第二十五和 まっくろ○ろすけって可愛いですよね。
「……いや、まだ若いのに死にたくない……!」
私は震える体を抑え、強張る顔に精一杯の作り笑顔を浮かべながら、滲む手汗のせいで拭いても拭いても拭き終らないお皿を、延々と手の中で回し続けます。
どうしてこうなってしまったのでしょうか……?
一旦冷静に、息を整えて、状況を整理してみましょう。一体全体、私のみに何が起きたのか、この状況はなんなのか……これから、私達はどうなってしまうというのか……。
目の前のカウンターには百枚ほどの諭吉さんを、ドラマでよく見かける細い紙の拘束具で束ねた塊が三つほど。おそらく、百万円の三塊で都合三百万円ほどが山型に積まれています。この部分だけをトリミングすれば実に良い光景で、一般のご家庭ではおそらくの所一生涯に一度お目にかかるか否かといった物でしょう。今日はほとんどお客さんがいませんでしたが、この光景に気が付いた数人が怯えつつ恐る恐るといった視線を向けてきます。
時代が時代なら、この束は金色に輝いて、私は「そちも悪よのぅ」などと言うべきところなのでしょうが、喉からはてどころか言葉も、舌さえも出ない有様で、もはや唾も出ずにカラッカラです。
金額もさることながら、私達が驚いたのは、これを差し出したお客様の人相です。
黒いスーツに赤紫のシャツ、黒いネクタイにサングラス。すらりとした締まりの良い体つきですが華奢ではなく、オールバックの髪型は風貌の厳つさをさらに倍増させています。
そう、所謂ヤーさん。見るからにヤから始まるあちら側の方です。見るからに堅気ですとは四月初めや十月末にも言えない風体の方です。
店内の人は皆この異様な招かれざるお客様に背筋を冷し、先ほどまでの談笑は嘘のように空気が凍りつきます。いくら異様で変人や狂人大歓迎な店とは言え、これが一般的な状況でないことは私にも察しがつきました。
マスター君は相変わらず無表情を崩しませんが、心なしか表情が硬くなっている気がします。それに、この時間帯はお酒メインでグラスを磨いているのに、今日はなぜかコーヒーカップを磨いているので、おそらくはだいぶ動揺しているのでしょう。
念のため、マスター君に少しずつすり足で近寄り、耳元で語りかけます。
「えっと、マスター君。この方は……」
「常連、ではないね。僕も初めて見た」
「店長は……」
「避難してる」
此処の店長は屑であると、再認識させられた一幕でした。どんとはれ。
といって今日が終われば万々歳ですが、どうにもそうはいきません。
黒服ヤーさん……何度見ても見慣れないものですが、とりあえずは周囲の状況を観察しつつ深呼吸する程度の余裕は出来てきました。これは、もしかすると、
「実はドッキリだったり……」
「店長、そんな面倒しないよ……」
「ですよねぇ~……」
どうやら、ドッキリの類ではないようです。
莉子ちゃんにはあれほど無関係だと言ったのに、まさか今日に限って狙い澄ましたようにご来店なさるってどういう事なんですかね。冗談でもやめてほしいです。
何なんですか。三十分ほどたつのに、お冷とお通しをつまむばかりで何一つ注文もしません。ただ茶色いブックカバーの本を読んでたまにニヤリとするばかりです。どんな本を読んでいるのか想像もつきません。想像したくもありませんね、えぇ。恐ろしい限りです。
この機を見計らうように店の奥に身を隠したということは、ほぼ間違いなく金髪さんの関係者でしょう。となると、借金取りでしょうか?
この店はとても黒字経営には見えません。けれど、目の前にあるのは三百万円の塊。莉子ちゃんの想像通り、やはり何か後ろ暗い取引でしょうか? このお店の経営だけで生活していけるとも思えないので、この説の方が信憑性はありそうです。
とりあえず、これ以上黙り込んでいても、カウンターの出入り口近くに陣取られた所為で、他のお客様が帰れずに困っています。店の人間として、責任もって対応はしなくては……なりませんかね? さすがに、無関係の人は手を出さないですよね? 私殺されませんよね? いや、でも無関係……なのかなぁ。
「お客さん、ご注文は」
っと、私が声をかけなければと気を張り詰めて精神統一をしている間に、マスター君が声をかけてくれました。よっ! さすがは男の子! 普段は可愛いけど、今だけす腰カッコいいですよ!
「ん? おぉ、わりぃなぁ。読みかけだったもんで、ほんの区切りまでと思ったんだが……本だけに」
「問題ないですよ」
「っっ!!」
な、なんですか今の!? ものすごく厳つい姿で悍ましいオーラを放っている人がしょうも無いギャグをっ! マスター君もマスター君で何を平然と対応してるんですか!? シュールすぎてわ、笑いが……! お客さんたちも苦しそうに堪えているじゃないですか。
ふ、ふぅ……え、会話終わりなんですか!? っく、此処はやはり私が……、
「お客様。ご注文はお決まりでしょうか」
「お、そうだったそうだった、わりぃなぁ。この本が最近好きでよぉ。んで、メニューはどれだぃ?」
「あ、はい。メニューでしたらこちらの方に……あ!」
しまった、よくよく考えれば、これは藪をつついたかもしれない。藪どころか、その中の神様までつつきだして蛇に祟りも来るかもしれない……これは弱り目に祟り目ですねぇ。
……なんて、言っている場合ではなかったんでした。
「ん? どうしたんだいお嬢ちゃん。地雷でも踏み抜いたような顔をして」
「ぁ、いやー踏んだ足を退かすと作動する罠と言いますか、どちらにせよ時間でも起動する罠と言いますか……じゃなくて! いえ、なんでもないです!」
「ガッハッハ、そりゃぁ難儀なもんだねぇ。仕事中に大事な恋人との待ち合わせでもしていたのを思い出したとかかい?」
「は、ははは……まぁ、そんなところで……」
そんな事だったらどれだけよかったことか! 人生で彼氏なんていたことないですよ! といいますか、そう言えばそれはそれで莉子ちゃんとも約束しているんでした……細かい時間は決めてないですが、そろそろバイトを終えてこちらに向かう頃なはず。一刻も早く用件を済ませてお引き取り願わないと……って、あれ? 私、今何を悩んで……。
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