第100話 乙女の計略

「わざと、捕まりましたね」

 呆れた様な口調で、翠狐が鳳花に言う。

「俺、関係ないのに、何でここにいるんだろう」

 黒鶯がため息混じりに呟く。

「何だ、この状況を楽しんでいるのではなかったのか?」

 横からそう突っ込んだ蒼羽に、黒鶯が不審の眼を向ける。


「……どうでもいいけど、青龍……お前、年齢詐称じゃないのか、あり得ないだろう、その若作りは」

 年齢的にはもう、初老に差し掛かっているはずの蒼羽の姿は、若々しい青年の姿をしていた。

「このぐらいは、大目に見てくれてもいいだろう。何しろ、元帝国宰相ともなると、顔が売れているからな。堂々と歩き回っていては、不味いだろう。 俺の事をとやかく言うなら、お前だって、八卦師ってあり得ないだろう」

「ははは、八卦師だと、何かと便利だからさ〜。裏技使って、力を手に入れたのさ」

「……天才八卦師に黒の宝玉を埋め込んで、その力を複製する……なんて、小賢しい真似は、玄武にしか出来ませんわよね」

 鳳花に刺のある言葉で突っ込まれて、黒鶯は少し傷ついた顔をする。

「……そこまで言う?」

「鳳花様、話をはぐらかさないで下さいよ」

 翠狐が隣から、更に抗議の声を上げた。


「あなたのせいで、劉飛様に、使いも満足に出来ない八卦師だと思われたら、どうしてくれるんですか」

「あら、ご免なさい、翠狐。あなたはもう、帰って構わないわよ」

「あの、ですねえ。鳳花様をこんな所に置き去りにして帰ったら、それこそ私の信用問題にかかわるんですっ」

「だったら、これから始まる楽しい催しを、存分に楽しんでらして」

「……何をなさるお積りですか?」

 翠狐が顔をしかめて問うと、鳳花は嬉々とした表情を浮かべる。

「敵の陣に囚われの身になった許婚の私を、今から、劉飛様が命懸けで救い出して下さるのですわっ」

 その両隣で、黒鶯と蒼羽がげんなりとした顔をしていた。

 鳳花の周りの空気が桃色を帯びている様に感じたのは、どうやら翠狐だけではなかった様だ。



 世間では、鳳花は、一応劉飛の許婚という事になっている。だが、当然の事ながら、劉飛は鳳花をそういう対象として見てはいなかった。


 劉飛の心は、未だ、亡くなった麗妃への思いで一杯だった。その傍にいる翠狐には、それが痛いほど分かる。到底、他の女が入り込む余地などなかった。だが、元帥がこのまま独り身でいるのは、如何なものか、という燎宛宮の意向があり、かといって他の女と結婚する気にはなれず……と、その様な状況で、鳳花と結婚する気はないが、余所からそういう話が来ない様に、鳳花という許婚を都合のいい隠れ蓑にしているのだ。鳳花はそれを承知で、劉飛の気持ちを自分に向けようと躍起になっている。


……いじらしい……と言えば、いじらしいのだがな……


 客観的に見れば、中天界の女傑、朱雀に何故か気に入られてしまった劉飛の方が、どう考えても歩が悪い。


……まあ、橙星王が付いているのだから、そう心配する事もないのだろうが……


 それでも何かと心休まらない事が多いのは、自分が心配性だという事になるのだろうか。そう思って翠狐は自嘲した。





 駛昂の天幕の向こうに、劉飛の率いる皇騎兵軍を見つけて、西畔の守備兵は色めき立った。負け知らずの元帥の登場は、それだけで兵士の士気が上がる。 伝令から報告を受けて、物見台にやってきた璋翔は、義理の息子の相変わらずの存在感にほくそ笑む。


 その璋翔の見ている前で、件の駛昂が姿を見せた。鎧を纏った小柄な兵士ただ一人を伴って、皇騎兵軍の隊列に向かって歩いて行く。 残りの兵は、そういう命令を受けているのか、後方に控えたまま動かない。何が始まるのかと、訝しみながら身守っていた璋翔は、ふと、駛昂の連れの背格好に覚えがある様な気がした。

「……まさか、鳳花か」

 あれは、もしかして今朝方から姿が見えない鳳花なのではないか。そう気づいて、璋翔の顔から、血の気が引いて行く。

「何をしているんだ、あのお転婆娘は……」

 劉飛は騎乗したまま、二人が近づいてくるのを待っている。駛昂が鳳花を伴っている事で、動くに動けないという所の様だ。



 敵の若い兵士が一人、鎧を纏った鳳花を伴って、自分の元にやってくる。それが、どういう状況なのか判じかねて、劉飛はただ成り行きを見守っていた。

「劉飛さま、お久しゅうございます」

 そばまで来ると、鳳花が少しはにかみながら、にこやかに挨拶をして寄越した。

「……また、一体、こんな所で何をしているんですか、あなたは」

 少し呆れた様に劉飛が言うと、鳳花が胸を張って答える。

「私、人質になってしまいましたの。ですから、助けて頂きたいのですわ」

「……人質ですか」

 そう言って、劉飛は大きくため息を付く。

「相変わらず、笑えない冗談がお上手なのですね。御覧なさい、物見台の上で、璋翔様が青くなっていらっしゃいますよ」

 肩越しに振り返って、そこに璋翔の姿を見つけると、鳳花は軽く肩を竦めた。その様子を見ていた駛昂は、思わず噴き出した。


「さて、子供の遊びは、これまでにして頂こうか。お前、名は?」

「……駛昂だ」

 鋭い声で訊かれて、駛昂は思わず答えていた。

「では、駛昂とやら、その姫をこちらに返して頂くには、どうすればいい?望みがあるのなら、言ってみろ」

「流石、元帥様ともなると、話が早いな。望みは一つ、俺とお前の一騎打ちだ」

「そんなものでいいのか」

 劉飛が呆れた顔をする。

「こちらのお姫様が、天地がひっくり返っても、この俺様がお前には絶対に勝てないと、そうおっしゃるもんでね」

 劉飛がその言動を責める様な視線を向けると、鳳花はそっぽを向いてしまった。

「……分かった。それでお前の気が済むというのなら、相手になろう」

 そう言って、劉飛は馬を下りた。




 対峙した途端に、今まで温和な印象だった劉飛の気が、急に鋭くなった事に気づいて駛昂は、思わず剣を握り直す。

 その威圧感は、半端ではない。 だが、躊躇う事無く、駛昂は勢いよく切り込んだ。

 何時もよりも、体が軽く感じた。調子は悪くない。いや、むしろいい感じだ。

 続けざまに繰り出す剣戟は、確実に相手の動きを牽制している。 劉飛は、自分の剣を受けるばかりで、攻撃に転じる機を得られないでいる様だ。その動きは無駄がなく、敏捷であったが、駛昂の目はそれを確実に捉えていた。


……勝てる……


 ふと感じた勝機が、心の中で次第に確信に変わっていく。体中の力が集約されて、剣先に集中していく様な感覚を得て、駛昂は獲物を捕らえた剣を、思い切りよく振り切った。 その刹那、捕らえたと思った劉飛の体が、消えた。

「……なっ」

 思わず声を上げた駛昂は、次の瞬間、背後に殺気を感じた。だが、その気を感じるのが精一杯で、それを避ける事は叶わなかった。


……嘘だろう……


 信じられないという思いを抱きながら、駛昂の意識は遠のいて行った。


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