第四幕 二度あることは三度ある(前編)

「それでは、わたくしたちは先に行っていますから!」

「終わったらあの木のそばに集合ですから、必ず来るんですよ!」

「はーい!」

 無事に切符のあるところを明らかにし、親友同士が仲直りしてから少し経った六時前、俺は仙道さんたちに半ば引っ張られるような形で歌劇場に来ていた。とは言っても、入場する前に興奮した様子で仲良く三人、俺を置いてさっさと行ってしまったけど。

 ちなみに、俺はただ彼女たちを送り届けに来たわけではない。

 自分の切符を片手に持ち、観客として公演を見に来たのだ。


   ***


「ぜひ、お礼をさせてください」

 そう言って仙道さんが封筒から取り出したのは、だった。

「なんだこれは」

 教授の疑問はもっともだった。俺も同じことを思った。

「これは今日の公演の大人用の切符です」

「大人用?」

 葉桜歌劇団と言うものは、とてもしっかりした入場者管理をしているらしい。

 切符のは大人用と、それより少し安い子供の用の切符があるそうなのだが、基本的に子供は大人が一緒でなければならない決まりなのだとか。つまり切符を買うにも大人がいなければ売ってもくれず、劇団の基準から言えばまだ子供扱いの彼女たちが切符を手に入れるためには、身分証明ができる大人に買って来てもらうしかなったそうだ。

「この切符には名前が書いてあるんですね」

「切符を買うときに全員分の名前を劇場側にあらかじめ言わなければならないそうなのです。わたくしたちは今から自分の名前を書けば大丈夫なのですが、こちらは代表者として、切符を受け取るときに書いたものらしいです」

「ならこれは『八賀クニヤス』さんの切符だろう?」

 教授は切符を手に取り弄り回しながら首を傾げた。

「そうなのですが、八賀は今日屋敷を空けられなくなってしまい、使い手がいなくなってしまいまして。どうしたものかと思って、一応持って来てはいたのですが」

 仙道さんの口から笑いが漏れて。

「わたくし、とても良いことを思いついたんです!」

 そう言うと、両手を合わせて俺の方を見た。

「良いこととは?」

「館乃木さん。もし興味がおありでしたら、今夜ご一緒いたしませんか?」


   ***


 興味は間違いなくあった。でなきゃ教授に演劇をやろうなんて言わない。

 それに女の子たちだけで夜道を歩かせるのも心配だった。学園に勤務する者として、生徒たちの安全に気を配るのも仕事の内。それに俺が彼女たちを家まで送れば、教授の手紙もより説得力が増すだろう。敵情視察にもなるし、まさに一石二鳥。断る理由もなかったから、仙道さんの誘いを俺は喜んで受けた。

 ただ一つ、気になることがあるとすれば。

「まさかこれが目的だったんじゃないだろうなっ」

「目的なんて、そんな大したものではありません。本当についさっき思いついたんです」

「はっ、良く言うよ」

「河崎教授には、また別の機会にお礼をいたしますわ」

「そんなものいらん!」

 こんな感じで、教授は仙道さんと二人で内緒話のつもりだったらしいが、丸聞こえだった。いまいち要領を得ない会話だったが、多分、置いてけぼりになるのが気に食わなかったのだろう。とにかく教授は機嫌を悪くしたようで、後が怖い。

 そうだ、気になると言えばもう一つあった。学園長のことだ。

 演劇を見に行くことがあったら感想を聞かせてほしいなんて学園長と話していたが、まさか本当にこうして来ることになるとは。実はこうなることを、学園長は予見していたとか。

「あるわけないか、そんなこと」

 くだらないことを考える前に、早く劇場に入らないと公演が始まってしまう。

 周りには足早に俺と同じ方向を目指す人が何人か。背の高いガス灯が辺りに点在して足元を照らし、向かう先には関所のような門と劇場を囲う簡易的な柵。元々ここは、広いだけで何もない空き地だったと俺は記憶している。だとしたら、これらはすべて歌劇団が用意したものか。この先には大きな舞台があることも考えると、これだけの物資を運搬し、数日のうちに劇場を施設してしまうなんて。

「お客様、切符とお名前をお願いします」

 関所の前では受付の男が卓につき、もてなしの笑顔で俺を見て、軽く手を伸ばした。周りに見惚れていたせいで呆気に取られてしまい、少し恥ずかしい。

「八賀クニヤスです」

「……八賀、クニヤスさん、ですね。お連れの方は先に見えておりますよ」

「ええ、よほど楽しみにしていたようで、私を置いて走って行ってしまいましたよ」

「そうでしたか。八賀さんは、学園の方だったのですね」

 思わず首を傾げると、男は自分の右のわき腹を指した。ちょうど帯の位置で、自身を見ると学園から貰った根付があった。

「不思議な組み合わせだなと、失礼ながら話題にしておりまして。生徒さんの引率ですか?」

 あ、そうか。

 確かに、仙道さんたちは学生服だったし、この人は俺を先生だと思っているのか。

「はい。親御さんは連れて行ってくれないと嘆いていたところ、ならば課外授業として公演を見に行こうとなりまして」

「なるほど。足を止めさせてしまい申し訳ありませんでした。中へどうぞ」

「ありがとうございます」

 ……すごく緊張した。

 八賀クニヤスさんになりすまさなければならない上に、咄嗟のでまかせで色々言ってしまったが、無事乗り切れたようだ。身分証明とは言っても、職業までは確かめられていなかったようで良かった。

 これからの楽しみよりも、とりあえず嘘がバレる前に逃げたい思いから、逸る気持ちのまま門をくぐって。


 刹那、空気が一変した。


 人々が大勢集まる祭り特有の熱気、抑えてもあふれ出す騒がしさ。夜とは思えないほど明るいのは、星々を霞ませる光の塊が無数に浮かんでいるからで、その中心には学園の大講堂にあるような豪奢な吊り下げ式の大きな燭台がある。振り返って柵の外に目を向ければ、あったはずのガス灯の明かりがほとんど見えない。それはここが明るいからじゃなく、。ただ柵に区切られただけの空間とは思えないほどの雰囲気の変化に、意識が呑み込まれてしまうような感覚に陥ってしまう。

「これ、全部魔術か」

 柵と門で劇場に結界を張り、火属性と土の複合魔術で光の塊を作り出し、豪奢な燭台は風属性の魔術で浮かせているのだろう。もしかしたら大量の物資も、運びやすいよう術具に封じているのかもしれない。

 葉桜歌劇団は、一体何人の魔術師を抱え込んでいるんだろうか。

「いやはや、本当にすごいな」

 歌劇が始まる前に圧倒されてしまった。

 まるで、魔術が普及した未来の光景だ。こんな場所で見る歌劇に、人々が心を躍らせるのもわかる気がする。事実、歌劇を楽しみにしていた仙道さんたちのように、俺の気持ちは昂り始めている。

 野外であるため流石に茣蓙とはならず、長椅子が規則正しく並べられている。席に決まりはなく、ほとんどは座っているが、中には立っている人もいる。もう始まる直前だから空いてる席は最後列ぐらいだが、こればかりは仕方あるまい。舞台は高い位置にあって、一番後ろに座っても役者の姿は十分見える。仙道さんたちは良い席に座れただろうか。

 少し迷ったが、周囲が一番静かそうな右端の最後列に座ることにした。

 それからまもなく空から光が消えて、舞台の幕が開いた。


 歌劇とは、異国で生まれた文化だ。

 ここで行われる演劇も、異国の物語を異国の人物たちが異国の音楽で異国の歌を歌い劇を演じると思っていたが、登場人物は大和の人、舞台は帝都で、音楽も異国風であるが大和の楽器で奏でられ、大和の言葉で歌われている。

 劇の内容は、おおざっぱに括るならば、夫婦の純愛と言うのが今のところ一番近いか。濡れ衣を着せられた夫と、夫の無実を信じる妻。急激に変化する世の中に翻弄され、離れ離れになってもお互いを愛し、それぞれの戦いに身を投じて行く。

 物語に対する個人的な好き嫌いはともかく、観客はみんな楽しんでいる。役者の演技は真に迫っていて、外でやっているはずなのに一番後ろにいる俺にも届くほどの声量がある。話を彩る音楽や空から舞台を照らす強い光の動きは、見ている側を話に引き込んで行く。観客は役者に対して大声を出すようなことせず、ある種の一体感が劇場を満たしている。

 物語も終盤になろうところ、二人は絶望的な状況に追い込まれるが、そこにわずかな希望が見え始めた場面で、一旦幕が下りた。

「ずいぶん、熱心に見ているのね」

 幕間の余韻に浸っていると、不意に声をかけられた。

 いつからか、いなかったはずの同席者がこぶし三つ分の間を空けて座っていた。

 女性だ。年の頃は、多分同じくらい。恰好は夜会服と呼ばれる赤の蘭服に白い手袋、膝には小さな鞄が置かれている。髪は丁寧にまとめられていて、赤い櫛が空の光を返した。たまに街で見かける婦人やこの場で扇片手に談笑している人たちに比べると、彼女の衣装は簡素で控えめな印象だが、むしろ大和らしい上品さがあって、俺は良いと思う。もしかしたらその服は、和服に寄せる形で仕立てらたものなのかもしれない。

 きちんとした身なりで、良いところのお嬢さんなのだろう。そんな人が突然俺に話しかけて来たことにも驚いたかが、それよりも、何よりも。

「驚かせてしまったわね、ごめんなさい」

「……あ、いえ、そんなことは」

「でも、つい声をかけてしまったの。貴方は、不思議な見方をしていたから」

「不思議、ですか?」

「ここに来た人は、いろんな見方をするわ」

 聞き返すと、姿勢良く座る彼女は下された幕を見た。

「例えば、じっと舞台を見つめる人。よそ見をする人。歌劇を見てはいるけど、時々隣を見ては言葉を交わしている人。そもそも舞台そっちのけで、会話に夢中になっている人。夢を見ている人。挙げればキリがないけど、貴方は一番目ね」

 再びこちらを見ると、小さく首を傾げた。

「ここに来るのは、今日が初めてなのかしら?」

「はい。とても興味深くて、釘づけになっていました」

「好きになってしまった?」

 何故か、どきりとした。

 好き、なんて大胆な言葉が、面と向かっている女性の口から出たからだろうか。

「そうですね。本当に、見に来れて良かった」

「そう。だからこそ、とても不思議だわ」

「どうしてですか?」

「舞台をじっと見つめる人は、この中では一番の多数派だわ。だけど大抵、その人の目線の先は役者に固定されているの。それが当然、一番正しい姿だとわたしは思うわ」

 いまいち話が見えなくて身構えていたが、彼女はふと、何かを思い出したような顔をして、鞄から包みを取り出した。

「あんぱん、食べる?」

「あんぱん?」

「休憩時間はもう少しあるから、今のうちにお腹の中に何か入れておいた方が良いわ。静かな場面で鳴ってしまったら、結構響くわよ?」

「そう、なんですか?」

「そうなの。だから、嫌いでなければどうぞ」

「……じゃあ、いただきます」

 あんぱんなんて、ずいぶん久しぶりだ。ぱんを売っているお店は学園からも研究室からも遠いし、わざわざ買いに行く余裕もなかったから。

 包みを広げて、かぶりつく。

 うん。ふんわりとしていて、とても甘い。

「だけど、貴方は違うわ」

 隣の女性も包みを広げてぱんをちぎり、一口食べてからそう言った。

 首を傾げると、彼女は続けてもう一ちぎりを口に入れた。

「さっきの話」

 あ、戻ったのか。

「役者だけじゃなくて、舞台そのものや空の照明、果てはこの場にいる観客も含めて、貴方はすべてを見つめている。そんな人、わたしは初めて見たわ」

 それはそうだ。

 確かに俺は歌劇楽しんでいるけど、同時に今朝教授に話した、魔導書で演劇をやる案をもう少し現実的にするための、いわば取材をしているのだ。それが、この人には少し異質に見えたのか。

 だとして、それを素直に言うべきか。歌劇を楽しんで来ている人には、もしくは歌劇団の人からすれば、俺のやっていることは失礼なことだ。

 食べかけのあんぱんを見ながら、しばらく言葉を探しあぐねて。

「今は、一番目の人ではなくなってしまいましたけどね」

 少し、馬鹿みたいなことを言ってしまった。

 それから一瞬の間を空けて、女性は笑った。

「やっぱり、面白い人ね。あぁ、馬鹿にしているわけではないのよ?」

「……そんなに、貴女には俺が不思議に映りましたか?」

「そうね、いつの間にか四番目の人になってしまうくらいに」

 なんて返せば良いか、ついにわからなくなってしまって、それを誤魔化すためにまたあんぱんを口に運んだ。

 お互い無言で食べ進めて、早さは俺の方が少し早い。

 やがて彼女も食べ終わると、包みを畳みながら口を開いた。

「もうそろそろ、第二幕が始まるわ」


 結局、第二幕は隣の女性と二人で見ることになった。

 最初は努めて静かに見ていたのだが、不意に気になったことが口を衝いて出てしまうと、それを聞いた彼女はすぐに答えをくれた。それからも互いにじっと舞台を見つめていたが、時々小声で話をしながらだった。

 それは一人でいた時よりも、楽しいものだった気がする。

「お名前を伺っても良いでしょうか?」

 だからか、劇が終わり辺りに光が戻ると、自然に尋ねていた。

「ミトノよ。貴方は?」

「俺は、ハヤキと言います」

「……うん、良い名前ね。ハヤキさん」

「そちらも、素敵な名前です。ミトノさん」

 自然に褒めてみたつもりだったが、ミトノさんは腕を組んで唸った。

 何か変なことを言っただろうか、不安に思っていると。

「ねえ。ハヤキさんは、どうしてそんな畏まった言葉遣いをしているの?」

 予想外なことを聞いてきた。

「どうして、とは?」

 思わず聞き返すと、ミトノさんは目を伏せた。

 それからつっと顔を上げて、真剣な面持ちで俺の目を見て、今まで空いていたこぶし三つ分の隙間を彼女は埋めた。

 服越しに、体が触れ合った。

「だって、わたしたちは同好の士でしょ?」

 心臓が高鳴った。

 こんなに女の人と距離が近くなったのは、本当に久しぶりだったから。熱くなった顔を背けたくなるのをぐっと堪えて、俺はたぶん、意を決して言った。

「ミトノさんは、良くここに来るの?」

 甲斐あって、ミトノさんはお気を召したようだ。

 蕾が花開くようにぱっと笑顔になり、胸元で両手を合わせた。

「ええ。劇が大好きで、わたし、毎日見に来ているの」

「毎日か。それはすごいな」

「すごくないわ、単に暇人なのよ。この街には芝居小屋がないし」

「そう言われれば、確かに」

「不思議よね?」

「言われるまで気がつかなかったけど、不思議だ」

 いざ、くだけた言葉で話してみると、驚くくらい穏やかに会話できていた。こんなことは、教授相手でもあまりなくて、新鮮な気持ちだ。

「そう言えば、ごめんなさい。ハヤキさんは集中して劇を見ていたのに、わたしったらすっかり邪魔をしてしまったわ」

「そんなことはない。あんぱんもおいしかったし、わからなかったところを解説してもらえて、むしろありがたかった」

「そう。なら良かった」

「それに、また見に来ようと思っているしな」

「じゃあ、また会えるわね。わたしたち」

 ……どうしてミトノさんは、こうも心臓に悪いことを言うのか。しかし、悪い気はしないことが、俺にはもっと不思議だった。

 一体、この気持ちは何なのか。考えても腑に落ちる言葉が思いつかず、いっそミトノさんに仕返しをしてやろうか、なんて。自分の気持ちを持て余していると。


 突然、怒声が耳に飛び込んで来た。

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