第101話 藪から白羽の矢

 駛昂が目を覚ますと、牢の中だった。劉飛の斬撃を受けて、気を失ったのだろう。そう思って身を起こすと、後頭部に鈍い痛みが走った。思わずそこに手を当てる。 そこに血が流れた後はなく、手に触れたのは、大きなたんこぶだった。その途端、駛昂は、劉飛が手加減をしていたのだと悟った。軽くあしらわれた事に対する、悔しさが心に広がっていく。

「……ちくしょう……何もんだよ……あいつは」

 そのぼやきに答える様に、薄闇の中に、紫色の光が生じて、静かな声が言った。


……あれは、天界の戦司せんし。申し訳ないが、私の力では、あれには勝てない……


「そういう事は、先に言っておいてくれないと」


……私は、そなたの民を救う為の力を貸すと言った。この力は、そなたの力自慢の為に与えたのではない……


「……そうだったな。済まない」


 紫星王に諌められて、駛昂は肩を落とす。自身が向こう見ずなのは、多少なりとも自覚はあるのだ。だが、何かを思い立ち、走り出すと、もう自分でも止める事が出来ない。 何かに憑かれた様に、突っ走ってしまう。その年の頃の者ならば、大方はそんなものだろう。それは、若いという理由で、大目に見て貰える類のものだ。

 だが、自分は族長なのだ。族長がそれでは、大いに問題があるだろう。その暴走の結果、自分はこうして捕らえられ、引き連れて来た仲間たちの安否も定かではないという状況に陥っている。帝国に喧嘩を売ったのだ。勿論、只で済むとは思わない。


……あなたが意地を張れば、一族の存亡に関わりますわ……

……分りました。そういう事でしたら、あなたには、死んで頂きましょう……


 鳳花の言葉が、今更ながら、心に重くのしかかる。

「あ〜もうっ」

 居たたまれなくなって、駛昂は床に拳を打ちつけた。


……そう、悲観するものでもないぞ。あの者は、そなたの元に、青龍を寄越したのだ。ここで、そなたを消そうというのなら、そんな事はすまい……


「……青龍?」


……彼の者はきっと、そなたの右腕となり、その欠点を補ってくれる筈だ……


「俺にもまだ、望みはあると?」


……私を信じろ……


「そうか……分かった。信じよう……」




 駛昂が気持ちを持ち直して、しばらくたった後。彼は、西畔領官、璋翔の御前に引き出された。


 その傍らには、自分を打ちのめした劉飛が立っていた。そして、煌びやかな女人服を纏った鳳花が、その劉飛の腕にしがみつく様にして、そこにへばり付いていた。先刻の鎧を纏った勇ましい雰囲気とは、打って変わった女らしい様子に、駛昂は思わず鳳花をまじまじと見る。と、その鳳花にきつい視線で睨みかえされて、駛昂は慌てて視線を逸らした。


 部屋には他に、鳳花が連れていた二人の男のみが戸口付近に控えているだけで、護衛の兵などの姿は見えなかった。湖水からの使者だと言った、あの少年の姿もなかった。

「そなたが、駛昂か」

 璋翔に問われて、駛昂は頭を垂れて、肯定の答えを返した。そして飽くまでも神妙にしながら璋翔の次の言葉を待った。ところが、次に聞こえてきた言葉は、実に思いがけないものだった。


「うちの娘が迷惑を掛けた様で、済まなかったな」

 今回の暴挙について処断されるものと思っていた駛昂は、思わずぽかんとした顔で璋翔を見る。

「全く、誰に似たのか、お転婆で、私も手を焼いている」

「叔父上様、それはそういう事でございますのっ」

 璋翔の言葉に、鳳花が寸分を置かず噛みつく。

「ほれ、この様に。当人には全くその自覚がないのだから、始末に負えない。そうは思わぬか?」

「は……はあ」

「そこっ、同意する所ではこざいませんわよ」

 鳳花の剣幕に、駛昂は言葉を飲み込んだ。

「こんな具合でな、年頃だというのに、婿の来てがなくてな、ほとほと困っている」

「叔父上様、私は劉飛様と……」

「お前が、そんなだから、劉飛の方も一向にその気にならぬのではないのか」

「だって、それは……」

 鳳花が唇を噛んで言葉に詰まる。その瞳が、悔しさに潤んでいくのを、駛昂は見てしまった。

 自分のそんな顔を見た駛昂を咎める様に、鳳花は彼を睨みつけて、そのまま部屋から飛び出して行った。


「……あんな言い方をしては、鳳花がかわいそうですよ。結婚の件は、私の方がいけないのですから」

 劉飛が淡々とした口調で言う。

「かわいそうとは思っても、それで結婚する気にはならぬのだろう、そなたは」

「……それは、そうですが」

「ならば、口を挟むな」

 そう言われて、劉飛は頭を垂れて口を閉ざした。


「それで、駛昂とやら。そなたに少しでもその気があれば、あれの婿になってはくれまいか?」

「は?……おっしゃる意味が判りかねるのですが……」

「華煌の男どもは、あの娘に恐れをなして、近づこうともせぬ。騎馬の民ならば、ああいう威勢のいいおなごも、珍しくはなかろう? もし、そなたがこの話を受けてくれるのであれば、此度の騒動に関しては、不問に付す、と申しておる」

「……いや、しかし、それは……」

「族長であるそなたの返答一つで、そなたの兵たちの命が救われるのだぞ。悪い話ではあるまい。璋家の婿となれば、この西畔はいずれ、そなたのものだ」

「……」

 駛昂は返答に詰まる。条件は悪くない。処刑されても可笑しくはない状況で、むしろこれは実に魅力的な話だ。 しかし、先刻の鳳花のあの涙を見てしまった後では、この話にすんなりと同意する事に躊躇いを覚えた。

「如何する?」

 璋翔が返答を促す様に言う。

「……」

 族長としては受けるべきなのだろう。だが、そう思っても、駛昂にはどうしても、その答えを言う事が出来なかった。


「……恐れながら、申し上げます」

 不意に、背後から、男の声が言った。駛昂が振り向くと、そこに控えていた男が、顔を上げて璋翔を見上げていた。

「何だ?」

「我が主、駛昂様は、荒くれ者ぞろいの騎馬の民を率いる長であり、豪胆なお方ではございますが、人の心を軽んずるお方ではございません」

「それで?」

 男の言葉を、璋翔は興味深そうに聞いている。

「駛昂様には、鳳花様のご心情を量らずに、この様な事をお決めになる事に、抵抗がおありなのです」

「なるほどな」

「ですから、婿の話は、ひとまず置いて、我らがあなた様に恭順きょうじゅんの意を示すという事で、何卒ご容赦頂きたく存じます」

「……まあ、その辺りが落とし所なのであろうな。世の中、そうそう思い通りには、いかぬものという所か」

 璋翔が苦笑しながら傍らの劉飛に言う。

「璋翔様は、物事を先に先にと考え過ぎなんですよ」

「仕方なかろう。お前を拾った時以来なのだぞ。こんな逸材に出会ってしまったら、手に入れたいと思うのは、当然だろうが」

「はいはい。お察しいたします」

「だが、婿の話は引っ込める積りはないからな。いずれ、色良い返事を期待しているぞ、駛昂」

「……はい」


……もしかして俺、試された……というか、遊ばれた?……


 華煌人は恐ろしい。駛昂が複雑な面持ちで、璋翔と劉飛の応報を眺めていると、先刻の男が駛昂の傍らに近寄って来た。

「……そなた、いつから俺の配下になったのだ?」

 彼はてっきり、鳳花の従者なのだと思っていた。

「あなたに、正しき力の使い方をお教えするのが、私の使命なれば。何卒そのお側にお置き下さいます様、お願い申し上げます」


……彼の者はきっと、そなたの右腕となり、その欠点を補ってくれる筈だ……


「そうか。お前が青龍」

「御意にございます。以後、蒼子羽そうしうとお呼び下さいませ」


 年の頃は、自分とそう変わらなく見えるのに、璋翔に掛けた言葉といい、その落ち着き様は、普通ではない。自分を見据える瞳は、静謐でありながら、その奥に何か、とてつもないものを秘めている。 そんな印象を受けた。自分はまた一つ、天の力を手にしたのか。ならば、自分の進むべき道は、まだ先へと延びて行く。そういう事なのだろう。駛昂はそう思うと、不敵な笑みを浮かべた。




 窓も扉も閉じられて、密室である筈の執務室の蝋燭が、風に吹かれた様に大きく揺らめいて消えた。訪れた薄闇の中で、消えた蝋燭の残した煙が、か細く白く漂っていく。 その煙を目で追いながら、その先に人の気配を感じて、帝国宰相、崔遥さいようは、目を凝らした。闇の中から浮かび上がってくる様に、黒い影がその色を濃くしていく。

「誰か」

 誰何すると、その影は崔遥の間近にまでやってきて、膝を折り頭を垂れた。


「恐れながら、今宵は、あなた様の御命を頂戴しに参りました」

 静かな声でそう言って、その影が顔を上げた。

 少年の顔だった。年の頃は十八、九だろうか。その顔に覚えがある様な気がした。


……昔、燎宛宮で……


 そう思い掛けて、十年以上も前に見たその少年が、目の前にいる少年と同じである筈はないと気づく。

「……わしの命を取って如何する。わしがこの燎宛宮から消えれば、帝国を支える柱を失う事になるのだぞ。……この帝国は滅びよう」

「なればこそ」

「華煌の滅びが望みか」

「大きな力を持つ者同士がぶつかれば、その衝撃は周囲にも大きな被害をもたらします。故に、力を分散し、それぞれがぶつかりあっても、周囲に被害を及ぼさない様にすべきと存じます。 あなた様の力は、燎宛宮の力を大きくし過ぎる。だから、その力を削ぐ為に、その要であるあなた様には消えて頂くしかないのです……」

 少年の声が次第に遠のいていく。


 気がつけば、崔遥は床に横たわっていた。呼吸が少しずつ出来なくなっていくのを感じながら、その口から呟くような声が漏れる。

「……八卦師といえど、人の子。禁忌の術を用いれば、相応の報いがあろうに……」

 そこに、その声を聞く者はもういなかった。


……報い……か……


 自身のその言葉に、崔遥は自分が背負ってきた罪を思い出した。

 自分は、皇帝でない者を玉座に座らせたのだ。華煌という国を生き長らえさせる為に、犯してはならない罪を犯した。

 その償いの時が、今、来たという事なのだろう。そう思いながら、崔遥は大きく息を吐きだした。

 そして、その閉じた瞳が、再び開かれる事はなかった。


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