第9話 か と
りすののののは呟いた。
「あー。俺って何をしてんだろな……?」
「ののの?」
「なんしてんだろ……?」
「どうした?」
少し胸騒ぎがした。彼の目はどこか遠くをみていた。
「生まれた時からさ、野生じゃなかったんだ。俺は。珍しい珍しいって飼い主のお母さんが何度も何度も俺に繰り返してきたな。でも、俺にとっては、生まれてから、籠の中で、人間に餌を与えられて、ショーケースの中で生きて、こうやって飼われたのが『普通』の人生だったんだ……」
彼は突然語り出した。
「真白くん……?」
「総務、少し黙ってて。あいつは今、見つめ直している」
「…はい」
総務は落ち着いた面持ちでうなずいた。
分かった。
のののは語り続けた。
「振り返れば楽しいもんだった。幽霊になってから少しわかった。野生じゃない生き物は楽だな。でも、いくら言葉で言っても、俺にとっては当たり前だから、きっとどうしようもないけどな」
「あー!!いい人生だったな」
人や生き物が自分の半生を振り返る時はいつか?
答えは簡単だ。
ふとした時、もしくは、もう死ぬ時だ。
「だから、誰にも救われなかったんだ……捨てられたと分かってから……あっさり病気になって……死んでも……」
僕は言った。
「おい、ののの」
「ん? ……ん!? なんだ…! あっ…! ここか! これなのか!」
彼のひどく驚いた。
「踊り場に着いたぞ……」
「真白、ここが踊り場なのか?」
「あぁ、そうだ。前来た時と同じだ……。この景色も、まるで一枚絵のように綺麗で、白くて」
生を拒むように、怖かったんだ。
僕らはとてつもなく広い踊り場に辿り着いた。上から何条もの光が、さしていた。広すぎる踊り場も空気も。地上より近くに感じる雲も。そこの光も。天使のように白かった。
嘘みたいに視界が開けて、踊り場が広すぎて、端が見えない。
「何時間歩いたんだ……?」
「4時間、5時間は歩きましたよ、のののさん」
「ようやくだな、ののの」
「ついに……俺は死ぬのか!?本当に消えるのか!?これが死ぬということなんだな!?」
噛みしめるようにのののがいった時、
彼の体が少し、薄くなった。湯気のような煙が生まれ始めた
いよいよ、時が来たようだ。
「おぉ、消えていく。俺は……。そうか、これが……」
のののはだんだん消えていく。
そうか、もう死ぬのか……。
「あぁ。あぁ……!もうお別れかぁ……」
のののは呟いてしまった。
「まだ、やることが、あったかもな……死にたくない……」
死にたくない
死ぬとは正反対の感情。
のののの形が少しずつ元に戻っていった。煙は薄くなり、りすの影は濃くなっていった。
分かった。これが天国の階段の由来。
死を自覚させる場所であり。
死にたくないと願う生命は拒否される。
僕は息が詰まった。
しまった。そして、彼は死を自覚してしまった。この天国の階段で。そこで、彼は生きたいと願った。
「総務」
「はい」
「今の状況分かりますか?」
「えぇ、なんとなくですけど」
彼が帰ってくる。
強烈な既視感。軽く頭痛とめまい。
思い出したーーーーーー
『愛する我が子よ 死ぬことが怖いか それとも 死んだ私が恐ろしいのか』
『こちらにおいで こんなにも大きくなって ほら、ちゃんと顔を見せておくれ それがとても、とても嬉しいよ』
死の恐怖と愛の慈悲が混じり合ったような歌で。
そうだ。僕はここで「死にたくない」と自覚したんだーーーー
空から声がした。
『あら、真白……。懐かしいわね、元気にしてた?』
息が詰まった。
空が迫ってきた、ような、声。
『相変わらずね、かわいい顔。子供みたい。私に会いに来てくれたの? 嬉しいわ……』
背中が包まれた。そんな感触。何かが僕を引っ張り上げていくような。
空が近くなる。光が。白が。僕の視界を染めていく。
そして、それから抜け出せなかった。
「な、なにを……」
頭になにか暖かい感覚があった。
『ほぉら、よしよし。いい子にしててね』
「や、辞めて……くれ……っ……」
僕は引っ張られていた。
「水乃くん……?」
『貴女の声はもう届かないわ。ごめんなさいねぇ』
撫でられている、暖かくて柔らかい何かから、逃げたいのに。逃げられない。
僕は逃げたくない。
僕は逃げたい。
こいつは誰だ。
僕に何をしている?
僕はこいつを知っているのか?
その間もどんどん引っ張られていく。
それはまるで、赤子をなだめ、抱きかかえるように。
そして、僕に対しての悪意が感じられながった。
『となりのりすもお友達かしら?』
体中の力が抜けていく。僕の思考は止まり、引っ張られていった。
この大きな流れに身を任せたら、安らぎが、あるような。
でも、それには近づいてはいけない、と最後の理性が告げていた。
『そうそう。いい子ね、可愛いぁ』
『そりゃもちろん。私の、真白だもの』
「あ、やや」
『静かに』
だめだ。
そして、僕は見た。
「水乃くんっ!!」
「っっ…!」
目が覚めた。
「大丈夫ですか?」
「えぇ……。だ、大丈夫です」
「あの、水乃くん。さっき消えていって……」
「……僕が、ですか?」
背中に悪寒が走っていた。自分の息が荒い。心臓が今にも飛び出しそうだ。
完全につかまっていた。
「のののはどうなっていますか?」
「それが……」
総務はおずおずと切り出した。
「今、どうしようもなくて……」
その時、
「あぁああああああああああああああああああああ!!」
声がした。
「のののなのか!」
ふたりから少し離れたところで、それはあった。
大きめのボールのような煙の塊が渦巻いていた。
白い煙と茶色の煙がすさまじい速さでぐるぐると、混ざっていくように、そして、のたうち回るように、かき混ぜられていた。
そして、煙の塊に3条の光が刺さっていた。
「あの光は……?」
総務はつぶやいた。彼女の目から怯えが見えた。
「まずい、かなりまずいです」
そして、また光が刺した。
「痛いぃいいいいいいい!!」
「あの女が、のののを……?」
僕は、この時あれを女だと認識していたことに気がついた。
「総務、あれではのののが苦しんだまま、死んでしまいます。死ねるのかすらわかりません」
「真白君。幽霊って触れますか?」
総務の唐突の質問に僕は戸惑った。
「のののを触れるってことですか?」
「はい。私、一応幽霊触れるんですけど」
「……僕も触れなくはないです」
「よかった……」
総務は安堵したように言った。可愛い声。
そして、彼女は一旦戸惑ったように、でも、決意したように告げた。
「のののは死ねるんですね。じゃあ、やっちゃいましょうか。この子をちゃんと切り離してしまいましょう」
彼女の目は見えない。
成仏できないのって、まだ体感してないからじゃないですか?
「肉体的に死んだと、体感させて、りすさんにもう一度死んでもらいましょう」
総務はりすの煙の塊に近づいて行った。
「総務! 待って!」
僕は急いで追いかけた。
君はさっきのあれを経験してないから、言えるだけだ。
「その理論はすごく危ないです」
僕がこんなに切羽詰まった声で話すのは初めてだった。
「大丈夫です。私たちが楽にさせましょう」
それに反比例していくように総務は冷静だった。
そして彼女は黙った。
そして僕が止める間もなく。
総務は煙の中に手を突っ込んで、
総務はりすの頭と尻尾を掴みーー
一気に引き離した。
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