第六和 来たるは窓際係長。


 説明は一通り終わりました。一通りも何も、説明らしいものがそもそもあったのかというと、言葉を窮する程度に何も無かったりするわけなのですが。

 そして、金髪さんは何やら仕込みのようなことを始めたので、変わるから教えてくださいと言ったのですが、暇つぶしだと断られました。というか、暇なら表の札を営業中にすればいいのに。


カランコロン――


 扉の開く音がします。営業準備中の筈ですから、もしかすると別のバイトの人か、店長さんが来てくれたのかも! これでようやくお仕事ができる!


「おぅい、不精髭、空いてるかい」

「帰れ」


 ……えっと……?


「えぇ!?」


 私は驚きました。えぇ、驚きましたとも? 当然ですよ、これで驚かない人がいれば、おそらくこの店に一瞬で馴染めるレベルです。全く、いろいろな意味で驚きました。

 この人、また言いましたよ? また言っちゃいましたよ!? 第一声で帰れって! この人は仕事する気ないんですかね。


 扉には毛が少し後退……というより、頭の上にきざみ海苔を添えたような、少々形容しがたい、もとい形容してしまうと私が酷い人みたく思われそうな形状の頭をなさった、小太りのまさに中年男性の代表といったお客さん……お客さん? が、ご来店なさいました。


「全く相変わらず客に辛辣な店だなぁおい」


 お客さんは怒鳴ります。御尤もです。いきなりお客様にガン付けて帰れって言うお店は初めて見ました。いくらなんでも辛辣過ぎると思います。


「そ、そうですよ! お客様にいきなり帰れなんて非常識ですよ!」

「表の札は営業準備中にしておいただろうが。なに入って来てんだよ」

「……無視ですか」


 金髪さん、私の存在など最初からなかったかのように、聞くどころか目も向けてくれません。しかし、接客態度を最悪にしても、営業準備中とあったお店に入るお客さんも確かにおかしな話です。これはヒドイにしても、お店側に文句を言われてもおかしくはない状況です。


 まさに、係長という言葉がスーツを着て歩いているような……いえ、人に寄って言葉に抱くイメージが違うでしょうし、訂正して具体的にすると、下町の売れない三流企業の中年窓際係長がスーツを着て歩いているような人(もっとも上着を脱いでワイシャツ姿ではありますが)は、扉を閉めてカウンターの一つに鞄を降ろし、その隣の椅子に腰を掛けてしまいました。

 この人もなかなかふてぶてしい人のようです。


「でも、いつもは営業してる時間じゃないか」

「今日は諸事情あってまだ営業してないんだよ。こんな真っ昼間から発光ダイオード光らせてんじゃねーよ、エコを気にかけろ」

「発光ダイオードじゃねぇよ、天然物の光だよ仕方がねぇだろ禿で悪いか!」


 なんともシュールな言い争いです。人はこうして争いの歴史を重ねてしまうのですね。


「芳美ちゃぁん、ほら、初仕事、その禿追い出して」

「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 諸事情って私のことですよね、雇用もされたし、お仕事の説明も終わったんですからお客さん入れても良いじゃないですか」


 なんだか、気が付けば莉子ちゃんばりのツッコミをやらされています。勘弁してください……莉子ちゃんみたいに脳筋タイプじゃないんですよ私はぁ……。

 とりあえず私はおしぼりを出すと、は……窓際さんは案の定顔を真っ先に拭きながら声をかけてきました。


「お、君、この店に雇われるの? やめた方がいいよこんな店。最低賃金で人を酷使するブラックバイトだよ~」


 私はむしろ、あなたの職場がブラックでないかと心配です。


「おい、やめろ禿、うちは超絶ホワイトだろ。仕事が超楽じゃないか」

「あぁ、そうだなお前さんは働いてないもんな。むしろ客に対してブラックな店だったな」


 一触即発、というより既に暴発の事態ですが、慌ててその場に水を差します。


「えっと、お客様、とりあえずお冷やです!」

「お、ありがとうね! この店にゃ不釣り合いなほど気が利くいい子だなぁ! それによく見たら、大層なべっぴんんさんじゃないか! ほら、こっち来て隣に座らないかい?」


 これにはさすがの私も苦笑いです。私の出した助け舟はどうやら差した水に沈んでしまったのでしょう。そして、この人はきっと女に溺れさせられる性質の人でしょう。


「あーもしもし」

「ちょ、待て!」


 金髪さんが携帯を取り出すや否や、窓際さんはカウンターに身を乗り出し、金髪さんが電話をかけ始めるや大声で叫びます。

 しかし、私はあまり驚きません。なにせ、この展開には何度か見覚えがあるのです。


「あぁ、警察に通報するってネタですよね。私の友達もよくやっていますから大丈夫ですよ」

「違うんだ、こいつは本気で」

「本気で警察なんか呼ぶわけ……」


 窓際さんは大層慌てますが、これは二人そろってのお芝居なのでしょうか。大した迫真の演技です。常連さんと二人で新人の私をからかおうというのでしょう。世にはそういった歓迎の仕方もあると聞きます。

 それに、いくらなんでもこれで警察なんて呼べば、私達も睨まれかねません。警察の方もお忙しいのに、こんなくだらないことで呼ばれるとは冗談ではないでしょうから。


 などと考えつつ、軽く笑いながら振り返ると、金髪さんはえらく人の好い笑みを浮かべながら楽しそうに電話先の方と会話をし始めました。


「あ、奥さんですか? はい、そうです。旦那さんがうちの若いバイトの子にちょっかいかけてきてるんですけど……」

「ちょっとまてぇぇえええ!!!」


 人生で初めて、生きている人の断末魔の叫びを聞いた瞬間でした。


「……容赦ない」


 ……まだ、警察の方が笑えました。


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