第六幕 二度あることは三度ある(後編)

 二人の元へ駆け寄ると、また話を蒸し返しているようだった。

「本当にいい加減にしろよ! 持ってねえのはあのまっぽが証明しただろうが!」

「どこかに隠している可能性は否定できん! どうせ小悪党の悪知恵でも働かせたのだろう!」

「てめえ、下手に出てれば調子に乗りやがって!」

「ああもう! 二人とも落ち着いて!」

 俺はとにかく二人を引き剥がし、間に割って入る。強硬に出たおかげで、二人の注意は俺に向いた。

 伊達男は首を傾げた。

「お前、確かその辺で叫んでたまっぽか」

 伊達男はどうも勘違いをしているらしい。

 まあ、その方が都合が良いから訂正はしないでおこう。

 紳士の方は一つ咳ばらいをして、帽子を被った。

「先ほどの彼はどうしたのだ?」

「因藤さんとは交代したんですよ。今度は俺が話を聞きます」

「……そうか、あの男よりは話ができそうだ」

 さて、ひとまず俺の話を聞いてくれる様子になった。

 ここからだ。なるべく怪しまれないよう、うまくやらなければ。

「話は因藤さんから大まかなところは聞きました。そちらの紳士は黒い財布を盗まれたとのことですが、伊達男さんは当然、黒い財布のことは知らないんですよね?」

「当然だろうが」

 身振り手振りを大げさに、足を動かし移動しながら、二人の表情を良く観察する。小さなことも見落とさないよう、慎重に、注意深く。

「紳士さんも、伊達男さんが財布を盗んだと言い切るからには、それなりの根拠があるんですよね?」

「これでも我は目が良くてな、振り向きざま、真正面からぶつかって来た輩の着物や背格好はわかっていた。財布がなくなったことを確認してすぐに振り返った時、周囲で我が記憶した特徴と合致していたのは、この男を除いてほかにいなかった」

「彼とぶつかる以前に財布がなくなっていた可能性は?」

「それはありえん。財布は上着の内側に入れたのは、この男とぶつかる数舜前であったからな」

 やはり、紳士は伊達男が財布を盗んだと確信している口ぶり。因藤さんが調べて見つけられなかったのに、全く揺るがない。

「一つ提案なのですが、紳士の方、一回身体検査をしてもよろしいでしょうか?」

「なぜそんなことをするのだ」

「本当に盗まれたのか、確認したいのですよ。もしかしたら貴方の勘違いで、実は持っていた、なんてこともありますし」

「なんだと! 貴様も我を侮辱するか!」

 怒鳴られた。

 見た目だけは落ち着いた壮年って感じなのに、すぐに沸騰するなこの人。

 それを見た伊達男は、紳士に対してにやにやと笑った。

「おんやあ? おっさん、なんか調べられると困ることでもあんのかよ?」

「当然、伊達男さんも改めて調べさせてもらいますよ」

「ああ? オレもかよ」

「一応、自分でも確認しておかないと、今後の話に支障が出るかもしれませんから。ですから、二人とも平等に検査する、これなら良いでしょう?」

 伊達男も、紳士も渋々ではあるが、頷いた。

 それから紳士、伊達男の順で財布を仕舞えそうなところを調べた。ぐるぐると周りを回りながら、体を軽く叩き、形あるものを見つけては取り出してもらって、それが何か確認する。

 紳士からはやはり財布らしきものは見つからず、伊達男も自分のものだと言う緑色のがま口しか持っていなかった。

「見つかりませんね。できれば落ち着いて答えてもらいたいのですが、紳士は自分が黒い財布を持っていたと証明できる方はいらっしゃいますか?」

「なんだと?」

「伊達男さんから財布が見つからないこの状況では、間違っているのは貴方の方だとしか思えません。勘違いでなければ、言いがかりをつけていると見られても、仕方ないでしょう?」

「貴様……」

 ああ、やっぱり怒ったな。

 それでも襲ってこないのは、紳士も相手は俺を警察だと思っているから堪えているのだろう。

「紳士は一人でここに訪れたのでしょう? でなければ今頃、お連れの方が来ているはずですから。他に心当たりは?」

「……幕間の時、向こうの屋台で握り飯を買った。売人が覚えているだろう」

「それはどうでしょうね? 屋台の人は短い時間でたくさんの客を相手にしますし、貴方と似た格好をしている人も多く見かけました。証人としては弱いでしょう」

「ならばどうしろと言うのだ!」

「貴方が嘘を言っているのでなければ、財布は諦めるべきでしょう。人とぶつかった時に落としたか。スリが別の人物の犯行なら、もう貴方の下へ戻って来ることもありませんし」

 必死に耐えていた紳士の糸が、ついに切れた。

 こぶしを振りかぶって、半歩踏み出して本気の一撃を突き出した。そろそろかと予見していた俺は、咄嗟に避ける。

 が。

「うおぅ!」

 ぬかるみに足を取られ、伊達男を巻き込んで顔から派手に転んだ。

「おっさん、まっぽに八つ当たりしてんじゃねえよ!」

 すぐに体を反転させると、ぎりぎりで転ぶのを回避した伊達男の言葉に、紳士がばつの悪そうな顔をしてこぶしを下したところを、目についた泥で遮られた視界に映った。

「いや、良いです。俺も言い方が悪かったですし」

「てめえ、大丈夫かよ?」

「お気遣いなく」

 顔の泥を拭って何とか立ち上がった。

「おーい、大丈夫か親友!」

 流石に見かねて、因藤さんとミトノさんも来たようだ。

「これ以上の解決は無理そうだな。悪いがあんたはしょっ引かせてもらうぞ。当事者でない奴を殴ったんじゃ、流石にな」

「……わかった」

 紳士もやっと頭が冷えたのか、因藤さんに素直に従う。

 ミトノさんは心配そうに俺の顔を覗き込んで来た。

「ハヤキさん、お怪我はない?」

「幸い、ぬかるんだ地面は柔らかかったからな。口の中に泥が入って、じゃりじゃりするくらいだ」

 因藤さんが紳士を連れて行くのを見送った伊達男は、まるで力が抜けたようにその場で胡坐を掻いた。地面はぐちゃぐちゃになっているが、自分もぐちゃぐちゃになってしまっているから気にしない、と言ったところか。

「……助かったよあんさん。あのおっさん、全然自分の間違いを認めねえからよ」

 ああ、疲れた。そう言って伊達男は両手をついて空を見た。

 とりあえず、これで騒動は収まった。俺はほっと一息吐いて。

「やっと尻尾を出しましたね」

 伊達男の手をひねり上げた。

「なっ!」

 伊達男は本当に驚いた顔で固まった。

「ずっと気になっていたことがありました。どうしてあそこまで周囲の人の注目を集めるような喧嘩に発展したのか」

 ひねった手にさらに力を加える。

「紳士さんが見た目にそぐわず頭に血が上りやすくて、とても好戦的な性格だったこともありますが、先に手を出したのは伊達男さんの方だったらしいですね?」

 よほど衝撃だったのか、伊達男は一切の抵抗をしない。

 されたら困るから、俺はさらに畳みかけた。

「貴方の行動は合理的でないんですよ。貴方がスリの犯人だとしたら、紳士さんに対して反論などせず、走って逃げてしまった方が良い。例えば共犯者がいて、その人物に盗んだ財布をこっそり預けていたとしても、時間稼ぎのために大騒ぎをする必要性もない」

「むかついたんだよ。あのおっさんが言いがかりをつけて来たからな」

「ならば貴方が無実だったとしましょう。むかついたから喧嘩になった、一見するともっともです。紳士さん同様、貴方も喧嘩っ早いからそうなった。だとするなら、因藤さんが警察だと名乗った時の貴方の行動は、やはり不自然だったんですよ」

「どうしてだよ。無実を訴えるのは当然だろうが」

「逃げるそぶりを一切見せなかったのが不自然なんです。まっぽ、なんて蔑称を使うあたり、悪い意味で、貴方は警察にお世話になったこともあるのでしょう。無実とは言え、喧嘩騒ぎを起こしながら前のめりに冤罪を主張するのは、いささか無鉄砲すぎる」

 この状況でもまだ言い逃れをしようとする辺り、実は本当に無鉄砲な人なのかもしれないが。

「ならば、こう考えられます。喧嘩することに意味があったんじゃないかと」

 その答えが、伊達男が持つ泥だらけの財布だ。

「貴方はぬかるんで柔らかくなった地面、泥の中に紳士さんの財布を隠したんだ。取っ組み合いの殴り合いで地面をぐちゃぐちゃにして、足元に盗んだ財布を落として踏みつけるようにして埋めたんだ。きっと、財布を持っていない自分は無実だと周りが認め、騒ぎが収まった後に回収する算段だったのでしょう。だから因藤さんが場所を変えようと言った時、伊達男さんはそれを拒否した。再びこの場所に戻ってくるのは不自然ですし、ほかの人に拾われる可能性もありますから」

「なるほど、そう言うわけだったか」

 紳士を連れて行ったはずの因藤さんが戻って来ていた。隣には紳士もいる。

「さて、何か言い訳はありますか?」

 ひねり上げていた手を少し緩め、伊達男の目の前まで下げた。

「……今、たまたま拾ったんだよ。座った時に手に触れたから、なんだろうと思ってな」

 やっぱり。そう来るか。

「そもそも、こんな泥だらけの地面に座ること自体、不自然な行動なんですよ。しかも、それでたまたま拾ったものが紳士さんの財布だったと? そんな偶然がはたしてあり得ますかね?」

「おい、だがよ」

「これは間違いなく紳士さんの財布だ、貴方がいくら無実を訴えようが、空々しいことこの上ない」

「聞けよ! てめえは一つ勘違いしてんだっ!」

「一体何を勘違いしていると言うんですか? これは貴方が盗んだ紳士さんの財布だ、ですよね?」

 俺は因藤さんの隣で立っている紳士に視線を送ると、頷いた。

「間違いない。それは我が財布だ」

「嘘ついてんじゃねえぞおっさん!」

 伊達男は俺の手を振りほどき、立ち上がって手に持つ財布を紳士に突き付けた。


「そもそもこれは、おっさんの財布じゃねえだろうがっ!」


「そうです!」

 待っていた言葉に思わず詰め寄った。

「それは紳士さんの財布じゃない」

 俺は伊達男から財布をひったくり、後ろに下がる。

「これは俺が転んだ時に、ですから」

 それから本来の持ち主である因藤さんに財布を返すと、苦笑いを浮かべた。

「貸してくれって言うから貸したが、まさかこんな姿で返って来るとはな」

「悪いな」

「良いってことよ親友! 中身は全部抜いてたしな、洗えば問題なしだ!」

 因藤さんに許してもらったところで、俺は伊達男に向き直った。

「ちなみに。紳士さんの財布は、これです」

 俺は懐から泥だらけになっている、黒い折り畳みの財布を取り出した。

「伊達男さん。どうして貴方は、自分の持っていた財布が紳士さんのものでないと言い切れたのでしょう?」

 俺はにこやかに問いただした。

 しばらく沈黙を続けた伊達男は、やがて肩を落とした。

「……つまりてめえは、オレを嵌めやがったのか」

 それは、自分の犯行を認める言葉だった。

「たまたま拾った、で逃げられてしまうそれがあったので」

「たぶん、あのおっさんにも話を合わせろと、そこのまっぽが吹き込んだんだろ? 手の込んだことをしやがって」

「貴方ほどではないですよ」


 こうして、スリ事件は解決した。

 ただ、一つだけ疑問が残っている。

「どうして伊達男さんは、紳士さんの財布にこだわったんだろう?」

「……確かにな。普通なら面倒になる前に、さっさと諦めて逃げるもんだ」

 因藤さんは俺に期待の目を向けたが、残念ながら、俺ではその理由までは押し量れそうにない。屯所に連れてったら俺がこってりと持って搾り上げ、意地でも吐かせてやるさと、因藤さんは伊達男を連行しながら笑った。どちらにしてもスリの犯人は捕まったのだから、もう俺の出る幕ではないだろう。

 俺と一緒に因藤さんを見送ったミトノさんが、ため息を吐いた。

「犯人を捕まえるためとは言え、ハヤキさんまで泥だらけになるなんて」

「ほかに良い方法が思いつかなくて」

「せめて顔の泥くらいは拭かないと。ほら、顔をこっちに向けて」

 そう言って鞄から手巾を取り出した。

「いや、大丈夫だよ。ミトノさんの手巾を汚すわけにもいかないし」

「駄目よ。ほら、拭いてあげるから顔を出して」

「わかった! わかったから、せめて自分で拭かせてくれ! 近くに寄ったら、ミトノさんの服まで汚れるし」

「構わないって言っているでしょ、ほら!」

 駄目だ。ミトノさん、意外と頑固だ。

 諦めて、なすがままにされることにした。

 俺とミトノさんでは身長差があるから、ミトノさんはつま先立ちで背伸びをして、ぐっと顔が近づいて来た。まっさらな手巾が、まず頬を拭う。

「目のところも拭くから、瞑って」

「……わかった」

 目を閉じると、瞼の上を優しくなぞられる。

 眉間、眉、額。不意に胸に手を置かれた。思わず目を開くと、ミトノさんの顔が、本当に間近に迫っていた。つい驚いてしまって、一歩後ろに下がると、ミトノさんもつられて体勢を崩し、俺の胸に倒れこんで来た。

 意図せず抱き合うような形になってしまい、心臓が跳ねた。

「……あ。ご、ごめんなさいっ」

 ミトノさんは、ぱっと俺から離れて謝った。

「いや、こっちこそ! それよりも服が」

「ううん、良いの。大丈夫だから」

 顔を真っ赤にして俯いて、俺もそれは同じだろう。

 しばらくの沈黙の後。

「えっと。私、もう戻らないと」

「そ、そっか」

 気まずさに耐えかねたミトノさんがいそいそと出口の方へ向かっていった。

「じゃあ、またね」

 去り際に頭を下げて、人ごみの中に消える。

 失敗したな。俺は、そんな気持ちでミトノさんを見送った。

「またね、か」

 それから。

 いまさらに受付の男がやって来たり、汚れた着物の代わりを用意してもらったり、遅いと仙道さんたちに怒られたり、送り届けたりして、研究室にようやっと帰ることができると、帰るのが遅いと、今度は不機嫌な顔をして目も合わせようとしない教授に怒られた。

「夕食はどうしましたか?」

「ああ。ハヤキが言っていた通り、お弁当を食べたよ」

「そうですか。俺も食べようかな」

 だが、氷室に降りても肝心の弁当箱が見つからない。

「教授、お弁当はどこにやりました?」

「だから、食べたと言っただろう」

「いえ、俺の分が……まさか二人分食べたんですか?」

 教授は鼻であしらった。

 この態度からするに、本当に食べたのか。二階に上がると、食卓の上に空になった弁当箱が二つに箸が一つ、そのまま置かれていた。

 どちらかと言えば小食なのに、無理して食べたんだろう。何が教授の機嫌を損なわせているのか、思い当たるところが多すぎてわからない。下手に謝るのも逆効果だし、もらったあんぱんを食べたとは言え決して腹持ちは良くないし、はたしてどうしたものか。

 諦めるか。

「今日はもう疲れたしな」

 本当にいろいろあった。

 二度あることは三度ある。なんて言うけど、切符がなくなり、財布がなくなり、今度はお弁当がなくなった。前者二つは元の持ち主へ戻ったが、食べられたお弁当までは流石に戻るまい。

「ひどい顔をしているな」

 いつの間にか教授も二階へ来ていた。

 教授は椅子を引っ張り出して座ると、どかっと座って腕を組んだ。

「こんな遅くに帰って来て、あの子たちとのお楽しみはそんなに良かったか?」

「お楽しみって何ですか?」

「さあな」

 やっぱり教授は、自分だけ置いて行かれたことを怒っているのか。仙道さんたちと俺の四人だけで楽しんできたことが、気に入らないんだろう。教授なんて肩書を持っていても、その辺りはまだ子供なんだな。

「女の子三人に囲まれて、さぞ楽しかったろうな」

 右手の人差し指をとんとんさせて、ものすごく嫌味ったらしい言い方だった。

「言っておきますが、劇場では彼女たちと完全に別行動でしたからね。親友たちで楽しんでいるのを邪魔するわけにもいきませんでしたし」

 一応訂正すると、教授の指の動きが止まった。

「……そうなのか? 帰りは?」

「劇が終わってから合流して、あとは家に送り届けただけですよ」

「それにしては、やけに遅かったじゃないか」

「帰り際、スリ事件に巻き込まれたんです」

「まさか、何か盗られたのか?」

「そうではないんですが、たまたま因藤さんと居合わせまして」

「ああ……、なるほど」

 納得してくれたようで、しばらくぶつぶつと何か言っていたが、やがて教授の寝室に入って行って、すぐに皿を手にして戻って来た。

「ぼくだって、流石に悪いと思って」

 そう言って教授が食卓に置いた皿には、握り飯が二つあった。

 思わず、笑ってしまった。

「何を笑ってるんだっ。い、いらないならはっきりそう言え!」

「いいえ、ありがたくいただきます。それと、ちゃんと埋め合わせも考えますから」

「……ふん、勝手にすれば良いさ」

 わかりやすい照れ隠しで、自分の部屋に戻った。

「おやすみなさい、教授」

 お弁当も戻って来たな、なんて思いながら、俺は一口食べた。

 うん、しょっぱい。

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