12.交渉

 その港に、六隻の大型船が入ったのは、昼を過ぎた頃だった。

 掲げられた国旗に見覚えのあるものは誰もいなかった。

 港に横付けされた船は、明るい色の見慣れない木材で組み上げられていた。

 兵士や観衆に囲まれる中、甲板の縁から縄梯子が投げ降ろされる。

 まず陸地に降り立ったのは屈強な女戦士だった。

 男と見紛うほどの長身に、金色の短髪。黒を基調とした鎧は重厚で、かなりの威圧感を漂わせていた。

 上を向き、船から放り出された落下物を受け、広げる。長いマントだった。血を想わせるほどの鮮烈な赤い布は、新大陸の文明の高さの表れでもあった。厚手のマントは両肩に装着され、女戦士の全身を覆う。腰には細見ながら刃渡りの長いソードが備えられている。

 次に降り立ったのは、小柄な男だった。

 黒いゆったりとしたズボンに、黒のローブをはためかせている。

 縄梯子を途中で手放し、大地に音無く飛び降りる。

「これが、大陸か。思っていたより普通だな」

 男があたりを見渡す。その目には独特の凄味があった。

「にやにやするな、タリスカ」

 女戦士は言った。その緊張はぴんと張った糸のようだ。

 男は心底楽しそうな顔を見せながら、左手で首の後ろを掻いた。中指には、長い爪のような意匠の指輪が付けられている。独特な目の印象と相まって、男は烏のように見える。

 「わかってるさプルトニー。そうピリピリするな。せっかくならしっかり遊ばせてもらわないとな」

 男はくくっと笑った。不敵な笑みであった。


 王都から馬で三日ほどの海洋都市、キヴォトス。

 古くから漁業と流通の要として栄え、王国の中核都市として機能してきた。

 六隻の大型船の入港は、キヴォトスだけでなく全都を震撼させる大きな出来事となった。

 彼らは、新大陸からの使者であった。

 明け方に確認された船団については、漁業組合より王国に即座に連絡が行われた。だが、その回答が戻されるにはかなりの時間を要した。

 無下に追い返すことは戦争の火種に成りかねず、ただでさえ竜の異変で大変な時期に、新たな問題を抱えることは得策ではなかった。だからといって彼らを安易に入港させることもできなかった。それは、新興国の存在を認めぬ王国の姿勢を翻すことを意味する。

 この案件について、会議は二度の休憩を挟み、昼過ぎまで行われた。リスクを背負うよりは着港許可を出すほうが良いのではないかと言う意見が早い段階で固まったのだが、国王の説得に時間がかかった格好だった。


 新大陸の話をしよう。

 赤い竜と、始まりの子の話だ。

 フーゼル・アードベックが新大陸に渡り、一方的な建国宣言を行った。その強気な建国宣言の後ろ盾になった逸話がある。それが赤い竜の話だ。

 新大陸の火山には真っ赤な古代種の竜が住んでいた。

 その昔は、竜を飼い馴らす神がいたそうだ。だが、何らかの理由で神は人々の前から去ってしまった。理由については諸説あるが、どれもが伝承や憶測の域を出ないものばかりで、ここでは言及しない。

 とにかく、神の使徒としての役割を失った竜は火口の奥で眠りについた。だが生来の凶暴さは失われてはいなかった。時折目覚めては人々を襲い、森や村を焼いていたそうだ。

 そこに現れたのが、フーゼル率いる百年王国からの船団だった。

 一説によると、竜と賭けをしたのだと聞いている。

 赤い竜がリドルを出し、フーゼルが答える。正解すればフーゼルの勝利、答えられなければ赤い竜の勝利。このリドルにフーゼルは移民全ての命と全ての財宝を、赤い竜はフーゼルへの永遠の忠誠を賭けた。

 赤い竜は世界で一番難しいリドルを出した。

 赤い竜がそのリドルを出題することをフーゼルは予測していた。予測さえしていれば答えることは容易かった。世界で一番難しいリドルの解答は、世界で一番難しいリドルの回答ただひとつだけなのだから。

 かくして赤い竜はフーゼルに永遠の忠誠を誓うことになった。これによりフーゼルは新大陸の民の大半に、新しい神として迎えられることになる。強い追い風を得て、フーゼルはさしたる時を経ず民を率いて一つに束ね、建国宣言を行うこととなる。

 新大陸の民たちは、おおむね八つの部族で構成されていた。カカオを造る部族、翡翠を加工する部族、コーンを作る部族、麦を作る部族、祈りを捧げる部族、狩りをする部族、魚を取る部族、仮面を作る部族の八つだ。

 このうち七つの部族は、赤い竜を手懐け、魔法を操るフーゼルを新しい神として認めた。ただ、仮面を作る部族だけは彼を認めず、部族の民を引き連れ大陸の奥へと移動したという。

 さて、次は始まりの子の話をしよう。

 始まりの子とは、フーゼル一行が新大陸に上陸した翌年以降に生まれた、王国民と新大陸の民との混血児を差す言葉だ。

 フーゼルは建国とともにこう宣言したという。

 二つの大陸が交わり生まれた子供は、最も神の祝福を受けることになる。

 その子たちを『始まりの子』と名付け、手厚く支援することを約束した。

 民衆は王の意向を互いに尊重し、沢山の始まりの子が生まれることになった。

 混血の特性か神の祝福か。始まりの子は一芸に秀でたものを多く輩出する。歴史に名を残す人物も多いのだが、ここでは割愛させていただくとしよう。

 兎にも角にもこの施策は功を奏し、新興国に永く益をもたらすこととなる。


 話し合いにやってきたこの若者達――長身の女戦士プルトニーと、目つきの悪い黒服の男タリスカ――は、二人とも十八歳を迎えたばかりであり、この度の役回りは大抜擢だと言えた。

 プルトニーは、王国からやってきた海兵隊員と、狩りをする部族の娘との間に生まれた、まさしく始まりの子であった。海兵隊員は元々騎士団に所属していたこともあり、剣の腕はなかなかのものだった。息子を剣の使い手にすることが夢だったが、生まれたのは娘だった。諦めきれずに剣の手ほどきをした。娘は部族の血なのか混血ゆえか身体的に恵まれており、またセンスも良く、父の教えを見事に習得してみせた。一五歳の成人を迎える頃には矢も槍も使いこなす、立派な狩人となっていた。

 フーゼルの元に呼ばれたのは、一六歳の誕生日だった。

 最初は反発した。若くして部族で認められていたし、皆で猟に出て大きな獲物を狩る喜びは何事にも代えがたいものがあった。プルトニーにとって部族を離れるのは、何より辛いことだった。

 彼女は、フーゼルの護衛を命じられた。常に彼の傍で時間を共にすることになる。

 当初こそは不満を募らせていたプルトニーだったが、フーゼルとともに過ごすのは新鮮でエキサイティングなものだった。様々な人物との交渉。初めて見る魔法の数々。見知らぬ大陸の話を聞くのも楽しかった。彼の知性の高さや判断の正しさはプルトニーにないもので、とても魅力的だった。何より彼は……プルトニーに愛をくれた。

 スケジュールの都合で、フーゼルの前で鎧を脱いで礼服に着替えなければならない時があった。プルトニーは身体にコンプレックスがあった。左の乳房から腹にかけて、大きな傷跡があった。十五歳の時だった。人生三度目の狩りで魔物に襲われた傷が今でも醜い裂創となって残っている。見られないように隠しながら着替えていたのだがフーゼルに見つかり、傷を見せるように言われた。躊躇いながらも身体を晒した。彼はその傷を美しいと言った。部族の女として正面から立ち向かった証だと言ってくれた。嬉しかった。その夜、プルトニーはフーゼルに抱かれ、初めて女になった。傷口をいとおしく舐めてくれるフーゼル。この人のためなら命を捨てられる。プルトニーは心底そう思えた。

 タリスカは、仮面の部族の族長の子であった。前述の通り、仮面の部族は新大陸からやってきたフーゼルを新王と認めない唯一の部族であった。彼は、部族の方針に逆らう反逆者として追放同然の形で部族を離れ、フーゼルのもとにやってきた変わり者だ。小柄で猫背で、目つきの悪い彼はあまり容貌には恵まれていない。だが、彼にはゲームの才能があった。

 フーゼルが王国から持ち込んだランガというボードゲームがあった。対戦方式で駒を動かし合い、相手の王を取れば勝者となる。タリスカはこのゲームがめっぽう強かった。相手の思考を読み、その先を行く鮮やかな手筋。大人も容易く飛ばし、駒落ちでもまたたくまに情勢を優位に変えてしまう。その辣腕がフーゼルの目に留まった。

 もっと大きな盤上でゲームをさせてやろうか、とフーゼルは言った。たとえば、大きな大陸を一つ、手に入れるとか。

 フーゼルはランガのコマを一つ投げた。

 両手で受けとるタリスカ。

 その駒は“食わせ物”だった。盤上で唯一、斜めに移動し異彩を放つ。タリスカはその意図を汲み取り、くくっと笑った。やはり部族を出てこの人のもとに来たのは正解だったなと思った。


 上陸から三日後。

 二人は交渉の席に着いていた。

 王国側はブルイック・ウェイブス国王を中心に、宰相と外交担当の大臣が同席した。後ろには騎士団のメンバーを六名ほど連れている。

 卓を回したのはタリスカだった。

 まず王国の歴史を褒め称え、百年王国の生誕祭が間近であることを祝福した。そしてその大国と交渉させてもらえることに感謝の意を述べた。

 次に、文化交流、という言葉を使った。

 カカオ豆と翡翠を取り出す。

 新大陸の名産であることを伝える。次に、カカオを使った菓子と翡翠の指輪を国王の前に並べさせた。指輪は国王の指にピッタリのサイズであった。そちらはプレゼントさせていただきますとタリスカは言った。

 続けて国王は、見たことのない菓子に手を延ばす。

 一口齧り、目を見開いた。

 菓子の甘みと独特のねっとりとした風味に国王は狂喜する。

 今回の交渉が成立した暁には、輸出という形でお安くお譲りさせていただきますとタリスカは言った。国王はすっかり上機嫌であった。

 そして言う。

 菓子と引き換えに、まだまだ国力の劣る新興国にお力添えを頂きたい、と。

 ひとつは和平であった。お互いに争わず仲良くしましょうと。そしてもうひとつ。七星列島の三年間の租借を願う、と。

 国王の顔がひきつる。手から褐色の菓子がこぼれ落ちる。

 七星列島は武器生産の拠点であり、上質の鉄鉱、そして唯一にして無二のミスリルの産地である。おいそれと貸せるわけがない。

 タリスカが相手よりも先に言葉を紡ぐ。 

「百年王国が確固たる地位を築いたとはいえ、南方はまだまだ雑多な小国が争いを続けていると聞いております。万が一、万が一ですが。あの竜に何か異変でもあれば、再び戦に巻き込まれ、国を纏めることもままならなくなります」

 場の空気が凍る。

 それはそうだろう。

 もうすでに異変が起きていることをのだから。

「この先、竜に何も起こらないという保証はありません。我々は、遠い僻地の新興国ではありますが、フーゼル王の元、これから三年で国力は十倍にも成り得ましょう。ここはひとつ手を結んでおくのも保険になるではないかと考えます。これは、両国の遠い先の発展を願えばこその提案でございます」

 交渉としては全く成り立っていなかった。

 お菓子とミスリルの交換。

 言ってしまえば子供の我儘のような馬鹿馬鹿しい話であった。

 だが……。

 王国の南部の蛮族の一部に、まだ王国を良く思わないものがいるのも確かな事実だった。また、竜による統治が崩れれば、確かに危うい状況にはなる。

 国王も宰相も大臣も、その危機感をそのまま顔に出す。長く続く平和で、交渉術など磨く必要がなかった。誰もそんなものは持ち合わせていない。

 男は内心、ほくそ笑んだ。

「古代種の竜も生き物でございます。史実にないような珍しい病に侵されることも……ないとは言い切れませんから」

 カードを改めて切った。

 私は竜の異変を知っている、というカードだ。

 カードは伏せたまま提示された。あくまで牽制だった。

 大臣だけがそれに気付く。慌てて宰相に耳打ちし、宰相が国王に伝える。長い長い沈黙が続く。

 ちょろいな、と男は思った。その反応は事実と認めたに等しい。もう詰んだも同然だった。

 かくして不均衡な交渉がそのまま盤上に乗ることになる。

 タリスカは喜びに震えながら、的確かつ無慈悲に言葉を並べ、盤上の駒を進軍させ続けた。

 結果、たった半日足らずで七星列島の三年間の租借を約束し、借用のための書面も作成させ、調印さえも済ませてみせた。

 それはタリスカの交渉人としての初めての成果であり、素晴らしく完璧な勝利だと言えた。

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