33.授与
幸運な事に雨は続かなかった。
初日こそ降り続けたものの、翌日にはすっかり上がり、この様子なら登山にも影響はないだろうとモルト隊長も判断していた。
出発してから二日目の夜。山の麓にある宿場町で宿を取ることになった。
明朝には出発し、もう半日だけ馬車に乗ったあとは山頂を目指して山に登る。
つまり今日がベッドでゆっくり眠れる最後の日、ということになる。
宿場町はバーニオという。王国の北に位置し、暑い時期には避暑地としても利用されることが多い。また、恵みの滝に近いことからそれを謳った温泉や銘菓なども人気を博しており、そこそこの賑わいを見せている。
ヅッソ達は王族御用達の老舗の宿を貸し切りで手配してもらっていた。他の一般客に今回の件が漏れることを恐れての処置でもあった。宿は二階建ての大きな建物で、古いが掃除が行き届いておりなかなかに趣がある。
箱組は一階の酒場でよろしくやっている。今回は特別任務ということもあり少しだが交際費を渡してある。明日からもしっかり職務を果たしてもらえるなら多少羽目を外すのもいいだろう。
クレナはパティと同室だ。パティはクレナの幻術が気に入った様子(簡単なのを何度か見せたらしい)で、馬車の中でもクレナにべったりだった。
あとはフィーロとトリヤが同室で、他のメンバーには個室が割り当てられた。
ケティエルムーンは自室で一人、夜の一服に浸っている。
キスメアはアッパーでもありダウナーでもある不思議な薬物だ。緩んだ時間の中で煌めきに身を任せ揺蕩う。隣室のヅッソにはくすくすという小さな笑い声のようなものが時々聞こえてくるがさほど気にはならない。
ヅッソは手術の計画書をまとめていた。
先程までドゥクレイ医師と話し合ったことを、紙に落としてゆく。
一階の酒場の喧騒に、先程からドゥクレイの笑い声も混じって聞こえてくる。
ヅッソには少し羨ましい気持ちもあるが、自分は酒が飲めないし、そもそもみんなでワイワイと騒ぐことがあまり得意ではない。今は自分の役割をしっかりと果たすことだけを考えよう、そう思っていた。
不意に、こんこんとノックの音がした。
「……どうぞ」
間を置いて、ヅッソは言った。
「こんばんわー」
入ってきたのはクレナだった。
旅装束を解いたラフな格好で、いつもは後ろで束ねている髪を無造作に下ろしている。
「あ、ああ。えっと、お疲れさま」
いつもと違うそんなクレナの格好に、ヅッソは少し言葉に詰まる。
「はーいお疲れ様」
女魔術士はテーブルに小さなグラスを置いた。
「……え?」
「乾杯、しよ」
クレナはそう言って悪戯っぽく微笑んだ。
ヅッソがその小さなグラスを傾ける。
褐色の液体が喉を焼きながら通過する。嗅いだ事のない香りが鼻に抜ける。
「うわ……」
遅れてやってくる淡い酩酊感。慣れないアルコールに表情が歪む。胸のあたりがじんわりと熱くなる。
そんなヅッソの様子にクレナがにんまりと笑う。
彼女のグラスはもうすでに半分ほど減っており、ほんのりと頬に赤みが差している。
「へえ、お酒弱いんだ」
「弱いも何も……飲んだことも、そんなに……」
もうすでに声が掠れ、喋る言葉が覚束ない。
「あは、楽しい」
傍らのベットに腰を下ろしたクレナが足をバタつかせる。そのバタつきが何かを思い出したようにぴたりと止まる。右手を真っ直ぐにあげ、宣言する。
「それでは授与式を行いたいとおもいまーす」
彼女の言葉にヅッソはぽかんとした顔をする。
クレナは隠し持っていた赤い短杖を取り出し、ヅッソの胸に押しつけた。
それは魔導士にしか与えられない特別な魔創具だった。
「えっと、あの……」
ヅッソは状況がよく飲み込めないでいる。
「キュオリ様から預かってきたの。今回の件が終わったら魔導士資格の授与式をやるからとっととオペ済ませて帰ってこいってさ。この杖は前倒しでくれてやるから好きに使えって」
ヅッソは押し付けられた杖を両手で握る。
赤く染められたその短杖はヅッソ仕様のオリジナルらしく、ちゃんと照準器まで備えてある。秘められた魔力の質の高さに身が震える。
ヅッソは目を瞑り、目を開ける。
「前にも言ったけど……これは、受け取れない」
「何でよ? キュオリ様がいいって言って下さってるのよ?」
ヅッソは断る言葉を言うつもりはなかった。
だが酒気帯びのせいでそれは口から吐き出された。
「僕は……僕は、魔導士に相応しくないからさ」
その言葉を皮切りに、堰を切ったようにずっと思っていたことが溢れだす。
「僕は欠陥品なんだ。そりゃそれなりに魔法も使えるし魔創語にもマーフォーク語にも精通している。でもそれだけだ。先人の魔導士のように何か新しい発見をしたり、誰も真似できないような技術を持っていたりするわけじゃない。模倣に模倣を重ねてそれっぽく振舞っている下らない模造品だよ。それがどうして魔導士になれるのさ。なれるわけないよ」
勢いに任せてグラスを空にする。ヅッソの言葉は止まらない。
「今回の手術の件がもし成功しても、国はそれを発表せず隠蔽するはずさ。王国が百年を迎える大事な時期に国民を不安にさせるようなことをするわけがないからね。だとすると僕は何の実績もなく魔術の腕も凡庸なのに突然降って沸いたように魔導士資格を得ることになる。そんなの誰も認めないし、そんな周りの声を無視して厚顔無恥に魔導士になれるほどの度量もない」
ヅッソの独白に、クレナは下を向いたまま肩を震わせる。
「そもそも僕は騎士団長の息子で、落第の印を押されて、たまたま魔術に救ってもらっただけなんだよ。そんな落ちこぼれが……」
ぱんっ!
クレナの平手がヅッソの顔をかなりの勢いではたいた。
衝撃で横を向いたまま、ヅッソは動けなくなる。
静かな部屋に、クレナの荒い息だけが響く。それが整うまで少しかかった。
「……一回しか言わないからちゃんと聞いてろよこの唐変木」
今度はクレナが言葉を吐き出す番だった。
「古代種の竜を手術をするなんて無茶な事、あんた以外に誰も考えつかないし実行もできないんだよ! だれだって怖気づいたり諦めたり逃げたりするようなことを、あんたはしっかり前向いて、計画立てて、必要な人を巻き込んで、こつこつここまでやってきたんだよ。これはすごいことなの! 誰にでもできることなんかじゃないの!」
クレナの指が、ヅッソの胸をつつく。
「過去の天才に魔術や技術で敵わないからってそうやって不安がって自分を否定して一体何になるの? そりゃそいつらに比べたら凡庸かもしれないし、欠点も多いかもしれない。でもそれでいいじゃん!」
深呼吸を挟み、クレナはなおも喋り続ける。
「あんた、自分で本はすべて素晴らしいって言ったよね? 書いた人の想いが籠ってるって。じゃあ天才も凡才も、一生懸命やってる人はみんな素晴らしいってなんで思えないの?」
ヅッソの口元が、ひくりと動く。瞳が開く。
「別に他の誰かみたいにならなくていいじゃない。あんたはあんたみたいな魔導士になればいいの」
断言するように言い切り、クレナもグラスを勢いよく空にする。
「でも、僕みたいな魔導士なんて……よく分からないよ」
ヅッソはそう言って右手で髪を掻きながら顔を顰める。
「じゃああたしが決めてあげる。あんたは世界で一番分厚い本になりな」
クレナの指が今度はヅッソの額を力強く押す。
「ここに、知識と経験を蓄えて蓄えて蓄え倒して、世界中の事が何でも載ってる本になる。それがあんたの役目だよ」
――世界で一番分厚い本になる。
彼女のその言葉は、ヅッソの脳に天啓のように響いた。
「クレナ、僕は……僕は……」
「ちょっ! 近いよ馬鹿っ! 酔っぱらい!」
クレナの頬が赤いのは酒のせいだけだろうか。
……くすくすくす。
隣からケティエルムーンの含み笑いが聞こえてきた。
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