9.ファンタジーの街を歩いてみた!
【早く!早く!】
「うるせえなあガキかお前は」
外出支度をするチャットに、じいは興奮気味で急き立てる。いよいよ、ファンタジーワールドの、広い外の世界を拝むことができるのだ。
【はやぐ!はやぐううううううう!】
「おいキャラ崩壊してんぞ。てかドラゴンの首元から変な声出すんじゃねえ。可愛いイメージが台無しじゃねえか」
【さっきのOPPAI爆撃で十分イメージ崩れてるから】
チャットは部屋を出て、階段を下り、一階の玄関まで進む。が、ある事に気づく。
「あ」
【ん?】
「長靴しかねえ」
【おい】
チャットは大雨の時しか出掛けないから、晴れの日用の革靴を持っていない。
【さっき占い師ん所行ったときはどうしたんだよ】
「裸足だよ。おばちゃん所までは歩いてすぐだからな」
これじゃああんまり遠くまでは行けないとチャットが呟くと、じいは不満を漏らす。
【えー、少しは遠くまで行ってくれよ。せめて家の窓からは見えない景色のある場所まで】
「んな事言っても裸足で遠出すると危ないしなあ」
その時、背後から床が軋む音と同時に、初老の女性の声が響く。
「ニート……?外に、出掛けるの?」
「!母ちゃん……」
チャットのお母さん?自分の息子の事をニートと呼んでいるのか。いや、名前なんだけれど。
通話のみのやり取りとは言え、やはり一人の友人として、挨拶をするのが礼儀だろう。そう思ったじいが口を開こうとしたとき、チャットが端末の画面越しに大きく右の掌を突き出す。喋るな、という事らしい。友人を紹介するのを恥ずかしがっているのだろうか。はっきりとはわかりかねたが、じいはとりあえずそれに従った。
「ちょっと、散歩だ。心配要らねえ。もう皆俺の顔なんて忘れてるさ」
「そう?でも辛いでしょう?無理する必要は無いのよ?」
「大丈夫だって。占いのおばちゃんも今日は出かけてもいいって言ってたから。それより、俺の靴知らないか、母ちゃん?どこかにしまってたりする?」
「……ええ。じゃあ、今出すわね」
チャットの母ちゃんが玄関脇の戸棚の奥から取り出したのは、古ぼけたこげ茶の革靴。とても、勇者の装備には見えない。
「じゃあ行ってくるわ」
「夕飯までには帰って来るのよ」
「ああ」
言い放つと、チャットは家を飛び出した。靴を履いて外に出るのは、実に9年半ぶりの出来事だった。後を追って、ドラゴンも家の敷居を跨いだ。それは、じいの眼と耳が、初めてファンタジーの大空間にさらされた瞬間でもあった。
【うわあああああああ】
今まで感じたことの無い波長の光が、じいの眼に飛び込んでくる。淡いとか、眩しいとか、鮮やかとか、そういう表現とはまた違う、不思議な光。きっと、これが端末を通した映像だからだとか、そういう理由ではない。
そこに居ないのに、その場の風に頬を撫でられたような感覚。温かく、穏やかで、でもどこか血なまぐさいような、不思議な空気が漂っていて、じいの身を震えさせた。
【これが、ファンタジー世界の風……】
もう景色だとか、街を歩く人だとかに、大して意識が注がれない。じいを最も感動させたのは、ただその場にありふれて漂う空気そのものだった。
「ごめん、屁」
【殺すぞ】
が、一瞬で台無しになった。
「見てるか、景色」
【ん、ああ……】
景色も一応見てるには見ているんだが、視点が低すぎて、あまり良く見えない。画面の半分は地面で、上の方には民家の壁らしいレンガ組みが映っているばかりだ。
「見えないか。悪い、ドラゴン。ちょっと抱っこするぞ」
チャットがドラゴンを持ち上げると、一気に視界が開ける。
赤白青黄、カラフルな石畳で舗装された街路に、部屋の窓から見ていたレンガ作りの建物が立ち並ぶ。革製の鎧に身を包み、背中に剣を担いだ男。虹色のスカートで、鉄製の箒に跨る女。全身を真っ黒いローブで覆い、ブツブツと呪文を唱える人。妖しげな人々が道の端っこを往来し、その間を無動力のチャリオットが駆け抜けていく。
「間近で見ると、やっぱり迫力が違うな」
大興奮、とまでは行かなくても、やはり目を奪われる。今、ファンタジー世界の中に入り込んでいる。これまでで一番強く、それを実感した。
【なあ、建物の中入ってみてくれないか?すごく興味がある】
「いやお前、ファンタジーつってもゲームの世界じゃねえんだぞ。殆どの建物は民家だし、勝手に入ったら通報もんだぜ」
【確かに、チャットがいきなり入ってきたら普通しばき倒すわな】
「あん?まあいい、商店だったら入れるぜ。俺のお勧めの、何でも揃う店に行こう」
【おお。どんなところなんだ?】
「セブンイレブン」
【いやコンビニじゃねーか。もっとファンタジーっぽい所連れて行ってくれよ】
「んー、じゃあお菓子屋行くか。ファンタジー特有の珍しいお菓子が一杯だぜ」
チャットは、50メートルほど離れた小さな家屋を訪れる。因みに、セブンイレブンの隣だ。
「いらっしゃいませ、店主のドルセです」
店に入ると、目を限界までひん剥き、口ひげを何故だか半分だけ伸ばした顔の濃いおっさんが現れる。しかも、いの一番に自己紹介。普通は店の名前なんかを紹介する所であろうに。
「……あれ、あなたニートさん?随分お久しぶりですねえ」
「ああ、色々あってな。あんたの耳にも、届いていると思うが」
やはり、チャットとは知り合いのようである。こんなにご近所であれば、当たり前であろう。
「むむ、飼い猫ですか、そちらの猫ちゃん」
「ああ、二年前から飼い始めてな。今じゃ俺の数少ない友人の一人だ」
「んー……見てるとお腹が空いてきますねえ」
「どういう意味だ」
見た目の通り、かなりやばい人のようだ。
「おや、首輪に何かつけているようですが……小型端末ですか?」
「ああ、友人とビデオ通話しているんだ。紹介するぜ、俺のチャッ
「左様でしたか。初めまして、じいさん。店主のドルセです」
【ああ、はい。初めまして】
あれ、この店主には紹介するのかと、じいは少々戸惑った。
「お、この『虹色飴ちゃん』まだ売ってるんだな。懐かしい~。まだ10円か、これ?」
「はい、10円でございますよ」
【そんな駄菓子感覚の商品なのか】
外観内装ともにおしゃれで小奇麗な感じだったので、商品の価格帯が少々意外である。それよりも、通貨単位が円である事の方が色々おかしいのだが、もはやじいは突っ込まないことにした。
「あ、これも懐かしい。昔この『魔法風船ガム』で爆発事故が起こって、街が一個吹き飛んだんだよな。それで一回販売自粛になったんだけど、また復活したんだ」
「ええ、売れ筋商品でしたから、私ども小売も、強く要望を出しましてね」
チャットと店主のドルセは、半ばじい達の事を忘れ、すっかり話し込み始めてしまった。じいは色々と突っ込みたい気持ちを抑えながら、その話に耳を傾け続ける。
と、画面が右にそれる。ドラゴンが首を振ったらしい。先ほどまではずっとカウンターの方を向いていたが、今度は商品の並べられた壁側を向き、じいにも店内の様子がよくわかる。
壁には分厚い木の板が、縦に六段ほど打ち付けられ、様々なお菓子が並べられている。商品棚のようだ。その手前の床には四角い木箱がほとんど隙間なく配置され、上にはみ出た中身から察するに、こちらも中身はお菓子のようだ。
暫くきょろきょろしていたカメラだったが、やがて方向が定まり、ゆっくりと店の入り口側奥の方へと進んでいく。奥まで来ると動きは止まり、画面は木箱の淵を映し出す。
……まさか。
次の瞬間、画面は天井を捉えた後に大きくぶれ、暗転する。
「ニャアアアアアアアアアアアアアアア」
バリボリバリボリと、鋭い牙が堅いものを砕く快音が響く。どうやら箱の中身はクッキーかビスケットあたりであったようだ。
「!?何事ですか!あっ、店主ドルセの商品が!」
「ドラゴン!?何やってんだ馬鹿!」
二人が駆け付けた時にはもう既に遅かった。1メートル四方の箱に半分以上入っていたクッキーは、跡形も無く消え失せており、中には腹をパンパンに膨らませたデブ猫が一匹丸まっているのみであった。
「何て事を……」
「すまねえ、弁償するぜ」
「いえ、構いませんよ。商品に付加価値が付きましたから」
「えっ?」
「新お菓子『ファンタジークッキー~猫の腹詰め~』。いいですねえ、売れますよ~」
「売れねえよ。少なくとも菓子じゃねえよ」
「冗談ですよ。まあ可愛い猫ちゃんがやった事ですし、責めはしません。その代わり、うちの商品をいくつか買っていって貰いましょうか」
と言いながら、店主ドルセは結構マジな顔をしていたのを、じいは見ていた。
「こればっかりは仕方ないな」
【すまないチャット、俺がもっと注意深くしていれば……】
「いいって、気にすんな。どうせ何か買うつもりだったからな。店主、今の売れ筋はなんだ」
「店主ドルセの、お菓子売り上げトップ3~!テッテレー!!」
急な質問にもノリノリである。対応力半端ない。
「第三位……『ファンタジーホールケーキ』!甘すぎない上品な味わいもさることながら、そのサプライズ性が人気の秘密!なんと、ロウソクに火を灯すことで、中に人数分のプレゼントが仕込まれるという仕組み!ロウソクを4つ灯せば四人分、八つ灯せば八人分!大人数で食べるほどお得ですぞ☆」
【それ殆ど中身ケーキじゃねえだろうが】
「ええ!ですからロウソクを灯さずに食べるのが主流です!」
【それ普通のケーキだろうが】
「第二位!」
スルースキルもパない。
「『ファンタジーチョコレート』!これは説明無用の超ベストセラー商品!老舗チョコメーカー・ディバゴが送る最高級品質のチョコレート!味も変わりも舌触りも、文句のつけようがありません!ただし、5個に1個の割合で激辛カレールーが仕込まれてるので注意が必要です☆」
【だからなんで駄菓子要素入ってんだよ。てか外れ確率
「第一位!」
聞いちゃいない。
「『ロールちゃん』!」
【なんでだよ!!】
これにはじいも一層大きなツッコミを入れる。
「言わずと知れた山崎製パンの大人気商品。美味しさ、可愛さ、満足度、そして価格設定。全てにおいて高ポイントを叩き出す最高のスイートです!因みにロールちゃんの公式サイトにはロール村という謎コンテンツがあって、上手くやれば30分以上は時間を潰せます☆」
まさかここに来て見慣れたお菓子を見る事になるとは思わなかった。じいは辟易する。
「よし、ロールちゃん20個くれ」
【買いすぎだろ】
「ロールちゃん安いからな。せめてこんくらいは買ってやらねえと損失補填できねえだろ。いくらあのクッキーが安物だからってな」
チャットは風呂敷に大量のロールちゃんを包んで、店を後にした。
「毎度、ありがとうございました~。店主ドルセのお店でした~。」
*
【酷い店だったな】
「そうか?よし、次は武器屋に立ち寄るか」
【おお、すげえ楽しみ!】
訪れたのは、菓子屋の二軒隣の木造の小屋。じいは胸を高まらせながら、ドラゴンと共に店の中へ侵入する。じいにとっては、初めての武器屋訪問だ。
「いらっしゃいませ、店主ドルセです」
【またお前か】
現れたのはまたしても目をひん剥いた片髭の男。
「ドルセはやり手の商人でな。帝都の9割の店がこいつの経営だ」
【え、何?お前の国の経済ってほぼこいつ一人で回ってんの?だとしたら超重鎮じゃねえか】
「ドルセはしがない店主ですよ。帝都全240店舗のね……」
さりげなく、超権力者アピールである。
「ここでも何か買っていかれますよね?」
「……そうだな。レッドソードの予備に一本剣が欲しかった所だ。何かお勧m」
「店主ドルセの、片手剣売り上げトップ3~!テッテレー!!」
もはや被せてくる勢いだ。
「第三位!『騙すカスの剣』!当方の手抜きで有名な鍛冶職人が仕上げた逸品!見た目は美しいが切れ味は最悪。でも偶に手違いでめちゃくちゃ切れ味がいい品がありますぞ!」
「ふーむ、安定感が無いと困るな」
「第二位!『ロング・ソード』!全長65メートル。驚異の長さで敵を圧倒!持ち運びには不便なので自宅に置いておく事をお勧めしますぞ☆」
【剣としての役目を一切果たせねえだろうが。大体どこの家に65メートルを収納するスペースがあるんだよ】
「ちゃんと巻き込んでコンパクトに収納できますぞ。目盛りもついてますから、細かな伸縮も自在!」
【それもう只の長い巻き尺じゃねえか】
「使えるな」
【使えねーよ!】
「そして第一位は……!」
店主ドルセは、溜めに溜めてから言い放つ。
「『ロールちゃん』!」
【なんでだよ!!】
「この棒状の長い形状、ご存知の通り、男子が手にするとすっかり興奮で舞い上がってしまいます。歴戦の戦士が握れば、闘志がメラメラと燃え上がり、鬼神の如き強さを発揮できるでしょう☆」
【この世界の戦士は皆中学生男子レベルの精神年齢なの?】
「耐久性には問題がありますが、少人数を相手にするなら十分。三、四人は容易に殺傷できるでしょう」
【その死んだ三人は全身豆腐製か何かか?】
「ふっ、店主ドルセよ。いくら強い武器でも、耐久性が無いものは役に立たねえな」
チャットも、まともな判断を下しているようだ。
「数を用意しておく必要がある。30本くれ」
「毎度ありがとうございます」
【おーい!!】
「消費期限どれくらい?」
「三日です」
【お前食用にする気まんまんじゃねーか!】
「じゃあついでに隣の防具屋だな」
【……】
じいは既に、何の期待もしていない。この先の展開は読めている。
「いらっしゃいませ、店主ドルセです」
【うん、知ってた】
三軒目の店にも、奇妙な容姿の店主が顔を出す。
【で、この店はどんなもん売ってんだ?】
「世界各地から取り寄せた、四十種以上の様々なロールちゃんをご用意しております」
【ただのロールちゃん専門店じゃねえか!】
「そうです」
【急に素直になってんじゃねーよ。せめて何かしらの防具売れや。防具屋としての体裁が全く保てていないだろうが】
「いいですか、攻撃は最大の防御、と言いますよね?道具に置き換えれば、武器は最大の防具。つまり、売れ筋ナンバーワン武器であるロールちゃんは、帝都で最もポピュラーな防具であるとも言える訳です」
{言えねーよ。どんだけ苦しい理屈だよ]
「買った」
【買うんかーい】
チャットは三度財布を取り出す。
「装備してたらちょっとは長持ちする?」
「冷蔵庫での保管をおすすめします」
……二人の間では真面目な会話が成立しているらしい。
*
「ふー、三軒も廻るとやっぱり色々買っちまうな」
【いやロールちゃん一種しか買ってないよねお前】
「何言ってんだ、ホイップとチョコ二種類買ったぞ」
【専門店行って結局二種類しか買わなかったのかよ。てかこんなに食えるのか?】
「安心しろ。ドラゴンの食欲は半端じゃねえ」
「にゃーお」
二人と一匹は、持ち切れないほどのロールちゃんを抱え、帰路についていた。と言っても、じいは実際にはその場に居ないのだが。今日はもう、異世界探査はお終いらしい。
「……おやおや、こんな所で何をしているんですか」
談笑しながら帰り路についていた一向に、突然、後ろから声が掛かる。
「……お前」
振り向いたチャットは、何時になく低く、警戒心をあらわにした声を発する。そこに立っていたのは、赤い髪をした若い男。
「裏切り者の、ニートさん」
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