第7話:決意―Ambivalence―

「テルリッ! そっちの方はどうなのよ!!」

『ぅわっとと!! 喚き散らすなよ博士! こっちだってな、リーダーでもないのにクルー全員に呼びかけてんだよ! 第一、グレイとキノナリは出た』

「……そう。どれぐらいかかりそうだって?」

『あと四十二分……。グレイの攻撃ポイントへはあと二十七分だ』


 ツバキはその言葉に渋い顔をする、電話の相手は戦艦の操舵ブリッジにいるテルリである。ヒューマが出撃をしてから数分。ツバキは新造の戦艦にいるテルリを急かせるよう連絡を入れたが、テルリの方は新造の戦艦の移動に手間取っているらしい。実際、数日かけて帰ってくるはずの予定を急がせて今すぐに帰って来いと言っているのだ。戦艦に滞在しているクルーも焦って上手く行かないのだろう。

 グレイとキノナリ、二人のギアスーツ乗りは独自で出発しているが、ギアスーツと言っても二人のギアスーツは高機動仕様ではない。グレイの仕様ならばある程度の距離に入れば攻撃を開始できるが、ヒューマの直截な応援とはならない。

 状況が悪い。ヒューマはあぁは言ったし、彼を信じているが、それでもやはり多数に一人ではあまりにも危険だ。加えて、彼は優しすぎる。自分の命を軽く見ているから、生きている街の人々が悲しませないために銃を使わないだろう。

 ツバキは街よりもヒューマの事を気に掛ける。街は戻せるが、ヒューマを失う事はそれ以上に辛い。


「解った。テルリ、ごめん。お願いね」

『了解だ。出来るだけ急ぐぜ』


 そう言って電話を切ったツバキは、その細い指で髪を握る。彼女の人望を利用して別の仲間を呼ぼうにも状況が急すぎる。それにツバキだって昔の仲間を居場所を全て把握しているわけではない。

 そんな様子のツバキを見ながら、ニーアは泣きじゃくるカエデを抱いて頭を撫でていた。カエデはニーアより年下だが、この緊迫とした状況に敏感で理解しているのだろう。そして泣いているのだ。カエデにとっての父、ヒューマのピンチを。


「大丈夫。大丈夫だよ……」


 ニーアはそうカエデを慰めるしかできない。今、彼ができる事はそれしかないのだから。

 でも――――、とニーアは苦い思いで目に過ぎる物を見る。薄紫色のギアスーツ。ハンガーに吊るされたその一式は、以前ニーアが使用していた物だ。モデルカルゴ。海賊色のそれはニーアにとっては苦い思いしか浮かばない。

 海賊の一員として無理矢理に乗せられたそれの記憶は嫌な事ばかりだ。初めて目の前で人が死んだ事。銃声。海が染まる赤い血。目の前で蹂躙される戦艦。

 呪われた物だと感じた。それの象徴がこのギアスーツだ。


「パパ……パパァ……」

「…………」


 でも、目の前の少女を助ける事が出来る力でもある。これで街へ出てヒューマを助けるために出撃すれば、彼女の泣き顔も晴れるかもしれない。そんな淡い希望を抱くが、それでもニーアは動けなかった。

 たとえ出られたとしても、果たして生き延びる事が出来るのか解らない。死にたくない。その一心は海賊時代からずっと心の中にあった。人間としては当然の考え方だろう。死んでしまえば、それで終わりなんだから。

 それに、マリーと会いたいという気持ちがまだあるのだから。ニーアは胸が苦しくなる。目の前で泣く少女を救いたい。それでも死にたくない。この二つの感情がせめぎ合う。


「…………」


 虚ろな心理世界。ニーアは何度も見たその光景の中、己を見つめ直す。これまでの自分は、何も変わらない理不尽な世界に生きてきた。それが普通だった。だから、自然と嫌悪感しか覚えなくなって、それ以外の感情は捨ててしまったのかもしれない。

 でも、それでも、その捨てたと思っていた感情が生きていたならば。今だって、ニーアは少女を可哀想だと感じている。そしてその中で、自分が彼女を救ってやりたいと思っている。


「……僕は」


 ニーアはそう言って、カエデから手を放した。そして軽く頭を撫で、ツバキに声をかける。


「ツバキさん。僕も行きます」

「えっ……」


 その言葉にツバキは気の抜けたかのような声を出す。当然だろう。先程まで愛娘をあやしていた彼が、いきなりそう言うのだから。それに、ヒューマの言葉もある。


「でも、ヒューマが」

「ヒューマさんの言葉なんて関係ないです。僕は、僕の意志で戦いに行きます」


 そう言いきったニーアの中に少しの後悔の念が浮かび上がる。迷いはまだある。戦場に行くなんて死にに行くようなものなのだから。

 でも、もしここで何もできずにいるところをマリーが知ったらどう思うだろう。そう考えたら、ニーアは動かずにいられなかった。


「……解った。私はあくまで戦士をサポートする技術者。戦士の意志には手を出せない」

「えっ」

「いえ、何でもない。それより早くコアスーツに着替えなさい。軽い説明を交えるから早急にね」

「あ、はい!」


 ツバキの自己暗示のような喋り口調に少しの困惑を見せたニーアであったが、彼女はすぐに元に戻り彼に指図する。ここまで言い切ったのだから戻る事はできない。でも、だからこそ前に進むしかないのだ。

 それがまだ、本当の戦いの意味ではないって知らずとも――――



     ◇◇◇◇



 薄紫色の見慣れたコアスーツに着替えたニーアはツバキの軽い説明を受けていた。彼女がこの一週間で趣味で調整をしたらしい。


「元々、軽い気持ちで売買にかけるつもりだったからね。だから本格的な改造はしていない。少なくとも新品には劣って、使い古しよりは勝る。その程度の調整しかしていないわ」


 ツバキはボード状のデジタル液晶を持ち、それを見ながらニーアに説明する。その姿は、この一週間で見られた子供らしいツバキと違って、とても凛々しく見えるのはニーアだけだろうか。

 ニーアはそんなツバキの説明を真面目に受けつつも、ギアスーツを装着していく。


「一応拡張機能として、ガンポケットの増設はしてるけど、やったとしてもその程度。脚部に違和感を覚えるだけだろうから、使用だけなら大丈夫だと思うわ」

「あ、解りました」


 ハンガーに吊るされたニーアは脚部のパーツを取りつけるとそう返事をした。違和感と言っても、装甲部分に増設されているため、肉感では違和感なんて感じない。

 背部には前回の海戦で使用したウィングスラスター、脚部にはホバーが装着されている。腰部には二振りのヒートソードことスカルヴォ、肩部と脚部にはそれぞれ二丁ずつのアサルトライフルであるフンド204がある。

 何より、その配色がいつもと変わっていた。薄紫色のそのカラーの上に、赤色の十字を描く塗料が塗られていたのだ。まるで束縛されているみたいだなと、ニーアは最初、それを見てそう感じた。


「私はヒューマみたいに銃を使うな、とは言わない。それにあなたの戦術テクニックは計り知れないから、武器の増設だけはしたわ。あとはあなた次第。生きるか死ぬか。いえ、死にそうになったら逃げなさい。誰もあなたの死を望んでなんかいないわ」

「……はい」


 そうとしか言えなかった。彼女の言葉は、確かに優しかったが、少し疎外感を感じたから。捻くれた思考だとニーアは思ったが、すぐに目の前の状況を意識する。ヘルメットを被り、浮かび上がったヘッドディスプレイを見て、システムの起動が通常よりも早い事に気が付く。OSの部分も弄ったのだろう。

 ニーアは最後に未だに泣いているカエデを見る。マリーを写して見たわけではない。彼女は泣かない子だった。でも、もし彼女が泣いてしまったら嫌だなってそう思ったのだから。

 脚部をスターターに固定し、ニーアはすぅーっと息を飲む。今から行う事は、これまで自分が忌避してきた行いだ。裏切り、人殺し、それを自分が進んで行う。それでも、そこに自分なりに戦う意志があるのだから――――


「ニーア・ネルソン。カルゴ、いきます」


 そう短く言うと、ウィングスラスターを噴射させスターターが進む。加速し暗闇を超えていく。そして開かれたその光の先にあるのは、彼が見た事もない美しい蒼海であった。

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