第十章 平凡と非凡の決戦、そしてすべてが動き出す 後編
「剣との相談は終わったか?」
エンヘリアル——いや、魔王ネメシスか——の告白を受けて、頭の中に湧き出た複数の疑問を雨緒が言葉にしようとする前に、零士がそう問いかけてきた。
彼の視線は、雨緒の握る黒剣に向けられている。
少し前までは、雨緒の独り言に困惑していたように見えた零士だったが、何が起きているかを察したらしい。
「いや、まだ……」
——悪いが今はここまでだ。詳しい話は後でしてやるから、ひとまずは奴との戦いに集中しろ。
「でもさ」
元の世界……地球に戻りたいんだろう?
「……そうだったな」
雨緒がもたもたとしていると感じたのだろう。
舌打ちした零士に、雨緒は向き直った。
「相談は済んだよ。……こっちにも事情があってさ、お前がこの世界を好き勝手にするってんなら、戦わないといけないみたいだわ」
「ふん……惰弱が。戦うか戦わないかすら、自分の意志では決められないのか」
「うるせえよ。……結局、お前みたいな奴には、俺の気持ちなんて分からないだろうな……」
「お喋りは終わりだ、愚鈍——世界を変える覚悟のないものに、俺が負けるはずがない」
雨緒の前で、零士は剣を再び頭上に掲げる。
ひゅっと息を飲む音がした。
それは、雨緒ではなく、彼ら二人の対峙を見つめる晶のもの。
雨緒自身は、最後の戦い——そして迎えるはずの決着を目前にして、ゆっくりと深呼吸した。雨緒の脳に刷り込みされている知識が、大事な局面での
風ひとつない水面のような、静かで、透き通った時が二人の間を流れる。
——二人からは、離れて立っている晶はこう思った——。
次の瞬間、どちらかが飛びかかる、と。
だが。
そうはならず、雨緒が口を開いた。
最後の零士の言葉に対して、何かを言わなければならないと思ったのだ。
「俺は——世界を救うとか、世界を変えるとか、そんな難しいことには興味ねえけど……」
エンヘリアルの言葉が頭をよぎる。
——英雄が世界を意のままに改変した。
零士の言葉を思い出す。
——俺が望む世界を作り上げるまでだ。
世界、世界、世界……だけど、そこには足りないものがある。雨緒はそれを知っている。
だから、次の言葉は、雨緒の内から自然にでてきた。
「今ここにいる俺たちは、ただの世界の付属品なんかじゃねえよ——」
その宣言には答えず、零士が飛び出してきて——。
と思ったら、彼は大きく後ろに跳躍した。
受けの体勢を取ろうとした雨緒は、拍子抜けする。
零士は右腕の手首を耳に当てる。
その手首には、細い腕輪がはまっていた。
「む? そうか、それはご苦労」
さきほどの雨緒と零士の立場が逆転する。
唐突な独り言を繰り出した零士をいぶかしげに見る雨緒。
そんな彼に対して、零士は特に説明するでもなく右腕を下ろす。と、そこにあった腕輪がちかちかと緑色に光っていた。色は違うが、バッテリー切れのゲーム機のコントローラのLEDランプのようだ。
あ、と雨緒は間の抜けた感じに口を開く。
「携帯電話か、それ」
「この世界に携帯電話があるわけがないだろう。魔法を用いた通信道具の一種だから、似たようなものだがな……さて、と」
零士は、慣れた挙動で手にしていた剣を、肩に担いでいる鞘にしまった。剣先から入れて納めるのではなく、剣の横から鞘をかぶせて最後にバンドで止める形状の鞘である。
唐突な戦意喪失の所作に、雨緒が目を丸くして晶と視線を交錯させる。
「貴様も中二病っぽい格好つけた台詞を吐いてくれたようだが、目的は達したからここでの戦闘を継続する意味がなくなった。今回はこれで失礼しよう」
「あ? おいまてこら」
前に言われたことを実はずっと根に持っていたのか、からかいの混じった声で伝えてくる零士に、雨緒は眉を逆立てて詰め寄ろうとする。が——
「ではな。いつかまた相まみえようではないか、
零士は最後にそんなことを言い残すして、屋根の上から飛び降りた。
雨緒は反射的に追いかけて、自分も飛び降りようとするも、雨緒に横から追いついた晶が彼の服の袖を掴んだ。
「たぶん無理だよ、姿が見えなくなっちゃった」
「マジか……あー、ほんとだ、見えねえ。くそ、アイツ、さっきの携帯っぽいやつといい、なんか色々もってんだな」
気勢を削がれて、雨緒は地面——というか屋根の上に座り込んだ。
「つっか、言うにことかいて、マイルドヤンキーってなんだよ。名前ちゃんと名乗っただろうが……あの負けず嫌いめ」
「顔面偏差値は雨緒の負けだけど」
「……あ?」
下からぎろりと睨み付けると、晶は舌を出す。
「ごめんごめん、冗談だってばー。……でも、さ。あのまま戦わなくてよかったと思うよ、ボクは」
「ん……まあそうだな、おっかねえもんなあ……」
成り行きで戦ってはいたものの、戦わずに済むならその方がいい。
晶がくすりと笑って、雨緒の肩をぽんぽん叩いてきた。
「へへ、そういうへたれなとこ、雨緒らしいよね」
「……別に良いだろ、へたれでも」
君子危うきに近寄らずっていうし、頭がいいやつは危険に飛び込んだりしないものである。雨緒がそう考えていると、
「お、祭理じゃん」
いつのまにやら立てかけられていた梯子から、祭理がひょっこりと顔を出した。昔と変わらない、ほんわかした笑顔で梯子を登りきった彼女が、こちらに近寄ってくる。そんな彼女を見て、雨緒は気になったことを聞いてみた。
「さっきの子は一緒じゃないのか? ほらあの……ぉ、よく日焼けした子だよ」
うっかり変なことを言いそうになったが、違和感なく言葉を継ぐことができた、
「ふぅーん」
「あらあら〜」
と思っていたのは雨緒だけだったようだ。目をつり上げた晶と、頬に手を当てた祭理の
視線が痛い。
慌てて別のことを言ってごまかそうとしたが、少し早口になってしまった。
「とりあえず、早く逃げた方がいいよな? 今は落ち着いてるけど、この街、占領されてるんだろ?」
「あ、そうだね……って、アイちんの家族は、無事だったの? 祭理ん?」
「はい〜。というより〜、アイシャさんの家族が無事なだけじゃなくてですね〜」
祭理の説明を聞いて、雨緒と晶は顔を見合わせた。
なんでも、ローデシア聖王国の軍は、バイアルジャンの守備隊を圧倒した後、市庁舎を陥落させるとすぐさま撤収に入ったらしい。そして、すでに彼らは撤退済とのこと。
噂によれば、彼らが市庁舎で奪ったものは、抵抗する兵士や巻き込まれた町民の命の他にはただ一つ——純水を無限に供給することのできる、英雄時代の遺物だけだという。
「あいつらの狙いって、つまりはその道具だったのか……でも、なんでだ?」
「街を攻撃してまで取りにきたってことは、なんか隠された力があるとか……?」
二人で首を傾げ合っていると、エンヘリアルが口を挟んできた。
——いや、違うな。ムラート砂国とやらは砂漠の国だったな? なら話は単純だ。行軍のための補給物資だろう。水は重量もあって、自前で持ち運ぶと行動の制約が大きい。どうやらあの少年、本気で戦争を続けたいようだぞ。
「うへえ……」
納得どころか、呆れてしまう。
戦争のための道具一つのために、街一つを戦場にする。
雨緒にはまったく思いつかない発想だ。
「俺、やっぱりアイツと戦わないと駄目なのか……?」
——地球に戻りたければ、な。
「って、そういやお前、さっきわけわかんないこと言ってただろ、ちゃんと説明しろよな」
雨緒が握った剣に向かってそう語りかけると、晶が横から顔を突き出して、おずおずと確認してくる。
「ところで雨緒さ、その……剣? 人? いったい誰? っていうか……眠りすぎて頭おかしくなってたりしないよね?」
「私も気になっていました〜」
「あ、いや、これは……」
剣とお話する変な人ではないことを、かくかくしかじかと説明すること、数分。
「へぇ、すごいね。よろしくね。ボク、晶っていうんだ」
「私は垂枝祭理です〜」
——むぅ。今の俺には返事をするすべがないのだが……というか、二人ともちょっと天然入ってないか?
「まあそういうところはあるかもな……」
雨緒がエンヘリアルの失礼な発言を受け流す。と、彼はいったい何を考えたのか爆弾を投げ込んできた。
——で、どっちがお前の彼女なんだ?
「いや、どっちも彼女とかじゃねぇし」
そう反射的に呟いてしまったのがいけなかった。
「え、今のどういうこと?」
「まあ〜。一言で否定されてしまうと、さすがに悲しいですね〜」
食い気味の晶と、察しの良い祭理とが目を爛々と輝かせて反応してくる。なぜかその勢いに押されて、雨緒は平身低頭謝ってしまった。
「いや、この剣がちっとお馬鹿でさ……別に他意はないんだ……気に障ったならすまん」
「他意がないとか、そういう問題じゃない!」
「そうですよ〜。晶さんの気持ちにもなってみてくださいね〜」
「っや、ち、違う、何言ってんの祭理んっ」
怒りで興奮したみたく、顔を赤くして抗議する晶を、雨緒は宥めようとする。結果、選んだ台詞は、よせばいいのに次のようなものだった。
「勝手に彼女扱いしたりしないって。安心しろよ、晶」
「〜〜〜〜っ!」
座ったままの雨緒を見下ろして、ぷるぷると震えている晶。
雨緒には、何がそこまで気に入らないのか分からないが、その晶の握りしめた手が、背中に担いだ雑嚢から金属製の何か——あ、水筒か——を取り出した。
「あ〜んして」
「はあ?」
雨緒は戸惑う。だが、有無を言わせない態度の晶が、雨緒に口を開くことを強制してきた。
「これ、一年も寝倒してた雨緒のために取ってきた、誰もが目を覚ますっていう魔法の薬なの。だから、あ〜んして」
「いや、俺もう起きてるけど……」
「あ〜ん」
「……起きてる人間が飲んだら、身体に悪いなんてことはないよな……?」
「それは大丈夫だと聞いていますよ〜」
祭理の保証に覚悟を決める雨緒。
口を開けて、視線でこれでいいのかと問う。すると、にっこり笑った晶が——。
がぽ。
雨緒の口に刺した水筒の後ろを、九十度ぐらいの角度に持ち上げて。
「ふざけんなアホ死んじゃえ」
——振りまくった。
ごぼごぼごぼごぼごぼげふがふかっふげっほぶへっほ。
そう擬音で表現するしかない何かが起きて、雨緒の喉と鼻から目覚めの朝露が溢れ出したのだった。
★
そして、陽が落ちた後……。
雨緒達はアイシャの家に一泊させて貰うことになった。墜落した飛行機については、人的被害を引き起こしていなかったため、アカデミーが損害を補償するということで地区の代表者と簡単に話がついた。戦後の混乱下であり、もっと重要な課題が沢山あったことも雨緒達には幸いしたといえる。
街の雰囲気は、明るくはないが、暗くもなかった。
多くの兵士の命が失われたし、幾つかの戦略上の拠点では一般人も被害にあったことは確かだったが、街の占領という最悪の事態はまぬがれることができた。
街門の陥落から、敵軍の撤退まで数時間もなかったのである。
狐につまされたような状態、というのが一番近いのかもしれない。
雨緒の周りでいうと、アイシャの家族には、幸い一人も被害を受けたものはいなかった。厳密には、ノンナの服が破かれたり、庭が荒らされたことに嘆いた人はいたのだが、逆に言えばそれだけだ。
今、雨緒は晶と並んで、庭に置かれているベンチに腰掛けている。
砂漠の夜は冷え込むとアイシャが忠告していたから、もうしばらくすると中に入ったほうがいい気温になるのだろうが、今はちょうどよい涼しさだった。空気が乾いているので、なおさら心地よい。
そんな中、この辺りの名産品という、甘い焼き菓子をはぐはぐと囓りながら、晶が雨緒に問いかけた。
「雨緒は……これから、どうするの?」
「どうするって……」
「その剣——エンヘリアルだっけ? の言うことを聞かなきゃいけないんでしょ?」
「ああ……こいつが元の世界へ戻る方法を知っているって話、嘘じゃないみたいだからな」
「やっぱ、アイツを追いかけろって言われてるの?」
「いや、それが……」
雨緒は当然そうさせられるのだろうと思っていたのだが、少し前にエンヘリアルから指示されたのは別のことだった。
——まずは魔王城の跡地に行け。そこで探しておくべきものがある。
探しておくべきものが何か、魔王城跡地とやらがどこにあるのかはまだ聞いていない。だが、当面はそういう目的になりそうだと雨緒は晶に説明する。
「ふうん……どうしてもそれ、しなきゃいけないの?」
「晶は日本に帰りたくないのか?」
「帰りたいよ」
そこで、晶は雨緒を見つめる。小さな身体に見合った小さな顔に、不釣り合いに大きな瞳が、まっすぐ雨緒の顔を向いていた。
「でも、ボクや祭理んのために雨緒が危険な思いをするのは違うと思う」
「お前だって、俺のためにあのまっじぃ水を危険なところから取ってきてくれたんだろ」
「うん……まあ、そうだけどさ。あ、ごめんね、あれがそんなに美味しくないって知らなくて……」
「問題は味だけじゃなかったけどな」
「そっちはいいんだよ、ボクたちを心配させた罰だもん」
「そっか、なら仕方ねえな」
「うん……」
頷いた晶が、雨緒の隣で立ち上がった。服の上にこぼれた焼き菓子の屑をぱぱっと払って、うんしょっと伸びをする。そして振り返って言った。
「まっ、安心しなよ、雨緒。どこに行くにせよ、ボクがついてるからさ」
「別にお前がついてくる必要——」
言いかけた雨緒は口をつぐんで思い直す。
ばらばらに行動すると、また今回みたいな騒動があるかもしれない。雨緒が危険なことをするとしても、一緒にいたほうがよっぽど心配いらない……だろう。
だから、雨緒はため息を一つ吐いて言った。それに晶が頷く。
「そうだな、よろしく頼むわ……いつか日本に戻ろうな」
「なるべく早く、ね!」
暮れなずむ空には、異世界ならではの二つの月が昇り始めていた——。
第一部 了
作為幻想の勇者と異界終焉の剣 折口詠人 @oeight
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます