第14話 親を捨てる娘と親に見限られた子供。

 淳平はなんと、役場に勤めているらしい。ということは、私の父とは同僚ということになる。どちらにしても、この村で暮らすには、それしか方法はないのかもしれない。

「何ぃしてるんや、A子、はよう乗れや」

 淳平のやつが、おかしなことを言いだした。

「え? いったい何に乗るのよ」

「決まっとるやろうが、かぼちゃの馬車や」

 あほか。

「なぜそんなことをするわけ?」

「そういう遊びやったやろうが」

 どうしようもなかった。ハッキリ言って、勢いに負けた。しかたなく私は馬車に乗ることにした。正直なことをいえば、いまだに私の体は男の出現になじんでいない。だから逆らうほどの元気も出ず、いつもと違い、素直な態度をとる自分自身が我ながらおかしかった。

 そんな私のそばに淳平が近づいてきて、足もとに身をかがめた。

「ほら、はようこっちへ来て、足を出さんかい」

 私はいわれるままに、片足を突き出した。どうやら淳平がサンダルをはかせてくれるらしい。多少のテレくささはあったものの、それほど悪い気もしなかった。

「よっしゃ、今すぐ馬車を動かすから、もうちょっと待っててや」

「これって、まだ動くの」

「当たり前やろうが、バリバリの現役やでぇ」

「そうなんだ。すごいね」

 何となく、うれしくなった。

「ところがな、悲しいことに現役の乗り手がおらんようになってしもうたから、動きようがなかったという切ない話や」

 淳平はここでこうしていることを結構、楽しんでいるように見えた。過去を懐かしむ気持ちは、女よりも男のほうが強いのかもしれないと思った。

「淳平はこの村が、よっぽど好きなんだね」

「今も昔もこれからも、おれの居場所はここにしかないわい」

 そういえば、淳平はあのころから相当、変わったやつだった。気がつくといつも私のそばにいたし、しかもそこから決して離れようとはしなかった。そんなこいつがどこか不気味に思えたから、赤い手帳に淳平の項目はない。

 それからしばらく待ってはみたが、メリーゴーラウンドは一向に動きだす気配を見せず、ひどく退屈な状況に、自分が置かれていることに気がついた。

「ねえ淳平、無理しなくてもいいんだよ」

「もうちょっと待て、正月に試運転したときには見事に動いたんや」

「なるほどね、八ヶ月も前の話というわけですか」

 とは言うものの、淳平のやつは一生懸命で、私は結局二十分ほど、かぼちゃの馬車に乗ったままで、お姫さま役を演じさせられた。

「そろそろ帰ろうかな。まだ実家にも顔を出してないわけだし――」

 かなり遠慮がちにいったつもりだったが、淳平のやつは返事もしなかった。

「ねえ、淳平」

 少しいらついて、高い声を出す。

「何ぃ言うてんねん、おやじさんとおふくろさんは、昨日から北海道へ旅行する言うて、ご機嫌さんで出かけたぞ。お前、何しに帰ってきたんや」

「でもそんな話、聞いてない」

 聞いてないのもそのはずで、最近は電話に出てもろくに話もせずに、一方的に電話を切るというのが、真相である。それにしても、北海道とは何という贅沢な、私は妙に感心した。

「家には入れるんか?」

 鍵の置場くらいは知っている。たぶん、昔と変わっていなければ。

 急に脱力感に襲われた。そりゃあ何年も帰っていない娘が、いきなり帰省してくるとは夢にも思うまい。

 確かにそうだ。

 でも娘のほうからしたら、まるで捨てられた子供のような気持ちになって当然である。私のほうが親を捨てるつもりだったのに、いつの間にか、親のほうが私を見限っていたというのは、はっきり言ってショックだし、許しがたい。あり得ない事実を聞かされて、目の前にいる淳平への懐かしさも、一気に醒めた。

「じゃあ私、そろそろ帰るわ。元気でね――さようなら」

 馬車からおりて、早々にこの場から立ち去ろうとした。

「おいA子、晩飯が終わったら迎えに行く。そやから用意しとけ」

 淳平がおかしなことを言い出した。

「なんの用意よ」

「浴衣がええな」

 こいつはいったい、なにさまのつもりだ。私が黙ったままでいると、なおも淳平は図に乗った。

「飯を食い終わったら、すぐに浴衣に着替えとけ」

 どこまでも、えらそうなやつである。昔の淳平とはまるで違っていた。何となく健次のことを思い出した。

「メリーゴーラウンドは、それまでに必ず直しとく。今度こそ、お前をかぼちゃの馬車に乗せたるさかい、あんまりがっかりするなよ」

 そういったかと思うと、淳平はいきなり駆け出した。

「ちょっと待ってよ。私は別に――」

 こんなものには乗りたくない、そう言おうとしたんだけど、やつの姿はもうずっと向こうにある。振り返ることもなく、あっという間に私の視界から消えうせた。あまりのすばやさにあぜんとした。どこか辰男をほうふつさせるような身のこなしだった。

 取り残された私はしかたなく、広場をあとにしてとぼとぼと歩き出した。何度も後ろを振り返ってみたが、やつの姿はもうどこにもなくて、ひょっとしたら、私はほんの少し過去へ戻ったのかもしれないなどと、バカげたことを考えた。

「まさかねぇ」

 気を取り直して、まっすぐ前を見る。今度こそ懐かしのおうちへ向かうことにした。

 私の実家は小高い丘の上に建っていた。今となっては老婆を思わすような外観でしかなかったが、かつては民宿を営んでいた時期もあり、部屋数は普通の民家と比べるとかなり多かった。

 父は役場に勤めている。そのため、民宿をやっていた当時は訪れる客を母一人で迎えていた。とは言っても客はほとんど来なかったし、ときたま訪れるお客さんにしても見知った顔ばかり。それにしては不思議と常連さんがなん組かいて、まるで親せきの家にやってくるような感じで宿をとっていた。

 あの人たちって、いったい誰だったんだろう。

 遠い親せきだったり父や母の友人の可能性もあった。だとしたら、親せきや友達から宿代をふんだくっていた、母の神経のずぶとさには恐れ入る。遺伝子が私の体の中で、眠ったままでいてくれることを、ただひたすら祈るしかないと思う今日この頃である。

 アーメン。

 最近では故郷へ帰ることもめっきり減ってしまい、なんだかよそのおうちを訪れるような気持ちになって、どきどきしている自分が妙に、おかしかった。

 玄関は鍵を探すまでもなく、普通に開いた。不用心極まりない有様に、私はここでも遺伝子の働きについて、深く考えざるを得ない状況に陥った。引き戸を開けて一歩、先へ進んだとたん、体中の毛穴がきつく縮むのを感じた。うぶ毛が逆立って、まるでこの身を貫いているような感覚である。

 変だ。何かが違う。

 ここは私が生まれ育った家ではない。断じて違う。理屈ではなくて、直感がそれを私に知らせていた。

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