11.剣術
少し話しながら歩く。
赤毛の少年はスクス、痩身の少女はセブと名乗った。共に数字の六と七の古い言い回しだった。二人とも王国の外側のスラムで拾われてきた孤児だという。
通りを抜けたあたりで、スクスが寂れた建物を指差した。
木造の平屋だった。古びていてみすぼらしくさえあった。庭には芋が蔓のまま干してあった。傍らに洗濯物も並んでいる。その横を通り抜け、建物の裏手に出た。
下りの傾斜があり、その向こうに四角い建造物があった。先程の建物同様に古さはあるものの手入れが行き届いており、独特の雰囲気があった。
「あそこに老師がいる」
傾斜にある緩やかな木の階段をおりる。建物は四方とも開け放たれていた。中は広い板間になっている。その周りをぐるりと廊下が走っている。剣術の練習を行うための建物だった。
「客人だ、じっちゃん」
言いながらスクスが廊下に上がる。
板間の隅にいる老人が、椅子に座ったまま片目を開けた。
「やあやあこれはどうも」
にこやかに近づこうとするフィーロと老人の間に、長身の男が割って入った。
「何の用だ?」
長身の男が睨みを利かせる。年は十九、二十ぐらいだろうか。顔立ちはまだ幼く見える。
「ウヌム、良い」
老人がしゃがれた声で若者を諌める。ウヌムと呼ばれた男が眼光を光らせたまましぶしぶ道を譲る。
「あんたかい? 老師ってのは」
「いかにも」
フィーロの問いに答える。老人はヅッソが想像していたよりも小柄で線が細い。剣を振るい戦場を駆けていたようには到底見えなかった。
「剣術の師匠?」
「そうだ」
返事をし、老人は立ち上がった。重ねた年齢に反して背はすっと伸びており、腰がちゃんと落ちている。立ち方はまさしく剣術家のそれであった。
さて、エルオンス老の話をしよう。
物語当時、彼は七十歳前後だったと思われる。無論、若き日は傭兵として剣を握り、幾多の戦場を潜りぬけてきた、それ故の長寿であったといえよう。
前述の通り身体はさほど大きくなく、騎士団のように筋肉で身体を覆うようなことはしていない。あくまで剣技、剣術で生き延びてきたご仁である。
彼と、後に登場する記述者との共著である『剣術の精度』に、順動、という言葉が出てくる。
人間、動く時は基本、筋肉を動かす。そして、力強く動きたい時は捻りを加える。
たとえば、相手を殴ろうとする時、拳を前に突く動作に加え、逆の腕を自分側に引く動きをする。これにより腰の捻りが生まれ、速いパンチが出せる。と言うのが一般的な動作となる。
ただこの動きには弱点がある。動かそうとすれば、捻ろうとすれば、その動きが相手にばれるのだ。事前の予備動作の段階でどういった動きを行うかの信号を相手に発してしまう。戦いを知っている者であればこれを避けることは比較的たやすい。そうさせないためにフェイントや予備動作を消す訓練をすることになるのだが、老にいわせればそれはごまかしでしかない。
順動で動けばより早く、より強く、相手の反応を封じ先手を取れる。と著書には書かれている。
だが、順動についての説明は文章ではきわめて難しい。
言葉にしてしまえば、捻らず、動かず、順なる動作で動く。ということになるのだが、そもそも動かず動くというのは大いなる矛盾であり、これを共存させる動きが順動なのだという。どうにも言葉では言い表せない。
ただ、実際に順動を目の当たりにすると、確かに動かずに動いていることが分かるのだ。体幹から動く、とでも言えばいいだろうか。相手は反応出来ず、まるで赤子のように無力化され反応できない。故に力を込める事が出来ず、容易く押されてしまうのだ。刃物であれば一撃で仕留められる、ということになる。これについては自分の目で見てもらうより他にない。
グラスの全盛期でもこの順動をまともに扱える者は限られていたのだそうだ。それほどに会得が難しく、ただし会得できればどんな屈強な相手でも臆することなく一撃で倒すことが可能な技術なのだという。
それが出来る唯一の生き残りが、このエルオンス老であった。
また、書の最後に、命を取らないための剣術、という項目がある。
相手を切り殺してしまうのは、剣術としては拙い。と書かれている。
力量のある者ほど相手の力量を量ることができる。それを証明してやれば、相手は自分に刃を向けてくることはない。また、順動をマスターしていれば自由自在に剣を操ることが出来る。なにも致命傷を与えずとも戦闘不能になる程度の軽傷を与えてやればそれで良いではないか。剣術を極めれば結果的に人を殺めずにすむのだ、とある。
傭兵の仕事は、剣術は、人を殺すものではない。
書はそんな内容で締めくくられている。
「実は頼みがあって、あんたの剣の腕、が……」
フィーロは不意に言葉を止めた。
ゆっくりと開かれた老人の眼。中の黒目が両方とも灰色がかっていた。老の目はフィーロの姿をまったく捉えていないように見えた。
「……流行病でな。察しの通りだ」
静かに言った。
静かに言って、椅子にかけていた木刀を手に取った。
話に聞いていた通り、形状は細身のバスタードソードだった。刃渡はさほど長くはないが、柄には両手で握るだけの幅があった。
「いまはこれぐらいしか」
そう言って、老は上段に構えた。
それは見たことのない、不思議な構えだった。
木刀が、突きだした左手から右の上腕に乗っている。右手は軽く柄に添えられているだけ。木刀は地面と平行に置かれ、刃先は真後ろを向く形になる。
そこから最短の軌道で刃先が前に出る。力感はない。ただただ速い。
手首を返し、少し寄る。そこから一気に下から剣を出す。踏み込みの音すらない、静かな早さ。一瞬、木刀が伸びたように錯覚する。すっと動き、ぴたりと止まる。
フィーロには見えた。
避けることも、いや、動くことすらできず自分の喉元に刃を突きたてられる戦士の姿が。
「すげえ……」
ため息とともに称賛の言葉が漏れた。
フィーロは少し剣術を知っている。旅の途中、身を守る必要があり、手習いを受けている。なかなかに筋は良く、力任せの喧嘩好き程度なら遅れを取ることはない。老の剣が鍛錬の賜であることは、フィーロでも分かる。その動きは高度に洗練されていた。
「この時代に、戦争もあるまい。頼みとは何だ?」
老はゆっくりと椅子に腰を下ろした。再び目を閉じる。
「国の危機を救ってほしい。その精緻な剣筋がいる」
フィーロに変わり、ヅッソが話す。竜の手術を行うことを。
「断る」
老は静かに言った。
「この村はそういった役割を終えている。私の目も見ての通りだ。貴方たちに同行することは……」
「オイラが行ってやんよ」
廊下から声がした。
「トリヤか」
「じっちゃん、オイラなら適任だろ?」
そう言って、少年がにいっと笑った。
先程のスクスではない。
彼の名は、トリヤという。
三番目に拾われた子だ。
年の頃は十五を少し回ったところ。黒髪のおかっぱ頭。人懐っこい笑顔が印象的だ。体に比べて腕が長い。線は細いがばねがある。なんとなく、猫を思わせる風貌だった。
フィーロには良い剣士には到底見えなかった。第一印象は、スラム街でやんちゃをするクソガキ、だ。
「おめえに用はないよ」
頭をぽんぽんと叩こうとした。すっと動いて裏を取られた。師匠ほどではないが、静かに速い。まあ口が達者なだけではなさそうだな、とフィーロは思った。
「おめーじゃ役不足だ。おっかあの乳でも吸っときな」
軽く吹っ掛ける。
「おっかあは生まれてこの方、会った事ねえよ」
易々と挑発には乗ってこない。見た目よりは大人なようだ。老が使った木刀にするりと手を延ばす。
「辞めておけ」
「一人立ちしろ大人になれって言ってたのはじっちゃんだろ?」
老の言葉を無視して木刀をかまえる。師と同じ、例の不思議な構えだ。
「あんた、ちょっとはできるんだろ? 試していいぜ」
「……ガキが。俺が勝ったら逆立ちしてこの村一周だぞ」
「三周してやんよ。帽子のおっさん」
フィーロはその強気を鼻で笑う。仕方ねえなあと言う態度で、北側の壁に木刀がずらりと掛けられている中から一番短いものを手に取った。
「そんな短剣でいいのかい?」
「おめー相手にゃこれぐらいが丁度いい」
刃渡り三〇センチほどの木刀を腰のあたりで構えた。攻撃することを考えなければ短い剣のほうが扱いやすい。道中の持ち運びを考えても軍配が上がる。フィーロの愛用している短剣もほぼ同じ長さの物だ。
「お気づかいどうも」
にっこりと笑う。そして笑顔が消える。同時に動く。
たん、と床が鳴り、木刀がぶつかる。
トリヤの速い動きに、フィーロは下がって受けるので精いっぱいだった。その一撃は油断すると手首ごと持って行かれそうに激しい。
さらに来る。下がって受けて、下がって受けた。
速い。
だが、受けられなくはない。
速いが軌道はシンプルだ。防御に専念すれば、まだ動きは読める。
次の一撃も受けられる、と思った。
思った瞬間、喉元に剣先が止まっていた。
軌道が、違っていた。
「また小手先に頼りよって……」
エルオンス老の表情が歪む。
フィーロが理解できないと言う表情をしている。軌道は読めていた筈だった。
結果としては、トリヤに軌道を読まされていた、ということになる。
最後の一太刀だけ変えられていた。柄を握る手が逆になっていた。それだけで軌道を変えて見せた。フィーロの予測力の高さを逆手に取ったのだ。トリヤの発想の柔軟さだった。
「……まいった」
フィーロが脱力する。
「連れってってくれんだろ?」
トリヤがまたにいっと笑った。
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