第23章 風を起こす者

第98話 天翔族の長

 砂丘の彼方に、陽炎が揺れていた。その向こうに黒く地平を縁取るものは、鳳凰山系の山並である。その頂きを白く染めていた雪の気配はもうない。季節はすでに、春と夏の挟間に入りかけていた。 その山際に、僅かに緑に光る土地が見える。そこが、彼が目指す場所だった。


 帝国の西の端。

 西畔せいはんという名のその街は、帝国屈指の商都である。


 そこは豊かな水をたたえる秋白湖に隣接し、食糧なども溢れていると聞く。 それが本当なら、彼にとって、そこは実に夢の様な場所だった。

 彼、駛昂しこうは、肩越しに振り返り、自分に付き従う、騎馬の一団を確認する様に見ると、声を上げた。

「野郎ども、行くぞっ」

 そう言って、あぶみを蹴って走り出した駛昂の背中に、仲間のときの声が続く。一族の長として、飢えに苦しむ民の為に、その夢を取りに行く。

 ただ、それだけを考え、駛昂は馬を走らせた。



 駛昂は、かつて、始皇帝の外征によって、砂漠の果てに追いやられた騎馬の民、天翔族てんしょうぞくの末裔である。豊かな帝国から弾かれた彼らは、痩せた土地で、馬や羊を養いながら、細々と暮らしていた。 それでも、この世に生を受けてから、ずっとそこに生きてきた駛昂には、それが当たり前の生活で、そういうものなのだと思って生きてきた。


 だが、この十年程の間、彼らが遊牧をしていた牧草地は、砂漠の侵食によって、牧草の生育が悪くなっていた。そのせいで、家畜は少しずつその数を減らしていた。その上、日々の糧を得るだけの、帝国との僅かな交易に、信じられない程の税が上乗せされた事もあって、彼らの生活はみるみる困窮した。


 そんな生活の中で、族長が病などで相次いで倒れ、まだ二十四という若さの駛昂が、一族の長となった。 そして、一族の現状を知れば知るほど、死と隣り合わせた様な自分達の生活に、不条理なものを感じた。天の不平等を感じた。やがて、その思いは、一つの考えを導き出す。 足りないものは、奪えばいいのだ、と。


……多くの物を持つ者から奪って、何が悪いのか……


 かつて、そこは自分達の土地だった。

 力で奪われたものならば、力で奪い返す。

 そう決心した時に、心の奥で声が聞こえた。


……お前がそう望むなら、私はお前に風の司の力を貸そう。お前の民を救う為の力を……


 その声と共に、勇猛果敢な騎馬民族の血が、体の奥底から蘇ってくる気がした。天は我らを見放してはいなかったのだ。この自分は、天に選ばれたのだと。そう思った。 そして、自分は、何か人外の力を手にしたのだという高揚感に包まれた。何者にも負ける気がしなかった。


……そして、西畔攻略戦が始まった。




 西畔という街は、帝国有史以来、特にその初期には、度々異民族の襲撃を受けていた。始皇帝の時代に、力でねじ伏せた数多の民族の、その残党がまだ多く残っており、それが数を集めては、 繰り返し襲撃をしてきたのだ。故に、この街は当初から、城塞都市として作られた。街は堅固な城壁に囲まれており、基本的にその出入りは西と東の二か所の城門からしか出来ない。


 西側は、鳳凰山系へ続く交易路の出発点であり、東側は、帝国内に張り巡らされた街道の一つ、西街道の終着点である。 他に、秋白湖から船舶で乗り付けるという手もあるのだが、湖の水中には何らかの仕掛けが施されており、容易には近づけない様になっているという話である。



 現在、この地の行政官である西畔領官を務めているのは、車騎兵軍元帥でもある璋翔である。

 車騎兵軍は、通常、その半数が都に駐留し、半数はこの西畔に駐留しているのだが、生憎、その西畔駐留軍は、河川の増水によって起こった洪水の後始末に駆り出されており、 街には僅かの兵しか残っていなかった。

 かつて、この西畔を攻略した経験のある璋翔である。この街の長所短所は知り尽くしている。よって、一番被害を少なくする方法として璋翔が選んだのは、城門を堅く閉ざし籠城するという方法だった。半月も待てば、急を知った劉飛の皇騎兵軍が救援にやってくる。そのぐらいの籠城ならば、別に痛くも痒くもなかった。


 敵は西側に少しの見張りを残し、その主力は東側の街道付近に陣取っている。騎馬のみの軽装部隊だが、時折、近くの村に押し入っては、食糧の調達などを行っている様だった。 抵抗せずに、物資を引き渡せば、村人の命は取らないというから、北方の蛮族としては、大人しい方である。

 試みに一度、兵を出してみたが、統率の取れた無駄のない動きは、璋翔を大いに感服させた。そして何より、その頭領と思われる若い男の剣技はなかなかのもので、これ又、大いに璋翔の気を引いたのである。

「あれを、劉飛とぶつけてみたら、どちらが強いか見ものだよな……」

 実は、そんな事を思ってしまったから、余計な手出しはしない事に決めたのだ。そして、今は、義理の息子の到着を楽しみに待っている璋翔である。




 さて、この半月の間。鳳花ほうかは毎日の様に、城門の物見台に上っていた。

 そこからは、街道の上に陣取る騎馬族の天幕が見える。 馬に乗り、風の様に現れた彼らは、この半月の間、近在の村々で略奪を行い、様々な物資を調達して、この場所にちょっとした野営地を作り上げてしまった。 それもこれも、叔父である璋翔が呑気に構えて、彼らをのさばらせておいたせいだ。

 こちらからは手出しをしないのを見越してか、無防備な格好で城壁のそばまでやってきては、 見張りの兵を冷やかしていく者共もいる。特に、鳳花が姿を見せる頃合いになると、そういう輩が多くなるのは気のせいだろうか……


 実は、駛昂の陣では、毎日決まった時間に、物見台の上に姿を見せる美少女の事が噂になっていた。子供が鎧を纏い、あんな所で何をしているのか。 という辺りが発端で、よくよく見れば、あれは女の子ではないかという話になり、一体、どこの誰なのかという事で、兵たちの話題をさらっていたのだ。 だがら、鳳花を見物しようと、城壁に近づいてくる輩の数は、日々増え続けていた。


 当然、鳳花にとってみれば、それは甚だ面白くない仕儀である。誰よりも先に、劉飛の姿を見つけようと思ってここに来ているのに、こんな風に野次馬に寄って来られては、感動の再会も台無しである。 更に、彼らから下卑た言葉を投げ掛けられる到って、鳳花の不満が爆発した。


「……一年ぶりに、愛しいお方にお会いするというのに、全く、いい加減になさいませっ」

 周りに聞こえない様な小さな声で、毒気のある言葉を吐き出すと、鳳花は徐に、片足を城壁に乗せた。それを何事かと見る見物人に向かって優雅な仕草で弓に矢をつがえ、思い切りよく矢を射った。


 その矢は、少女の手から放たれたとは思えない程、勢いがあり、風を裂く不気味な音を伴って、兵士の中に飛び込んだ。その刹那、そこに紫色の光が生じた。

「……何?」

 訝しむ鳳花の眼下で、蜘蛛の子を散らす様に、兵が逃げ去っていく。そこにいるはずの哀れな生贄の姿はなく、矢は大地に深々と突き刺さっていた。

「まさか……外した?この私が……」

 呆気に取られる鳳花の前に、弓を手にした若い男が一人進み出て、地に刺さったその矢を抜いた。

「随分と、お行儀の悪いお姫様なんだな」

 言いながら男は軽く笑うと、その矢をつがえ、鳳花に向けて放った。


 通常なら届くはずのない距離である。だから、鳳花も油断した。 だが、途中で失速して落ちて行くはずの矢は、不意に紫色の光を帯びると、勢いを増しながらこちらに向かってきたのである。避け切れないと思った瞬間に、馴染みの声が聞こえた。

「九方包囲、光樹の陣っ」

 眩い閃光の中、鳳花は腕を引かれて、物見台の上に引き倒された。

 頭上で何かが炸裂する音がして、間を置かず、自分の傍らに、石を穿ちながら、矢がめり込んた。

「……ふざけるな」

 鳳花が怒気を含んだ声で言う。

「相変わらず、無茶なさいますね、鳳花さまは」

 苦笑いをしながらそう言った翠狐すいこに、鳳花は掴みかかる。

「八卦師の防御陣を砕き、城壁を穿つ程の威力って、ありえないだろうっ」

「つまりは、人ならざるものの力ってことでしょう。この国じゃ、珍しい事ではありませんて」

 かくいうこの翠狐も、羅刹という冥府の住人である。今は劉飛の元で八卦師として仕えている。

「あの光を見たか?あれは、星王の力だぞ」

「……ええ、まあ、恐らくは、紫星王しせいおう様のお力でございましょうね」

「おのれ、それでか。たかが北方の少数民族が、堂々とこの国に乗りこんで来たのは……ふざけおって、これでは約束が違うではないか。行くぞ、翠孤」

「はい?」

 鳳花は翠狐の腕を掴み、物凄い勢いで、物見台を下りて行く。

「ちょ、ちょっと。私は、劉飛様のお使いで、璋翔様へ伝令を」

「そんな事よりも、こちらの用件が先じゃ」

 鳳花にぐいぐいと引っ張られて、翠狐は建物の陰に連れ込まれた。

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