第八和 喧嘩するほど常連さん。


「それはおいといて、酒はどうする? いつもの濁り酒か?」

「あぁ、それで頼む」

「いつものって……こんなにお互い喧嘩しながらも常連さんなんだ……」


 なんとなく常連さんだとは思っていた……というより、一見さんがこんな口論しながら席に着くとも思えないので当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、ようやく合点がいくようで胸がスッと幾分楽になりました。


 私がほっと一息つくと、係長さんはお酒をちびちびと飲みながら、冷蔵庫を指して小鉢をくれ、と言いました。

 言われるとおりに開けて、指示通りに探すと漬物が入った器があり、どうやらこれはお通しの類であるようです。金髪さん、これがあるなら最初に出せばいいのに、心底煙たがっているのでしょうか。そして、係長さんはなんでそこまで、お店の冷蔵庫まで熟知しているのでしょうか。


「なんだか、お客さんもすごいですね……」

「そうだよ、お嬢ちゃん。この店に来るのは客も変な奴ばっかりさ。ここまで酷い対応されるのは俺だけかもしれないけどね。まぁ、どの客にも割とあんな感じだからあんまり気をもまないようにね」

「は、はい。頑張ります」


 係長さん、先ほどから気にかけてくださっているようで、存外いい人なのかもしれません。


「おい禿、うちの看板娘の胸を揉もうったってそうは行かんぞ」

「そんなこといってねぇし、そんなつもりもねぇわ阿呆」

「あはは……」


 この金髪、調理しながらとんでもないこと言ってくれますね。

 私はデリケートなのですから、そう言う品の無いやり取りはやめてほしいものです。繊細なんですよ、私はかなり。本当に失礼しちゃいます。


「まぁ、そう言うことだから、真面目な君みたいな子には大変だろうけど頑張ってね」

「はい! ありがとうございます!」

「そうだ、君、なんて言うの? 私は田中正臣。すぐそこの建築会社で係長やってるんだ。名刺があれば良かったんだけどね……生憎この前きらしちゃってて。将来マイホームとか立てる予定があったら安くするよ」

「あはは、ありがとうございます。私は岸田芳美です。東京の大学に通い始めたばかりで世間知らずな身ですが、今後ともよろしくお願いしますね」


 なんだか、飲み屋の接客は面倒事が多くて敬遠されると聞いたけど、やっぱり噂は噂かな。でも、経験になるから一度はやっておけってどこかの噂は本当みたい。なるほど、いまどきの若者はこうして世間を学ぶのですね! これで莉子ちゃんにも褒められるかな?


 一人妄想を捗らせていると、係長さん、何やら真剣なご様子で私を見つめます……て、あれ、本当に係長さんだったんだ。すごいな、私。


「……きみ、やっぱりこんなしみったれた居酒屋やめてうちの事務員にこない? 給料はずむし、大学にあわせて仕事に入れるようにシフト組むよ?」

「おい禿、なに無断で引き抜こうとしてるんだ。てめぇの最後の希望引き抜いてやろうか」

「ちょ、おま! ま、まて! はやまるな、話せばわかる!」


 おっとこれは暗殺かな?

 さておき、係長さんの命の灯火が消えそうです。吹き散らかしたようなあれが、吹き消される蝋燭のように絶体絶命です。いろいろな意味で風前の灯火です。

 さすがに傷害事件で、今度こそ警察の人が真顔でやって来そうな笑えない状況になりかけたので、無理やり金髪さんをひっぺ替えします。


「さてと、これでも食ってさっさと口ふさげ。というか、芳美も料理はどうしたんだよ」

「あ、今丁度完成しました!」


 というより、完成したのに出せない状況だったんですがねぇ。


「今完成じゃ意味ないだろ。ぱっぱと作って食わせないと。これでも一応接客業なんだからさ」

「微塵も接客してない人に怒られた……」

「接客にもいろいろな形があるって事だ。社会勉強の為でもあるんだったら俺からいろいろと学ぶと良い」


 なんだか、すごくドヤ顔で言われていまだかつてない苛立ちを覚えてしまったような気がします。なるほど、これが世間でいうところの「殴りたい、この笑顔」なのですね。


「芳美ちゃん、だめだよこんな屑になったら。社会勉強に何もならないから。反面教師としてようやく使えるかどうかってとこだからね」

「あはは……気をつけます」


 反面教師にもならないって……棒にも箸にもかからないってとこですか。悪質ですね。


「まぁ、でも不精髭が言いたいのは、メインの前に前菜を出しておけって言いたかったんだと思うよ。それがメインとかぶったからこう言ってるんだとおも」

「禿の口を塞ぎたかったからだ」

「ったく、そう言うことで良いよ。仕方がないから腹ごしらえしてほかの人が来るまで中継でも見させてもらおうかね」

「あぁ、そうしてくれたら楽でいいや」


 二人とも口論で疲れたのか、段々と互いにけだるそうになっていきます。係長さんは回転いすでくるりと回ると、どこから取り出したかリモコンを操作し、カウンター席と通路挟んで向かい側の、御座敷の対角線になる角に設置されたテレビの電源を付けました。

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