30.魔法

 さて、マティグランマの話をしよう。

 彼女がこの村一番の紡ぎ師だったことは前に述べた通りだ。

 彼女の糸はありえないほどの光沢と質感を兼ね備えていたという。その秘密は紡歌つむぎうたにあった。

 紡歌つむぎうたについては専門ではないのでイメージで話すことになるが、それは細胞に影響を与える魔法と言えるだろう。

 繊維に撚りをかけながら糸車を使って紡いでいくことを糸紡ぎと言うのだが、これを阻害するのが繊維そのものの状態である。通常であっても質がまちまちであり、汚れがあり油分があり、これらを整えるために洗ったり梳いたり炊いたりと結構な手間を要することになる。加えて魔力を持つ繊維――ここで言う魔獣の毛や竜の血の繊維――については、魔力を宿すことによる細胞の堅牢さ、という阻害要素を持っており、先程書いた手段ではこれを取り除くことが出来ない。その阻害要素を唯一取り除くことが出来るのが紡歌つむぎうたなのである。紡歌つむぎうたは魔力を持つ繊維に働き掛け、その堅牢さを中和、あるいは破壊し、従順さを持たせることが出来る。また、通常の素材であっても歌の効能でより美しく、丈夫に仕上がるという。

 紡歌つむぎうたの出自については未だ持って不明のままである。ひとつ言えることは魔法を操るために魔創語が必須ではない、ということだ。歌、刺青、仮面……そういったものを媒介として魔法が効果を表すことは確認されているのだが……いや、申し訳ないが魔法の話は一旦ここで棚上げさせてもらうことにしよう。このまま続けるとあまりに長くなりすぎる。

 マティの話に戻ろう。

 彼女に転機がやってくるのはかなり遅く、四〇才を過ぎた頃であった。

 王国で新たに服飾のコンテストが行われることになり、それに招待されたのだ。彼女の糸紡ぎの名人としての評判は王国にまで伝わっており、国王から直々に招待状が届いたのだ。この時もうすでに孫もおり、周りからはマティグランマと呼ばれていたそうだ。

 田舎の村を一歩も出たこともなかったマティにとって、王都はやはり憧れの地であった。参加の意思をしたため、紡ぎあげた会心の糸を同封して送り返した。それは魔獣の毛で紡いだ糸であった。それは万色の輝きとシルクを超える肌触りを併せ持っていた。

 すると、コンテストの一週間前には田舎の村に王国から何台もの豪勢な馬車が彼女を迎えにやって来たのだ。村始まって以来の出来事に村人は驚き、彼女の出発を村人全員で見送ったという。

 記念すべきその第一回大会で彼女は優勝することになる。決め手はやはりその糸であった。魔獣の毛で紡がれた極上の糸。至高の素材で織られた布は他の追随を許さぬ素晴らしい出来栄えで、国王および審査員から満場一致の評価を得たのだった。

 その結果、彼女は村に返してもらえなくなる。

 王国の商人に良いようにに言いくるめられ、仕事漬けの毎日を送ることになる。最初はそれでも良かったと思えた。自分の造った糸が評価され、買ってくれた人の日々を彩ってくれるのであれば、それは彼女にとって嬉しいことに違いなかった。

 だが、そうはならなかった。

 マティの糸の質の高さに目を付けた商人が、値段を異様に釣り上げたのだ。

 通常の五十倍、百倍の値段。それでも売れる糸は一部の金持ちのステータスとしての意味しか持たなくなっていた。

 自分の評判を知ったときのマティの落胆は、それは酷いものだったという。

「マティは金儲けに目が眩んだ金の亡者」

「彼女は庶民を馬鹿にしている」

「あんな糸はオシャレでも何でもない。お金を纏って自慢しているだけ」

 違う、違う違う! 彼女がどんなに叫んだところで人々の噂話はエスカレートするばかりだった。

 良い品質。美しい光沢。みんなの喜ぶ顔を見たい。自分の糸が人々の幸せを紡いでいる。そう信じてやってきたのに。

 彼女は糸を紡がなくなった。いや、紡げなくなった。

 声が、出なくなったのだ。

 価値のなくなった彼女を商人は容赦なく捨てた。失意とともに村に舞い戻るマティ。残念な悪評は王国から遠く離れた田舎町までも伝わってきており、村はずれの小屋で隠遁生活を余儀なくされる。

 晩年の彼女の実情を知る者は少ない。悲しみの果てに亡くなったとも言われている。だが、彼女には何人もの孫がいた。三人の子供達がそれぞれに子供を授かっている。そのうちの誰かが声を取り戻した晩年の彼女とともに過ごし、子守歌代わりに紡歌つむぎうたを聞かされて育ったとしても何ら不思議なことではない。


「なにこれっ! すごい!」

 再びパティは言った。

 少女の前にはフィーロのズボンがある。

 それは、特殊な縫製で立体を再現したものであった。

 通常、ズボンは四枚の布辺で構成されている。前面の布辺二枚、背面の布辺二枚を重ね裁ちで取るのが一般的だ。

 フィーロのズボンは、その常識から逸脱していた。

 内側にもう一枚、細い半月状の布辺が使われ、計六枚で縫いあげられている。また、膝上あたりの内側で軽く織り込んで縫われている個所(ダーツという裁縫のテクニックであることをパティが知るのは後の事である)があり、内側にくの字型に曲がっているのだった。

「へえ、これが分かるのかい」

 フィーロが感心する。そのズボンは現在のテーマである立体の再構築の、ひとつの完成形であった。

「ボク、分かるよ! すごいや!」

 彼女がフィーロの内太ももに触れる。追加されている布辺を指でなぞり、ダーツの部分に顔を近づける。

「こんなに太いの編めちゃうの!」

 今度は糸に注目する。

 一五オンスの太い木綿糸。それをシャトル織機で丁寧に織りあげる。藍染の経糸、白に銀糸の混ざった緯糸で織られているその布は厚手で重く、風合いがあった。太い糸で織ってあるため、膝などの曲げられた部分は藍染の経糸の隙間から艶のある緯糸が浮き上がって見える。

「きれい!」

「だろ?」

 フィーロが腰を落とす。目線を七歳児に合わせる。

「糸ってのはな、人間の唯一産み出したオリジナルの魔法なのさ」

 いま人間が使っている魔法はマーフォークが産み出したものである。人間は彼らの財産を借り受けているに過ぎない。

 ただ、糸は違う。

 マーフォークには服を着るという習慣はない。彼らは糸を紡がない。糸は人が人だけの知恵と経験によって作り上げた人間独自の文化なのだ。

 その糸を使って織りあげた布、布を使って作り上げた服はまだまだ発展する要素を持っており、それを見つけ、現世に降臨させることはこれはもう魔法に等しい所業なのだ。

「糸は、魔法……」

 フィーロの言葉にパティが目を輝かす。

「おまえのばあちゃんはすげえ女だったんだぜ。誰も見たことのない魔法をこの世界で初めて使ったんだ」

 裁縫屋が少女の頭に手を乗せる。

「おまえ、全部覚えてんだろ?」

 その言葉に、少しの逡巡のあと、こくりと頷いた。

 パティは全部、覚えていた。

 声を取り戻した晩年のマティは、それを取り戻すように何をする時も毎日歌っていた。彼女はそれを全部記憶している。姉のラミティがうろ覚えだったり、覚え間違っていたりしているところも、本当は正しく知っている。

「ちょっくらそれをおっさんたちに貸してほしいんだ。悪いようにはしないから王国まで……」

「馬鹿な事言わないでくださいっ!」

 姉がフィーロの言葉を遮った。

「帰ってください! もう二度と来ないでっ!」

 姉の記憶の中では、マティの晩年は後悔とともにあった。

 王国になんて行くんじゃなかった。振り回されてばかりで良いことなんてちっともなかった。糸なんて紡ぐんじゃなかった……。愚痴ばかり聞かされて育った彼女にとって、王国は忌むべき場所でしかない。

 父と母を早くに亡くし、引き取ってくれた祖母が逝った後は妹と二人でずっと生活してきた。彼女にとってパティは娘同然だった。彼女をそんな場所に行かせるだなんて断じて許せることではない。

「……ボク、行ってみたい」

 その想いを覆すパティの言葉にラミティが驚く。

 妹はずっと良い子だった。姉に逆らったことはなく、お手伝いもちゃんとできて、はあいと良いお返事のできる子だった。

 その妹が、生まれて初めて姉の言葉に逆らったのだ。

 見つめる姉の目に映るのは、こぼれおちるパティの涙だった。

「ごめんなさい、お姉ちゃん。ごめんなさい……」

 この子が糸と布に執拗なまでの愛着を持っているのも知っていた。祖母の看板で糸を紡いで細々と生活をしているがそれがパティの歌の恩恵であることも知っていた。自分に隠れてこっそりと服を作っていることも知っていた。

 祖母から受け継いだ妹の才能は、もう甕に満たされた水が溢れるようにすでにこの場所では収まりきらなくなっている。いずれ彼女が祖母のようにここを出ていくであろうことは薄々感じていた。

 分かっていた。分かっていた。でも、こんなに早く……しかも王国だなんて。

 ラミティの視界が歪む。彼女も泣いていた。

「……彼女は、この村から出たことがありません」

 小さな声で言葉を紡ぐ。

「好奇心が強くて、空想癖がありますが、とっても良い子です……」

 姉の言葉にフィーロが頷く。

「お着替えもひとりでちゃんとできます……ご飯も好き嫌い言わずに食べられます……後片付けも手伝ってくれます」

 言葉とともに止め処なく流れる涙は頬を伝い首を伝い、彼女の胸元まで濡らしている。

「おねしょもしません……ごめんなさいも言えます……だから、だから」

 フィーロが姉の肩に手を置いた。ラミティは堪え切れずにその胸を借りる。

「妹のこと……宜しくお願いします」

「ああ、確かに俺が預かった」

 号泣する姉がとんとんと拳でフィーロの胸を叩く。それも受け止める。

 頭上を回っていたトンビはいつの間にかいなくなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る