45.摂取

 尾ひれを失った“絶望アぺル”は、空中でくるりと一回転し、再び血の海へと沈んでいった。

 同時にケティエルムーンの何度目かの魔法が完成し、海のように広がっていた血が繊維へと変わってゆく。

「はやく、はやく掻き出さんかいっ!」

 ようやく状況を把握したドゥクレイ医師が、ピートとグレンに指示を出す。

 “絶望アぺル”の恐ろしさに尻餅を付いていた二人がよろよろと立ち上がり、手にした大きな熊手で赤い繊維を掻き出し始める。

「……ここ、こんなことして、さ、さっきのささ、鮫みたいなのが出てきたらど、どうすんだよ」

「だ、だよな、あんな、は、歯で噛まれたら、俺、も、もう……」

 二人とも恐怖に声が震えている。

「はやくせんかっ! 潜られたらおしまいじゃぞ!」

 医師のその言葉を聞いて、ヅッソは目を閉じた。

 クレナの捨て身の魔法は“絶望アぺル”にかなりのダメージを与えたに違いなかった。しかし、まだ動いていた。つまり、次はきっと……。

 二人が真っ赤な繊維をほぼほぼ掻きだし終えるが、“絶望アぺル”の姿は見当たらない。無残に切り裂かれた腹膜が痛々しい。

「い、いなくなったのか?」

 ピートが熊手を持ったまま言った。

 だが、いなくなるはずなどなかった。

 ――ざこっ!

 不気味な音がした。

 ――ざこっ!

 音は、竜の中から響いてくる。

「……ま、まさか」

 医師がその音の正体に気付き、顔を青くする。

 ヅッソは顔を顰めた。

 もう、どうすることもできないのだ。

 ――ざこっ!

 音とともに地面が揺れた。

 いや、竜の腹が痙攣したのだ。

「ひいいっ!」

 情けない声を上げ、箱組の連中が腰を抜かす。

 ――ざこっ!

 ――ざこっ!

 音のペースがあがる。

 竜が引きつけを起こし、地震のように震える。

 腹の上のメンバーは立っていることさえ難しくなり、振り落とされないようにしゃがんでその揺れに必死に耐えている。

 ――ざこっ!

   ――ざこっ!

     ――ざこっ!

 ――ざこっ!

   ――ざこっ!

     ――ざこっ!

 更に速度が上がる。

 皆、竜の腹にはいつくばるようにして揺れに耐えている。

「これってさ、もしかして……」

 トリヤも気付いたようだった。

 “絶望アぺル”は、その別名を“竜喰らいドラゴンイーター”という。 

「……竜、喰ってんのか!?」


 喰わねばならない、とは思った。

 いにしえの命により、竜を内側から全て喰らい尽くす。

 そして、世界を焼き尽くすのだ。

 ただ、半分を失った身体で、短時間で摂取できる量には限りがある。

 それでも。

 は喰わねばならなかった。

 不完全な形でしか実現できないであろうが、それでもやるしかない。

 そう造られたのだから。 

 ――ざこっ!

 真っ赤に開いた口が、竜の肉を噛みちぎる。

 身体に力が漲ってゆくのを感じる。

 喪失感。

 先程得た喪失感は、喪失感を与えた対象に対する憎しみに変わりつつあった。

 役割を果たす前に、そいつらをこの世界から取り除かねばならない。

 おそらく、一瞬だ。

 時間はかからない。

 そのあとでゆっくりと地表を燃やしてやればいい。

 ――ざこっ!

 一口ごとに喪失感が消えてゆく。

 そして憎しみだけが残ってゆく。 

 ――ざこっ!

 ――ざこっ!

 咀嚼し、嚥下する。

 あと少しだ。

 あと少しでこの憎しみを解放できる。

 は笑った。

 生まれて初めて口元を歪めて笑みを見せた。

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