第十八和 無口無表情のマスターさん。
「ところで、彼のお名前はなんて言うんですか?」
「あぁ、あいつは谷内田。谷内田善之って名前だ。基本的に俺はヨッシーって呼んでいるが、渋い顔しか見たことがない」
「それ、明らかに嫌がっているじゃないですか!」
「知っているか? 笑顔ってのは、本来威嚇するために使われる表情なんだぜ?」
ドヤ顔で知識の安物市をする金髪さん。その価値のほどはあなたの人工量産型金髪程度のものでしょう。
「それ、渋い顔が嫌がっているって所否定できていませんよね?」
「あれだろ、お前生真面目すぎて堂々と嫌われないけど、どことなくクラス内では無意識に人に避けられるタイプだろ」
「…………」
この人、なんなんですか。なんか変な一風変わったおかしな人だとは思っていましたが、エスパーか何かなんですか。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるって言いますが、数撃つ中の第一発目で確実にスナイプされたのですがなんなんですか。
とりあえず開くだけでやった気になったロシア語の教科書を閉じ、横着に横スライドする要領でカウンターの椅子を三つ分ほど移動し、目の前で接客中のお一人様と少し間隔開けて遠くから声をかける。
「ねぇ、谷内田君。初めまして、私は岸田芳美。よろしくね!」
「…………」
「あれ……?」
聞こえなかったのかな? まぁ、一メートルほどは距離あるし、ありえないこともない。見た目からもボーとしている人なんだろうし、気が付かなかったのかも知れない。
と、金髪さんまでなぜかこちらに歩み寄り、カウンター越しに耳を貸せと言う事だろう。何やら指でちょいちょいと手招きをしている。
「なんです」
「そいつ、仕事中はマスターって呼ばないと反応しねぇよ。仕事とプライベートは切り分ける奴らしい」
「あ、そうなんですか。マスター?」
へぇ、なんだか変なの、と思いつつ呟くように復唱する。
「何かな?」
と、まだ呼びかけたわけでもないのに彼はなぜか反応した。というか、つまりさっきのも聞こえていながら無視したわけね。というか、結構耳良いのね、君。
「ほ、本当だ……。えっと、私は岸田芳美っていうの。まだバイト四日目で右も左も解らないけど、これから仲良くしてくれるとうれしいな」
「そう。よろしく」
一瞬で会話が途切れた。人とコミュ、コミニュ、コミニケーションを取るのは苦手な私だけど、此処まであっさりなのは初めてです。嫌われている……なんてことは無いと思う、考え過ぎだと思うけれど、随分つれない反応です。
「あ、えっと……いろいろお酒覚えていてすごいね! 利益とかも自分で考えているってものすごいよね。私じゃてんてこ舞いになりそうだよ。大変じゃない?」
「多少。将来独立するためのスキルにはなる」
「そ、そうなんだ。手伝えることある? 何でも言って良いよ! 私で力になれるかは解らないけど……」
目線を微塵も合わせてくれません。隣の隣に座る、少しチャラめのサラリーマンが何やらニヤニヤしていてイラつきます。
普段社内であまり役に立たず鼻つまみにされるけど、季節の折りの飲み会で感じの下働きとして盛り上げ役に徹すれば、そこそこ有能だから首の皮一枚繋がっているだけでしょうに、この私を笑うのですか。
マスターさんは磨いたグラスに曇りがないか、明かりに照らして確認します。
「問題ない」
え、どっちが? いや、手伝いいらないってことか。なんだか、うっとおしいのかな私。
「そっか……。店長さん、マスターさんってあんまりお話はしない方……なんですよね?」
「いや、そうでもない気がする」
「そうなんですか? 私、嫌われているのかな……」
店長ですら会話するのに、私とはしないって……女性が嫌いなのかな? それとも、この前顔だけ合わせた時挨拶してないから悪印象がついているとか? でも、あの時はまだはっきりと同僚だとわからなかったわけだし……でも、謝っておいた方がいいのかなぁ。
「そうでもないだろ……。ほら」
店長に言われてマスターの顔をよく見ると、僅かに反対側を向いて表情を見せないようにしている様だけど、どことなく顔が少し赤くなっているのは解った。
「気遣いは……感謝してる」
「そ、そっか。良かった! 嫌っているわけじゃないんだね!」
「……」
こくり、と小さく頷いた。これは一家に一人欲しいタイプの弟かも知れない。兄様は素晴らしい人だけど、毅然としすぎて甘えるタイプではないし。はぁ、妹か弟がいればよかったのに。
「所で、店長はマスターさんとどんな会話しているんですか?」
「何だろうなぁ……なんて言うか、言いづらいってか……」
「えっと、私には言い辛いお話……ですか?」
「あ? お前大学生にもなって思春期引きずってんの? アホなの?」
「な! そんなわけではないですよ!」
し、しし、失敬な! この淑女がはしたないことなんてわざわざ考えるものですか! で、でも年頃の娘ならむしろ知っている方が当たり前なのか……世間は、ご世間様はどうなんですか!? 今此処で金髪さんに聞くのも屈辱です。いや、冷静になれ私! そもそも男性に聞いてどうするのです。解るはずもないしもはや別姓に聞くのはどうかしています。
となれば同性の友人……と言えども、授業の同じ履修で会話する程度の人しかいない。聞けるような親しい仲というと……やっぱり莉子ちゃんしか! しかし、聞いてもいいのですかこれ? 不味いですよね、絶対嫌われますねこれは。親しき仲にも礼儀あれです。しかし、ならば私はどうすれば……いや、莉子ちゃんならもしかすると、いや、駄目ですって!?
「あれだ、言葉選びも悪かったな。言い辛いと言うよりは……説明し辛い、だな」
「説明しにくい会話……?」
なら、さっさとそう言いやがってください金髪。
「あぁ、丁度言い言葉があるな。あれだ、肉体言語」
「……パワハラですか……?」
うわぁ、最低。
私はそれとなく心情を乗せた視線を金髪さんにぶつけてみると、伝わったのか慌てて訂正を入れます。
「いや、あいつが殴ってくるんだよ。俺が被害者。おい、ちょっと待てなんだその視線、めちゃくちゃ俺を疑ってるじゃないか!」
「ソンナコトナイデスヨー」
「ざっけんなてめぇ! 雇い主を少しは信用しろや!」
「コワイナー、コンナテンチョウサンナラテヲダシテキソウダナー」
「俺が被害者だっての!」
金髪さん、半ギレです
あらぬ濡れ衣だか、歯に着せ忘れた衣だか、それとも歯に着せぬまでも口内で唾液濡れ濡れの衣だかををおっ被せられたマスターさんですが、何も反応することなく淡々とグラスを磨き、注文されたお酒を調合しています。
すると、一言だけ呟きました。
「正当防衛」
「んだと?」
「え?」
謎単語です。
察するに、やはり実は金髪さんのパワハラは実在して、それに対する抵抗……といった感じですかね。
「そりゃ、店長が僕のコレクションに手を出そうとするから」
コレクション……何でも持込みありなのはなんとなくわかるけど、そんな趣味まで持ち込んでたら金髪さんも文句の一つくらいは……。
「コレクション?」
「そう。非常に貴重なお酒をこっそりと飲もうとする」
前言撤回。金髪最悪。悪逆無道。
「何それ! 店長さん、そんな酷いことするんですか!?」
「あ、いや違う、この店の酒の味にも飽きたから興味本位と言うかな、そう! 後学のために少し拝借をと思っただけであり、決して他意は無い!」
いや、店で買うならまだしも、マスターさん自腹のものでその他諸々面倒事押し付けてるのに、そこからさらに拝借だなんて可愛げ付けて認められるわけないじゃないですか!
「他意があろうと無かろうと関係ないですよ! 勝手に飲んだら泥棒です! マスターさんに謝りなさい!」
「……いや、でも、その酒仕入れてる金も出世払いで貸してる金だし、利息みたいなもんだと思えば……」
「店長! はぁ……あなたは子供ですか。そんな事をねちねちと……」
ったく、この人なんなの。ガキなんですか?
「……それが利息なら、いつも新作試飲させてるよね」
「…………正直すまなかったと思ってる。反省している」
……あれ、珍しく素直に謝った。いや、まだバイトはじめて一週間たって無い私が珍しくとか言える立場じゃないのは解りますよ。えぇ。
「……しかしまったく、この人は……。マスターさん、マスターさんもこうした練習できてるのは店長さんのおかげでもありますし、これくらいで仲直りして、お互いわだかまりは無くしましょう?」
「別に、不満を言ったつもりはない」
「あれ?」
そういえば、言われてみれば何も言って無かったような。
「てか、よく考えたらわだかまりも問題も起きてないのに何で俺が謝ってるんだ?」
「あれぇ……?」
「店長の勝手は慣れてる」
なんだか怪しい雲行きです。新人なのに出しゃばりすぎたのかもしれません。こういう時は戦略的撤退あるのみです。
「別に、マスターに謝れって言われてないよな」
「…………あ、いらっしゃいませ! 田中さんじゃないですか! ご注文は何にしますか?」
「ちょ、おいてめぇ逃げるな!」
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