10.帝都に、明日は来ない

 裏切り者。赤髪の男は、確かにチャットをそう呼んだ。チャットが、裏切った?一体、何を……?

「国と仲間を裏切った卑劣な背信者が、よくもこう白昼堂々と外を歩けたもんですね」

「……ちょっと、用事があったんだ。もう家に戻る」

「今じゃ何もせず、年中家に籠っているようなあなたに用事?家のトイレでもつまったんですか?」


 男は、容赦の無い嫌味を、次々にチャットに浴びせる。

 耐えかねたじいは口を挟もうとするが、またもチャットが掌で制止する。これは俺の問題だと言わんばかりに。

「お前らこそ、どこに行くつもりなんだ?見た限り、いくさ準備万端だが、これから戦地にでも赴くのか?」

「知らないんですか?これだから引き篭もりは世間に疎くて困る」

 男は、やれやれと、大袈裟な身振りをする。


「最近再びデビタンの大攻勢が始まって、ジーファンタの領土は次々に奪われていっています。我々若い戦士たちにも、いよいよ出番がやってきた訳です。国の兵士たちだけでは、太刀打ちできないようですからね」

「そうか、気を付けてな」

「あなたに言われなくとも」

 そう言うと、赤髪は後ろに待機していた若い男三人を引き連れて、道の奥へと進んでいった。後ろの三人は途中何も発さなかったが、どうやら奴の仲間であったようだ。


 チャットはしばらく立ち尽くし、彼らの後ろ姿を見つめていた。やがて、ゆっくりと自宅への帰還を再開する。

【なあチャット、裏切り者って……】

 じいは、堪えようのない疑問を口にする。

「ああ、奴らがそう言ってるんだ。俺がジーファンタを裏切り、蒼の勇者ビームと、その仲間たちを殺害したって」

[何!?お前がそんな事する訳……]

「ああ、してねえよ、そんな馬鹿な真似。裏切ったのはビームだ。俺は寧ろ被害者。だけど、殆ど誰もそれを信じちゃいねえ。裏切ったのは俺の方だと思っている。特に、俺たちのことを良く知った戦士連中はな」

【どうしてだよ!お前、ちゃんと真実を話したのか?】

 じいは感情を隠しきれぬまま尋ねる。


「話したさ。でも無駄だった。元々な、ビームの方が圧倒的に皆の支持を集めていた。奴の実力は俺を凌いでいたし、何よりイケメンだったからな。双雄とか、二人の勇者とか言われていたって、いつも主役はビームで、俺はその引き立て役だった。ドラゴンボールで言えば、ビームが悟空で俺はピッコロ。どう足掻いても俺は奴の下だった。あいつ、イケメンだったしな」

【二回も言うな、悲しくなる】

「そんな訳で、戦いから帰った後で俺が真実を話しても、誰も信じなかった。あの青の勇者ビームが仲間を裏切っただなんて信じられない。きっと、裏切ったのはニートの方だってな」

 チャットの口からは、悲しい過去が語られる。

「だからよ、俺は直ぐに主張するのを止めた。別にビームの名誉を守りたかったとか、そんなお人好しの理由じゃねえ。いくら喚き散らしても俺の信頼は回復されず、徒にビームの名を汚すばかりだし、変に俺に味方につく奴が現れて、ジーファンタ内で対立・紛争が発生なんてなったら、洒落になんねえからな」

【それでずっと、押し黙ったままだったのか?】

「いや。言葉が駄目でも行動で示せば、皆自分を信じてくれるはずだと思ってな。デビタンとの戦いに身を投じ続けた。だが、効果は無かった。その程度の活躍で償いになると思うなと非難され、大きな手柄を挙げると敵に内通して八百長したと疑われ、率いた仲間が戦死すれば、また俺が殺したんだと騒ぎ立てられた」

【どんだけ嫌われてんだお前】

「んでよお、もう全部嫌になっちまった訳よ。大事な友に裏切られ、それを告発しても信じられず、名誉挽回の為戦っても石を投げられる。戦い続ける動機を失っちまった。それで、ずっとNEETやってた訳よ」


 思ったより、ずっと重い過去だった。確かにそこまで状況が悪くなれば、多くの人は引きこもってしまうかもしれない。というか、こいつは人から信じられなさすぎだろう。いくら何でも可哀想だ。

 そう考えていたじいであったが、それよりももっと大きな思いが、心の中をせり上がっていた。

【それを聞いて、少し安心したよ】

「あん、どういう意味だ?」

【お前がニートになった理由が、しょうもないもんじゃなくて。俺自身引きこもった経験無いから、完全に引きニートの気持ちを理解したとは言えないが、少しは納得できた気がする】

 やはりチャットは、どうしようもないへたれ、では無かったようだ。


「たりめえだ。俺は紅の勇者だぞ。引きこもるにしても壮大な理由があるに決まっている。さて、もう家に着くぞ。今日からこの大量のロールちゃんを消費しなきゃいけねえなあ」

【一気に食ったら太るぞ】

 チャット達が家の数メートル手前にさしかかったその時。


「きゃー大変よー」

 女が、素っ頓狂な声をあげた。

 デジャヴだ。しかし、何があったのだろうか。

 じいは耳を傾ける。

したわー。この街に攻め込んでくるのも時間の問題よー」

【えっ】


「大変そうだな」

【いや他人事ひとごとみたいに言ってんじゃねえよ。これ割とマジでやばくね?帝国崩壊の危機じゃね?】

「だな」

【だな、じゃねーよ。何呑気にロールちゃん食ってんだお前。いきなり帝都滅亡直前とか、下手なシリアス作品よりよっぽど事態が深刻シリアスじゃねえか。何が一番深刻かって、その場に居るのが久しぶりにまともに外出したニートで、主人公が別世界から通話してるだけな点だが】

「チョコロールうまい」

【聞けよデブニート】


 チャットは、ロールちゃん一本を平らげ、げっぷをする。

「ん、何?」

【このままじゃ本気でやばいんじゃないのか、これ】

「ああ、もう間もなく帝国は滅亡するだろうな。希望的観測で、あと三日の命」

【最悪の場合だと?】

「帝都に、明日は来ない―」

【かっこよく言ってんじゃねーよ。今日中に国滅亡の危機じゃねーか。何とかしろよ、紅の勇者】

「こんな時だけ勇者って呼んでんじゃねーよ。俺は帝国滅亡したって構わねえよ。別に国民全員皆殺しにされる訳じゃないし、戦士ってバレなきゃ、デビタンの支配の下でも割と普通に暮らしていける」

【だけど、確実に傷つく人は居るんだろ?皇室の者や国のお偉いさんは殺され、圧政が始まれば貧民は飢え死にするかもしれない。放っておけるのかよ】

「そうかもしれないが、俺には関係ねえ」

【……本気で言ってるのかよそれ】

 じいは、怒りを露わにして言う。


【ガキが下らねえ事言うんじゃねえって思うかもしれない。だけど、言わせてもらう。いくら言い訳を連ねても、今のお前は、現実世界ファンタジーから目を背け続けている只のニートだ。過去に辛い事があったのはわかった。それによって引きこもりに走るのも納得できる。だから、自分に打ち勝って、もう一度戦うべきだなんて、口が裂けても言えねえ】

 でもな、とじいは続ける。

【俺にとってお前は、憧れの存在なんだよ。ずっと思いを馳せていた夢の世界ファンタジーに住む、かっこいい勇者。そんな憧れの存在には、かっこよくあって欲しいんだよ!苦しみや悲しみを乗り越えてなお、人々の為に立ち上がる、ヒーローに!!こんな所で、いつまでも立ち止まっている姿を見たくはねえんだよ!!】

「じい……」

 じいの言葉は、チャットの胸にも響いたのだろうか。

「届いたぜ、お前の気持ち。俺、決めたよ」

【!じゃあ……】



「帰るわ」

【おおおおおおおおおおおおおいいいいいいいいいい!!!!】

 チャットは、ドラゴンも置いて、そさくさと家に戻ってしまった。

 所詮はへたれニートか。いや、彼を責める訳にもいくまい。彼が戦えない理由は、十分に理解できる。たったあれだけの言葉で、心を突き動かされる事の方が変なのかもしれない。


「にゃああ……」

【ドラゴン……】

 彼の飼い猫も、玄関扉の前で、悲しそうに声を鳴らす。

【別に、お前のご主人は悪くないぞ。ただ俺の説得がうまく行かなかった、それだけだ】

「にゃあ」


 キィ。ふと、簡素な木製扉が開かれる。

「悪ぃドラゴン。家に入れるのを忘れてた」

「にゃあ!」

 チャットが、顔を見せる。

「じい、待たせたな」

【!チャット、お前が握っているそれって……】

 チャットの右手には、が握られていた。


 レッド・ソード―。



「勇者さまの冒険には、伝説の武器が必要不可欠だろう?」



 その時から、勇者チャットとじいの、長い長い戦いの旅路が始まった―。



                                     完

 

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