第二幕 遅刻した教授としたたかな生徒(後編)
仙道家と言えば瀧ノ巻で強い発言力を持つ名家で、教授の教え子の仙道ハズサはそこの一人娘だ。お嬢様らしい気品があり、成績は優秀。細く柔らかい髪を腰まで垂らし、ともすれば薄命な雰囲気を感じさせる美人さんだが、周りを驚かせるようなことを柔和な笑みを浮かべたままにやってのけるものだから、学園長と相性が良さそうだと教授は評した。
そんな彼女から相談を持ち掛けれたのは、放課後のことだ。
「失せ物、ですか?」
聞き返すと、仙道さんは頷いた。
「お昼休みの始めには、あったはずなのです」
仙道さんの両隣に座る
「その失せ物と言うのは?」
「えっと。このくらいの、小さな紙……です」
仙道さんは両手の人差し指で四角を描いた。少し横に長い長方形の、掌に収まるくらいの大きさか。いつもはきはきとした喋り方をする仙道さんにしては、めずらしく歯切れが悪い。
「帳面の切れ端ですか?」
「いえ、違いますわ」
そこははっきりと否定した。
「では、なくしたものは一体なんなのですか?」
「それは……」
なんだろうか。少し様子がおかしい。
仙道さんたちはなくしたもの探すのに協力してほしいそうだが、失せ物がどんな物なのか、明言するのことを避けている。それに、俺に対してどこか気まずさのようなものを感じているように見える。まるで、何か悪いことをした子供が叱られることを恐れているような、失敗したことを上司に報告しに行く人のような、もしくは実習でやらかした生徒が教授に声をかけられたときのような。
ふむ。
「その失せ物は、もしかして切符ですか?」
「え?」
「葉桜歌劇団の演劇を見るための切符だとだと思うのですか、違いますか?」
仙道さんは驚いた表情で頷いた。良かった、当たったようだ。
「あの、館乃木くん!」
三多さんが勢い良く手を挙げた。まるで授業の時のようだ。
「なんですか、三多さん」
「なんで切符だってわかったの?」
「皆さんの様子を見ていれば、流石に察しがつきますよ」
そう言うと三人は顔を見合わせ、同時に頭を傾げた。
それから仙道さんが小さく手を挙げる。
「できれば理由をお伺いしたいです」
「理由ですか?」
「はい。だってわたくし、紙の大きさしか言っていませんもの。それだけで館乃木さんが切符だと断言されたのが、とても不思議です」
参ったな。俺は教授ほど、理論的な説明は得意じゃない。
なくした物がわかった理由は、言ってしまえばなんとなくってだけなのだが、それをこの場で口にするのは躊躇われる。授業のような雰囲気に、俺は頭の中を整理することにした。
「まず、仙道さんは失せ物を一緒に探してほしいと相談しながら、それが一体なんなのか、具体的に言うことをしませんでした。どうしてなのか。一番可能性が高いのは、その失せ物があまり良くない物だから、はっきりと口にしづらかった。そう考えるのが一番自然です」
三人とも相槌を打ちながら熱心に聞いてくれている。
「良くない物と一口に言っても様々ですが、大きく分けて二つに分類されるでしょう。法律に触れる良くない物か、法律に触れなくても周りから見れば良くない物か、です。まあ、これは後者になるでしょう」
「どうしてですか?」
「仙道さんは、悪いことをする人ではないからです」
「……あ、ありがとうございます」
仙道さんは照れたように頬を染めて、少し俯いた。
いや……確かに、少し恥ずかしい台詞だったかもしれない。
咳払い。
「それに相談相手に私を選んだことから、この場合の周りとは先生、もしくは校則のことだとすると、より理由が明確になります。つまり、持って来ているのが先生に見つかれば没収されかねない物だから、没収する可能性が一番低いだろう私に相談した。そうですね?」
「はい、その通りです」
「次に、なくしたものが小さな紙であることです。失せ物は絵や写真であるかもしれませんが、それなら紙なんて言い回しはしないでしょう。あとは生徒たちの間で歌劇団が話題になっていることや、没収される危険を冒してでも私に相談したのは、それほどに急を要していたからと考えると、探しているのは葉桜歌劇団の切符、それも今夜行われる公演の切符である可能性が高いだろうと結論付けました」
少し、話が長かっただろうか。
一抹の不安は、三人の拍手によって打ち消された。
「噂に違わぬ推理! 流石です、館乃木さん!」
「ええ、ハズサさんの言っていたとおりですわ」
「まさか本当にわかるなんてなぁ」
……いかん。女の子三人褒められるのって、すごく照れくさい。
「そんな、大したことありませんよ。それより、噂とはなんですか?」
俺の質問に、興奮冷めやらぬ三人を代表して仙道さんが答えた。
「河崎教授や館乃木さんはこれまでに何度も警察や憲兵隊に協力して事件解決に導いたと聞いております! なんでも帝都にいたころは、かつての鬼組筆頭鏑城ジョウケンを逮捕したのもお二人だとか!」
「……すべて間違いだとは言えませんが、だいぶ尾ひれがついていますね。それに私たちは警察じゃありませんから、犯罪者を逮捕なんてできませんし」
「ああ、やはりそうなのですね! すごいわ!」
「あの、私の話を聞いていますか?」
まったく、誰がそんな噂を流したのか。
「もしかして、切符だと言わなかったのはわざとですか?」
「はい!」
「……そうですか」
仙道さんはにこにこしながら、はっきりと言い切った。
ここまで来ると、いっそ清々しい。
「皆さんが一緒なのは三人で公演を見に行くためですよね。切符も三枚あると思いますが、すべてなくしてしまったのですか?」
「いいえ、一枚だけなくしてしまいまして」
曰く、三枚の切符は仙道さんがまとめて持っていたらしい。三枚揃っていることを最後に確認したのは昼休みが始まった頃、お昼を食べ始める前で、三人ともそれは間違いないと言っている。三人が切符を確認してから、すぐに仙道さんは自分の鞄に戻し、それから三人は、談笑しながら一緒に昼食を取った。
その後切符がなくなっていることに気が付いたのも、仙道さんなのだそうだ。五時限目が始まる前、授業で使う術具を鞄から取り出した時には、すでに切符が二枚しかなかったそうだ。すぐに周りや机の下を確認したが、結局見つけられず、放課後改めて探すことにした。
「なくした物が校則違反のものですから、大々的に探すわけにも行かない、と言うところですかね」
「はい。ですが、わたくしたちだけで遅くまで教室に残っていたら、先生に見つかった時に事情を聞かれるかもしれませんわ」
「なるほど。それで私に声をかけたわけですか」
教授の助手と言う立場ではあるが、生徒だけで教室に残るよりも多少は不自然さが緩和されるだろう。
「それで、できればなのですけど……」
言いずらそうにしているが、俺は頷いた。
「良いですよ、一緒に探しましょう」
「ありがとうございます!」
こうして、教室中を探し始めたわけだが……。
「見つかんないなぁ」
最初に音を上げたのは三多さんだった。
「公演は何時に始まるのですか?」
「六時からだよ。だから遅くても五時半には学園を出れば間に合うんだけど、五時からは掃除の人たちが来ちゃうでしょ?」
「確かに、教室の掃除が始まる前に見つけられるのが望ましいですね」
それに、切符を学園側が見つけてしまうと厄介なことになる。
「そもそもの質問なのですが」
「何?」
「どうして学園に切符を持って来たのですか? 学園からまっすぐ劇場に向かう計画なのでしょうが、それなら一度家に帰ってからでも良いはずでは?」
「それは私とハズサさんのやむを得ぬ事情のせいですわ」
答えたのは後ろにある物置棚の上を見ていた苑垣さんだ。
「ハズサとユウナの家は厳しくてさ、二人とも親から『歌劇なんて、はしたない!』なんて言われて、見に行くのを反対されたんだよね」
「そうですの。ですから、授業が終わったその足で劇場に行くことにしたのですわ。そうすれば、屋敷へ帰った時に学園の用事で帰るのが遅れたと言い訳もできますの」
「でも、切符を持っていたのは仙道さんですから、用意したのも仙道さんですよね?」
「それは、まぁ。あたしが切符を買えればそれが一番良かったんだけど……ほら、二人と違ってあたしの家は貧乏だから、あたしの小遣いじゃ一人分の切符も用意できないんだよね」
視線を逸らす三多さんは、学園の制服を着ている仙道さんや苑垣さんと違い、普通の袴姿だ。机に置いてある荷物も校章付きの鞄ではなく、風呂敷に包んで置いている。制服を揃えていない生徒は少なくないが、三多さんの場合は金銭的な余裕のなさがその原因なのだろう。
「ですからわたくしが、内緒の頼みごとができる召使に三人分の切符を買ってもらったのです。切符代もわたくしが三人分出しましたわ。最初に歌劇を見に行こうと誘ったのもわたくしでしたし」
いつの間にか仙道さんも話に混ざっていて、捜索の手は完全に止まっていた。
結局のところ、たくさんの机と棚があるだけの教室では、たとえ広さはあっても、生徒たちが帰ってしまえば探せる場所は意外と少ない。目ぼしいところはほとんど探し終えてしまって、あとは教壇や物置棚の下や隙間くらいか。
「物置棚は大きすぎて持ち上げるのは難しいですね。皆さんは物を浮遊させる魔術は使えますか?」
「はい、大丈夫です」
「良かった。本当は私が魔術を使えれば一番なのですが」
仙道さんが魔術を使ってみるが、どうやら思った以上に重かったらしく、苑垣さんも加わって術詩を唱え、俺と三多さんが下を覗き込んだ。
「そう言えばさ、館乃木くんはなんで魔術が使えないの?」
「私は魔力量が極端に少ないんですよ。時間をかければ火くらいは起こせますが、水を現すの無理ですね」
「なのに河崎教授の助手をやってるんだ?」
三多さん、物言いに遠慮と言うか……すぱっと切り込んで来るよね。
「帝都にいたころに、縁があったのですよ」
そんな雑談にそれながら探すが、やはり棚の下に落ちていることもなく、そのあとも隅々まで見て回ったが、ついに見つけることはできなかった。
「……こうなると、何かの拍子に誰かの荷物に紛れたか、もしくは」
「実はハズサが持ってたりしてね」
「制服の
「そうですの。ハズサさんがそんな失敗するわけありませんの」
「だよねぇ」
三人のやり取りを見ながら、俺の中にはもやもやしたものが渦巻いていた。いや、一つの可能性がより濃くなったと言うべきか。違和感が形を成し始め、質量を得たように自分の内側で沈み込むような感覚が迷いと言う名で表れた。
だけど。
「ハヤキ、こんなところにいたのか」
迷っていると、教室に教授が現れた。
「なるほどな」
俺は教授にも事情を話すことにした。
情けないことだが、もしかしたらこれは俺一人では抱えきれない事態なのかもしれない。彼女たちの様子を見ているとそのことを言いづらくて、迷うくらいならと教授に意見を求めることにした。
「それは、とても困ったな」
教授の表情を見るに、すぐに状況を呑み込めたのだろう。目を瞑って腕を組み、それから俺に流し目を向けた。俺も視線で返すと、教授はため息を吐いた。
「やはり、誰かの荷物に紛れ込んでしまったのでしょうか」
そう言った仙道さんは少し落ち込んでいる様子で、それに対して教授は、俺にしか聞こえないほどに小さな声でこう返した。
「違うな。盗まれたんだ」
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