第十章 平凡と非凡の決戦、そしてすべてが動き出す 中編

 雨緒と零士の間を砂まじりの風が吹き抜けていく。

 天の頂点に昇っていた太陽は少し前から傾き始めている。戦としては大勢が決したのか、街は奇妙なまでに静寂を取り戻しつつあった。

 あるいは、雨緒と零士、この二人の戦いだけが最後に残された戦いなのかもしれなかった。


「——面白い。さえ手に入れるのがこの街には用がなくなるが——貴様は、俺の目的の障害になり得る存在だと認めよう」

「そいつはどうも?」


 切れ長の目にかかった前髪をかきあげた後、零士は剣を持った手を頭より高く上げると、そう言った。

 剣道で言えば、単に上段、または天の構えなどと呼ばれる構え方だ。

 背後に晶と祭理をかばいつつも返答した雨緒は、一連のやりとりの間も剣の構えは動かさない。

 こちらは剣先を水平よりやや下げた、地の構え。

 攻撃的な零士と、防御的な雨緒と、スタイルが二つに分かれた。


 そして会話が途切れたしじまの後——。


 ギィン。

 一息に飛び込んできた零士の白剣を、雨緒の黒剣が受ける。


「ぐうッ」


 剣の一撃ではありえない異常な重さに、エンヘリアルにより、一年間をかけて行われた脳の分泌物のコントロールによる筋力強化と、魔素因子制御マナファクターコントロールによる即席の肉体強化魔術相当の身体能力を得ていてもなお、雨緒は圧に膝を折りそうになる。


 ——ぞ!


 靴底で地面がミシミシとひび割れていくのを感じた次の瞬間、エンヘリアルの声と同時に、それまで感じていた重さが嘘のように消失する。


「な、なんだ今の」

 ——重力制御だな。なかなか高度な武器だ。作成者もだいたい想像がついてきた。最初はニーナかと思ったが、アイツはこういう地味なのは嫌いなはずだ。……まあ、飛行能力を付けるためには必要な機能だから、まだ可能性は捨てきれんか。


 戦闘のさなかだというのに、関係ないことを色々話してくるエンヘリアルに雨緒は舌打ち——しようとするが、二撃目・三撃目を受けなくてはいけなくて、それどころではなかった。


 交錯する剣を、舞い散る火花と甲高い金属音が飾る。

 零士の重かった剣の一撃は最初だけで、今はただの剣と剣の打ち合いだ。


「これも効かんか。ならば」

「おわっ?」


 ふわりと宙に浮かび上がり、空から斬りかかってきた零士の剣を、頭を下げて間一髪——頭上から頭部にめがけての攻撃、という通常の剣技にはない一撃だったので、脳に刷り込まれた通常の剣術パターンでは対応しきれず、まさに髪の毛一つ分の幅で回避した雨緒が叫ぶ。


「人が空を飛べるとか反則だろ!」

 ——空を飛ぶ敵相手に剣で戦うには、お前も飛ぶしかない。安心しろ、空戦のいろはも既にインプリンティング済みだからな、ほら、浮くぞ。


 浮く、という表現にはほど遠い、爆発的な加速で雨緒の身体が飛翔する。屋根ぐらいの高さに滞空していた零士は、数秒前に抜き去ってしまっている。


「わああああッ。これひゅっとするひゅっとする。清水寺でも思ったけど、俺高いところちょっと苦手なんだよ——っ!」

 ——知ったことか。早く慣れろ。奴に追いつかれるまでにな。局所重力制御下での戦闘に大事なのはだ。まずは飛ぶことに順応してもらう。加速するぞ!

「やめてやめてやめて、うわああああ」


 アサシンが主役のとあるゲームでなら、周囲を見下ろしてマップ情報を得ることのできるビューポイントに設定されるであろう、高い尖塔を掠めるようにして、雨緒の身体一つの飛行は続く。

 幸いなのは、周囲をなんらかの力場が包んでいるらしく、風で目が開けられないようなことがないことだ。むしろ、髪の毛一筋揺らがないぐらいに安定。

 だが、風の抵抗がなくても、身一つで飛翔するというのはおっかない。

 実際、やってることはスカイダイビングとそう違いがない。空からパラシュート一つに身を託して飛び降りるのは、相応の度胸がないとできないし、雨緒にはあまり度胸がない。

 この飛翔でも度胸の不足があらわになった。

 少し経ってからようやく、雨緒は自分が手足をばたばたさせていることに気付いた。なんとか動きを止めようとするが、止めてしまうとそれはそれでどうにも落ち着かない。

 やはり足下には地面がないといけない——。

 と、思ったのがいけなかった。雨緒は高所にいるときに見てはいけないものの筆頭を視界に入れてしまう。すなわち、下の光景を。

 砂漠の街であるバイアルジャンでは、屋根はカラフルに塗り分ける習慣らしい。色とりどりの屋根の街並みが十階建てビル以上の距離をおいて、高速に流れていく。


「ひええ、とりあえずどっか、着地、はやく」

 ——そんなことを言ってる場合か、追いつかれるぞ!


 エンへリアルの叱咤に、どぎまぎした胸の鼓動はそのままに、慌てて後方を振り返る。と、背後に吹き上げる業火を背負った零士が、こちらの飛翔を上回る速度で接近してきていた。

 そして、遠目にも見える、準備完了済みとばかりに光輝く白剣。


「なんだあれ!」

 ——撃ってくるぞ! 右旋回するんだ、シザーズ機動は分かるな!?

「まったく知らねえよ!!」


 ——そもそも飛行をコントロールしてるのはアンタだろ!

 と雨緒が叫ぶ間もなく、地球の最新鋭の戦闘機でも不可能な、直角に近い方向転換。

 局所重力制御とやらでも流石に御しきれなかったのか、強烈な横Gに振り回される。気分はまるで遊園地の絶叫マシンだ。


「俺こういうの苦ってっ!」

 ——言うのが遅れたが、喋ってると舌を噛むぞ。

「てめこの、ひゃあああああああああああ〜」

 

 今度は何が起こったかというと、一瞬だけ上方向に持ち上げられたかと思うと、めまぐるしく錐揉み上に横滑りしたのだ——そして少し前まで自分が居た場所を、白剣から放たれたと思しき光条が突き抜けていく。

 バレルロールと呼ばれる機動だと、雨緒の記憶回路に埋め込まれた知識が教えてくれるが、そんなことはもうどうでもよかった。


「……勘弁してくれ無理だ」

 ——むう。このままじゃ駄目だな。お前はどうも空戦にセンスがなさ過ぎる。

「おうよ、認めるから地上でやらせてくれ」

 

 脳内に知識だけあっても、実感がまったくない。ただ単にエンへリアルの思うがままに振り回されているだけである。

 人間は、空を飛ぶ生き物ではない。

 雨緒はただそれだけを思った。


 ——あそこに降りるぞ。

 

 先ほどの直角の方向点からの大旋回という一連の機動で、進行方向は反対——つまり飛び立った地点に戻りつつある。自分を追いかけてきていたのか、眼下で自分に手を振る晶と祭理の上を通り抜けて、雨緒とエンヘリアルは着陸態勢に入る。

 そこは、通常の一軒家とは違って、バスケットボールのコートが二つ取れそうなくらいに広い屋根の上だった。

 いったい何の建物かちらと気になったが、疑問を追究する間もなく、汚れた白銀の鎧をまとった零士が続いて降りてくる。背に負った爆炎は加速するためのアフターバーナーの一種だったのか、地上に着き次第、なにもなかったかのように消え失せた。

 零士は足もとを確かめるように、床をつま先で叩いてから雨緒に問いかけてくる。


「鬼ごっこは終わりか」

「……」

 

 雨緒は沈黙する。

 返事を待っているのか、零士が片眉を上げたまま、しばし立ち尽くす。

 天を舞う鳶が、大きめの旋回を一度終わらせるくらいの時を経て、しびれを切らしたのか、零士が剣を握り直してこちらに歩み始めたところで。


「一つ聞いていいか? なんでお前、こんなことしてるんだ?」


 雨緒は、ようやく言葉を押し出した。

 こうなる前のことを雨緒は考えていた。

 戦争が始まりそうだというニュースをレイチェルから仕入れて、祭理と晶を迎えにいこうと、最新の試作飛行機を借りて、エンヘリアルから魔力制御を教わりながら、この砂漠の街までやってきた。

 着いたとき、すでに戦争が始まっているのは、空からでも分かった。

 二人がこの街か遺跡、もしくはその間の旅路にいるのはアカデミーから情報を得ていた。遺跡に向かうべきか、危険な戦火の下にある街に降りるか——。

 答えは半ば偶然に、空から二人の姿を見つけたときに出た。

 そして、着陸——うまくいかなくて例によって墜落になったが、それはまあ仕方ない。この飛行機は相変わらず欠陥品だとレイチェルに伝えてやれば喜びそうだ。絶望するかもしれない。ともあれ。

 二人の話を聞いている途中で一方的に襲い掛かってきた零士に、剣から得られる力——エンヘリアルによると最強だから安心しとけ、という怪しい話だったが——が実際どの程度か分かっていない雨緒は、内心びびりながら戦い続けている。

 しかし。

 ……そもそも、俺、なんでこんなことしてるんだ?

 最悪でも、晶と祭理の二人を連れて戦争から逃げ出せばなんとかなる、という予定だった雨緒にしてみれば、想定外もいいところである。


「ふん……なんでこんなことをしている、だと? ローデシア聖王国にとって、ムラート砂国は目の上の瘤でな。よって、俺が滅ぼしてやろうというわけだ」

「国を滅ぼすっておま——いや、まあいいや」

 

 再び中二病が云々と指摘して、へそを曲げられては話にならない。


「んじゃ、なんでお前は、そのローデシア……聖王国って国に協力してんの? なんか恩でもあんのか?」

「ふ……そんなことはない。単に俺の目標にとって、都合がよいと思っただけだ」


 会話を続けている最中に、すたっ、という音がした。

 発生源である右前方に視線を向けると、どうやって屋根の上に昇ってきたのやら、晶がそこに立っていた。短杖を持たないほうの手で、こちらにVサインをしてくる緊張感のなさにほっとするやら呆れるやら。彼女の傍らには、祭理と、祭理が担いでいた褐色の肌をした女の子はいなかった。別行動だろうか。

 晶の登場について、零士は特段、意に介していないようだった。

 大理石で作られたギリシア彫像のような、整ってはいるが感情の読みづらい顔で雨緒の反応をじっと待っている。


「目標って?」

「それは語る必要はない」


 晶が興味を引かれたような目をしていて、口を挟みたがっているのが明らかに分かったが、雨緒は彼女を差しおいて先に口を開いた。


「……お前さ、日本には帰りたくないの? 俺はそれが一番優先だから、異世界で戦争なんかやる気にはならないんだよな。なんか味噌汁とかすげえ恋しくなってきたし、家のこととか、家族……とか、気になんない?」


 家族、と言ったときに雨緒は少し照れくさくなった。親離れできてないようで、格好悪いよなあと思うが、一年も経っているのを知ったときは本当にショックだったのだ。

 絶対に心配されているはずで、親の気持ちを想うと申し訳ない気持ちで、胸がいっぱいになる。


「——故郷、か。


 だが、零士にはそうではなかったようで、雨緒に中二病だと揶揄され怒気を滾らせていたときでさえ、どこか落ち着いていた表情に、亀裂が入った。


「家のどこがくだらな……」

「俺の世界はだ。そう決めた」

「……へえ? この世界がそんなに気に入ったのか?」


 雨緒が言いかけた言葉を遮って、鼻息荒く宣言する零士を見て、その感覚には同意できないものを覚えつつも重ねて問いかける。


……


 その言いぐさを雨緒が消化するより早く、エンヘリアルが雨緒の頭の中でわめいた。


 ——コイツ……そういうことか、雨緒! コイツはお前の、いや——この世界の敵だぞ!

「なんだって? 世界の敵? こいつが?」


 現代の地球で、世界の敵というとテロリストが例にあげられる。公共の敵パブリックエネミーと呼ばれる者にはテロリストのみならず、反社会的な者が入る。ただ、こういった表現をよく使うのはアメリカを代表とする欧米型価値観の国で、雨緒なんかにはピンとくるようでこない。なんだか大げさなことを言ってるなあ、という感じだ。

 ところが、エンヘリアルが言わんとしたことはそうではなかった。


 ——思い出せ。俺はすでに言ったはずだな? この世界を汚した、祝福にして呪いである魔法を殺せ、と。

「ああ……一応、覚えてる」

 ——世界に魔法をもたらしたのは英雄たちだ。千年前にこの世界を訪れた八英雄……それも知識にあるはずだ。

「えっと、うん……こっちに来てすぐに聞いたやつな」

 ——英雄は魔王を倒した……つまり、というのがこの世界の基本認識だ。

「それは覚えてる」

 ——英雄が、、というのを知っているやつは、英雄本人とごくごく一部の人間だけだ。——たとえば、奴らのとかな。

「ん……? すると、この零士ってやつは……」

 ——その通り。にある。


 エンヘリアルの言葉に、零士を視界に納めつつも、会話に集中してて定まっていなかった視線を、雨緒は再度、彼に向けて引き絞る。

 零士からは、急に雨緒が独り言を呟き始めたように見えたのだろう。

 いぶかしげな目でこっちを見ている。

 雨緒は、ひとまず手の平を零士に向け、ちょっと待ってくれとジェスチャーで伝えながら、再び剣との会話に戻った。


 ……待ってくれエンヘリアル、お前の言いたいことは分かったけど……なんでお前、そんなに詳しいんだ? お前も英雄達の誰かのってやつか?


 雨緒の疑問に、一拍の時をおいて彼は答えた。


 ——真実を話すには良い頃合いか。……俺は、でな。当時名乗っていた名はネメシス=レイヴン——そして、現在では『』として知られる男だったのさ——

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