第27章 集うものたち

第116話 巫族の匠師

 闇の中に、四神しじんの幻影が踊っていた。

 朱雀の羽ばたきに煽られた玄武が転がされて闇へ吸い込まれると、すかさず白虎の牙がその羽を喰い破り、これをまた闇へと返した。 しかし、その白虎の体には、機を窺っていた青龍が巻きついて、あっけなくこれを粉砕した。


……四神遊び……?……


 未だぼんやりとしている頭で、杜亮はそう思う。それは、八卦の修行を始めて日の浅い子供たちが、己の力の優劣を競う時にする遊びである。自身の気を集め、四神の幻影を作り出し、その幻影同士を闘わせる。その勝敗は、主に、術者の気力の差によって決する事が多いのだが、時に、うまく相手の隙や弱点を突いた方が勝つ事もある。


「くそ〜っ、負けたっ。春位しゅんいはずるいんだよ」

 白虎を操っていたらしい少年が、不満げに零すのが聞こえた。

「最後に来ておいしいトコ取りって、相変わらず陰険な勝ち方するよな」

「陰険って、酷いなあ。戦略的って言ってくんない?」

 春位と呼ばれた少年が、そう言って低く笑う。

「でも、勝ちは勝ちだからね。僕が最初ってことで」

 その言葉と共に、闇に、ぽうっと橙色の炎が灯り、その空間を照らしだした。



 その光を眩しそうに目を細めて見上げた杜亮は、そこに自分とさして変わらない年頃の、四人の少年の姿を認めた。

「ああ、目ぇ覚ましちゃってるよ。もっかい眠らせる?春位」

 一番背の低い小柄な少年が、すぐ隣にいる少年を見上げて聞く。

「別に、いいんじゃない。起きてても、支障はないし」

「でも、寝てた方が痛い思いしなくて済むからさ」

冬位とういは優しいんだな」

「いや、悲鳴とか上げられると、嫌だから。俺、ああいう声、苦手なんだよね」

「そっちの隅で、耳ふさいでりゃぁいいじゃん」

「そんな事しても、聞こえるって」

 冬位と呼ばれた少年が苦笑した。


 和気あいあいとした雰囲気の中、にこやかに交わされている会話であるが、しかし、その内容は、杜亮には心穏やかでない内容である。もう、あからさまに身の危険を感じる。 無駄だとは分かっていても、後ろ手に縛られた格好のまま、思わず体が身をよじって彼らから遠ざかろうとする。


「怯えてるよ、こいつ」

 先程、春位と呼ばれた少年が、杜亮の傍らに来て片膝を付き、嘲笑するような笑みを浮かべた顔を近づけた。

「春位の、その顔が怖いんだよ」

「お前が言うか?夏位かい

「顔の造作の話じゃなくてね、物凄い極悪人みたいな顔になってるっていう意味だよ」

 夏位が口の端を僅かばかり上げて答える。

「何でもいいから、とっとと済ませろ、春位。後がつかえてるんだ」

 夏位の横で、もう一人の少年が少し苛立ちを込めた言葉を投げる。

「僕が最初にやるって事は、後なんかないって事なんじゃないの?秋位しゅうい。僕が選ばれるに決まってんじゃん。お前、だからそんなに苛々してんだろ」

「誰がだ。いいから、早くしろ」

「全く、せっかちだね、秋位は……」

 言いながら、春位が杜亮の方に向き直る。春位の右手が、杜亮の肩をぐいと掴んで、その身を強引に自分の方に引き寄せると、耳元で囁く様な声で言った。

「ごめんね、少し、痛いかもしれないけど……」

 その言葉と共に、もう一方の手が杜亮の胸にすいと当てられる。服の上からでも、その手の氷の様な冷たさを感じて、否応なしに杜亮の鼓動は早まっていく。


「……一体、私に何を……」

 恐怖に掠れた声で、ようやくその言葉だけを発した杜亮に、春位が冷酷な笑みを浮かべる。

「そうだよね。理由ぐらいは知りたいよね。君のお母さんが、僕達の大事なものを持っていっちゃったから、それを返しに貰いに来たんだよ」

「……大事な……もの?」

「そう、巫族かんなぎぞくの宝珠をね」

「宝珠?」

「君が女の子なら、もっと簡単に返して貰う事が出来たんだけど、君は男の子だから、僕達、他に方法を思いつかなくて。でも、返して貰わないと、僕達も困るから。 だから、もしこれで命を落としたりしても、恨まないでよね」

「……わ、私は……そんなもの知らない……からっ……」

「そんな事はないよ。ちゃんと、ここにあるじゃない」

 そう言って、杜亮の心臓の上に置いていた掌に、春位はぐいっと力を込めた。


 刹那、あり得ない程の激痛に襲われて杜亮は断末魔の様な声を上げた。思わず顔をしかめて両耳を覆った冬位の見ている目の前で、そんな事を気にする風もなく、 春位は、その手を杜亮の体へゆっくりと沈めていく。

 筆舌に尽くし難い激痛と、体を、異物に侵食されるおぞましい感覚に、杜亮の意識はあっさりと飛ばされた。



 その気配を確かに感じるのに、泳がせた指は、それを捉まえる事が出来ない。指を伸ばすと、何かフサフサとした柔らかいものに絡まって、行く手を阻まれる。 春位は、いつの間にか唇を噛み、額には汗を滲ませていた。


……どこにあるんだよっ?……


 体の内を探る指の動きが、その苛立ちのあまり、次第に雑に乱暴になっていく。そこでポンと肩を叩かれて、春位は我に返った。

「時間だ。これ以上やったら、やばい」

 背後から秋位にそう言われて、春位は舌打ちをする。思い通りに事が運ばなかった事が、相当に不本意だった様で、春位は憮然とした顔をして杜亮の体から手を引き抜いた。その指に、何か絹糸の様な白いものが絡みついていた。それに目を止めて、秋位が声を掛けた。


「おい、春位。お前、それ……」

 言われて春位が自分の手を見る。

「毛……だな。フサフサの正体はこいつか」

「心臓に毛が生えてるって奴?」

 冬位が興味深そうに覗き込む。

「んな訳あるかよ。こいつ、体の中に、何か飼ってやがる」

「そいつは、凄い」

 夏位が小馬鹿にした様に失笑する。

「いや、満更でもないぞ」

 秋位が春位の手に付いた毛をひょいと摘み上げて、見分しながら言う。

「これ、白虎の毛かも知れないぞ」

「白虎……って……四方将軍の?」

「地上に降りてるって噂は聞いた事あるけど、まさか、こいつがその、ご本人様?」

「……かも知れない」

「……って、どうすんの、これ?」

 意識を失って、床に転がったままの杜亮を見て、四人はそれぞれにため息を漏らす。


「白虎と相性のいいとこで、秋位、お前、もう一度やってみる?」

 春位が難しい顔をしている秋位を促す。

「俺が宝珠を手に入れたら、俺が族長って事になるけど?」

 秋位が、わざとらしく不敵な笑みを浮かべる。

「巫族存亡の危機だからな、背に腹は代えられない」

「おお?大人的発言だな、春位」

「ていうか、やれるもんなら、やってみなって事だよ」

「……今日は止めておこう。殺してしまったら、元も子もない」

 秋位のその言葉を合図に、夏位がそこに浮いていた炎の塊を手に掴んだ。それをそのまま軽く握りつぶすと、夏位の指の間から火の粉がぱらぱらと零れ落ち、空気に溶ける様に、すうっと闇に消え落ちて行く。 そしてそこはまた、闇に閉ざされ、彼らの気配もまた、何処かへと消えていた。



……だから、お前一人に押し付ける訳じゃなくてさ。何かあれば、俺達だって勿論手を貸すし。別に、何をしろっていうんじゃないから。 ただ、お前が傍にいてくれれば、赤星王の封印も簡単には解かれないだろうから……



「だったら、私ではなく、朱雀でも構わないじゃないか」

「いや……あれはもう、とっくに、橙星王を追っかけて行っちゃったんで……」

「私は何もしないぞ。仮に、あれが暴走しても、手は出さない。それでいいんだな?」

「もう、そこに居てくれるだけでいいから、さ……」



 そこに居るだけで、か。……嫌な事を思い出した。

「……くそっ……余計な事を」



 闇の中、杜亮は横たわったまま、僅かに身じろぎをした。胸にはまだ痛みが残っていて、息をするのもままならない。だが、封じられた記憶の再生と共に、彼の体の中で、その痛みを和らげる力が働き出していた。巫族の宝珠を宿していたお陰で、折角忘れていたのに。また、その宝珠のお陰で、使命を思い出させられたというのも、皮肉な巡り合わせだ。


「……でもないのか」

 側に感じた気配に、杜亮は顔をしかめる。

「また、そんな顔をして。たまには笑顔で出迎えてくれよ」

 闇の中から、馴染みの声が聞こえてきた。

「私にとって、お前は、いつも厄病神だからな、玄武」

「こちらでは、黒鶯って事で、一つ。思ったより元気そうだな」

「お前が言うか。死ぬ様な目に遭わせておいて。巫族の匠師を焚きつけたのは、お前の仕業だろう」

「いや〜だって、そろそろ仕事して貰わないと、こっちも困っちゃうからさ〜。白虎ちゃん、お寝坊さんだから、ちょっとばかり、お仕置き」

「後で、殴らせろ」

「ならば、使命を果たせ」

「そこに居るだけでいいと言っただろう」

「言葉の解釈が、微妙にずれている様だな。とは、赤星王の傍らの意だぞ。それが、杜家の屋敷で昼寝とは、全く、いい御身分じゃないか」

「……」

「奴はもう、じきに目覚める。片時も目を離すな」

「仮に目覚めても、私には、何も出来ないぞ」

「朱雀をそちらにやる。だからそれまで、奴を見失わない様に、しっかりと見張っていろ」

「……分ったよ」

 溜息交じりに答えると、僅かに嘲笑を含んだ空気を残して黒鶯の気配は消えた。



 ここまで来たのなら、ついでに助けていってくれても良さそうなものだ。などと思いながら、肉体の疲労回復を優先させているらしい杜亮の体は、又、眠りに落ちて行く。


……巫族の宝珠……


 それは彼らの八卦の力の源となるもの。そして、一族を守るもの。春夏の位を持つ匠師の中で、それを手に入れた者が、次の族長になる。とか。

……そんな話だったか。

 母は、その宝珠を守る巫女だった。だが、父と出会って、巫女の役目を放棄した。そして宝珠は、その子である自分に引き継がれたのだ。ならば私は、その宝珠を守るべきなのではないのか。母が捨ててしまった巫族の為に。その力を、守るべき……なのではないだろうか……


……私の居るべき場所は……

 闇に頼りなくたゆとう心は、未だその行く先を見つけられないでいた。

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