を。

 そしてスミスは、一度深呼吸をして持っているマイクに声を上ずらせながらもありったけの想いをぶつける。


『き、キスしてやるよォッ!!』

「え……?」


 スミスの表情が解らないニーアは驚いて絶句する。スミスは俯いて顔と耳を真っ赤にさせているなんて想像なんてしていないだろう。

 なぜなら――――


「ははは、ありがと。でも、スミスって……男の子だよね?」

『へぁ……ほぇッ!?』


 ニーアからしては、スミスは男の子だったのだから。男勝りな性格に口調、相性のいい性格から彼女を女の子として認識しておらず、勝手に男の子と思い込んでいたのだ。実際、彼女のあまり女性らしくない部分はそういうイメージを生み出すには十分だし、マリーという女性らしい人物が近くにいるからか、ニーアの目は盲目になっていた。

 ほぇ、とか、ほぁ、などと言葉にもならない慄きを見せる中、出撃の時が来たからか、彼女の反応を無視して、スミスに感謝の言葉を述べた。


「行ってくるよ、スミス。そうだね。帰ってきたら、みんなで買い物に行こう!」


 それは希望の言葉だ。帰ってきた後の事を彼女に残してニーアは己の名前を叫んだ。


「ニーア・ネルソン。サバイヴレイダー――――生きますッ!!」


 その言葉に生きる思いを託して、少年は再び蒼海を駆け始めた。そこにある、生きて帰るという願いと共に――――



     ◇◇◇◇



「大将、潮時じゃありませんかねぇ?」


 海賊のキャプテンがアカルト議員を見ながらそう呟いた。彼の言葉は尤もであり、現状を考えたら正論である。普通であれば、ここで逃げるのが得策であろう。だが、アカルト議員という男は普通という枠組みには当てはまらない男だった。


「キャプテン。君は海賊である。私についてきてくれた事はありがたい」

「……あんたが我々に協力をしてくれた事は感謝している」

「ならば、我が願いを、私と一緒に叶えてくれんか?」


 それは、アカルト議員がキャプテンに最初に出会った頃に彼を味方に引き入れた時の言葉であった。無法者である海賊達を統べるキャプテンが、法の管理者に力を貸してくれと頼まれる。それほど奇跡的な事はない。その果てにあるのが破滅でも、あの時、キャプテンは希望を見ていたのだ。

 だから、その言葉を言われてしまえば引き下げれない。契約は破棄できない。盟友であり、恩人である彼が、戦えと言うのであれば。


「……解ったよ。解りましたよ。どちらにせよ、このまま逃げてしまえば男が廃る」

「ありがとう。共に、人類の未来のために――――」


 そこに彼の正義を感じたのだから、無法者は彼の正義に縋ったのだから。

 海賊は逃げずに世界機構の使者に挑む。そして、蒼海を巡る、最後の戦いが始まった――――

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