第30章 華煌滅亡

第128話 死という選択

 ……共に、死んでくれるか?……


 自分を見据える珀優の瞳に、迷いは無かった。

 それでも自分は、珀優をむざむざ死なせる事など出来ないだろう。

 だから……



 燎宛宮の星見の宮の最上部。物見の為にしつらえられた場所に、天祥は一人佇んでいた。


 彼方の鳳凰山系に消えゆく陽光は、空を茜に染めながら、藍色に変わり始めた天上の空と混ざり合う辺りで、綺麗な紫紺の色を生み出している。 その紫紺の中に、一つ、また一つと、星の煌めきが浮かび上がる。もう、この星たちを、幾度見上げたことだろう。

 その美しさに、やや感傷的な思いを抱きながら、天祥は視線を北天へと転じた。


 天の中心に座する指極の星。そこに次第に近づいていく天の闇星。その深紅の輝きは、見る者に例外なく絶望をもたらしていく。その言い様のない重圧に苛まれながら、天祥は心に抱く自らの思いを確認する様に、幾度もそれを反芻していた。


……それでも、私はあなたを守ります。この命に代えても……


 そこに永遠の別離が待っているのだとしても、珀優と公子は何が何でも救ってみせると、心に固く誓う。それが、自分が生きる理由……緑星王を宿している理由に外ならないのだから。





「赤星王が覚醒したというのか……」

 数か月ぶりにようやく河南から戻り、その事実を告げた天祥に、劉飛はただ一言そう言って、絶句した。そこにいた珀優や春明も、言葉も無く、ただ沈痛な面持ちで押し黙っていた。そして又、湖水が河南と手を結び、湊都の崔涼へ資金援助をしていた様だという話に、彼らの表情は更に深刻になって行く。その事実は明らかに、南から嵐が来る事を告げていた。


……戦が起こる。

 そこにいた誰もが、そう感じていた。


 自分たちが、彼方で燻っていた火種に気づかずに、それを見過ごしてしまったせいで、事態は取り返しの付かない所にまで来てしまっていたのだ。

 翠狐という八卦に長けた羅刹の力を持ってしても、この事態を予測し切れなかったのは、八卦師の星読みを撹乱する程の力が存在したからだろう。かつて、討伐の矛先を逃れて行方をくらませた巫族。そして、湖水の瑶玲。それらが共に、河南に繋がる存在であるのだとすれば、説明が付く。


 その重苦しい沈黙の中で、しかし劉飛の頭は、すでに戦の為の兵力の勘定を始めていた。都に残る皇騎兵軍と車騎兵軍。それに西畔の車騎を呼び寄せれば、兵力としては、ほぼ互角。しかし……それは、星王という人外の存在を考慮に入れずに考えた場合だ。


 赤星王という存在は、それ程に大きい。八卦の術によって、一時的に封じることは出来るらしいが、それも運が良ければという条件付きだ。万が一の時は、自分が橙星王の力をもって、これを抑え込まなければならないだろう。その力を……そう、虎翔の力を。


 麗妃の忘れ形見の息子、虎翔。

 赤星王の覚醒によって、ようやくその消息が判明したというのも、彼にとっては実に皮肉な話であった。

 未だ見ぬ我が子。虎翔は一体、どんな若者に成長したのだろうか。そう思うと感慨深いものがある。しかし、その命を、この手で断ち切る事になるのかも知れない……或いは、その逆であるのか……そう思うと、その心中は複雑に揺れ動く。


……私たちの息子を、虎翔を頼みます……


 そう告げた麗妃の声は、未だ記憶の中に鮮やかに残っている。自分は覇王になるという橙星王との盟約を果たす為に、その約束を破るのか。それとも、盟約を反故にして、自らの生に終止符を打つのか。 運命が彼に進む事を許す道は、果たしてどちらなのか。


 劉飛はそんな事を思いながら、ようやく口を開いた。

「河南に皇騎の半数を置いたままなのは痛いですが、それでも兵力は、ほぼ互角。この燎宛宮に本陣を置き、守備を固めれば防げぬ数ではございません」

 劉飛の言葉に、その場の張り詰めた空気が少し緩んだ。

「それに、河南には劉朋がいます。どうやら、劉朋は、赤星王を牽制すべく河南に送り込まれた様ですしね」

「天界四方将軍が動いているという話でしたか」

 春明が確認する様に聞いた。

「ええ。実は朱凰がそれであった様で、先刻、そう打ち明けられました。彼らは、赤星王の宿主を覇王とすべく動いている。だから、出来れば戦わずに降伏しろと、そう言われましたよ」

 劉飛が口元に、皮肉めいた笑みを浮かべながら言う。


「……しかし、それでは」

 春明が言い淀んで、言葉に詰まる。降伏するという事は即ち、皇帝の命を差し出すという事ではないのか。

「勿論、その様な事をする訳には参りません。ご安心下さい。陛下はこの命に代えましても、必ずお守り致します」

「劉飛……」

 それまで考え込むようにして押し黙っていた珀優が顔を上げた。

「雷将帝という存在は、今、この帝国に本当に必要なものだと思うか?」

 その突然の問いの真意を測りかねて、劉飛は珀優を見据えた。


 珀優はその考えを整理する様に、思案顔のままで、しかし、自らの思いを何とか伝えようと、慎重に言葉を選びながら続ける。

「皇帝を必要としているのは、今や、この燎宛宮という箱の中に囚われた者たちだけなのではないか?自らは何も生み出さずに、国中から富を吸い上げて、それによって生かされている者たちだけなのではないか?」

「陛下……」

「そんなものの為に、この私は、皇帝として存在し続けなければならないのか?戦によって、また奪われて行く、数多の命を犠牲にしてまでも……この私は、そこまでして守られるべき価値のある存在なのか?」

「何をおっしゃられるのです、陛下……」

「私はっ……私には、それ程多くの命の重みを背負って、この先、生きて行く事など出来ない」

「……」

「分かっているのだ。もう、天命は尽きているのであろう。新たな星王が、新たな覇王を生み出す時が来ているのだと。それには、華煌という大きな贄が必要なのだという事も。すでに覆しようのない運命の為に、悪あがきをして、失う必要のない命までも失う事はない。この私、雷将帝の命一つで、全ての片が付くというのなら、それで構わないではないか……私は……」

「待って、珀優」

 傍らでその言葉を聞いていた春明が、泣きだしそうな顔をしてその言葉を遮った。


「私たちは、これまで色々な事を共に乗り越えて来たではありませんか。此度も、きちんと考えれば、きっといい方法が……」

「姫貴妃、そなた達には色々と助けて貰った。それには感謝している。だが、誰が何と言おうと、紛れもなくこの私が皇帝なのだ。最後の責任は、他の誰でもないこの私が取らなければならない。この華煌が滅びるというのなら、私は、この国に殉じなければならない。それが、皇帝の冠を戴く者としての責務だからだ。それが、皇帝であるという事なのだ」

「しかし、今のあなたは、華妃でもいらっしゃるのですよ」

「そうだな。情けない事だが、私はもう、一人では、雷将帝として存在する事もできない。この身に、影を伴わなければ、もう。……済まない、天祥……」


 珀優が、真摯な瞳で天祥を見据えた。

「……共に、死んでくれるか?」

「今さら、何をおっしゃられるのです。私は、あなたの影なのですよ。離れようがないじゃないですか……何時いかなる時も、きっとあなたと共にいます」

 言って、天祥が珀優の身を抱き寄せた。


「私だけ仲間外れだなんて、酷くはありませんか、陛下。お二人がそのお積りなのでしたら、私も……」

 春明の抗議する言葉に、珀優が頭を下げた。

「姫貴妃、済まないが、そなたにはやって貰わねばならぬ事がある」

「何なのです?」

「星天公子の事を、頼まれてやってはくれまいか」

「……陛下」

「そなたにしか頼めぬ。だからどうか……」

 珀優のその言葉に、春明は溢れ出す感情を抑えきれずに、涙を落した。他でもない、珀優の頼み事だ。無下には出来ない。それでも、自分だけ違う方へ行く道を示された事は、寂しく、そして悔しくもあった。

「……分かりました」

 流れ出す涙を押し殺して、春明は震える声でそれだけを答えて、頭を垂れた。だが、その心は到底納得してはいなかった。


 珀優の言い分に、劉飛も又、複雑な顔をしていた。本当にそれでいいのか。そんな思いでふと巡らせた視線が、彼を見据えていた春明のそれとぶつかった。その瞳は、何か別の強い意志を込めて、劉飛を見据えていた。

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