8.一歩を、踏み出すんだ!

「……という具合に、俺はその妖精の村を救った訳よ」

「妖精の村か……きっと幻想的で美しい所なんだろうな」

「ああ、写真撮っとくべきだったな。惜しい事をした」

 ファンタジー・チャットが始まって一週間半。じいとチャット、二人の会話は未だに毎日のように続いていた。


「で、」

「ん?」

「俺はいつファンタジーの世界そっちに行けるの?」

「またその話かよ」

 最近、じいはしきりに自分もファンタジー世界に行きたいと言い出す。チャットの話を聞いて、異世界への憧れがより一層増しているのだろう。


「わかった。今日こそはっきり教えよう」

「おお!」

 やっとか、とじいは期待を高まらせる。


「無理です」

「はあ!?」

「どう足掻いてもあなたはこっちの世界には来れません」

「なんでだよ!どうせフィクションなんだから、融通してくれよ!!」

「そんな簡単に異世界に行けたら、今頃こっちは異世界人だらけになってるからね。もうちょっと現実見ろよ」

「ファンタジー世界の住人に現実見ろとか言われたくねーよ!」

「諦めろ、そういう運命だ」

「そんなの受け入れられるか。この小説のジャンルはファンタジーだぞ。既に二万字超えてんのに、主人公が未だに現実世界に居るってどう考えてもまずいだろ!完全にカテエラじゃん!!」

「主人公は俺だ」

「んな訳ねーだろ。てめえそもそも第一話に出てねえじゃねえか」

「いやヒーローは遅れてやってくるものだから。お前は今後ずっとそっちのでパソコンピコピコやってるだけだけど、俺は剣と魔法の世界でかっこよくキーボードを打ち鳴らしてるからね。華やかさが違うわ」

「やってる事同じじゃねーか」

 二人の言い争いは続く。


「大体てめえの名前だせ過ぎるんだよ。何だよ"じい"って。お前中学生の時絶対、自慰に引っかけて"オナニー"とか"マスターベーション"とかって呼ばれただろ」

「なんで知ってんだよ!」

「で、小学校時代のあだ名は"ジジイ"な」

「だからなんで知ってんだよ!!てかニート・チャットのお前に言われたくねえ!普通名詞のNEETとと紛らわしくて、すげえ読みづらい事になってんじゃねえか!!」

「んなもん俺じゃなくて作者に文句言え」

「そうだな!」

 時たま意見は合致しているようだ。


「わかった。じゃあこうしよう。せめて一回だけ異世界に行かせてくれ。そうすればファンタジージャンルとして、一応の体裁は保てる」

「は?マジ無いわそういうの。一回異世界行っとけば自分も異世界人の仲間入りだとか、とりあえず一発やっとけば大人になれると思ってる童貞と同じ発想だわ」

「うるせえぞ童貞」

「何で知ってんだよ糞が!」

「お前今29歳だっけ?知ってるか、こっちでは30歳まで童貞を貫いた男は魔法使いになれるって言われてるんだぜ。あと少しだな」

「こっちでも言われてるよ。てかファンタジーの世界じゃ、それが本当に起こるんだけどな」

「やっと勇者も魔法を使えるようになるんだな、おめでとう」

 ようやく会話の勢いが収まって来る。二人とも、冷静を取り戻してきたらしい。


「仕方ない、そっちに行くのは諦めるよ。その代わり……」

「その代わり?」

「そっちの外の世界を見せてくれよ。家の中の物も興味深いし、チャットの話を聞いているのも楽しいけど、やっぱり外の広い世界を見たい」

「外の世界、か……」

「無理強いはしない。お前にとって、晴れの日に外に出るのが辛いのはわかってるからさ。でも、ずっと引きこもっているよりかは、お前の為にもなると思うんだ」

「……少し、考える時間をくれないか」

「ああ、わかった」

 明るく振舞ってはいても、チャットも問題を抱えているのだ。即座に外へ出る決断をできるはずがない。


「15分くらい」

「短けーなおい」


 チャットはそのまま何も言わずに部屋を出ていった。やはり一人で考えをまとめたいのだろう。じいは席を離れず、じっと通話仲間の戻りを待つ事にした。


*


「ニャアアアアアアアアアア」

「……」

 チャットを待つ間、じいのスカイプのメッセージ欄には、ひたすらある英単語が撃ち込まれていた。


[OPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOPPAIOP...]


 無論チャットでもじいの仕業でも無く、チャットの飼い猫の、ドラゴンがやっている事である。


「ニャアアアアアアアアアアアアアアア」

 ドラゴンは一心不乱である。

「なんでこんな芸当できるんだ。あいつ、変な調教してるんじゃねえだろうな……」

 しかし、そのキーボード捌きは見事である。相当機械慣れした人間でも、こんな素早い入力はなかなかできない。打ち込んでいるのがこの恥ずかしい単語でなければ、頗る感動していただろう。


「……ドラゴン、何か他の単語は打ち込めないのか?そうしてくれれば、もっと凄いって思えるんだが」

「にゃっ!」

 この自信満々な感じ。どうや他のレパートリーもあるらしい。


[PAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSUPAIOTSU...]


「同じじゃねーか!」


「ん~……にゃ?」

 ならばこれでどうだと、ドラゴンは次の一手を見せる。


[OPPAI////]


「ニュアンスの違いも表現できるのね」


「うーっす」

 そうこうしてる内に、チャットが戻ってきた。

「チャット、どこ行ってたんだ?」

「ああ、占い師にみてもらってたんだ」

「占い師?」

「三軒隣に住んでるおばちゃんが占いやってんだよ」

「外出てんじゃねーか!」


「いや人嫌いとは言ったけどね、おばちゃんは特別よ。俺の数少ない友人だからな。お互いに信頼しあってる気の置けない友達よ」

「……で、占い結果はどうだったんだ?」

「外に出てもいいってよ。ただ、遅くなると危ないし、夕飯前にはお帰りなさいって」

「ただの心配性の母ちゃんじゃねーか」

「占い師なんてそんなもんだろ。……ん、何やってんだドラゴン?」

「ああ、何とかしてくれ。さっきから欲情しまくってて困ってる。誰に似たんだか知らねえが、すっかり女に飢えてやがる」

「女に飢える?んな訳ねーだろ、ドラゴンは女の子だぞ」

 訂正、ドラゴンは変態おっぱい聖人ではなく、ただの淫乱娘であった。じいは内心反省する。


「よし、久々にお日様の下歩いてみるか。一回通信切るぞ、じい」

「え、パソコン持っていかないのか?」

「んなもん外に持ち歩いていたら邪魔で仕方ねえだろ。この超小型ケーブル端末を使う」

 チャットがポケットから取り出したのは、手のひらサイズの小さな電子機器。全面液晶で、必要に応じて三次空間に入力画面を表出できるらしい。スマホのハイスペック版、と考えて良さそうだ。

「なんでこっちより技術進んでんだよ」

「だから言ったろ、ゲイツが生きてた頃くらいの技術はあるって」

「つまりゲイツは長生きするって事か」

「そういう事だ」

 チャットは小型端末をドラゴンの赤い首輪にくくりつける。ドラゴンを散歩に同行させ、その首元の小さな画面を通じて、じいに外の世界を見せるつもりなのだ。


 チャットの住むファンタジー世界は雲一つなく晴れ渡っている。絶好のお出かけ日和だろう。


「さて、今から見せてやるぜ、じい。広い広い、ファンタジーの世界をな」

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