29.紡歌

「なんてこった……」

 フィーロはため息混じりにそう呟いた。

 ヅッソは目を閉じた。今回ばかりはどうしようもなかった。小さな可能性に賭けて少しずつ手繰り寄せてきたものが、ここにきて音もなく崩れ去った格好だ。

 二人の男は荒涼とした丘の上で言葉を失い、ただただ立ち尽くしていた。

 百年王国からさほど遠くない田舎の宿場町。西に沈む夕日が世界を柑子色に染め、二つの影を長く長く伸ばしている。

 影は目の前の石墓に重なる。

 墓標には『生まれた 紡いだ 死んだ』と書かれていた。

 墓の主はマティ、あるいはマティグランマと呼ばれていた高名な紡ぎ師であった。

 紡ぎ師は糸を紡ぐ。それが仕事だった。

 糸は今でこそ紡績工房などで大量に作られるようになったが、かつては各家庭で、あるいは村で一番紡ぎに長けたものが行っていた。

 彼女はこの村一番の紡ぎ師であり、恐らく大陸で一番の紡ぎ師であった。

 秘密は紡歌つむぎうたにあったという。

 その歌は魔法を宿していた。

 彼女が歌えば魔獣の毛でも糸にして紡ぎあげることができたという。

 本来、魔獣の毛は魔力を帯びており糸を作ることには適していなかった。どんなに叩いても精錬液で焚いても毛同士が絡みあわず、糸にならない。だが、彼女の手にかかればどんな魔獣の毛も糸に出来たのだというのだ。

 二人はその歌に用があった。だが……。

「まさか、死んじまってるとはな……」

 フィーロが天を仰ぐ。

 どんなに用があっても、亡くなってしまっていては会うことはできない。

 二人の男の上をトンビがくるりと回った。 

 その刹那、彼の耳が音を拾った。

 目を閉じる。眉間に皺を寄せ、微かに拾ったそのノイズに集中する。

「どうした?」

 ヅッソの問いに対し、口元で人差し指を立てる。

 フィーロがさらに集中する。

 拾った音の断片を、脳内で再構成する。

「片方は、凡庸だ……だが、もう一方……若いが……ここまでよく……」

 目を閉じたまま呟いている。

「これは……よほどの……」

 フィーロがにやりと笑う。

 怪訝な表情であたりを見渡すヅッソ。

 ここは村からも少し外れた小高い丘の上の墓地だ。周りにこれといったものはない。

 フィーロが目を開けて笑った。

「まだツキがあるようだ」

 そう言って、歩き始める。

「ど、どこに行く気だ?」

 ヅッソの問いにフィーロは答えない。二度ほど頷いてから言う。

「さあな、俺にもまだわからん。でもまあ、なんとかなりそうだ」

 トンビはまだ同じところをくるくると回っている。

「行こう。ここじゃ風の音が邪魔だ」


 ――数日前。

 早朝に呼び出され、ヅッソはフィーロの工房へと向かった。

 重大な問題が起きていた。

 竜の血から作り上げた例の赤い繊維がうまく絡みあわず、糸として紡ぐことができないというのだ。

 工房に入ると、目の周りに濃い隈を作ったフィーロがいた。どうやら徹夜で作業をしていたらしい。テーブルの上には赤い繊維がただただ散らかっている。

 「……すまん」

 フィーロは顔を伏せたまま小声でそう言った。

 せっかく用意できた血の繊維を紡ぐことすらできませんでしたでは裁縫屋の立場がない。しかし現実、目の前の真っ赤な繊維はフィーロをあざ笑うかのように解れたままだった。

「……あ、ああ」

 ヅッソも言葉が出ない。

 剣士が見つかった。

 ミスリルの剣が出来あがった。

 竜斬の魔法を付与できた。

 解剖図も入手できた。

 血の問題も 有能な魔術士との取引で半ば目処が立った。

 それが、ここまできて暗礁に乗り上げることになるとは……。

 ヅッソは思考を巡らせる。駄目でしたでは済まされない。何か方法を考えるしかなかった。ヅッソが頼れるのは知識だけだった。

 脳の中の引き出しを片っ端から開け放ち、使えそうな情報を探る。

「……本で、読んだことがある」

 ヅッソは言った。引きだしの奥底に使えそうな情報が眠っていた。王国図書館の本を全部読んでやろうと片っ端から消化するように読んでいた十代の頃の記憶。古い記憶。その消えかかっている記憶を慎重にサルベージする。

「そう……糸紡ぎの名人の話だ。……王国の図書館の資料の、イベント関連。フィーロが優勝した大会の第一回の優勝者だ。確か、名前は……」

「マティだ! マティグランマ! 彼女がいたかっ!」

 フィーロが言った。彼も知っていた。伝説の紡ぎ師のことを。

 沈んでいた気持ちが一気に沸き上がる。

「会いに行くぜ旦那っ! 彼女の歌なら竜の血も紡げるはずだっ!」


 墓地のある丘をフィーロが降りてゆく。ヅッソがそれに続く。そのまま西側の森へと入った。そこまでやって来てようやくヅッソにも聞き取れるようになる。

「……これは、歌?」

「だな」

 微かに聞こえてくるその歌を頼りに二人は歩く。程なくして一軒の小さな小屋が見えてきた。

 小屋は平屋で、煙突から淡い煙が立ち上っていた。生活の匂いがした。

 家の前までやってくると、歌声は鮮明に耳に入ってくる。

 それは女性の声だった。

 聞く人を和ませるような、穏やかで、ゆったりと流れる川のような歌だった。

 歌い手は複数いるようにヅッソには聞こえた。ユニゾンで歌われており、歌声がひとつに重なり合っている。

 玄関に回り、フィーロが戸を叩く。

「ごめんよ、誰かいねえかー?」

 ノックと問い掛けに歌声が途切れた。しばらくしてから扉が少しだけ押し開かれる。

 隙間から女性の顔が見えた。

 年の頃は十五、六だろうか。化粧っ気のないひっつめ髪の少女だった。

「遅い時間に悪いね、お嬢ちゃん」

 申し訳なさそうにフィーロが言う。もう夕刻を過ぎ、辺りを闇が支配し始める時間になっていた。

「……何の、御用ですか?」

 少女は警戒心たっぷりの様子だ。

「いや、なに。歩いていたら歌が聞こえてきたものでね」

「……それが、何か?」

紡歌つむぎうた、だよな。今の」

 フィーロの言葉に少女の表情が曇る。

「……祖母ならもう亡くなりました。帰ってください」

 勢いよく戸を閉めようとするが、差し込まれたフィーロの足がそれを邪魔する。

「何があったか知らないが話を聞いてくれ。歌がないと困んだよ俺達」

「知りません! 王都の人の事なんて!」

 顔を伏せたまま戸を懸命に閉めようとするが、少女の力ではどうにもならない。逆にフィーロが強引に戸を引いて開け放つ。

「やめてください! 人を呼びますよ!」

「だから話を聞けって!」

 この押し問答は、唐突な第三者の介入により中断されることになる。

 奥から出てきた一人の子供がフィーロの下肢にしがみ付いたのだ。

 赤い髪の女の子だった。年は七才。

 名をパティ、と言う。

「なにこれっ!」

 とパティは言った。

 フィーロの周りをぐるぐると回り、彼の穿いているズボンに再び触れる。

 彼女の目は好奇心で充ち溢れ、キラキラと輝いていた。

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