2.俺の力をとくと見な

 チャット一行は、陥落した関所近くの宿場町を歩いていた。

【なんで土下座なんかしたんだよ。お前には勇者としてのプライドってもんがないのか?】

「プライド?知らねえよ、そんな下らないもの。どんな争いも、勝つ事より起こさない事の方がいいに決まってる。俺のモットーは、超平和主義だ」

 チャットは誇らしげに豪語する。彼にとっては、平和を守る大義の前では、土下座する事も勇者の使命の一つであるらしい。


「ニャッ」

 その時、またしてもじいの視界が歪んだ。しかし今度は、ドラゴンが自発的に首を動かしたのでは無いらしい。

「あっ、すいません。足元よく見ていなくて、そちらの飼い猫にぶつかってしまったみたいです」

 と、謝るのは、またまたデビタン。ひょろっとしていて、いかにも弱そうな感じである。

「ふざっけんじゃねえぞゴルアアアアアアアアアッ!!」

 チャットは激怒した。

【おい、超平和主義はどうした】

 「ひいっ」と、デビタンはビビり声を上げる。


「てめえ俺の可愛い可愛いドラゴンちゃんに何さらしてくれてんじゃ、おお?ぶっ殺されてえのか、おお?こっちは本気だぞ、本気」

【さっきの奴と全く同じ絡みしてんぞ】

 チャットはデビタンに顔を接近させ、ガンを飛ばしている。

「えっ、あの、その、本当すいません……」

「ああ?聞こえねえな?今何t」


「…おいてめえ、俺の弟に何か用か?」

 と、そこに、ぶつかったデビタンの弟を名乗る男を筆頭に、屈強なデビタン達がぞろぞろと集まってきた!

「チッ、この辺で勘弁してやる」

「おい、待てやハゲ野郎。随分弟が可愛がってもらったみたいじゃねえか。こっちもお返ししてやんねえとな」

「お返しなんて、とんでもない。後で郵送してください」

「受け取るのかよ!なら今すぐこの場で渡してやんよ!!」


 騒ぎを聞きつけて、野次馬が集まってきた。

「何だ、喧嘩か?」

「デビタンと、相手は人間?只のデブじゃねえか、弱いものいじめかよ」

「いや、喧嘩売ったのはあのデブの方らしいぞ。自業自得だな」

 あっという間に、周囲を人だかりが覆う。これではもはや、逃げ場が無い。

【どうすんだ、チャット。もう円く収まりようが無いぞ】

「ああ、戦うしかねえようだな」

 そう言って、チャットは腰に差した愛剣レッドソードを抜く。


「何だその錆びた鉄棒は?武器のつもりか?」

 ハハハハと、デビタン達が高笑いする。

「てめえら、手出すんじゃねえぞ。弟の仇は俺がとる」

 デビタンの方も身構え、戦闘態勢に入る。

【本当に戦うのか?】

「心配すんな。俺を誰だと思ってるんだ?こんな奴にやられる程やわじゃないさ」

 チャットは不敵に笑う。余裕の表情だ。それを見て、じいは少し安心すると同時に、高揚感を覚えた。いよいよ、紅の勇者ニート・チャットの真の力を見れる……。


【チャット、気を付けろよ。あいつの爪、とんでもなく鋭そうだ。いくらお前の回復力をもってしても、まともに喰らえば大変な事になる】

「わかってるさ。だが、当たらなければ、どうって事ねえ!!」

 その言葉を皮切りに、チャットが前方に動き出す!

 大してデビタンは防御の構えを見せる。戦闘、開始だ。

 チャットの、雄たけび!


「ああああああああ、足攣ったああああああああああ!!!!!」 

【何やってんだああああああああああああ】

 チャットはその場にうずくまり、のたうち回る。

【早く立て、やられるぞ!】

 それを見たデビタンは、防御の構えを解く。

「仕方ない、痛みが引くまで待ってやろう」

【意外と優しい!】

「しかし、戦場ではこのような情けは一切無い。よく胸に刻んでおくんだな」

【そして適切なアドバイス!】


 五分後、フラフラしながらも、立ち上がるチャット。

「ふっ、待たせたな。今度こそ準備万端だ」

「ならば次はこちらから行かせてもらおう」

 デビタンは鋭く伸びた爪をチャットに向けて構える。

【その足で避けきれるのか!?】

「問題ない」


 デビタンの突進!しかし、胸部を狙ったその流撃はスルリスルリと躱され、チャットの肩や腕を貫いていく!

「当たんねえなあ」

【いや思いっきり被弾してるよねそれ。辛うじて致命傷避けられているだけだよね】

 噴出した傷口は、次々に塞がっていく。チャットの驚異的な回復力が為せる業だ。

「くそっ、なんだこいつ!しっかり喰らってるはずなのに…!」


「そろそろこっちも行かせてもらうぜ?」

 チャットは再びレッドソードを構え、攻撃の態勢に入る。

「まずい…!」

 チャットの一閃!


 は、右肩の手前で霧散した。

「あああああああ!!!手滑ったああああああああああ」

【はああああ????】

 レッドソードはチャットの右方5メートル付近に転がっていた。


「チャンスだぜ、やっちまえデビタンのあんちゃん!」

「ハゲデブざまあ!」

 何故か人間たちまで敵であるデビタンを応援している。圧倒的アウェーだ。

【剣を取りに行け、チャット!】

「足痛いから無理」

【うおい!!】

 チャット自身も完全に諦めムードのようだ。じいの激励にも耳を貸さない。


「諦めて死を選ぶか、愚かな人間よ」

「雑魚の癖にラスボスみてえな口調してんじゃねえよ。俺が剣を取りに行かないのは勝負を投げたからじゃねえ。剣が無くても勝てると思ってるからだよ」

「何?」

「かかってこい、雑魚野郎!」

「ならば、望みどおりに!」

【何か策があるのか、チャット…?】


 その後、チャットは十分間四肢を抉られ続けた。

「うおおおおおおおお!!」

「甘い!その程度で俺が殺せるかああああ!!」

「くそっ、何なんだこいつは…!」

 流石のデビタンも動揺の色を隠せない。

「そいつ、気味が悪いよ!もう関わるのは良そう、兄さん!」

「そうだ、放っておけ!呪われでもしたら大変だ。そいつきっとゾンビか何かだぜ」

「…お前たちがそういうなら仕方ない」

 仲間に説得されたコワモテの兄デビタンは、ようやく猛攻を止める。諦めたようだ。

 デビタンは爪にこびりついた血を拭き取ると、奇怪な物を見る目でチャットを一瞥し、何も言わずに仲間と共に去って行った。

 戦いが終わったのを見て、野次馬達もあっという間に散っていった。気持ち悪い、化け物を見た、等と呟きながら。


「厳しい戦いだったな…なんとか勝利を収める事ができたが…」

【いや、勝ってない。100対0で判定負けしてる】

「勝負の場から先に逃げ出したのは奴の方だ。どう見ても試合放棄、俺の勝ちだ」

 チャットは意味のわからない理屈を持ち出して、自分の勝利を頑なに主張する。

「まあ危ない所ではあったな。後三時間切り刻まれ続けていたら、俺の回復力も間に合わなかったかもしれん」

【結構持つんだな】

 チャットの耐久力は、じいの想像よりもはるかに高いレベルにあるようだ。

 しかし、じいは内心かなりガッカリしていた。普段は全く冴えない様子だが、いざ戦いとなれば、勇者の名に恥じない猛烈な強さを見せてくれるだろうと期待していた。だが、チャットは本当にその見た目通り、運動神経ぐずぐずの雑魚野郎と判明したのだ。無論、十年のブランクで腕が鈍っているのは確かだろうが、それを差し引いても酷い有り様であった。

【でもまあ、そうだよな…】

 と言っても、じいにチャットを責める気は露ほども沸いていない。寧ろ自分が、件のNEETに過度の期待を寄せていたことを反省した。


「ニャーオ」

「おお、すまんドラゴン。腹が減ってるよな。宿を探そう。今夜のご飯はロールちゃんだぞ~」

「んにゃっ!」

 チャットは立ち上がると軽く血を拭い、おもむろに市街を歩き始めた。今日泊まる宿を求め、街の中心街に繰り出す。

 人通りが多く、視点が低いために、じいには街の様子はよくわからなかったが、ドラゴンの歩いた距離から、そう大きな街ではない事は分かった。おそらく建物の数は100程度。その殆どは宿屋か商店で、本当に宿場町としての機能しか持たないようだ。農作物や狩猟成果を獲得する一次産業も、それを加工する二次産業も一切存在しない。


「泊まりたい宿屋あるか、じい?」

【うーん、どれも興味惹かれるけど・・・】

 この街の建物は、皆落ち着いたダークブルーの木材で組まれている。それは塗料の色では無くて、原料の樹木の色素由来らしい。じいにはその景色がなんとも幻想的で、じっくりと宿選びをする余裕など無かった。

【どれでもいいよ、お前に任せる】

「んじゃ、この一番近い宿で。人も少なそうだし」

 チャットは、小さいながらもこ洒落じゃれた外装の宿を選び、その戸を開いた。


「いらっしゃいませ、店主ドルセでございます」

【薄々そんな気はしていた】

 現れたのは帝都一の店主、ドルセだった。

【あんた帝都以外でも活動していたのか?】

「はい、私は大陸中に店を抱え、昼夜を問わず飛び回っておりますよ。因みにこの街の宿も八割は私の経営です」

【もういいよ、こいつがラスボスで。チャット、こいつ切り倒そうぜ。多分急にスタッフロール流れてエンディング迎えられる】

「もう三回くらい試したが駄目だった」

「試してたんかーい」


「冗談はさておき、お部屋にご案内しましょう。二名と一匹様でよろしいですね?」

【なんで俺もカウントされてるんだよ。ぼったくる気まんまんじゃねーか】

「いえ、一名と二匹でお願いします」

【お前はさっき、デビタンにゾンビって言われた事引きずってんじゃねーよ!】

「やかましい家畜が三匹ですね、畏まりました」

【殴り飛ばすぞ】


 部屋はおよそ六畳程のスペースに、ベッドと冷蔵庫が置かれているだけの簡素なものだった。

【なんかもう当然のように冷蔵庫とかあんのやめてほしんだけど】

「じい、勝手に冷蔵庫のコーラとか飲むなよ。後でしっかり金取られるんだから」

【その辺のシステムも一緒かよ。てか俺その場に居ないから飲めないし】

「そうだったな。よし、じゃあ地下の酒場にでも繰り出すとするかな」

 チャットはベッドの上に荷物を放ると、楽しげにそう言った。

【酒場なんてあるのか】

「ああ、この世界じゃ宿屋の地下には酒場が設けられているのがスタンダードだ。戦士や冒険者たちは、そこで情報交換をし、旅の知恵を得る」

【へえ、なんかわくわくするな。でもお前、他人と上手くコミュニケーション取れるのか?】

「ここまでは俺の悪い噂も広まってないだろうし、大丈夫だろう。とりあえず行ってみよう」


 地下には薄暗い石造りの空間が広がり、酒臭い匂いが漂っていた。

「まだ夕方前なのに、結構賑わってるな」

 入り口から正面奥に向かってカウンター席が広がり、右手には十数組みの三~四人掛けの木製テーブルが並んでいる。木材はやはり深青で、じいにここが異世界であるという事を忘れさせない。

 テーブル席は八割方埋まっており、見たところデビタンの比率がかなり高い。ドラゴンに変なのが絡むと厄介だということで、チャット達はカウンターガラガラにしてまるで人気無しのマスターの正面へと座った。


【ここはドルセじゃないんだな】

「ドルセさんは上の仕事で忙しいですからね。普段は私が任されています。それでも、隙を見つけてはちょくちょく顔を出しに来ますが」

 マスターは立派なあごひげを蓄えたダンディなおじさん。この世界でようやくまともな人間を見た気がすると、じいは思った。


「よっ、デビタンの旦那。あんた一人飲みかい?」

 じいとマスターが会話している間に、チャットは隣に一人で座る背の高いデビタンに話し掛けていた。


「いや、後ろの奴らは仲間なんだが、どうにも若い奴らのノリについていけなくてね。一人で静かに飲みたくて、カウンターに越してきたって訳さ。俺ももう歳かねえ」

「わかるぜ、その気持ち。俺も最近ロールちゃんを日に二十本食うだけで胸焼けするもん」

「なんでまだ生きてんのお前」


【……】

「……」

 マスターが思いの外口下手だったため、じい達の会話はすぐに打ち切られてしまった。初対面の人と話す時にありがちの、気まずい空気が流れる。

「でさー、そん時ジャンプがコンビニで売り切れててさ、マジ参った訳よ!」

「いやー、わかるわそれ。俺も経験者、経験者」

 一方、チャット達の会話はますます盛り上がっている。こいつ全くコミュ障でないどころか、寧ろ滅茶苦茶コミュ力高くね?と、じいは思うのだった。


「んで、旦那は何でこの街に来た訳?」

「聞いた話だがよ、何か近くの関所がデビタンに占拠されたらしいじゃん?だからちょっと覗いてみようかなって。あんた知ってた?」

「ああ、知ってる知ってる!」

 デビタンはうんうんと頷く。


「だって、占拠したの俺だもん」

「えっ」

 チャットの表情が凍り付く。

【祝杯、挙げてたな】

「なっ、俺の言った通りだろ?」

 チャットは見事にフラグを回収した。しかし、よくよく考えればこんな帝都のすぐ近くの街に、敵族であるデビタンが大挙してる時点で、それが敵軍一派である事は予測が立ったはずなのだが、チャットはまるで気が付かなかった。じいの方はなんかもう突っ込みつかれていたので、放置していた模様。


「そういや、あんた名前は?」

「ニートです」

「ニート?ニートってあのジョイン家の…?」

「あっ」

 チャット、痛恨のミス!


「ギャハハハハハハハハ、こいつはいい!おい皆よく聞け!このハゲデブ、あのジョイン家の勇者、ニート・ジョインらしい!こいつをぶっ殺せば、関所制圧以上の大手柄だぜえ!!」

 先ほどまでチャットと仲良く談笑していたはずのデビタンは、急に立ち上がり大声を張り上げた。見事な掌返しだ。

 うおおおおお、という叫び声と共に、背後のデビタン達も起立し、腕を振り上げて興奮を示す。先刻の、市街における戦闘の時とは比べ物にならない熱気。やはり、相手が名の知れた勇者であると、判明している事が大きいのか。


「てめえに習って俺も自己紹介をしておいてやろう。俺はセッキー関所攻略軍第一部隊隊長カッメ。いずれデビタンの王位につく男よ」

「部隊隊長?それってそれなりの地位があるって事だよな?って事はさっき俺に絡んできたチンピラデビタンよりもずっと…」

「ああ、そうか。さっき俺の部下が、道端で突然絡んできたからギザギザに切り刻んでやったってのは、お前の事だったんだな。勿論俺はそいつより強い。何たって俺はこいつらをまとめるリーダー格だからな」

「リーダー…こいつらの、…」

「そう、だ。部下はお前を仕留め損なったみたいだが、俺はそんな真似犯さねえ。なんたって、俺の爪は、こんなに鋭いからなあ!!」

 ズバンッと、部隊隊長カッメは自慢の爪を振り下ろす。すると、マスターが持っていたワイングラスが綺麗に真っ二つに割れているではないか!


「私のワイングラスが・・・」

【チャット、こいつは本気でやばい!いくらお前の回復力でも、こいつに攻撃されたらそう持たねえ!】

「あわわ・・・」

 チャットはワイングラスを見て、目を皿にしている。


「外野は黙ってろ。これは決闘でも何でもねえ。こいつが戦いから逃げようが逃げまいが関係なく、俺はこいつを殺す。それだけだ」

「こ……殺す……?」

「ああ、今この場でな。死ね、ニート!!」

 チャットの体に、カッメの鋭利な爪が吸い寄せられる!

【何してんだチャット、逃げろ!持久戦に持ち込めば勝機は作れる!】

 しかし、チャットは動かない。

「マジかよ……さっきのあいつも十分強かったのに、今度はだなんて、そんなの、そんなの……」


 チキン、と歯切れ良い金属音が鳴り響く。



 次の瞬間、石造りの床の上に横たわっていたのは、胴に鋭い切り傷を負った、デビタンの部隊隊長であった。


「な……ぜ………」


 紅の勇者ニート・チャットは、雑兵ぞうへいにはこてんぱにやられてしまう。けれども、相手が敵軍を統べる強かなならば、これにやられたためしなし―。

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