第26話:夢―Jewelweed―
敗北という結果はニーアにとって、正直に受け入れられるものではなかった。いや、結果は受け入れたとしても、ヒューマの残した未熟という言葉がどうにも頭の中に響いているのだ。
未熟。あの市街地戦で敗北を喫したレインにも言われた言葉。レインという赤の他人に言われるならば理不尽に怒りを覚えるが、ヒューマのように優しくしてくれた人から言われれば、怒りどころか自分が弱い事をありありと思い起こされてしまう。
「はぁ……」
日も沈み、夜空に星が瞬き始めた頃、ニーアは夕食を早々に抜け出して一人、甲板で海を見つめていた。いつも夢の中で見る虚ろなあの蒼海ではないけれど――――むしろ今は星空を映す星海とも言うべき海を、ただただ意味もなく見つめる。
大きな溜め息は波飛沫によって掻き消される。苦悩も一緒に掻き消えたらどんなに楽だろうか、とニーアはわずかにそんな事を考える。
未熟者であるのは承知だ。ニーアは戦場での戦いの経験は多くはないし、あくまで戦わされていただけの人間だ。だから、軍に所属していたレインや、敵を一機で殲滅する事が出来るあのヒューマさんに敵うわけがない。
――――それでも、せめて一撃でもヒューマさんに攻撃を当てたかった。
ニーアが事を急いだのは、あの状況下で攻撃をする、それこそが正解だと信じたからだ。だからこそ武器を失い、態勢も、状況も圧倒的に有利な状況で攻撃を仕掛けた。その結果があれだ。
「はぁ……」
「……おーい」
あの状況で血が上っていたのは間違いない。だからこそ、短気に攻撃を仕掛けてしまったのだ。
「…………」
「おーい、ったらぁ」
自分がここまで短気だとは思っていなかった。確かにヒューマ達と出会い環境が良くなったせいか、抑圧していた攻撃性が表に出ているのかもしれないと感じる事はある。それでも、その感情は自分の中にある感情で、抑えきらないとならないものなのだから……そう考えると、ニーアはどうしても言葉を失ってしまう。
ぴとっ、と何かが頬に当たった。最初に感じたのは水滴が頬に移る感覚で、次に感じたのはその冷たさであった。
「つっ!?」
「あー、やっと気づいたか」
思わず反射運動でその冷たい何かから逃げるように動くニーアに、呆れた表情で迎え入れたのは紺色のタンクトップ姿のスミスであった。その両手には戦艦の中で購入したのだろう、二本のサイダーの缶が握りしめられていた。
「なんだ、スミスか……」
「スミスで悪かったな! ……ほい」
ニーアの安堵した言動を勘違いしたのか、スミスは一度激昂しかけるが、瞬時にその意味の履き違えに気づいたらしく、わざとらしく溜め息を吐いて、ニーアにジュースを手渡した。
どうやら、夕食の後に甲板へ向かったニーアを気遣って用意してくれたようだ。
「まぁ、今日はお疲れ。テストのおかげで改造方針も粗方定まったし、よかった、よかった」
「良くないよ。ヒューマさんに負けたんだよ」
ニーアは思わずスミスの言動に反発してしまう。スミスはニーアがあの演習に余程の悔やみを覚えている事を理解しているが上で、あくまでニーアに当然の事を返す。
「お前な、ヒューマさんは戦場で幾度も敵を葬り続けた伝説的な人なんだぞ。傭兵の間では知らない人は少ない。それに対し、お前はまだまだなんだ。条件的には勝てる見込みは無し」
「でもッ」
「そう言っているうちは自分の実力も計れていないって、自分で言っているようなもんだぜ?」
スミスの厳しい言葉にニーアは思わず黙ってしまった。彼の言う通りだった。ヒューマに勝てる可能性なんてこれっぽっちも無かった。何せ、あの人はあの恐ろしい戦場を支配した黒いギアスーツなのだ。
ニーアは缶ジュースを右手で持ちながら甲板で海を見つめる。スミスも同じように、甲板の柵にもたれ掛かりながらニーアと真逆を向きながらジュースを一度飲んだ。
「それでも、ヒューマさんの攻撃を一度躱したのは十分に凄い事なんだぞ? 少なくともあの瞬間だけ、ギアスーツの性能差は確実に覆っていた」
「それって凄い事なの?」
「凄い事だぜ。理論上、絶対に越えられない壁を乗り越えたんだからな!」
スミスの評価は間違いではない。ヒューマのブロード・レイドはコストを度外視して設計されたオリジナル機であり、その性能は現量産機であるカルゴを超えている。安定性は確かにカルゴの方が上だが、あの戦闘での性能差を見る限り、機動力に勝るブロード・レイドが圧倒的に勝利をもぎ取ってもおかしくはないのだ。
その中でニーアはヒューマの攻撃に対応し、攻撃を躱して、そして武器を捨てさせたのだ。その後の顛末を除けば、この部隊のエースであるヒューマに武器を落とさせた事は、カルゴを扱う者では異常な事である。
「ニーアは瞬発力が高いのかもな。後は、直感が鋭かったりギアスーツの操作に長けていたり……、まぁ、結果はあんなんだったけど、お前は十分凄いってこと! オレが保証する」
「……スミスの保証かぁ」
「あぁッ!? 今、オレの保証は頼りにならないとか考えてただろッ!」
「えー、考えてないよー」
「お前のわざとは解りやすいんだよ!!」
ニーアの対応に腹を立てたスミスは、そう言ってジュースを持っていない手でニーアの頭を軽くチョップする。冗談のような一撃だが、ちょうどジュースを口に含む瞬間であったニーアは、その攻撃が気管に入り込み思わずむせこんでしまう。
その光景をぎゃはは、と笑うスミスを咳き込みながら睨みつけたニーアであったが、次に差し伸べられたのはスミスが差し出す手であった。
「悩む事なんかじゃない。オレ達はニーアの仲間だし、ニーアはオレ達の仲間。誰が強いとか、そういうわけじゃないんだ」
「スミス……」
「まぁ、オレも受け売りなんだけどな、ツバキさんの」
そう暴露するスミスを見て小さく溜め息を漏らすニーア。折角かっこいいと感じたのに、これでは素直にありがとうとは言えない。
だから、少しでも自分の心が素直になる間だけ、スミスの話をしてほしかった。
「スミスはヒューマさん達とはいつ出会ったの?」
「オレ? んー、あー……五年前かな。そう、ツバキさんを拉致した時だ」
「拉致?」
その意味を理解出来なかったニーアは思わずオウム返しのように言葉を漏らす。少し難しい言葉だった。ヒューマ達にこういう事もあるから、と言われていたスミスは特に嫌な事も思わずに丁寧に言葉を返す。
「連れ去った。最初、オレはあるガキ共の親玉だったんだ。悪ガキのな」
「へぇ」
「んで、オレ達はお金持ちと噂だった人物、ツバキ・シナプスという人物を連れ攫った。お金をふんだくるためにな」
あるスラム街の生まれであったスミスにとって、金はまさに生きるための最重要品だった。金さえあれば食べ物も買えるし、職を持つ手がかりにもなる。ガキ大将であったスミスも、あくまでスラム街で育った子供だけであり、そうしなければ生き残る事が出来なかった。ツバキを拉致する事も、スミスの心情としては良い事ではなかった。
「でも、ツバキさんは捕まえたオレに聞いてきたんだ。生きるって楽しいかって」
「生きる、楽しい?」
「正直、反応に困った。だってそんな事、考えた事もなかったし。でも、少なくとも楽しくはなかった」
生きる事に必死だった。そこに楽しさなんて有りやしない。上手く行けば安堵しか思い浮かばない。朝日で目覚めれば、餓死しなかった事に感謝するしかない。その感謝する相手も解らずに、スミスはそんな生活の中で、不思議な女性に出会ったのだ。
生きる事を楽しさを見出す女性。荒んだ環境の中でも少しでも良心が残っていたスミスにとって、彼女の話す言葉は老人が語る御伽話よりもワクワクに満ち溢れていた。
「色んな事を教えてくれた。自分の事、やっている事、ヒューマさんの事。仕事の事、ギアスーツの事、夢の事」
「夢?」
「あぁ、それがこれ。ホウセンカだ」
スミスがホウセンカのブリッジを指して嬉しそうに語る。このホウセンカは、ツバキにとっての夢の結晶だった。だから、それに魅せられたスミスはこの戦艦を誇りに思う。
「ツバキさんはロマンチストだから。でも、だからこそ、夢なんて考えた事もなかったオレにはとても綺麗に見えたんだ」
スミスがヒューマではなくツバキに慕うのはそれが理由だ。スミスがここにいる最初の理由はツバキであった。彼女の夢は、スラム街で燻っていたスミスを羽ばたかせるには十分だった。
「親もいない。身内もいない。オレはツバキさんに頼み込んだ。あんたを逃がすから、オレも連れて行ってって。断られると思ったんだけど、これが意外とオーケーで。結局、オレはあの人と共に逃げ出して、そこから色々教えてもらっているんだ」
「そうなんだ……」
スミスの身の上の話を聞いて、ニーアはそう呟くしかなかった。親も知らない。身内もいないのはニーアも同じだったが、ニーアにはそれ以上に生まれてからの記憶がハッキリしていない。憶えているのは、いつの間にか鉱山で働いていたという、退廃的な記憶だけ。
そんな事を考えているニーアに、スミスは彼女と同じ質問をする。
「なぁ、ニーア。生きるって、楽しいか?」
その質問に、ニーアが答えられるわけがなかった。
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