12.フォレス森の幻惑②黙ってるなんて男じゃねえ

 森の中を走ること三分。木々に囲まれた小高い丘の上に、古ぼけたレンガ造りの小屋があった。赤ずきんチャットのお婆さんの住処に違いない。

「お婆さん!」

 赤ずきんはノックもせずに扉を開け放つ。家の中にはドレス姿の若々しい中年女性の姿があった。随分美人なお婆さんだ。

「んまっ、どうしたの赤ずきんちゃん。もしかしてお見舞いに来てくれたのかしら」

 突然の訪問に驚いたお婆さんは、目を円くして尋ねる。


「…あなた、お婆さんじゃないわね。あたしの祖母が、こんなに美人の筈が無いわ」

「えっ、な、何を言ってるの。私は本物の…」

「きえぇぇぇぇぇぇぇ!」

 赤ずきんチャットは奇声をあげながら唐突にお婆さんに斬りかかった!


「きゃっ、危ない」

 間一髪、斬撃はお婆さんを外した。

「ちっ、素早い獣め」

【おい、何やってるんだ馬鹿。確かに若く見えるが、この人は本物なんじゃないか。狼が先回りしてこんな変装をする時間は無かったはずだ】

「そう言い切れるかしら」

 チャットはまだ疑いを拭えていないようだ。


「お婆さんは病気だったはずよ。なのに何故、テーブルに腰かけて紅茶を啜っていたのかしら」

「ああ、もう大分具合が良くなったのよ。ベッドから起き出してお茶を淹れるくらいなら出来るわ」

 お婆さんは落ち着いて弁明する。


「ふん、じゃあいいわ。だったら今のあたしがどんな髪の毛をしているか答えられるかしら。本物のお婆さんなら、知っていて当然よね」

 赤ずきんチャットは挑戦的に言う。確かに、頭巾の下に隠れた赤ずきんの髪型を答えられたなら、それはきっと本物だ。

「ええっと、おさげだったかしら。あっ、でも最近になって髪を下ろしたのだったっけ?ああ、もしかしたら長い髪を短く切り揃えたかもしれないわね」

「残念!ハゲだ!!」

「なにぃ!?」

 赤ずきんは頭巾を取り去って、焼け野原状態の頭皮をまざまざと見せつける。なるべく広範囲をカバーして回答したつもりのお婆さんであったが、流石にこれは予想できなかった!


【マジで偽物だったのか?】

「観念しなさい狼さん。あなたの悪行はここまでよ」

 お婆さんを追い詰める赤ずきん。だが、お婆さんも諦めが悪い。

「お待ちなさい、赤ずきん。孫の頭皮情勢を忘れてしまうなんて、年老いた祖母にはよくある事よ」

「それもそうね」

【そこで丸め込まれちゃうのかよ】

 詰めの甘い赤ずきんであった。


「お婆さんを信じるわ。よく聞いて。これからここに悪い狼がやってきて、あたし達を食べようとするの。あたしが頑張って撃退するから、お婆さんはここから逃げて」

「それは大変ね。でも一人で大丈夫なの?」

「忘れたのかしら。あたしの異名"赤ずきんちゃん"は、戦場で受けた返り血で防具の頭巾が真っ赤に染まった事に由来しているのよ。狼の一匹や二匹、軽く血祭にあげてやるわ」

【そんな設定無いんだけど。何その武闘派赤ずきんちゃん】

「…わかったわ。私もあなたを信じる。んじゃ」

 赤ずきんの言葉を聞き入れて、お婆さんは小屋をそさくさと出ていった。


「よし、お婆さんの振りをして狼を油断させ、その隙をついて奴を始末するわよ」

【なんかもう配役ぐちゃくちゃじゃねーか】

 赤ずきんチャットはベッドに潜り込んで、狼がやって来るのを待つ。


「ピンポーン」

 そこに、何者かがインターホンの呼び鈴を声真似して訪ねてきた。

「誰かしら」

「赤ずきんです」

 何も知らない狼は、自らを赤ずきんと名乗る。


「それは有り得ないわね。赤ずきんはさっき私が醤油で煮込んで食べてしまったから」

「なにぃ!?」

【もはやお前は誰を装いたいんだよ】

 混乱する狼は、暫く沈黙した後、もう一度口を開く。


「実は、アマゾンからのお届けものです」

「やだ、宅配便だったのね」

 今度はうまく行きそうだと、狼はほくそ笑む。

「ええ、買い物が届くのが待ち遠しかったでしょう」

「そうね。ずっと待っていたんだから、そのスカイダイビングセットが届くのを」

「無理すんなババア、死ぬぞ」

「何よ、私は空から落ちるより、お空に昇っていく方がお似合いだって言うの!?」

「丁寧にオチまで用意してんじゃねーよ」

 長々とコントに付き合わされていらいらした狼は、またも手段を変える。


「本当は医者なのです。病気のお婆さんに薬を届けに参りました」

「まあそういうことでしたの。では扉は開いてるのでお入りください」

 三度目の正直。やっと内部への侵入に成功した。

 ベッドで寝ている赤ずきんチャットに、狼は訝しげに問いかける。

「やあお婆さん、お婆さんの頭はどうしてハゲ散らかっているんだい?」

「大人になると、色々と悩み事があるものなのよ」

「じゃあお婆さん、お婆さんの鼻の穴はどうしてそんなに広がっているんだい?」

「人は、生まれついての宿命さだめからは逃れられないものなのよ」

「それならお婆さん、お婆さんのお腹はどうしてそんなに膨れているんだい?」

「過去に犯したぼうしょくには、いつか必ず報いがくるものなのよ」

「だったらお婆さん、お婆さんの顎にはどうして無精ひげが生えてるんだい?」

「…更年期障害よ」


「…そんなお婆さんがあるか!正体を見せろ!」

 狼はお婆さんの被った掛け布団を捲りあげる!

「…げっぷ」

 そこには、丸々と太った醜い豚の姿が!

「……あれ、俺今『三匹の子豚』に出演中だったっけ?」

「ぶひぶひ」

「…みたいだな。だとしたらレンガ造りの家の子豚は食べちゃ駄目なんだよな?退散するか」

 狼は首をかしげながら、後ろを振り向く。


「隙ありいいいいい!」

「んぎゃああああああ」

 すかさず赤ずきんチャットは剣を抜いて斬りかかる!狼の背中から、紅い血飛沫が噴き出す!

「くそっ…はめたわね婆さん、いや赤ずきんめ…」

 急にオカマ口調になる狼。


「残念だったな。誰だか知らんが、わざわざおとぎ話になぞらえて臭い獣にまで化けたのってのに、俺をうまく押さえこめなくて。てかお前、何でそんな醜い姿への変身を選んだんだ?」

 こっちは女言葉が直っている。『赤ずきんちゃん』の童話世界から抜け出せたようだ。

「アタシだってこんな役やりたくなかったわよ!でもあの人が自分ばっかりいい役取るから仕方なく…」

「あの人?」

 チャットは話を聞きながら服のよれを直し、剣を鞘に収める。その瞬間。

「ヴワオン!!」

 狼が雄たけびを上げると同時に、強烈な風が下から巻き起こり、チャット達の動きを封じた!ほこりが舞い散り、目を開けるのも困難だ。

「ちっ、風魔法か」


 唯一視界が利くじいは、狼が小屋から逃げ出すのを捉える。

【奴が逃げるぞ!ドラゴン、追ってくれ!】

「ニャー!」

 烈風の間隙を縫って、ドラゴンはその場を飛び出し、狼を追いかける。が、木々に覆われた森の中は隠れ場所に富んでおり、小屋の外に出てすぐ見失ってしまった。


「ドラゴン、じい!」

 後から、チャットも彼らに追いつく。

【すまん、見失っちまった】

「にゃあ…」

「いいって事よ。狼を手負いにして撃退した事で俺も目が醒めたみたいだし。さあ、いい加減外に出ようぜ」


 チャット達は元来た道に戻り、そのまま森からの退出を目指す。昼休みは残り五分ほど。じいとしては、なんとかこの休み時間中にチャット達が森から脱け出すのを見届けたい所だ。

「しかし何度か全力で走ったせいか、ひどく喉が渇いたな。なあドラゴン?」

「にゃー」

 じいは何もしていないが、彼らは散々動き回っているので、当然の生理反応だろう。

 と、またしてもチャットが何かを発見した。


「あっ、あんな所に来る時には無かった小さな泉が!あそこで喉を潤そう!」

【ちょっと待て。明らかに怪しいだろうが】

 しかしチャットとドラゴンは聴く耳持たず、泉の方へとまっしぐらに駆けていく。泉の水は底が見えそうな程透き通っていて綺麗だ。脇に立てかけてある立て札には、「気前のいい泉の精霊が住んでいます」とある。これはもう、モロあれだ。

 じいの心配を尻目に、チャット達はごくごくと水を飲みこんでいく。ここまでは平和であったが、やはり問題は発生した。

「あっ、しまった!しっかり鞘に収めていたはずの剣が滑り落ちて、うまいこと泉の中にポチャリしちまったー!」

【お約束お疲れ様です】

 錆びた鉄棒は、瞬く間に泉の底へと沈んでいく。


「うーん、取りに行きたいけど、俺もドラゴンも泳ぎ苦手なんだよなあ……」

 チャットが思いあぐねていると、なんと、水中からローブを纏った美しい女性が現れた。

「うおっ!?もしかして、泉の精霊か!?」

「いかにもその通りです。さて旅の木こりよ、貴方は湖に大切な剣を落としましたね。それは、この金の剣ですか?」

 泉の精霊はどこからか黄金に輝く剣を取り出し、両掌の上にそれを浮かべて尋ねる。

「いいえ、違います」

 チャットは、正直に答える。すると精霊はもう一本別の剣を取り出す。

「では、この銀の剣ですか?」

「それも違います」

 またしても正直に答える。


「ではあなたが落としたのは、一体どのような剣ですか?」

「それは…」

【!待てチャット、正直に答えるな!】

 正直に答えれば、童話の『金の斧』の通り、三本全ての剣を貰い受ける事になる。それは童話の世界に完全に呑み込まれる事を意味し、チャットはこの世界の勇者としての役目を全うできなくなる。そうなれば、ジーファンタは終わりだ。

 もう金の剣と銀の剣の所有は否定してしまったが、今からでも遅くない、何らかの嘘をついて、童話の通りになる事を阻止しなくては。


「わかってるさ、じい。正直に答えたら、こいつらの思う壺だって事くらいな」

 じいが忠告するまでも無く、チャットはそれを認識していた。今度のチャットは物語の世界に呑まれてないようだ。チャットはゆっくり返答を検案する。


 が、その姿を見て、精霊はほくそ笑んでいた。

(残念でしたわね、紅の勇者よ。正直に答えれば物語に呑み込まれてしまう事くらい、貴方でも気づいているでしょう。『金の斧』の主人公である善良な木こりは、精霊の問いに正直に答える存在ですからね。でも、あなたは大切なことを見落としています。それは、貴方が主人公では無く、守銭奴の悪い木こりに配役されている可能性。悪い木こりになる為には、精霊の存在とその所作を知っているのが前提条件となる。元の童話では善良な木こりからそれを聞くのだけれど、別にその情報源は何だっていい。貴方の場合は、精霊の存在と性格を知らしめる立て札のメッセージを読んでしまっています。よって、十分に悪い木こりになり得るポテンシャルがある。だとすれば、金の剣や銀の剣が自分のであると主張したり、あるいは他の嘘をついたりしたら、貴方は無意識に悪い木こりという作中の登場人物を忠実に演じてしまう事になる。つまり、正直に答えても嘘をついても、貴方は物語の呪縛から逃れる事は出来ないのです。既に貴方は、完全に詰んでいますのよ!)


「さあ答えなさい、木こりよ。貴方が落としたのは、どのような剣ですか」

 考え込むチャットに、精霊は催促をかける。

 その余裕な様を見て、じいはハッと企みに気づいた。

【(そうか、これだとどう答えても物語準拠の言動に陥ってしまう。だとすれば正答は沈黙…。だがそれだと、レッドソードは取り戻せない。何かいい策は…) 】

 じいが思案する中、チャットは全てを悟ったかのような溜息をして、言い放つ。


「俺が落とした剣、そいつについて聞きたいんだったな?」

「ええ」

【!馬鹿、チャット。答えたら駄目だ!】

「いいや、俺は黙っているのは苦手でねえ。はっきりと答えさせてもらうよ」

 何か駆け引きをしようという意図は見えない。本当にこのまま、答えるつもりだ。


【(何て答えるつもりだ、チャット・・・?)】


(ふふ……いいですよ。なんて答えようが私の勝ちは決まっています。せいぜいとんちの利いた答えでも期待しようじゃありませんか。さあ紅の勇者よ、早く、私の問いに答えなさい!!)


「そう、俺は…」


 チャットは一度長く瞬きをして、それから目を大きく見開く。



「俺は、泉に剣なんか落としちゃいねえぜ」

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