第118話 進路、決まりました

「無事か?杜亮」

 そう言って、焼け焦げた大地を、自分の方へ歩いてくる人物を見て、杜亮は思わず安堵のため息を漏らした。

周藍しゅうらん様……」

 その後ろから、周藍の姿を見つけた匠師達が、よろめきながらも、慌てて駆け寄って来る。そして、神妙な顔をしてその足元に控え、その言葉を待つ様に、頭を垂れた。

「……周藍様?」

 その意味を問う様に杜亮が名を呼ぶと、周藍が申し訳なさそうに頭を下げた。

「此度の、匠師達の暴挙は、全て、私の不徳のいたすところだ。済まなかったな、杜亮」

「どうして、周藍様が……」

 杜亮の言葉を遮って、匠師の一人が言葉を挟んだ。


「周藍様に非はございません。この度の仕儀、全て、この春位の独断なれば、いかなる責をも負う覚悟でおります。しかし、宝珠の件は……」

「分っているよ、春位。巫族の現状も、全て。それを分かっていながら、放置し、お前たちに不安を抱かせてしまったのは、紛れもなく、族長であるこの私の非だ」

「族長……なのですか?周藍様が巫族の……」

 問うた杜亮に、周藍が頷く。

「巫族は、宝珠を失ってから、その力は目に見えて衰退へと向かっている。華煌の討伐を逃れ、更に山深き場所へ移って後、術師の素養を持つ子供が生まれにくくなった。それ故に、八卦師の数も減り続けている」

「それは、私の母が、巫族を捨てたせいで……」

「それだけが原因という訳でもないよ。だが、此度の暴挙は、それを思い余っての事。本当に、申し訳なかった……」

 杜亮の腕の中で、琳鈴が小さく呻き声を上げたのを聞き止めて、周藍がそこで言葉を切った。


「冬位」

「はい」

 周藍に呼ばれた少年が、琳鈴の首に手を当てて、そこに気を集中させる。すると、琳鈴の呼吸が少しずつ、静かになり、その表情も穏やかになっていく。その様子を見ながら、独りごとの様に、杜亮が呟いた。

「……この宝珠は、どうすれば、巫族に返す事が出来ますか?」

「お前……」

 冬位が驚いた様に杜亮を見た。あんな目に遭わされたのに、こいつは巫族の事を気に掛けるというのか。

「恐らく、今、無理やりに宝珠を抜き取られたら、私は死んでしまうのでしょう。だから、この身を守る為に、白虎の記憶が蘇った。私だって、まだ死にたくはありません。 でも、この身の宝珠が、巫族を救うものであるというのなら、それを返す事にやぶさかではありません。他に何か方法があるというのなら……」

 杜亮が、周藍を見上げた。その思いを確認する様に、周藍が杜亮の瞳を見据える。

「その方法は、とても単純なものだが、とても難しい」

「それは……?」

「お前が、この者たちを、心より信頼し、宝珠を託しても構わないと思う事が出来れば、宝珠は新たなる持ち主を得る事が出来る」

「信頼、ですか」

 杜亮が、そこに居並ぶ匠師たちの顔を順繰りに見る。

「ならば……」

 杜亮が意味ありげな笑みを見せる。

「そなた達、しばらく、この白虎と共に居れ。何しろ、この私は、あの赤星王の供をせねばならぬ故、とかく危険な目に遭う事になろう。 そなた達が、盾となり、身を呈して、私を守ってくれれば、自然と信頼なども生まれようぞ」

 匠師たちは、杜亮の言い様に、互いに顔を見合わせる。そこへ……



「いっ……てててっ」

 周藍の術を受けて、のびていた杜陽が呻き声と共に、意識を取り戻した。思わず身構える匠師達をよそに、そこにいる者たちを一瞥すると、そこに周藍の姿を見つけて、杜陽は心底嬉しそうな笑顔を見せた。

「周藍様っ!」

 そう叫んで立ち上がると、こちらへ駆け寄ってくる。


……赤星王じゃ、ないな……


 そう思った杜亮の思考を読み取った様に、周藍が言った。

「……応急処置だが、一応、深紅の姫は封印したよ。そう、長くは持たないだろうが」

 言い置いて、周藍もまた、杜陽の方へ歩み出す。


 互いに、再会の喜びの挨拶を簡単に済ますと、杜陽はもう、腰の剣を抜いている。 それに苦笑しながら周藍が剣を抜いた所で、澄んだ綺麗な音を立てて剣が交わった。そして、そこに、まるで剣舞の様な華麗な剣戟が展開される。 そうやって、剣で師と言葉を交わす杜陽の表情は、実に楽しそうだ。そんな弟の姿を見ながら、杜亮はまた考えていた。


……あの時……赤星王が生じた隙は……


『コノママデハ 琳鈴ガ 死ンデシマウゾ』


 もしや、杜陽の琳鈴に対する思いが、赤星王に躊躇を与えたのだろうか。


……まさか、な……

 あれはまだ、恋の意味も知らない。

 ああして、剣を手にしているだけが生きがいの様な奴なのだから……





 翌日、杜家の屋敷では、体調を崩して寝込んでいた琳玲の知らない所で、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。


 朝餉の席に、珍しく杜陽が姿を見せた。夜な夜な遊び歩いて、いつも昼過ぎまで寝ている事が多い息子である。楓弥は驚きつつも、慌てて侍女に食事の用意をさせる。

「父上は、今朝はいらっしゃらないのですか?」

 そう聞いた杜陽に、こちらはすでに、ほとんど食事を終えていた杜亮が答える。

「父上は、昨夜は城にお泊まりだ。上の方で、何か急に処理しなければならない案件が持ち上がったらしくてな」

「そうか……それ程にお忙しいのなら、今日はお戻りにならないか」

「父上に、何か相談事でもあるのですか?」

 侍女が運んできた皿を、杜陽の前へ並べながら、楓弥が訊いた。

「ええ、まあ。実は、都の皇騎兵軍へ仕官しようと思うのですが……」


 杜陽がそう言った途端に、杜亮は飲みかけていたお茶を、盛大に噴き出し、楓弥はと言えば、手にしていた皿を派手な音と共に取り落とした。それを見て、杜陽がいささかに顔をしかめる。


「お前、馬鹿も休み休み……」

 侍女の差し出した布で、気まずそうに口を拭いながら言う杜亮に、しかし杜陽は、顔を輝かせて続ける。

「昨日、周藍様と剣を交えていて、思ったのです。河南の外には、きっと、もっと強い者がいる。周藍様と同じ様に、剣で言葉を交わす事が出来る様な者が。 帝国最強と謳われる皇騎兵軍になら、きっとそんな奴がいる筈だと」

「だからと言って、お前、昨日の今日で……第一、父上がそんな事を、お許しになる筈がないだろう」

「お許しが頂けなくても、俺は行く。この河南では、俺は、俺でいる事が出来ない。だから行く。もう決めたのだ」

 杜陽がそう言い切った瞬間、楓弥が、物凄い音を立てて、卓を叩いた。

「なりませんっ。杜家の子息である者が……そんな勝手が許されると思うのですかっ。よりによって、都の皇騎兵軍ですって。とんでもない。そんな事、絶対に許しませんよ」


 母が声を荒げ、取り乱す様というのを初めて見た。

 思えば、幼いころより、小言の類は全て、側仕えの琳鈴から受けていた。母は、息子たちに小言を零す琳鈴を、遠くから穏やかに見守っていただけだった。 もし、琳鈴がいなかったら、あの小言の全ては、母の口から聞く事になっていたのだろうか。などと、杜亮はふと、そんなどうでもいい事を考える。



 もう決めたのだと言い張る杜陽に、それを頑として認めないと言う母。

 互いにその主張は譲らず、言い合いは平行線のまま、次第に母は、感情的になり、終いには涙ながらに、杜陽を親不孝者となじって、そこに泣き崩れてしまった。行くという意志は変わらないものの、そんな母の姿に、げんなりとした様に、杜陽は、為す術もなくそこに佇んでいる。


 母がそこまで感情的になるのは、夫が領官を務める河南が未だ、反帝国の気運を内包しているからだ。杜陽が皇騎兵などに入れば、下手をすれば、父と子で敵対する事にもなりかねない。

 だが、その様な政治向きの話になど関心のない杜陽には、反対される理由が、今一つ理解出来ない様であった。ここは、どうにかして、自分が間に入って、両者を宥めなければならないと思いつつも、杜亮には、適当な言葉が思いつかない。杜陽の気性を考えれば、行くと言った以上、もう行く以外の選択肢は持たない。かといって、母の心情も分かるだけに、こちらを宥めるのもかなり至難の技だ。

 杜亮が思案に暮れていると、そこへ救いの神が現れた。


「これは一体、何事だ。全く、朝っぱらから。通りにまで聞こえる様な大声を張り上げて……」

「父上……お帰りなさいませ」

 その原因を作った当人は、不貞腐れた様子で壁際の椅子にどかっと腰を下ろす。それを見て、説明を求める様に、杜狩が杜亮に視線を向けた。

「その……杜陽の奴が、都へ行くと言い出しまして」

「都?」

「はい。都の皇騎兵軍に仕官するのだと」

「そういう訳か」

 事情を聴いて、杜狩がため息を漏らす。

「杜陽、そんなに皇騎兵がいいのか?」

 問われて、杜陽がしかめっ面のまま答える。

「河南には、強い奴がおらぬ故、つまらぬのだ」

「成程。ならば、皇騎兵に入ってみるのも良かろう」

「あなた……」

 杜狩の言葉に、楓弥が抗議の声を上げる。それを制して、杜狩が続けた。

「もう数日中に、この河南に、皇帝陛下が行幸される」

「行幸……」

「陛下直々のお越しだ。それは腕の立つ、皇騎兵をお連れになる事だろう。ついでに、この河南に皇騎兵の分隊を駐留させる旨の通達があったよ。河南軍は、その分隊に一中隊として編入される。だから都になど行かずとも、皇騎兵と手合せは出来る訳だが」

「まさか、その通達を受け入れたのですか」

 思わず問うた杜亮に、杜狩が苦々しい表情を浮かべる。

「あちらは、こちらの反意の程を図っているのだ。拒める道理がない。だから、杜陽。お前が皇騎兵と絡みたいというのなら、好きにして構わない。 むしろ、お前が河南の皇騎兵軍に入り、その内情を探ってくれれば、有り難いぐらいだ」


 そう言われて、杜陽の表情が一気に明るくなった。生まれて初めて、父の役に立てるかもしれないという期待に、その心は高揚した。

「ならば、早速にでも。河南領官の名代として、一つ、挨拶でもして参りますよ」

 そう宣言すると、杜陽は勢いよく、部屋を飛び出て行く。

「おいっ、杜陽っ!また、あいつは……杜亮、済まぬが」

「畏まりました」

 杜亮は肩をすくめて、慌てて杜陽を追った。



 河南の街の大路を、人の波を蹴散らし、勢いよく走り去る騎馬が二つ。

 何かに引き寄せられる様に、北へ向かったそれは、紛れもなく、杜家の兄弟のものであった。


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