第99話 天界四方将軍

 鳳花に命じられるまま、地面に方位陣を描き、翠狐は目を閉じて意識を集中する。そして目を閉じたまま、手のひらを上に向ける……


 と、そこに黒い闇が生じ、その闇の中から銀色の光の筋が伸び始める。その筋は、お決まりの図形を描き、程無くそこに占術盤を浮かび上がらせた。興味深そうに見ている鳳花の前で、翠狐は更に何かを念じながら意識を研ぎ澄ます。 見る内に、その盤のひと所に、青い星粒が生じて輝いた。


「……ここから北東の最果さいはて。砂宛さえんのはずれ……の、北境ほっきょう。その闇深き所」

「北境というと……流刑者の牢のある、あの北境か」

 そう呟くと、鳳花は、方位陣に足を踏み入れた。そして、催促の声を上げる。

「早うせい、翠狐」

「まさか、鳳花様がお出ましになられるので?」

 翠狐が困惑した顔をする。

「当然じゃ。この手で奴をどつき倒してやらねば、腹の虫が収まらぬ故な」

 溜息を付いて翠狐は、鳳花の傍らに立つと、腰の剣を抜き、地面に突き立てた。

「飛空術、我指すは、指極しきょくの方。青龍の青玉の眠る所……」

 風が頬を掠め、次の瞬間には二人は、もう闇に閉ざされた黴臭かびくさい場所に立っていた。



「何じゃ、この匂いは……」

 途端に鳳花が不快な声を上げる。

「ここは牢獄の中でございますよ。鳳花様は、夜目がお利きではないのですか?」

「見えるから余計に、不快なのじゃ」

 不機嫌そうに言い捨てて、鳳花は目的の場所へ真っ直ぐに歩いていく。そして、一番奥の牢の前に行きつくと、中にいる者に向かって呼びかけた。


「貴様、いつまでのんべんだらりと、この様な所で眠りこけておるつもりじゃ、さっさと起きろっ」

 だが、その声に返事はなく、僅かに困惑を帯びた気配が伝わってくるばかりである。

「起きぬというのなら、この私が叩き起こしてくれるぞ」

 鳳花がそう言い放ち、両の手を向かい合わせる様にして、前方に突き出すと、そこに閃光を生じながら、炎の玉が現れた。その光に照らし出されて、牢の中にいたものがたじろぐ様が見えた。 だが、鳳花は何のためらいも見せずに、その炎を牢内目掛けて投げ込んだ。果たして、次の間……

 牢内に派手な水しぶきが上がり、それが鳳花の炎とぶつかって、そこに大きな音を伴って大量の蒸気を生じさせた。


「折角、その様に可憐な娘の姿形で生まれたものを、がさつな様は相変わらずか、朱雀すざく

「余計なお世話じゃ。そなたがこの様な所で油を売っておるから、我らがこうして出向く羽目になったのだぞ、もう少し殊勝な態度を見せたらどうなのじゃ、青龍せいりゅう

「……それで、今更、この私に何をせよと?」

「紫星王のお守りは、そなたの仕事、という事で我ら天界四方将軍の認識は一致しておる。分かったらさっさと職務を全うせよ」

「やれやれ。地上は未だ、収まらずか」

 男が気だるそうに呟いて、ようやく腰を上げた。


 その男の顔に、翠狐は見覚えがあった。

 かつてこの帝国の宰相までも務めた男、蒼羽そううである。 十余年に及ぶ獄中生活で、やつれた感は否めないが、その双眸そうぼうの鋭さは変わっていなかった。





「面白いお姫様もいたものだな……」

 駛昂は天幕の中で身を落ち着けながら、気づけば物見台の上の少女の事を考えていた。兵たちが食糧調達のついでに聞きこんで来た話によれば、あれは、西畔を治める璋家の次期当主となる娘なのだという。


 璋家といえば、この帝国屈指の大貴族だ。そこの娘だというのなら、もっと上品で淑やかであるべきものだろう。 あれでは、馬を乗り回し、勇猛と言われれば手を叩いて喜ぶ、天翔族の女どもと変わらないではないか。そう思うと、思わず笑いが込み上げてくる。

「……随分と、楽しげでございますね」

 不意に誰もいない所から声が聞こえて、駛昂は思わず腰を浮かせた。目の前に、空気の渦が生じた……と思ったら、もうそこに、少年が頭を垂れて控えていた。


「何者か」

「お初にお目に掛かります、駛昂様。私は、湖水領官遥玲ようれい様の使者として参りました、黒鶯と申します」

「湖水領官?瑶玲?」

 帝国の事情にさほど詳しくない駛昂は、怪訝そうな顔をする。駛昂の中では、湖水と言えば、帝国の遥か南にある一地方ぐらいの認識だ。 そんな駛昂の様子を気にもせず、黒鶯は懐から遥玲の親書を取り出して、駛昂の目の前に差し出した。

「……お前は、八卦師というものか?」

 親書を受け取りながら、駛昂が問う。

「まあ、そんな様なものですが……」

「お前の様な、まだ年端もいかぬ子供がか……」

 この子供も、あの娘も、この帝国には自分の常識では計れない者たちがいるものだ。そんな思いを抱きながら、駛昂は親書に目を通す。


『巨木倒るるに、しばし猶予ありと見ゆ。時を待たれるが得策と存じ奉り候』


「よもや、このまま兵を退けと申すか。笑わせてくれる。縁もゆかりもない、その遥玲とやらの言を、我らが受け入れる道理はないであろう」

「遥玲様は、星見のおさにございます。そのお言葉は、先読みによって紡がれるもの……それを信じる者には、恩恵をもたらすものでございますれば」

「予言とな」

 駛昂が少し馬鹿にした様な口調で返す。相手の反応にはお構いなしといった風情で、黒鶯はただ、淡々と話を進めていく。

「……もう間もなく、皇騎兵軍の先鋒がこの地に到達いたします。皇騎兵軍元帥が直々に率いる、帝国最強の部隊。恐らく、あなたに勝ち目はございません」

「それはどうかな」

 駛昂は、黒鶯に不敵な笑みを見せる。そして力を誇示する様に、その身に紫色の光をまとう。だが、黒鶯は驚きもせず、駛昂を見据えたまま言う。

「どうしても、とおっしゃるのであれば、その力、如何ほどのものか、一度、試してご覧に……」

 話の途中で、黒鶯が不意に言葉を切って、慌てた様子で、辺りの気配を探った。


「やっべぇ……」

 黒鶯が何かに怯える様に腰を浮かせる。

「済みません、じゃ、俺はこれでっ」

 そう言い捨てて、天幕を飛び出そうとした黒鶯の前に、また風が渦巻いて、そこに新たな来訪者を出現させた。男を二人従えた、可憐な少女の姿を見た途端、黒鶯は思わず口走っていた。

「……げっ……朱雀」

 自分の真の名前を呼んだ相手を冷めたい目で一瞥して、娘は、駛昂に向かって、優雅にお辞儀をしてみせた。

「駛昂殿には、ご機嫌うるわしゅう。先程は、ご丁寧な挨拶、痛み入りましてございますわ」

「これは、これは……璋家のご息女様でいらっしゃいますか。しかし、こう次々と……八卦というは、中々面白いものだな」

「こちらにいる玄武げんぶ……いえ、黒鶯とやらの戯言は、綺麗さっぱり無視して頂いて結構ですわ。あなた様には、この私の話をお聞き頂きたく、こうしてまかり越しました」

「それで?お前は俺に、何をさせたい?」

 面白そうな顔をして、駛昂が鳳花を見る。

「このまま、兵をお引き下さい。追撃はいたしません」

「嫌だと言ったら?」

「あなたが意地を張れば、一族の存亡に関わりますわ」

「一族の長として、ここまで追い詰めた獲物を前に、手ぶらで帰れると思うか?」

「お土産が欲しいとおっしゃいますの?」

「まあ、そういう事だな。何なら、お前でも構わないぞ」

 駛昂が鳳花に顔を寄せて囁く。駛昂の言い様に、心持ち鳳花の目が据わる。それを見て黒鶯は、密かに身震いをした。


……おいおい……あれを本気で怒らせたら、とんでもない事になるぞ……


「分りました。そういう事でしたら、あなたには、死んで頂きましょう」

 鳳花が満面の笑みを浮かべて、物騒な台詞を吐いた。

「これはいい」

 駛昂が豪快に笑う。

「おいっ、こやつらを捕らえておけ」

 駛昂の声に、天幕にやってきた兵たちによって、鳳花たちは捕縛される事になった。


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