6.性能Ⅰ

 葉を砕き、紙に巻く。ネタの質もさることながら、この作業も快楽の良し悪しを大きく左右する。男は震える手で慎重に作業を行っている。

 キスオブナイトメアはアサ科の一年草だ。

 雄株と雌株があり、この雌株の頂上部分にできる花穂のみを収穫する。

 受粉してしまうと効能が落ちるため、受粉させないように丁寧に育ててやらばければならない。根気と技術のいる作業だ。

 そうして育てた大切な株を、ベストのタイミングで収穫し、乾燥させる。乾燥が終わる頃には、ねっとりとした樹脂がネタから滲み、独特の金色の輝きを持ち始める。この金の樹脂を持つネタだけがキスオブナイトメアと呼称することを許されている。

 通称、キスメア。

 株分けが難しく、収穫できる量が希少であることと、やはりキマり方が違うことから愛好家達から非常に珍重されている。

 男は久しぶりに手にしたそれを慎重に細刻グラインドし、紙に巻いてゆく。使う紙はもちろんエーワンだ。中のネタが透けて見えるこの薄手の上質紙でなければ、せっかくのキスメアに申し訳ない。

 流れ落ちる涎を意に介さず、男は巻き終えたキスメアを口に咥えた。

 震える手でテーブルのアルコールランプを持ち上げ、先端を近づける。

 軽く吸いながら着火する。ぱっと金色の炎が上がり、先端が赤に染まる。

 男はランプを置いて目を閉じる。逸る気持ちを抑えながら煙を吸い込み、肺の中を満たしていく。目を閉じる。キスメアの慈愛が身体に染みていく感覚。そのまま身を任せる。金色の甘美が指先にまで行きわたる。退屈だった世界が塗り替わる瞬間がやってくる。この瞬間がたまらなく心地良い。

 そして迎える至福の時。男の手の震えがぴたりと止まる。痩せこけて目の落ち窪んだ死人のような顔に自信と熱量が漲り、左頬がつり上がる。

 男はゆっくりと目を開けた。

 極彩色の世界が彼を祝福した。


 ここでまた、ひとりの魔導士の話をしよう。

 名をケティエルムーンという。

 前述の新大陸の王、フーゼル・アードベックの兄弟子にあたる。

 フーゼルが記憶の天才であるだとするならば、このケティエルムーンは応用の天才であった。

 彼は、既存の魔法を歪めることで様々な効果を生み出すことを発見した。彼の登場は、魔術の世界の歴史的分岐点となった。

 代表作に、“黒い火球”がある。彼は一五歳の時にこれを発表した。

 元の魔譜を調整し、火球を黒く発動させることに成功したのだ。これは当時、画期的な発見であった。火球が黒いからすごい、という話ではない。魔譜を分解し、再構築できることを証明したからすごいのである。

 それからも彼は魔法を歪める術を探求していった。いまでは誰もが知っている遅発、曲射、追尾などの応用法を次々に発見し、発表していった。この功績は大きかった。彼は一七歳にして魔導士の資格を得ることになる。皆は彼の事を敬意と少しの嫉妬を込めて“歪め屋”と呼んだ。

 長らくマーフォークからの借り物であった魔法は、かくしてブレイクスルーを迎え、ようやく人間の所有物となったと言えるだろう。

 ケティエルムーンにはさらにもう一つの功績がある。

 彼は、再現不可魔法の一部を詠唱することに成功した最初の人物でもあった。

 循環呼吸、という呼吸法がある。

 循環呼吸とは、端的に言えば鼻から息を吸いながら同時に口から吐きだす呼吸法である。

 通常は、この二つを同時に行うことはできない。吸う動作と吐く動作は常に独立している。ゆえに詠唱時間の長い呪文は、解析が出ていても人間が肺で呼吸を行う以上、唱えられないものとされてきた。

 彼は自らの編み出した循環呼吸によって、その壁を乗り越える方法を示してみせた。これも大きな功績であった。これにより彼は、詠唱不可能だったいくつかの高難易度の魔法を人の手でこの世界にサルベージすることに成功している。

 魔譜の再構築と循環呼吸。この二つが世に出たことにより、魔法の解明が急速に進んでいった。

 だが、このドッグイヤーはたった三年で終焉を迎えることになる。疾走する馬車馬は、唐突にその足を止めることになる。

 原因はケティエルムーンその人であった。

 牽引者としての重圧からだったのか、はたまた巡り合わせのものだったのかは分からない。とにかくその疾走は、唐突に途切れる。

 ケティエルムーンがその頬に悪魔の接吻を受けたからである。

 悪魔の名は、キスオブナイトメア。巷ではキスメアと呼ばれている。

 キスメアは依存性の極めて高い、麻薬であった。


 男はテーブルの上に置かれた硝子盤に手を伸ばした。

 コマンドワードを唱えて立ち上げ、指先でいくつか操作する。現れた魔創語の羅列。文字が躍る。世界が揺れる。気持ちいい。気持ちいい。

 水を吸うスポンジのように、文字が魔導士の脳に記憶されてゆく。かつては天才と呼ばれた男だ。薬に頼っているとはいえ、性能が正しく発揮されれば、この程度の魔譜の記憶など容易いものだ。

 おもむろにふわりと立ち上がり、赤い液体の入った瓶を取り上げた。

 テーブルに置いてある実験用のトレーに流し込む。

 赤い液体には粘性がある。瓶を傾けると、液体はとぷとぷと音を立てて白いホーローのトレーに落ち、鮮やかな赤を広げてゆく。

 愛用の杖を右手で掲げ、詠唱に入る。低い声で朗々と魔譜を読み上げ始めた。

 詠唱が続く。二分、三分、五分を超えてなお魔術士の声は一定の声量を保ち、魔法を編んでゆく。循環呼吸法の成せる技であった。

 十分近くたった頃、赤く凪いだ液体の表面が微かにざわつき始めた。ぴりぴりと振動し、水紋が現れる。

 魔導士はなおも詠唱を続けながら、左の頬を引きつらせるようにしてニヤリと笑った。

 完璧だ、と彼は思った。

 そう。薬さえキマッてさえいれば、彼の仕事はいつも完璧なのだ。

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