10.廃村
ヅッソとフィーロは馬車に揺られていた。
キャスケットを目深にかぶり寝息をかくフィーロに対し、ヅッソは乗り物酔いに苦しんでいた。
馬車から身を乗り出し胃の中の物を吐き続け、とうとう出すものが無くなった。胃液だけが不快に喉を焼く。北上を続けて六日目になるが、揺れに慣れることもできず、苦しさは一向に緩和されない。
道中、北に向かうにつれて、王都の暖かさが日に日に失われていった。今日にいたっては馬車の中にも地面からの冷えが伝わり、にわかにひんやりとしている。
えづくヅッソの傍らで、ぐっしょい、とフィーロがくしゃみをする。
ひんやりとした外気に眠りから起こされた格好になった。深呼吸ののちにキャスケットのつばを指先で押し上げ、周囲を見渡す。変わることのない一本道だが王都では見かけない針葉樹がぽつぽつと姿を見せていた。
腰に付けた単眼鏡を構えると、はるか前方に建物の影が微かに見えた。
「おー、いいねえ」
ツキがある時は何をやっても上手くいく。いいタイミングで起きたことをフィーロはほくそ笑んだ。
これは聞いた話だが、とフィーロは言った。先日の書斎でのやり取りの事だ。
北の地に、傭兵ばかりが住む小さな集落があるという。
今から五十年以上も前、まだ王国に壁もなく、争いが絶えなかった時代に、兵士として雇われることを生業とする者達がいた。いわゆる傭兵である。
彼らは高く雇われるために、雇い主に強さを示す必要があった。また、いかなる戦場でも生き残らねばならなかったが、彼らには高価な武具は与えられなかった。
それゆえに発展した特殊な剣技があった。
細身のバスタードソードと金属製の籠手だけで相手を圧倒するという。
彼らは生き残るために、必然的に群れることになる。互いに技を教え合い、生き残る確率を上げるためであった。優秀な者が生き残り群れに戻ってくる。技術と情報が集い精度が増せば、結果として人と金が集まることになる。いつしかその集まりは二千人を超え、生存能力の高い傭兵たちの集落となった。
大きくなった集落はいつしか、グラス、と呼ばれるようになった。当時、使い捨ての傭兵は雑草同然だった。裏付けのない憶測ではあるが、自分達を自嘲気味に呼んでいたのがそのまま集落の名前になったのだと思われる。
当時、グラスの噂は王都はおろか隣国でも有名であった。実際、グラスの傭兵は誰もが優秀で、戦に出れば素晴らしい戦果をあげたのだという。彼らは剣一本で、他の傭兵達の五倍の金を持って帰ったそうだ。
だが、いつしか戦争は下火となり、彼らの出番は次第に減っていった。
そうなると集落の活気も薄れていく。剣を捨て、堅気の道を歩む者達が増え、集落はその規模を急速に縮小していくことになった。
そうしてグラスは消滅した、という話であった。しかし、それでも剣を求めた者たちが少数だが町に残り、生きるための手段であった剣技を磨き続けているという噂もあった。
もし噂が真実で、彼らの末裔が今もその高い剣技を継承しているのであれば、竜の腹を寸分違わず斬り開くこともできるのではないか。と、フィーロは言った。そして、集落は街道からかなり外れており、案内がいなければまず辿り着けないだろう、とフィーロは交渉を進めた。
伝説の竜が死ぬかもしれない緊急事態なのだ。重要な情報の提供者と案内役には大金を支払われてもいいはずである。
あとはフィーロの独壇場だった。
こういった交渉経験の希薄な魔術士を巧みな話術で丸め込み、多額の報酬に経費をたっぷりと上乗せし、さらに信用の高い王国金貨で先払いさせることを約束させた。
後日、フィーロは受け取った金で馬車と荷台を手配し、生産した糸や布や衣類をどっかりと積みこんだ。これを途中の町や村で商品を売っていけばさらに金になる。
当分、この世間知らずの魔術士さんにしっかり稼がせてもらわねば。
いい風が吹いているな、とフィーロは思った。
小一時間もしないうちに、馬車は目的地に到着した。
フィーロが肩口にだけレザーをあしらったチャコールグレーのコートを羽織り、馬車から降り立つ。
集落の入り口は、静かだった。門は開け放たれ、見張り台にはだれも立ってはいない。人の気配など皆無だった。冷たい風だけがびゅうと鳴いている。
馬車の中をのぞき、ヅッソに声をかける。
「いけるかい? 魔術士さん」
声に反応し、這うようにして馬車から降りるヅッソ。膝に手を付き、立っているのがやっとの様子だった。
「もしあれだったら、馬車で待っててもらってもいいんだぜ?」
「……いえ、……同行します」
ヅッソはかすれた声で前を向いた。なかなかに面白い男だとフィーロは思った。
「ここは……廃墟、……なのか?」
目の前のあまりに殺風景な有様に、ヅッソが訊ねる。
「いや、違うな」
傍らでフィーロが答えた。しゃがんで地面を確認している。
硬い土の上に、比較的新しい足跡があった。どうやら誰もいないわけではなさそうだった。しかし、この足跡は……。
そこまででフィーロの思考は中断された。
鋭敏な耳が、弓を引く微かな音を拾ったからだ。
フィーロはヅッソの腕を取り、地面に引き倒した。キャスケットが空中に置き去られる。
ざしゅ! ざしゅ!
二人の男達の前に、短いクォレルが続けざまに2本、突き刺さった。
フィーロの脳がぐるぐると回り、得た情報を解析する。
矢の軌道は、的確だった。狙い違わず、二本ともが手前の地面を射抜いている。威嚇射撃に違いなかった。
「ったく、いっちょまえに……」
フィーロは悪態をつきながら、おもむろに立ち上がった。
「おーい! 聞いてくれ! 我々は仕事の依頼に来た!」
声を張る。細身の体からは考えられないほどの声量が、荒涼とした通りに響く。
「見てのとおり非武装状態だ。交渉を願いたい!」
フィーロは両手を上にあげた。
顎で合図し、ヅッソにも杖を捨てさせる。
静かな時間が過ぎた。
しばらくすると、建物から二人の射手が姿を現した。
「……なっ!?」
ヅッソは驚いてフィーロの顔を見た。
フィーロはまるで分かっていたような様子でヅッソの方を向いて軽く頷いた。
二人の射手は、二人ともが十歳前後の子供だった。
赤い髪の少年と、もう一人はよく見ると少女のようだった。
少年は弓を背中に背負い、短いナイフを抜いていた。
その後ろに少女が帯同する。少年より少し背の高く、痩身だった。銀の髪は気持ち青みがかってくすんでいた。同じく手にナイフを握っている。
「ここに何の用だ?」
赤毛の男子がドスを効かせる。
「そのまえに確認したい。ここはグラスだよな?」
フィーロが尋ねる。
「そうさ。そう呼ばれていたって聞いたことあるよ」
「いまは?」
「さあね」
少女が近づいてきて、二人の所持品を確認する。
落ちている杖を回収し、フィーロの腰の短剣を取り上げる。
「ついてこいよ」
と、赤毛が言った。
「どこに連れていく気だ?」
「老師のところだよ」
少女が答えた。
「そいつぁ、ありがたい」
言いながらフィーロは地面に落ちたキャスケット拾い上げ、太ももではたいた。
フィーロが聞いていた通り、グラスは一度、枯れていた。傭兵達が集落を次々と去り、実質廃墟になった。
だが、わずかに男が二人、残った。
戦争を知り、剣技を体得した翁。
父が傭兵であった、四十過ぎの男。
二人は剣技を次の時代に書物にして残すことにした。
翁の持つ技の全てを、男が書物に起こしていく。小さな基本動作から順番に、細かく、丁寧に。それは長い年月を要する、根気のいる作業だった。その間、二人の男は残された廃屋やら瓦礫からまだ使えそうなものを馬車に乗せ、スラム街へ売りに行き食いつないでいた。
ある時、帰り道で孤児を拾うことになる。
男の子だった。泣いていた。
赤子は酷く衰弱しており、その鳴き声は途切れる寸前だった。
哀れに思い、拾って帰った。二人は痩せこけた赤子を見て、もう何日も持たないと思った。
だが、たくましく育った。二本の足で歩き、言葉を覚えた。
男の子は、ウヌム、と名付けられた。数字の一の古い言い回しだった。
スラム街に行くたびに、親に捨てられたり、何らかの理由で両親を亡くした子供を引き取って帰るようになった。二人、三人、四人と、増えていく子供たち。
いつしか集落は、傭兵達のたまり場から、孤児たちの生活の場へと変化していった。
二人の男は、彼ら彼女らの身体を鍛え、戦う術を教えた。
子供達は成長し、山を巡り、獣を狩った。
また、彼らは畑を耕し、作物を育てた。
こうして廃墟同然だったグラスに、新しい生活が芽吹いてゆくことになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます