43.封印

 さて、歴史の話だ。

 歴史において我々はマーフォークの栄えた時代を“海の時代”、竜の栄えた時代を“空の時代”と呼んでいる。

 無論、その端境期――竜が隆盛への階段を登り、マーフォークが衰退の階段を降りつつあった時代――が存在したことは言うまでもない。

 ここからは憶測の領域を出ないことを書く。もしかしたら妄想に近いかもしれない。

 マーフォークは自分達が竜に後れを取ることに種族全体として恐怖を感じたのだ思うのだ。

 彼らは竜が世界を席巻する現実を拒むため、魔法技術の粋を結集し、竜を倒す手段を講じることになる。

 その中には少なからず非人道的な物も存在した。

 そのひとつが“絶望アぺル”であった。

 別名“竜喰らいドラゴンイーター”。

 その小さな魔法生物は竜に寄生し、血を啜り、肉を貪り、寄生主を喰らい尽くすと背を割って飛び立ち、辺り一面を火の海に変え、たった一日で天寿を全うするという。

 竜を内側から破壊するために生まれ、世界を焼き尽くして死んでゆく。破壊と終焉の権化であった。実際、竜喰らいドラゴンイーターが百匹の竜と小さな大陸を消滅させたという記録も残っている。

 ただ、この魔法生物の製造方法は短期間で封印されることになる。

 あまりに卑劣で、残虐で、美しくない(美しい、という概念はマーフォークにとってかなり重要だったと考えられている)という理由で、種全体の協議の結果、その技術は闇に滅されることになった。

 はずだった。 

 だが、そうではなかった。

 封印されたはずのそれを、散り散りになっていた文献から統合して補完し、人が繁栄し始めたこの“陸の時代”に蘇らせた男がいたのだ……。


 ヅッソは怒っていた。

 自分の中で、怒りとしか形容できない想いがマグマのようにふつふつと滾っているのを感じていた。

「……“絶望アぺル”」

 ヅッソは知っていた。

 その魔法生物の名を。

「……なぜこんな」

 ヅッソは知っていた。

 “絶望アぺル”を産み出したマーフォークの発明家プロトゥが、自らの発明のおぞましさと非道さにどれだけ悔恨の念を覚え、悔み続けたかを。

「……こんな酷いことが」

 ヅッソは知っていた。

 マーフォークらが全体会議を開き、その総意の元に“絶望アぺル”の製造方法の全てを海底火山に沈めたことを。

「……できるのですか貴方は」

 ヅッソは知っていた。

 その高度な魔術を再現し、大陸に放つことのできうる、たった一人の偉大なる魔導士の名を。

「……フーゼル・アードベック」

 拳に力を込める。

 握られた真紅の短杖が折れるほどに。


「今のは何じゃ?」

 抱えている小太りの医師が剣士と同じ疑問をヅッソに投げかける。

 ヅッソはやはり即答できなかった。

 それが示すものはあまりにも罪深く、まさしく絶望的なものだったからだ。

 もし、史実が正しければ、“絶望アぺル”は自分達を全滅させることはおろか、この山脈ごと火の海に変えることができるだろう。

 しかし、まだチャンスはあった。

 “絶望アぺル”がまだ比較的小さいことと、こちらに対して攻撃的である、つまりこちらを格下と見なしていること。

 その二つに賭け、あいつを破壊するしかない。 

「奴の名は……“絶望アぺル”。竜を喰って成長し、大地を焼き払う――狂気です」

 医師の問いにヅッソはようやく回答を口にした。

「そいつぁ……厄介な話じゃな」

 ドゥクレイはのんびりとした口調でそう言って頬を掻いた。ヅッソの緊迫した様子から、状況はおおよそ理解できた。できるだけそれを表に出さないように振舞う。

「あいつ、やっつけた方がいいのかい?」

 今度は竜の腹の上からトリヤが尋ねてくる。

「ああ。うまく誘い出して……一撃で仕留めたい」

 それが考えうる唯一の希望だった。こちらを軽く見て、仕掛けてきたところを一撃で屠る。もし外して警戒されることになれば、竜の体内に潜られ打つ手がなくなることだろう。そうなれば状況は最悪だ。

「うっし……任された」

 トリヤが頷き、剣の棟を摩る。

「……頼むぜ相棒」

 先程は剣撃を鮫の背に阻まれたが、今度は斬らねばならない。一撃で。

 構えに入る。剣先が後ろを向く。

 血の中に潜った影は、潜り、浮かび、ぐるぐると旋回し、こちらの様子をうかがっているように見える。

 根競べの時間が続く。

 ヅッソは空中で静観するしかなかった。抱えた医師を放り投げるわけにもいかない。この局面で何をしようとしても自分は出遅れることになるだろう。剣士の一撃に賭けるしかない。短杖を握る手が汗ばむ。


 地上ではクレナが呪文の詠唱に入っていた。

 上空でのヅッソ達の会話を聞き、長らく封印してきた自身の知りうる最上級の攻撃魔法を唱えようとしていた。この魔法ならどんな奴でも一撃で消し去れる。それだけはクレナの中で確実なことに思えた。

 その魔譜を口にするのは実に二年ぶりのことだった。

 初めて唱えた時はコントロールを完全に失い、塔の壁を大破したあげく魔力の枯渇化を起こし二か月ほどベット上で生活することになった。

 あれから魔譜も調整したし、鍛錬もしてきた。魔術士としての腕は当時より格段に上がってはいるが、今でもその威力を制御できる自信はない。

 自信はないが、やるしかない。

 クレナは集中した。全ての魔譜を読み終えるのにはまだもう少し時間が必要だった。


 血の中の影は、まだ様子を伺っている。

 両者睨みあいのまま、お互い動けずにいた。

 トリヤは気を張ったまま、赤い水面を動く影を目で追っている。その動きは明らかにこちらを警戒しているように見えた。

(……これじゃ埒があかねえな)

 トリヤは直感的に動いた。

 不意に構えを崩し、剣を鞘に戻したのだ。そのまますっと肩の力を抜き、闘志を消す。

 “絶望アぺル”はその餌に、喰らいついてきた。

 影が、ぐんと早く動く。

 長い尾ひれが液体を蹴り、鮫の身体が赤い飛沫をまき散らしながら再び宙を舞う。 

 鈍く輝く“絶望アぺル”は、狙い違わずトリヤに飛びかかり、大きな口を開けた。無数に並んだ鋭い歯が剣士を襲う。

 トリヤが鞘に手をかける。

 剣士はこういう時にうってつけの技を体得していた。

 剣を鞘走らせることで威力を増し、一撃で相手を斬り倒す技だ。

 それは老師が得意とした技であり、老練の剣士を幾多の戦場で生かし続けた必殺の奥義であった。

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