第十三和 愛と暴力のちぎりパン。


 さして過酷でもなかった三連勤が、しかしながら精神的に無性に疲労感と気怠さを感じてしまう三連勤が過ぎた月曜日。まるで大学が憩いの場のように清々しく心地よい場所に感じてしまいます。

 尤も、折角大学に入れていただいたのに「あと何回講義を欠席しても単位が取れる」だとか「この授業は自分が出るから、お前はこれで代返してくれ」だのと親のお金や、そのために使った労働力、時間を無駄にするような、人の人生を僅かでも無駄にする軽率な人間の類と違って、大学に来るのをそもそも億劫に思ったりしていたわけではないですが。


 しかしながら、勉強できることはありがたいことながら、勉強よりも遊びが楽しく感じるのは人の性、休憩が恋しくなるのが人の性。芝生でのんびりと横たわっていたいということが贅沢になるのも人が人たる所以かも知れません。

 そうなると、やはり大学が清々しく居心地がよいというのは異常かもしれません。けれど、それだけあの職場がややこしい何かを持っているのでしょう。


「あ、芳美。待った?」

「ううん。今来たところだよ。お昼どうする?」


 二限が終わり、早めの昼食休憩を取るべく大学の構内で莉子ちゃんと待ち合わせの約束です。

 大学一階にあるイスとテーブルの設置された休憩エリアでお茶を飲んでいると、ほとんど待つことなく莉子ちゃんと合流します。莉子ちゃんは一限から授業を取っているらしく、通学に一時間かかるのに頑張って講義に間に合わせます。大変そうですね。

 一方私は朝が得意ではないので大体二限から授業を取って、通学時間も三十分ほどしかかからないこともあり、だいぶ余裕があります。


「いつも学食に付きあわせちゃってるから、今日は芳美の好きな所でいいよ。それに、月曜日は一限から取ってるせいで、朝にお昼のお弁当までは作る余裕なくて……あはは」

「大丈夫なの? 朝ごはんちゃんと食べてる?」

「大丈夫よ。安売りでいつもちぎりパン買いだめしてるから」


 ちぎりパン、スーパーで昔はよく見かけたパンなのですが、最近はあまり見かけない気がします。質素で素朴ながら、安さの割にずっしりと詰まって腹もちがよく、ほんのり甘みがあって決して不味くは無いのですが、味が単調過ぎてすぐ飽きが来ると評判の菓子パンです。


「あの、シックスパックの腹筋みたいな?」

「……あんた、たまに奇妙に当たらずとも遠からずで、なんとも否定しがたい変な形容の仕方するわよね」

「そうかなぁ? でも、それで大丈夫なの?」


 心配なのは栄養価や体力が持つかという事。

 莉子ちゃんはなんてことの無いように楽しげに笑います。


「まぁね。あれ、ずっしりと詰まってて重くて大きいのに、食パン一斤買うよりずっと安いからね」

「莉子ちゃんの胸もずっしり詰まって大きかったらよかったのにね」

「コロサレタイ?」


 莉子ちゃんはスレンダーなクール系でセミロング、ボーイッシュって言うよりは姉御肌で男勝りな頼りになる友人です。しかし、それだけに男勝りな腕力が、


「痛い、ちょ、痛いよ! もう半殺しだって! こめかみ割れちゃう! ごめんなさい! でも、腹筋は似てていいと思うよ!」

「腹筋もわれとらんわぁ!!」

「ちぎれひゃう! ほっぺはちぎれひゃう!!」

「ごめんなさいは?」


 こめかみ、ほっぺたと来て、次は顔面わしづかみです。とても乙女の所業とは思えません。このままでは芸能界の大姉さんよろしく、握力でリンゴをグシャァやる感じに私の頭が汚い花火になりそうです。


「すみませんごめんなさい申し訳ありませんでしたお願いしますから痛いのだけはやめてください」


 ようやく解放していただきました。ちぎりパンでちぎり慣れているその手は自然と高度なちぎりの技術を身に付けていたのでしょう。昔よりも頬をつねる痛みが増し、割と本気でほっぺたがちぎれるかと思いました。こめかみも地味に強力な握力の所為で割れるかと思いましたよ全く。

 というか、あと残っているんじゃないの? これ。


「ったく、真顔で泣きながら懇願するぐらいなら口には気を付けなさいよ。これは腹もちと味とコストを考えるとベストなの。時間の無い朝はあれを咥えながら自転車で、ホームで電車の待ち時間にかじって、車内ではしまって、講義前にギリギリ食べ終わらせる」

「莉子ちゃん、流石にそれははしたない……」


 電車の中で化粧しちゃうくらい無いです。


「わ、解ってるわよ! でも、仕方がないの。女捨ててるって馬鹿にされても、そうしないと生活できないんだから。それに、朝早いから人とはほとんど会わないし、平気よ」

「あんまり、無理しないでね……?」

「ばっかじゃないの? 私よりあんたの方がよっぽど心配よ。この前も単位表作っていながら、履修申請出してないなんて、半年を棒に振る所だったのよ!?」


 本気で莉子ちゃんの私生活が心配になりますが、それでも人の心配しちゃうところが莉子ちゃんのいいところで可愛らしいところで、そして心配なところでもあります。人助けの為に、水と塩と砂糖で実は生活していましたとか後で言われても困ります。ドッキリにもなりません。


「ご、ごめんなさい……あはは……莉子ちゃんいてくれて本当に助かったよ」

「ま、あんたのことは大体お見通しだからね。精々私の手を煩わせないように頑張りなさい。それでもだめなら助けてあげるから」

「善処します」

「それ、やる気のない奴の台詞なんだけど」


 流石、付き合いが長いだけあって、久々の再開から日がそれほど立って無いのに、すっかり私のことは知り尽くしているご様子です。


「あ、あはは……」

「笑ってごまかすな!!」

「ひ、ひゃい!! い、痛い! ほっぺたつねらないで!」

「ったく。で、お昼どうするの?」


 すっかり忘れていました。私達は昼食を取る予定だったのです。私も莉子ちゃんも三限は無いので二時間以上移動と食事に時間をかけて、ゆっくり昼食を取れます。


「あ、伊○製麺行きたい!」

「あんた、本当にそれ好きね」


 莉子ちゃんは、呆れるようにため息をつきます。でも、このため息はなんだかんだいいつつも、全面的に私の要求を受け入れてくれるときの仕草です。


「あそこのだしが絶品なんだよ! だしはセルフサービスで入れ放題飲み放題! 揚げ玉もおいしいのに乗せ放題だし、葱も! なのにすっごく安くて、ついついトッピング乗せちゃうんだ! あそこなら莉子ちゃんのお財布にも優しいでしょ!?」

「そうね。でも、生憎あのお店は東京にはないのよ」

「え……な、なんだって……!? あのおいしいだしが飲めないの……?」


 私はひどく絶望しました。地元に帰ればまだ食べられるのでこの世の終わりというほどではありませんが、好きなアニメの劇場番地上波放映を録画し逃したくらいのショックです。

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