第34話 復活したおじちゃんと光の正体。

 駅の近くで食事をして、そのあと僕らはリニアモーターに乗り込んだ。家路につくまでの僕は誰よりも幸せで、その上ママと一緒の帰り道は、なんとも心強かった。とにかく今の僕は、ママとこうしているだけで十分、満足だった。部屋に戻るとママは少し、疲れたような顔をした。時刻はもうすでに、九時半をまわっている。

「その傷はいったい、どうしたの?」

 ママが僕の顔をのぞき込んで、質問した。しばらく返事をしないでいると、ほほえみながら髪の毛をなでてくれた。「けんかでもしたのかな」耳もとでそうささやいたあと、「負けちゃったんだよね」などと言って、僕を責め立てた。どう考えてもデリカシーが、不足しているとしか思えなかった。

「まあいいわ、今日のことはあすゆっくり聞かせてもらうから、もうそろそろ眠りなさい。テレビに出られてよかったね、卓」

 そのことばを聞いたとたん、僕の意識は無残にも、現実に引き戻された。どうなってしまったのか、まったくわからない。一瞬にして周囲が真空管、『あしたゆっくり聞く』言い換えれば、『あすきっちり説明しなさい』と妙にごろが合う――おかしい。しかもテレビに出られてよかったね、と言ったときのママの唇は、サクランボを足で踏んづけて、何度もねじったかのようにゆがんでいた。

 ――危ないところだった。

 油断はどこまでも禁物で、人類の平和なんて考えていた自分が情けなくて、涙が出る。このままでは平和の代償に、僕の未来は跡形もなく消し飛んでいたにちがいない。これは明らかに洗脳だ。マインドコントロールだと叫びたい。

 それにしても、あの感動の場面はいったいなんだったんだ。あんなシーンは映画でも最近、見たことがない。それにママは主演女優だったはずだ。ヒロインの性格に問題があるなんて、僕は絶対にいやだ。勧善懲悪な映画が好きなんだ。

「一人っ子というのは、やっぱり寂しいのかな。でもママは仕事があるから、ずっと卓のそばに居るわけにはいかないのよ」

 光のやつがいるじゃないか。今もママの横で、笑っている。

「学校の先生からも、いろいろと言われてるんだよ」

「どんなことを言われてるのさ」

「卓にはあまり友達がいないんだってね」

「友達なら、たくさんいるよ」

 ママの顔は穏やかで、編み上げた髪からほつれたものが、細い糸のようになって白い肌に絡んでいた。

「今日のテレビ局でのいたずらでもそうだった――ダーリンと話ができるなんて、言ってたよね」

「ちがうちがう。あれは僕じゃない。ダーリンと話ができるのは、光のやつなんだ」

 ぬれぎぬだとしか思えなかった。

「なに言ってるのよ。そうやっていつも人のせいにする。そんなことだから、誰も遊んでくれないんだよ」

 なにかが食いちがっていた。

「卓はいつもうそばかりつく。それがばれて困ると、すぐに泣く。その上責められたら、今度は人のせい」

「それは僕じゃないよ」

「もっとしっかりしなさい。これからは決して、うそをつかないこと、約束してね」

 ――うそつきは光のやつだ。誰か証人はいないのか。

「なによこれ、ポケットがすごく膨らんでるじゃないの」

 話の途中であったにもかかわらず、ママはいきなり僕のズボンに興味を示した。しかも勝手にポケットの中まで、探ろうとした。僕のほうは慌てて抵抗したものの、ママに逆らえるはずなどなかったから、結局は好き放題にされてしまう。

 すると僕のポケットからは、なんとキャンデーの山が出てきたんだから、驚きだ。しかもそこにあるキャンデーは、AAA局の休憩室にあった物とそっくりで、それがなぜ、僕のポケットに入っていたのか、まったくの謎である。

「どうしたのよ、こんなにたくさんのキャンデー」

 ママの目はどことなく顕微鏡のように様変わり、しかもそれだけでは済まず、僕のポケットの奥からは、もっと驚くべき物が飛び出した。

「これって、ビーズの指輪だよね。こんな物、いったいどうしたの」

 ――まずかった。ひょっとして、光のやつは万引をしたのか。

「ちがうんだよ。それはママにあげようと思って、お小遣いをためて買ったんだ。高かったんだよお。五百円もしたんだ」

「ふぅん」ママはまったく信用しない。「で、どこで買ったの?」

「そ、それは――」

「あしたでいいから、自己申告してね。お金はママが払いに行くわ。だってママがはめるんでしょ、この指輪」

 まったくつけいるすきがなかった。

「そうだよ。ママの薬指って、怪我したみたいになってるじゃないか。だからそれで隠してほしいんだ」

 苦し紛れの言い訳ではあったんだけど、僕のことばを聞いて、ようやくママの顔がほころんだ。

「おじちゃんは、どうなったかなあ」

 こうなったらすぐにでも、話題を変える必要があった。

「ZOOの福西さんのこと?」

 ママの顔が一瞬で険しくなった。

「あの人、警察でどんな申し開きをしてるんだろ。あんないたずらをするなんて、ほんとに最低だわ」

 もはやおじちゃんの評価は、ママの中で確定済みである。どんな弁解をしたとしても、すでに手遅れだと断言したい。

「それからね、ママもあしたはお休みをもらったの。ずっと家にいられるんだよ。楽しみだね」

 不気味にはしゃぐママの態度が、しらじらしい。あしたの楽しみが、どんな種類のものであるのか、それを考えただけでもぞっとした。

「そろそろ、寝ようかな――」

 僕の声は心なしか震えていた。

「そうね、そうしなさい」

 ため息をリビングに残し、肩を落として自分の部屋に戻った。やっぱり僕が落ち着ける場所はここだけだ、そんな気弱な考えが脳裏をよぎったとたん、今度は複雑な思いでいっぱいになった。

 おかしい――部屋のレイアウトには、どこか違和感を抱いてしまう。そう言えば、このベッドはいつから二段ベッドに変わったのだろう。確か最初はシングルベッドだったはずだ。とまどいながらも、二三歩ベッドに近づいた。するとそれを待っていたかのように、二段ベッドの上からずうずうしくも、光のやつが顔を出した。

 やつの後ろには窓があり、そこには物憂げな月が浮かんでいる。

「いったい、お前は誰なんだ」

 僕が問い詰めても、光は笑うだけである。そんな態度にやや気後れを感じてしまい、危うく叫び声をあげそうになったんだけど、ここでも僕はなんとか我慢した。ただしどう考えても、住民票に光の名前が見あたるとは思えなかった。

「お兄ちゃん」

 返事をするかどうか、難しいところである。こいつは化け物である可能性が極めて高い。運がよくても妖怪のたぐいだろう。

「おじちゃんは今ごろ、どうしてるかな」

 光のやつはいつにも増して、冗舌だった。

「ダーリンはどうなっちゃうんだろ。フュースのところへ帰れるといいね」

 僕の体はまさしく金縛り、身動き一つの余裕もなくなった。そんなとき、いきなりチャイムの音が鳴り響く。誰かが来たような気配があった。

 こんな時間に来客があるのは珍しく、首をひねって不審に思い、そのままドアに張りついて、向こうの様子をうかがった。ところが足もとで、僕と同じポーズを取る光の姿を発見した。ここでも思わず声をあげそうになったが、それを踏みとどまることができたのは、ドアの向こうから聞こえてくる話し声のおかげである。来客の声までは聞き取れなかったが、ママがなにやら強い口調で、なじる様子が伝わってきた。それからすれば、ひょっとすると訪れたのはパパかもしれないと予想した。

 僕以外の人に対しては、どこまでも八方美人なはずのママが、あれほど声を荒らげてなじる相手はパパ以外には見あたらず、そこまで考えが及ぶと状況があらかた読めた。僕がいなくなったことを、パパはママから伝え聞いたはずだ。ただしそのあと僕が見つかったことまでママが連絡する暇はなく、行方不明の息子を心配するあまり、夜更けであるにもかかわらず、本能の赴くままに玄関のチャイムを打ち鳴らす。そんなパパの姿が、脳裏に浮かんでひたすら胸が熱くなった。

 一分のすきもないほど、つじつまが合っている――まさに、怖いくらいにだ。

 だけどもしもそうだとしたら、僕には別の問題で気に掛かることがあった。ここは慎重に対処する必要がある。僕を心配して会いに来てくれたパパには申し訳ないんだけど、待ってましたとばかりに飛び起きるのは、相当まずい。せっかく来たんだからしかたなく会う、そんな感じのほうが、ママの心には優しいはずだ。

 とりあえず、髪の毛くらいはきれいにしておこうと思い、すばやい動作で机に向かった。そこに置いてある手鏡を握って、どこまでもき帳面な手つきで、くしを通した。顔が汚れていないかどうかも、念入りにチェックした。

「パパだったら、いいのにね」

 光のやつが隣に座って、僕に話しかけてくる。

「黙れ、妖怪、お前には関係のないことだ」

 髪型を整えてから、ベッドに向かった。ママに呼ばれたら、眠そうな顔をしながら起き上がるべき。そのうちリビングから、ママの声に混じって男性の声が聞こえてくる。

 やっぱりパパだ。まちがいない――そう思うと気持ちが急いて、シーツを握ったままで体を硬くした。しばらくすると、部屋の入り口がざわついた。そのあとドアの開く音が聞こえてくる。それでも僕は慎重な構えを崩さず、横になったままで耳をそばだてた。

「卓、もう寝ちゃったの」

 いきなりママの声がした。薄目を開けて様子をうかがっていると、ママがこちらへ近づいてくるのがわかった。しかもママの後ろには、まちがいなく誰かがいる。視線を強めて、背後の人を確認した。ボサボサの髪の毛と浅黒い肌はいまいち、いびつ。その上、不気味に光るこぢんまりとした瞳はどうやら、こつぶ。

 確かにその顔には見覚えがあった。だけど残念ながら目当ての人とは大違い。なんとそこに立っていたのは、警察に連行されたはずのおじちゃんである。無事でいたなんて、悪夢としか思えなかった。

「あっ、おじちゃんが来た」

 光のやつが叫び声をあげて、飛びついた。ママはその横でけげんな顔をしている。どうやらママには光の姿が、見えていない様子である。それなのに、おじちゃんは光とハグまでしていた。

「光ちゃん、あちこちで大変な騒ぎになってるんだ。すごいものを見せてあげるから、今すぐ僕と一緒に行こう」

 おじちゃんはうわずった声で、すごいすごいを連発した。だけどどう考えても、僕には警察から無事に逃れてきた、おじちゃんのほうがもっとすごいと思う。

「卓君、はやく用意をしなよ」

 寝た振りをすることにした。目を開けると、悪い病気をもらいそうで怖かった。それでもおじちゃんは決してあきらめようとはせず、僕の耳もとでうるさいほどがなりたてた。

「やっぱり卓君の言うとおりだったよ。全部、君のおかげだ」

 さすがの僕も、ここまで言われてしまうとおじちゃんを無視できず、口をとがらせながらベッドの上で体を起こした。

「警察はいったい、どうなったのさ」

 なぜおじちゃんを野放しにするのか、僕にとってはそれが一番の謎である。

「相当、絞られたよ。だけど僕らの放送がネットで話題になって、ダーリンの研究者や、世界中のZOOから僕に対して、問い合わせが来たんだ。その人たちのおかげで、なんとか釈放してもらえた。もちろんダーリンが、一番の功労者であることはまちがいない。彼のフュースを思う気持ちが、世界中の人や警察まで動かしたんだ」

 あのグロテスクなフュースをいちずに慕うなんて、個人的にはどうしても、ダーリンの気持ちが理解できずにいる。しかもそのすべてが、光のうそである可能性が高い。もしもそれがばれたら、おじちゃんはまた刑務所へ逆戻り――なんだか悪い予感がした。

「さあ起きた起きた。はやく僕と一緒に行こう」

「今ごろからいったい、どこへ行くっていうのさ」

 僕は眠いし、ひどく疲れてもいる。それにあすはママとの事情聴取が控えているわけだし、今夜くらいはゆっくりと休みたい。そんな僕の体調も、まったくお構いなしだ。早くも光とおじちゃんが、両手を天に向かって突き上げながら、奇声を発していた。

「行くぞ、おーっ」

 それを見せられるママには、深く同情した。

「ねえ卓、福西さんって、いったい誰と話をしているの」

 ママが僕の耳もとで、ささやいている。

「さあ――」

 そう答えるしかなかった。おじちゃんと仲間だと思われるのは、絶対にいやだ。だけど今夜のおじちゃんは優柔不断な性格が一切、影を潜めてしまい、僕らを無理やりマンションから連れ出した。しかも表に出ると、おじちゃんと光は腕を組んで、やたら楽しげにスキップを踏む。『人類皆兄弟』例の歌を、存分に楽しんでいた。

 それを見た松林が笑っている。取り囲む暗闇でさえも、おじちゃんと光には遠慮して、決して近寄ろうとはしなかった。やがてZOOの入り口が見えてくる。前の広場には、たくさんの人が集まっていた。

「どうなってるのさ、閉園時間はもうとっくにすぎてるはずだろ。なのにこんなところへ、大勢の人が群がるなんておかしいじゃないか」

 驚いた僕はおじちゃんに向かって、大きな声で訴えた。

「どうだい、言ったとおりすごいだろ。今夜は入場料も無料なんだ」

 そのことばには素直に喜べなかった。今まで払ってきた入場料は、いったいどうなるというんだ。しかも僕は、住民票のない光の分まで払ってきた。とまどう僕のことなど気にもせず、能天気なおじちゃんは、まるで幼稚園児のようなしぐさを見せて、先へ進んだ。光もスキップを踏みながら、それに続いている。こうなったらしかたなく、僕とママも二人のあとを追うしかなかった。

 園内に群がる人の数はあふれるほどで、檻の中の動物たちよりもはるかに多かった。その上テレビ局各社があちこちにカメラを設置し、いろんな角度からダーリンの姿を撮ろうとたくらんでいる。周囲はまさしく、人の海である。檻のそばに近づこうとしても、少し進むとすぐに僕らは押し返された。

「すみません、通して下さい」

 おじちゃんとママが、懸命に割って入ろうとしていたがどうにもならず、ダーリンの檻からは少し遠いが、時折、花火が上がったりもするし、今夜はこの辺にいるのが無難である。

「ねえおじちゃん、みんながこれだけ応援してくれるんなら、ダーリンのやつも月に帰れるんだろ」

 やっぱりやつだって、パパに会いに行くべきだと思う。

「それはまだわからないんだ。だけどみんながすごく心配している。だからきっと、フュースの元へ帰れるさ」

 そんなことを言いながら、おじちゃんが片目をつぶって合図をした。

「これ以上、近寄るのは無理みたいだ。肩車をしてあげるからさ、こっちへおいで」

 そう言ってくれたので、遠慮なくおじちゃんの肩にまたがった。それのおかげでダーリンの姿が、かすかに見えた。だけど驚いたことに、光のやつまでがママの肩の上にいる。ママがそれを承知しているはずは絶対になく、やつの強引なやり方には、ひたすら頭の下がる思いがした。

 どちらにしても、みんながダーリンに会いに来た。

 いつもなら少し、物悲しいはずのZOOの夜が、この日ばかりは迷惑なくらいにぎやかで、動物たちもきっと檻から出たいと、訴えているにちがいない。そんな中でただ一人、おじちゃんだけはママの横顔にじっと見とれていた。しかも運悪く、ママがこちらを向いてえくぼを作ったんだから、たまらない。それを見たとたん、おじちゃんはずうずうしくも、顔を赤らめてうつむいた。

 おそらく都合のいい勘違いをしたはずだ。ママは明らかに僕を見て笑ったのに、どこまでも自意識過剰なおじちゃんは、自分を中心にして物事を考えたがる。その性格にあきれ果て、なんとなく、僕の中でフュースとおじちゃんのイメージが重なった。ひょっとして、光がダーリンでおじちゃんがフュース――そんな想像を、『わぁーっ』という周囲の歓声が一気にかき消した。ダーリンの檻が七色に輝いたせいだ。

「いったい、どうなってるんだい」

 おじちゃんが僕の顔を見上げながら、質問した。

「ダーリンの体が、七色に光ったみたいなんだ」

 よくは確認できなかったが、そうとしか思えなかった。

「お兄ちゃん、ダーリンがすごく喜んでるみたい。みんなにありがとうって言ってるよ」

 光がまた、出任せを言いだした。

「お前というやつは、この期に及んでもまだ、うそを重ねるつもりか。身内として、僕はどうしようもなく恥ずかしい」

 大声で光をなじる僕の顔を、ママがじっと見つめている。

「卓、いったい誰と話をしているの」

 ママの様子を見て、光のやつが吹き出した。

 それにしても、よくこれだけの人が集まったものだと感心した。確か前にも、こんな光景を見たことがある。ダーリンが初めて、ZOOへやって来たときのことだ。あのときも今夜と同じように、ここにはたくさんの人が訪れた。みんなで精いっぱいの歓迎をした覚えがある。月からやって来た小さな異邦人――いたいけなその姿に誰もが哀れんで、頼りなげな細い足に、同情が向けられた。だけどそれからすぐに、ダーリンは飽きられた。二年もたたないうちに、ほとんどの人が見向きもしなくなった。

 今度はいったい、いつまで続くのだろうか。

 五年前の僕はまだ小さかった。ダーリンは人の壁にガードされていて、檻のそばへ近づくことでさえも、一苦労だった。だけどあの日も今夜のように肩車をしてもらい、ようやくダーリンの姿を見ることができたんだ。

 そう言えば、あのときはパパもいた。 (了)

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ダーリン @8ssan

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