第二十和 居酒屋喫茶に迷い込む人は意外と多いのです。


 店内は、お昼はレストランとして営業して、日によっては満席になる程度にお客さんがいるらしく、私のイメージとは違い、普段は隠れた安くてほどほどの味のお店として、意外と繁盛店のようです。


 その時間が過ぎるころになると、家事などを終えた地元の主婦や、自営業、インテリ風サラリーマンや、近隣学校の文芸部、やることの無い地元のお爺さんおばあさんの憩いの場になったりします。


「後一時間くらいはカフェバーだから、メニューが少し違う」

「……ここ、メニューあったんだっけ?」

「……まぁ、在庫裁きたいから、時間帯関係なく何でも注文できたりする」


 どうやら店長はともかくとして、従業員のみなさんには一応メニューという概念自体は意識されているようです。

 まぁ、メニュー自体の扱いは相も変わらずですが。


「だよね~。とりあえず、珈琲と紅茶はしっかりと覚えるよ。お酒は……種類が解らないや……」

「そこは僕がやるから」

「ありがとう! 私はここの溜まっている洗い物とお店のお掃除しておくね」

「ん」


 店内の清掃は意外なことに行き届いております。以前、珍しく夕方まで仕事をしていたパートの奥様が「この店には妖精さんが住んでいるのよ」などとずいぶん痛々s……ファンタジーなことを仰っていた気がしますが、強ち嘘ではない気がしてしまいます。


「ねぇ、そこのお姉さん」

「あ、はい! 何でしょうか」

「何か甘いものをいただけ無いかしら?」


 一通りお客さんの注文が終えた夕方前のこの時間、程々の暖かさでほのぼの空を眺めていたところを唐突に現実に引き戻されたので、私は思わず動揺して声を上擦らせます。

 しかし、それでも私は慣れた手つきで、メニューを指しながら商品を紹介して見せるのです。へへん。


「あ、こちらのメニューにあるプリンとビスケット、アイスがございます」

「うぅん、ここのビスケット、紅茶に浸しながら食べるような固いものじゃない? プリンは珈琲にあわないし、アイスも歯覚過敏で食べられないのよ」

「えっと……」


 ちょっと困ったさんなマダムです。結構なお年でお孫さんはまだいないくらいでしょうか。手の掛かる子供から解放されて時間が余った故に、当てもなくさまよってみたら、こんな辺鄙なお店にたどり着いてしまったのでしょうね。えぇわかります。共に神を呪いましょう。


 さて、困ったちゃんな空気感の、実際に本人も困っておられるマダム、困ダムさんですが、お上品で可愛らしい方なのでとりあえず話を聞きましょう。

 あ、もちろんどんなお客様にも優しく平等に接していますよ?


「あ、ごめんなさいね。今日はエスプレッソに挑戦してみようかな? なんて、いきがっちゃった私が悪いのよ。無いなら無いで仕方がないから、余りそう悩まないで」


 前半半分は悩むというより、単なる考え事にすぎませんが彼女が知る由もないので置いておきましょう。しかし、お客様が悲しそうになさっています。昨日見た、迷子病のきれいなお姉さんが町歩きする番組で立ち寄った、喫茶店の店員の方も仰ってたっけか。「お客様を笑顔でお迎えし、お客様が笑顔で帰れる接客をするのが従業員の勤めです」って。


 ようし!


「すみません……少々お待ちください、何かすぐに考えますので!」

「え、あ、うん、ありがとう?」


 私は早足でカウンターに戻ると、足下の棚をまさぐる。そして次に冷蔵庫を開け、卵と牛乳を取り出してから谷内田君に顔を向ける。


「谷内田君! 小麦粉と牛乳、砂糖、バター、卵って使っていいと思う?」


 谷内田君は一瞬後ずさった。おそらく、私がバカみたいな大声と、覇気の様なやる気を見せて驚かしてしまったのだろう。しかし、その後はすぐにくすくすと笑いながら、応援してくれるような優しい声と軽い調子で言葉を返してくれた。


「このお店はフリーダムだよ。事後報告でいいんじゃないかな」

「ありがとう!」


 私はすぐお客様の元へ駆け足で戻ると、深々と頭を下げる。

 

「お客様! 三十分ほどお時間をいただけますか?」

「え、えぇ、時間はあるから大丈夫よ」

「こちらのエスプレッソ、キッチンで保温しておきますね」

「あら、お気遣いありがとう」


 私は調理場に戻ると、まず最初にサツマイモを小さく切って蒸かし機に入れる。次に堅いビスケットを砕き、少量の小麦粉と牛乳を共にしてボールに入れてこね直し、タルト型に詰めて軽く焼く。

 卵を卵黄と卵白に分けてそれぞれを溶き卵とメレンゲにし終えると、蒸かしたサツマイモをボールに入れ、溶き卵、バター、牛乳、を加えて練り、ひとつまみの小麦粉、シナモン、バニラエッセンスを加えてさらに練り、焼きあがったタルトに詰めて再び焼き、仕上げにメレンゲを乗せてバーナーで炙ってみる。


「お待たせいたしました!」

「えっと、甘い香りはするからお菓子らしいことはわかるのだけど……、白いふわふわのこれはなにかしら?」

「切ってみてください」

「え、えぇ……」


 出来のほどはわからない。お菓子づくりなんてせいぜい趣味程度のもので、絶品のお菓子なんて作れるわけがない。それでもいい、こんな店だから適当でいいなんて、私は妥協したくない。

 なぜかはわからないけど、このお店を選んで、私に声をかけてくれた[私の]お客さんなんだ。そう思うと、この人を笑顔にしないまま帰すのはなぜかイライラして、そんな想像の自分の姿、飲みきれないコーヒーを残して申し訳なさそうに帰る困ダムさんの後ろ姿を、なにも考えずに見送るそんな私の後ろ姿が許せなかった。


 だから、私は柄にもなく、こんな些細なことだけれど、いつも以上に生真面目に、全身全霊で取り組んだ。これで美味しくなくても後悔はない。なんてことはないけれど、そもそもそんな無責任なこと思いもしないけれど、だからといって妥協したわけではない。

 絶対の成功なんて、自信家でもない私は保証できないけれど、それでも全力は尽くしたんだ。人事は尽くしたんだ、後はおとなしく天命を待とう。


「あら! お芋のタルト! すごくいい香りね。でも、メニューにあったかしら?」

「いいえ。メニューにはありませんけど、がんばって作ってみました!」


 さっき呪っちゃった神様ごめんなさい! 上げて落とす展開は要りませんからどうかこの調子でお願いします!


 一口、ゆっくりと味わう様にして目を瞑る困ダム。

 私はおそるおそる出来のほどをたずねる。


「あの、お口には合いましたか?」

「えぇ。とても。これだけで食べると少々甘みが強いかもしれないけれど、このエスプレッソと一緒にするにはとてもちょうどいい甘さ加減。うれしい心遣いをしてくれるのね」

「よかった!! お口にあって私もうれしいです!!」


 私は恥ずかしげもなく、無邪気に跳び回った。おそらく、莉子ちゃんが見れば一生私をイジるネタにするくらい意外な光景だっただろう。なにせ、私も無意識の自分の行動に驚いたのだから。

 周囲のほかのお客さんも、びっくりして苦笑い。カウンターに戻る際には、あの無口無表情の谷内田君が私の顔を見て吹き出すくらいで、ようやく自分の行いの恥ずかしさを私は知った。


 でも、いいじゃない……ちょっとくらいはしゃいでも。嬉しかったんだもん……。

 

 困ダムさんは気に入ってくれたのか、同じ品、つまりは今のタルトとエスプレッソをもう一度注文してくれた。私も後で食べようと、残った材料で二つほど焼くだけの状態にしていたため、谷内田君がエスプレッソを入れ終わる頃には完成してすぐ提供できた。


 困ダムさんは余りに美味しそうに食べてくれるので、提供後に席の隣に立ったまま帰るのを忘れ、しばらく私はその笑顔を眺め続けた。


 困ダムは再び、サクッと耳心地の良い音を立てて、フォークでタルトを一口大にする。しかし、この過程でシルバーとお皿のぶつかる音を殆どさせないあたりは、この困ダムさん、やはりなかなかのマダムである。


「そう、ふふ、なんだかおもしろいお店ね」

「そうなんですよ。私も、働き始めたばかりですけど思いますから。メニューにあるものがなにもなかったり、作れるのに面倒だから作らなかったり。何のためにやっているお店なんですかね?」

「さぁ……私に聞かれても……でも、勝手なことをしてもいいの? 申し訳ないわ」


 ごもっとも。困ダムさん、どうやら本日が初来店のご様子ですから。

 でも、味で楽しみ、雰囲気で楽しみ、会話で楽しんでくれているのは、困ダムの様子を見ればすぐにわかる。表情で分かり易いお客さんは、サービスする上で心地いいのでとてもありがたいなと思う。

 こんなに楽しんでもらえるなら、きっと喫茶店冥利にも尽きるというものだろう。


 まっ、私はまだ、社会経験なんてぺーぺーのド素人ですけどね。


「だから、いいんです。メニューにある物がでないんですから、メニューにないもの出すしかないじゃないですか。これで首になるならドンとこいですよ!」

「ふふふ、親切な店員さんね。ありがとう、また来るわ」

「ありがとうございます!!」


 私は、今までで一番の笑顔でお客さんを見送った気がする。お店にはお手洗いくらいしか鏡がないからわからないけどね。でも、商店街のお米屋店主の米沢さんが「今日はいい声をしているね」と言うくらいだから、やっぱり笑顔だったんだなと私は確信していた。


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