第29章 海州の元帥

第124話 揺らぐ赤光

 河南城の領官の執務室では、杜狩が腕組みをして難しい顔をして座っていた。その机の前には、椅子が二つ並べて置かれており、そこに彼の二人の息子、杜亮と杜陽が神妙な顔をして腰掛けている。

「全く、お前という奴は、しばらく大人しくしていたと思ったら、このザマか」

 杜狩が吐き捨てる様に言い、杜陽がそれを甘んじて受ける様に、無言のまま、床に目を落とした。


 記憶には無かったが、自分はどうも、酔った上での狼藉では済まされない程の大それたことをしでかしたらしい。よりによって、皇帝陛下の寝所に侵入し、そこに火を放ったのだという。それが本当なら、万死に値する程の罪だ。

「杜亮……」

「はい」

 名を呼ばれて、弟の様子を気遣う様にそちらに視線を向けていた杜亮が、父の方に向き直る。

「劉朋殿は、どうしている?」

「はい、皇騎の司令官室に待機頂いております」

 待機、とはいっても、実質それは軟禁と変わらなかった。とりあえず、外部と連絡を取られては不味いので、念を入れ、巫族の匠師を見張りに付けている。それでも、劉朋がその気になれば……つまり、蒼星王の力を使えば、匠師といえど、それを止められるかどうかは分からない。



 昨夜、この城から逃げ去った雷将帝と皇騎の司令官朱凰を、彼らは結局捕まえる事が出来なかった。あれが、緑星王と朱雀だったから、という事もあるのだが、それよりも、皇騎兵軍元帥の姫英が、都へ向かう途中の岐山に演習という名目で駐留していた事が、彼らを取り逃がした最大の要因だと思われた。


 その動きを、自分たちは把握していなかった。それはまさに迂闊だったとしか言い様がない。結果、彼らはすんでの所でそこへ逃げ込み、匠師たちは、その追跡を断念せざるを得なかったのだ。

 姫英は恐らく、演習に名を借りて皇帝を迎えに来ていたものと思われた。つまり、こういう事態になる事を燎宛宮はある程度、予測していたという事なのだろう。そもそも行幸に元帥ではなく、その副官である朱凰が付いて来たという辺りで、訝しむべきだったのだ。燎宛宮にはやはり、腕の良い八卦師がいるものだと思う。



「……こうなっては、気掛かりは燎宛宮がどう動くかだが……」

 杜狩が様々に考えを巡らせながら、それを整理する様に口に出した。

「戦になりましょうか?」

「分からぬ。取り敢えず、私の辞意をしたためた詫び状を持たせた使者を遣わせたが、私の首だけで済む話とも思えぬしな」

「もし、兵を差し向けられた場合は、戦うのですか?それとも、向こうの言いなりに城を明け渡すのでしょうか?」

「私は、この河南を預かっている身に過ぎぬ。それを決めるのは私ではない。湊都そうとの周藍様にお伺いを立てねばならぬ」


 それは又、時間の掛る話だと杜亮は思う。

 燎宛宮が動くのと、周藍からの指示が届くのと、どちらが早いのかで、河南の行く末が決まるというのに。

「普通の使者では、時が掛かり過ぎるでしょう。私の匠師を一人、湊都にやりましょう」

 杜亮がそう提案すると、杜狩は頷いた。しかし、周藍であれば、この事態をもう把握しているだろう。何かあれば、あちらから連絡が来るだろうとも思う。


「ともかく今は、出来る事をしながら待つしかあるまい。……それと、例の、湖水との同盟の話だが、瑶玲殿からは、こちらへの協力は惜しまないとの返答を頂いた。その為に、黒鶯殿は、しばらくこちらに滞在する予定であったのだが、あの様子ではどうにも動けまいな」

 いらぬ憶測を生まぬ様にと、瀕死の重傷を負った黒鶯は、密かに杜家の屋敷に運んだ。この件に、黒鶯は、即ち湖水は無関係。全ては、杜陽の独断の凶行であったという事で、杜狩は押し通すつもりだ。


 その黒鶯は、あの場に緑星王が居合わせた事で、辛うじて一命を取り留めた。今は、冬位に治療に当たらせている。片腕を失ったのだ。動ける様になるまでに、どれほどの時間が必要なのか、見当も付かなかった。

「杜陽」

 厳しい色を帯びた声で父に名を呼ばれ、俯いていた杜陽が、弾かれた様に顔を上げた。

「あれだけの事をしでかしたのだ、燎宛宮から沙汰のあるまで、しばらく牢に入っていろ」

「はい……」

 杜陽は申し開き一つせず、神妙に頭を下げた。




 父に言われて、杜亮は杜陽を伴い、城の地下牢へと下りた。今度の事は、余程、身に堪えたのだろう。先程からずっと、杜陽は、深刻な顔をして押し黙っている。そして、促されるままに、大人しく牢に入った。

「杜陽……」

 錠を下ろしながら、杜亮が声を掛けると、牢の薄闇の中から、杜陽は生気のない目を向ける。

「しばらくの辛抱だ。お前は、何も悪くないのだから……そう気に病まずとも良い。父上も、立場上、こうするしかなかったのだ。なるべく早く、ここから出られる様に手配をするから、今はここで、大人しく待っていろ」

「兄貴……俺は……」

 杜陽は何か言いたげな表情をして、しかし考えが纏まらないのか、苛立った様に唇を噛む。赤星王の覚醒を、八卦によって無理やりに抑え付けられているのだ。どうにも釈然としない思いを抱えているのだろう。だが、それが何なのか分からず戸惑っている様が、手に取る様に伝わって来た。


 そんな杜陽を哀れに思い、杜亮は口を開く。

「杜陽。お前は、いずれ大きな力を手にする」


 八卦を学んだ兄は、時折、こうした予言めいた事を言う。いつもは、そんなものは迷信だと、歯牙にも掛けない杜陽であったが、今はその言葉に縋る様に、耳を傾けていた。

「その力は諸刃の力だ。その力を御する事が出来なければ、お前はその力と共に滅する事になろう。強くなれ、杜陽。何ものにも動じぬ様、何ものにも傷つけられぬ様……そんな強き心を持て」

「強き心……」

「そうだ。さすれば、お前の前に道は拓かれよう」

 その言葉をしっかりと受け止める様に、杜陽は頷く。そして牢の奥に戻り、そこに腰を下ろして、心の平静を取り戻そうとする様に目を瞑った。 杜亮の見ている前で、その身が僅かに赤い光を帯びる。しかし、その光はそれ以上強くなる事はなく、牢は薄闇の支配する静寂の世界へと戻っていった。

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