第104話 劉飛との対面

 それから数日後、西畔に行っていた劉飛が、都に戻ったという情報を得た黒鶯は、早速、縹氷と猩葉を連れ、その屋敷を訪問した。

 瑶玲が持たせてくれた、劉飛宛ての文と、湖水領官よりの使者という黒鶯の口上に、彼らはすぐにその屋敷内に招き入れられた。



 部屋に通されてすぐに、黒鶯が、家令だという初老の男に書状を渡すと、そこでしばらく待つ様にと言い残し、男は屋敷の奥へ姿を消した。 しばらくして、侍女が茶を運んで来て、彼らをもてなしてくれたが、これもすぐに、おくつろぎ下さいという言葉を残して姿を消した。


 劉家の屋敷は、都のもっとも賑やかな大路からは、数本小路を下った所にあるが、門の外は、それなりに人の行き来もあり、騒がしいものだった。 だが、ひとたび屋敷の中に入ってしまうと、そこは、外の喧騒とは隔絶されており、信じられないぐらいに静かな場所だった。


 僅かな身じろぎえも、嫌なぐらいに耳に付く。これから起こる事を考えるだけで、動悸が激しくなってしまうのに、息使いの一つにさえも、何だか気を使う。そんな状態で、縹氷は卓に付いたまま、ひどく緊張していた。元々、神経の太い黒鶯は、出された菓子を摘み、茶器に口を付けといった具合に、侍女の言葉通りに、大いにくつろぎながら、部屋の窓を端から順に覗きに行って、庭を眺めては、しきりに感嘆の声を漏らしている。


 猩葉は相変らず少し離れた場所にいて、壁に寄りかかりながら、縹氷に注意を払ってくれているが、気安く話しかけられる雰囲気ではなかった。緊張のせいなのか、縹氷には、その場所が、何だかとても居心地の悪いものに感じた。自分自身が、先刻から、何者かによって試されている様な、そんな気配を感じていた。


 実はそれは、縹氷の緊張のせいではなく、また、気のせいという訳でも無かった。

 庭を挟んで反対側。窓が閉じられ、人気のない部屋。

 そこに、縹氷を検分する様に見据えていた目が、確かにあったのである。


「……あれが、そうなのか?卓に腰かけている、一番、小柄な少年?」

 劉飛が傍らにいる翠狐に確認する様に言う。

「みたいですね。麗妃様のご紋の刻まれた懐剣を持参しているとの事ですが……」

「懐剣をね……もっともらしいな。どう思う?」

 劉飛が、翠狐ではない、別の誰かに問う様に言った。


……宰相の暗殺と、時同じくして現れたというのは、出来過ぎな気もするがな……


 劉飛の中から、橙星王の声が答えた。

「そうだな。この十年、この子供が虎翔ですっていう話は、嫌って程あったしな。それになあ、翠狐、例の……」

「ええ、星が見えないって件。それには何となく、作為を感じます」

「その点は、どう思う?」


……一度覚醒した赤星王の力の発動に、白星王か藍星王辺りが、条件を設けた……と、考えられない事もないが……


「条件?」


……赤星王に自由に力を使わせる訳にはいかないが、それを完全に封じる事も出来ないから、その力の発動に、条件を付与するという方法だ……


「その条件とは?」


……彼らが、もし条件を付けたのだとすれば、蒼星王と相まみえるその時まで、赤星王はその力を使う事が出来ない……という所か……


「成程、一時、行方が分らなかった蒼星王に対する苦肉の策だったって訳だな。それで、そういう条件が付けられている場合、八卦師がそいつの星を読んでも、その実態が見えないって事がある、と?」


……守護星にそういう細工がされているのだとすれば、あの少年が、本物の虎翔である可能性は高いのかも知れない……


「まあ何にせよ、この時期に、彼がここに来たって事には、物凄く大きな意味がありますよね」

 翠孤に言われて、劉飛は、考えを整理する様に、少し思案する。


 あの少年が虎翔だというなら、それは、この帝国の継承者となる者であるという事だ。それは、掛け値なしに、政治的に大きな意味を持つ。劉飛が、宮廷に対して、重要な切り札を手にする事に他ならない。

 その真偽はともかく、この時期に、降って湧いた様に、この話だ。そこに、誰の作為が働いているにせよ、これは、間違いなく手に入れるべきものだろう。


「……いいだろう。彼を手に入れよう」

 そう宣言すると、劉飛は縹氷たちが待つ部屋へと足を向けた。





 随分と、長い時が過ぎていた。中空近くにあった陽はすでに傾き、部屋に朱色の光を差し入れていた。縹氷が、落ち付かない気分を抱えながら、数え切れない程のため息を落とし終えた頃である。

 不意に扉に合図があって、

「元帥閣下がお越しになりました」

 という声がした。その途端に、縹氷は思わず腰を浮かせていた。

「やっとお出ましか。全く、勿体付ける」

 隣で黒鶯の呟く声がした。

 てっきり、待ちくたびれて居眠りをしているのかと思っていたが、開かれた目は、寝起きのそれとは違い、鋭かった。

 縹氷たちが見据える中、開かれた扉の向こうに、果たして、待ちかねた劉飛の姿があった。



 その姿を見た途端、縹氷には、部屋の空気が、一瞬にして重たくなった様な気がした。威圧感というのか、その姿に何か畏れの様なものを感じた。 黒鶯が立ち上がって、その御前に膝を折って控えたのを、縹氷も慌ててそれに倣う。

「元帥閣下には、御目通りをお許し頂きまして、恐悦至極きょうえつしごくに存じます」

 黒鶯の口から、淀みなく口上が流れ出る。

「そなたが、湖水領官遥玲殿の子息、黒鶯殿か?その年で、領官殿のお使いとは、大したものだな」

「恐れ入りましてございます」

「そう、畏まらずともいいよ。俺は、堅苦しいのは、苦手だ。いいから、顔を上げろ」

 そう言われて、黒鶯が顔を上げた気配がした。だが、縹氷はどうしていいのか分らずに、そのまま下を向いて、身を固くしていた。


「ほら、お前も」

 その声と共に、躊躇っていた縹氷の肩に、劉飛の手が置かれた。それに驚いて顔を上げると、縹氷の目の前に跪き、その顔を見据えている劉飛の鋭い瞳にぶつかった。 何もかも見抜く様な、その瞳に気圧されて、縹氷は思わず目を伏せた。


「お前が、虎翔か?」

 そう問われて、縹氷は、辛うじて消え入りそうな声で肯定の返事を返す。これが、本当に自分の父親なのか。喜びよりも何よりも、戸惑いの思いが強かった。 そこに親子の情の様なものは、欠片も感じられなかったのだ。何だか、劉飛という存在が、縹氷にはただ恐ろしかった。



 どうしていいのか分らずに、ただ畏まっていると、自分の肩を掴んでいた劉飛の手がついと離れた。 劉飛が立ち上がった気配を感じて、恐る恐る顔を上げた縹氷の目が捕らえたのは、腰の剣を抜き放って、自分に切りかかろうとしている劉飛の姿だった。

「……」

 突然の事に、そして、そこから感じる殺気に、縹氷はただその白刃を見据える事しか出来ない。

 恐怖に目を閉じる事すら出来なかった。そして……


 目の前で、剣が交わる音がして、そこに小さな火花が散ったのを見た。我に返ると、縹氷の目の前で、猩葉の剣が劉飛の剣を受け止めていた。

「なかなか、良い護衛が付いている」

 そう言って、笑いながら、劉飛が剣を収めた。

「……あの」

 おずおずと声を掛けた縹氷に、劉飛が向けた顔は、少し柔らかくなっていた。

「あの間合いで、目をつぶらなかったのは、褒めてやる。根性はありそうだ。だがな……」

 そこでまた、劉飛の、縹氷を見据える目が厳しいものに戻る。

「お前には、俺の息子になる覚悟はあるのか?」

「……覚悟……とは……どういう事でしょうか」

「いいか?俺の息子になるって事は、この帝国の継承者になるっていうのと、同じ事なんだぞ」

「……」

「お前には、この帝国を背負っていくだけの覚悟があるのか、と、そう聞いている」

「……それは」

 そこまでは、考えていなかった。ただ、黒鶯が行けというから、ここに来た。遥玲様がそれを望んでいるのだと言われたから。

「……まあ、いきなり、そこまでは考えられないか。いいよ。その覚悟が出来るまで、お前を虎翔とは呼ばない。取り敢えず、養子って事にでもしておくよ。もちろん、出自も公にはしない」

「……」

「明日から、お前に、帝国の後継者になる為に必要なものを、全て叩きこんでやるから、それで、覚悟が決まったら、何時でもそう言いに来い。……それで、異存はありませんね、黒鶯殿?」

「……それは、まあ……元帥閣下のお宜しい様に」

 自分に確認を求められた、その意図を測りかねて、黒鶯はそう答えるしかなかった。


 何より、虎翔の真偽は問わないといった感じの劉飛の態度が、黒鶯には想定外だった。 劉飛の性格をかんがみれば、本物だと思えば、手放しで喜ぶだろうし、偽物だと思えば、問答無用で追い返されるものだろうと思っていた。


……橙星王の影響大という所か……


 星王絡みは、やはり一筋縄で行かない。部屋を用意させるから、お前もゆっくりして行けと言われて、当分、湖水には戻れそうもないな……などと思いながら、 黒鶯は踵を返して去っていく劉飛を見送った。

「縹氷」

 不意に黒鶯に名を呼ばれて、こちらは呆然という感じで劉飛を見送っていた縹氷が、我に返った様に黒鶯を見た。

「そういう事だそうだから、明日から、死ぬ気で頑張れ」

「……でも、僕は……」

「お前、もう一度、奏様に会いたいんだろう?」

「え……?」

 奏の名に、縹氷の心が揺れるのが傍目にも良く分かった。そんな縹氷を少し哀れに思いながらも、黒鶯は、その思いを利用する事に決めた。

「お前が、劉飛様の息子になって、いずれ、この国の皇帝となれば、巫女宮の星導師を、燎宛宮の星見の宮へ招く事だって出来る」

「奏様を……」

「そう。だから、奏様に会いたいのなら、もう頑張るしかないだろう」

 縹氷の後ろに控えていた猩葉が、その言葉にあからさまに眉を潜めた。だが、縹氷本人は、それで少しはやる気が出た様だった。



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