第二十四和 仕事場で、仕事は何かと考える。

「ヨッシー君」

「……」

「谷内田君」

「……」


 無視です。そういえば、このくらいの時間帯から呼称を変えなければならないんでした。

 何時何分からって決まっているのかな……店内に時計なんてないけど。


「あぁ……えっと、マスター?」

「なにかな?」


 やっと反応してくれた。


「えっと……マスターは今もマスターになりたくてお酒を学んでいるんだよね?」

「そうだね」

「なのに、なんでいつもコーヒー挽いているの?」

「お客さんに聞いて」


 え、お客さんにってどういう……あ、なるほど、お客さんが注文するからってことか。

 このお店、居酒屋のはずなのにコーヒーがメインメニューになってるもんね。となると、別段好きで挽いているわけじゃないのかな? でも、結構な腕前みたいだし、好きでもないのに毎日長時間コーヒーを挽くかなぁ。


「あぁ、まぁ居酒屋なのに人気商品がコーヒーなこのお店がおかしいのは御尤もなんだけど……そうではなくて、なんでコーヒーを挽くようになったのかなって。それも簡単ではないんだよね?」

「まぁ、そうかも」

「で、コーヒーが好きでもないなら、なんでわざわざ?」


 やっぱりお仕事だから? でも、この前暇つぶしに教わろうとしても、大体の時間帯にバリーさんかマスター君が此処にいるから、わざわざ他の人は覚えなくてもいいって言われたんだっけ。やぱり、早いところ自分だけの何かを見つけないとなぁ。


「そういえばそうだね……これは、お店が好きだから……かな?」

「お店かぁ……ここで働くみんなは結構お店のことが好きだよね。まぁ、自由がきくっていうのは確かに愛着持てる要素ではあると思うけど……」

「不思議?」

「う~ん……そうかも?」


 お給料は最低賃金だけど、少なくとも他のバイトで溜まるようなストレスや、人間関係、下手な気遣いがいらないというのは大きな魅力の一つだと思う。私は別段必要ないけれど、廃棄になるような食材は好きに食べて賄いにしていいというのも、此処で働くだいたいの人は重宝しているらしい。


 マスター君も、将来のスキルの為に活用しているんだよね。コーヒーはもののついでかも知れないけど。


 それに、このお店は自由がきく。さすがに店番が一人の時は問題だが、暇なら帰る人もいる私、勤務中にちょっと急用で一時間ほど仕事場を離れても、一緒に勤務している人が了解すれば文句は言われない。初めての職場が此処のせいで感覚が麻痺しているかもしれないけれど、これは大分特異な環境だろう。給料のせいで好き嫌い別れるかもしれないけれど、人によってはこれほど有難いことは無い……なんて人もいるんだろう。


 もし、そんな人を最初から狙って経営しているんだとしたら、博打的でもあるけど、もしかしたら経営者としての腕はいいのかもしれないなぁ。


「皆が皆、店を好きってこともないとは思うけど、此処に縛られてる……って言うと聞こえが悪いかな……ここが無いと困るというか……」


 ぼーっと考え事しつつ食器を洗い終え、マスター君に目を戻すと、どうやらまだ悩んでいる様子。珍しく大分考え込んでいます


「そう、此処しかないんだ。だから、是が非でも守りたいのかもしれない」

「ここしか……? そっか。なら、私も頑張ってみようかな。私はまだよくわからないけど、その気持ちが解るように、みんなの大切なものを守れるようにね!」

「ありがとう」


 どうやら、読みは当たったらしい。マスター君含め、大体の従業員は、この環境を気に入り、此処しかないからこそ、少ない賃金でも最大のパフォーマンスを見せて仕事をしている。お店に愛着を覚えるようになるんだ。

 人は苦労の分だけ、些細な物事や創造物にでも愛着や価値を見出すようになるとアメリカの研究者が言っていた。

 ふむふむ、なるほど。私は賃金にも賄いにも興味はないけれど、長閑でまったり、たまに忙しくってでも普段は呑気に世間話ができる。お客さんともふれあって世間を学びつつ、この前の困ダムさんの時のような程よいやりがいを感じられる。確かにこんな居心地のいいところは他にないかもしれない。他の従業員の皆が守りたがるのも頷ける。


 なら、私も貢献するために、頑張らないとね。


「なら、紅茶でも学んでみようかな。前から興味あったし、お店で紅茶は無いよね?」

「そうだね。コーヒーが売れるくらいだし、需要もあると思う」

「そっか、ありがとう。なら、今日早速帰りに本を買って資格勉強してみようかな」

「頑張って」

「うん! 任せといて!」


 私は腕まくりして力こぶを叩くと、ぺちんっと情けない音がする。こぶも、こぶというほど盛り上がってもいない。そんな細身な私の腕をぼーっと眺めていたマスター君は、どうしたんだろうと思って私が首を傾げた途端、ハッとして背を向けてしまった。

 後ろからでも耳が赤くなっているのが解る。シャイだなぁ。


 私は一通り雑談を終えると、マスター君の背後で何かに怯える金髪さんに目を向ける。


「ところで、なんで店長さんはさっきから何かに怯えるようにきょろきょろしているの?」

「あぁ……たぶんあれは、少し特殊なお客さんが来るんだと思うよ。」


 マスター君は何らかの事情を知るのか苦笑い。


「ふぅん……あ、お客さんと言えば、今日の遅くに私のお客さんも来るんだけど、いいかな?」

「へぇ、いいんじゃないかな。僕に許可取る事でもないし、店長も許可はいらないと思うよ。芳美さんの事だから、とっているだろうとは思うけど」

「えへへ……よくお分かりで」

「マスターは、お客さんの空気や顔色、常連さんならその人の好みや生活状態に合わせて的確な一杯をお出ししなければならないからね」


 マスター君は、珍しく誇らしげなドヤ顔を浮かべます。少し可愛いです。


「ところで、芳美さんのお客さんは大学とかのご友人?」

「そう。幼馴染で、大学で奇跡の再開を果たしたの! これは運命の赤い糸がつながっているとしか思えないよね?」

「えっと……あぁ、うん。そうかも、ね」

「あはは……冗談半分だったんだけど、そこまでひくことかなぁ……」


 マスター君は思った以上に引き気味で、これはもしかしなくても好感度が若干減っている気がします。これは、華麗な接客を披露して取り戻すしかありませんね。次のお客さんが勝負です。


「あ、冗談半分なんだ」

(半分は本気……)


 マスター君は呟くと、何とも言えない歪な苦笑いを見せました。これは、引く以外に別の感情を練り混ぜた表情に違いありませんが……まぁ、好意の類ではなさそうですね……はぁ。


「そうそう。今時の女の子ってこういうノリもあるんだよ?」

「そ、そう。でも、芳美さんは今時って感じでも、世間一般的でも無いような……」

「マスター? それ以上は、解るね?」

「ぅぇ……うん。えっと、ストーカーとかは、しないようにね」

「ふふん、大丈夫だよ。そんな事をしなくてもいつも一緒に居るし、家も知っているからね」

「……あ、え、うん……」


 おかしなこと言ったかな? さらに傷口を抉り広げたような気がするのだけれど。

 ふむぅ……まぁいっか。


「お客さん、来たみたいだよ」

「あ、いらっしゃいませ! ようこそ――」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る