7.何ゆえ君はニートなのか

 ファンタジー世界の存亡に関わる話……一体何だろうか。

 そもそも、そんな大事な話を異世界人である俺に相談するなんて、どういうつもりだろう。それだけ信用されてる、と考えるのはやはり虫が良すぎだろうか。

 じいは今朝からずっと、昨日のチャットの言葉を思案していた。今晩は、チャットと話す時間が無い。だから、休み時間にひっそりとチャットする事になった。


「よう、じい。今日も一緒に弁当食おうぜ」

「俺は一度たりともお前と一緒に飯を食ったことはない」

 相変わらずちょろちょろと付きまとう村井を躱して、じいは人気のない階段の踊り場に移る。少し、人の目を気にしつつ、スカイプを起動する。


[来たぞ、チャット。昨日の"話"ってのはなんだ?]


[おう、待っていたぜ。実は今、こっちの世界は大変な事になっているんだ。俺たちの世界における主要なエネルギー源は魔力なんだが、その中でも自然界に存在する天然魔力資源が大きなウェイトを占めている。ところが現在、その魔力資源の価格が急騰し、大混乱が起こっているんだ]


[まさか、魔法を利用した全ての都市機能が停止してる……とかか?]


[いや、トイレットペーパーが不足している]


[は?]


[製紙工場のエネルギー源も、天然魔力資源だからな。本来通常の生産は出来るくらいの供給はあるはずなんだが、妙な勘違いをした主婦連中が国中のトイレットペーパーを買い占め始め、大変な騒ぎになっている]


[どこかで聞いた話だな]


[俺もその被害を受けた一人だ。ケツが拭けなくて困ってる]


[お前一昨日おとといアマゾンでトイレットペーパーとティッシュ買ってたじゃねーか。アレはどうした?]


[ドラゴンの遊び道具にされて無くなっちまったよ]


[そんな大量の紙を全部、引きちぎって、ぐちゃぐちゃにしちまったってのか?どうしてすぐに止めなかったんだよ]


[いや、一気に燃やされた]


[ああ……]


[くっそ……昨日の朝から一度もケツ拭いてねえから痒くて仕方ねえ。しかもこんな時に限って超快便だしよお]


[世界の存亡に関わる話ってそれかよ。心配して損したわ]


[馬鹿野郎!俺はこの世界の希望の星たる紅の勇者だぞ!そんな重要人物が糞まみれのケツしてるなんて、まさしく世界の終わりじゃねーか!]


[終わるのはお前の世間体だけだから安心しろ]


[んで、お前に相談したい話ってのはここからだ]


[まだあんのかよ]


 こんな糞みたいな、というより糞まみれの奴の話を聞くくらいだったら、村井と飯食ってた方がマシだったかもしれないと、じいは薄々思っていた。


[一応、家に全く紙が無い訳じゃねえ。だがいづれも俺にとっては大事なものなんだ。どれでけつを拭いたらいいか非常に迷ってる。今からいくつか候補をあげるから、どれで拭いたらいいか、意見くれないか]


[しゃーないな]


[1.少年ジャンプ20XX年16号。現在俺が所蔵するジャンプの中で最も古いものだ。もう読み返す事はないだろうが、ジャンプは俺にとっての人生のバイブル。それでケツを拭くなんて真似、俺には絶対できねえ]


[確かに、そうだな。俺にもできないと思う]


[2.戦友ビーム・オブ・トゥインクルからの手紙。かつての戦争で、それぞれ離れた戦地で孤軍奮闘していた時に、蒼の勇者ビームがよこしてくれたものだ。この手紙がどれだけ俺の心を支えてくれたか、言い尽くす事はできねえ。出来る事なら、一生手許に残しておきたい宝物だ]


[それは捨てらんねえな]


[3.紅の勇者ニート・チャット・ジョインの軌跡を綴った手記]


[それでいいんじゃないかな]


[多くの困難に耐えながら、祖国と人々の為に戦い続けた熱き男の半生を記した書だ。生ける伝説を詳細に書き綴った貴重な歴史資料。これを失うことは、人類にとって大きな損失になる]


[うん、決まりだなそれで]


[4.学生時代の恩師から受け取ったファイトレター]


[もう続けなくていいって]


[5.学生時代にくすねた好きな女の子の日記帳]


[何しれっととんでもねーもんの所持暴露してんだお前。いいから早く3でケツ拭いてこい]


[……そうだな。いつまでもこのままじゃ前に進めねーし。こいつを使うしかないか]


[ったく、下らない事に人を巻き込みやがって]


[ふー、すっきりしたぜ。ありがとよ、戦友]


[ビームぅぅぅぅぅぅぅx!!お前何で戦友との思い出に糞塗りたくってんだあああ!!]


[ビームはもう死んだ。これからはあいつの事は忘れて、前を向いて歩いていかなきゃな。文字通り、水に流してな。]


[全然うまくねーよ!]


[ありがとよ、じい。お前のおかげで吹っ切れたぜ]


[いや俺全く2推してないからね。全力で3推しだったからね。勝手に親友の遺品に糞塗った共犯にしてもらっちゃ困るんだけど]


[あ、すまんじい。またうんこだわ。ちょっと行ってくる]


[待てよ!紙は無いんだろ?どうするつもりだ?]


[大丈夫だ。ビームは俺に、全部で三通の手紙をくれた]


「いやそれ残しとけよおおお!!」


 じいの痛烈な思いは、の世界から漏れ出して、叫び声となり現実世界にこだましていた。



*



 じいとチャットが異世界通信ファンタジー・チャットを始めてから四日が経った。この日は日曜日であったが為に、二人は朝からと通話を楽しんでいた。

「おいおいマジかよそっちの食品ラップ!マジ高性能だなおい!」

「いやいや、さっきお前が紹介してくれたハイブリッド聖水のほうがすごいって。害虫だけじゃなくてNHKの集金職員まで寄せ付けないんだろ?うちにも1リットルでいいから分けて欲しいわ」

 お互いの異世界文化を紹介し合い、会話に華が咲く。昼すぎまで、二人のハイテンションは続いた。

「ふぁー、ちょっと話し疲れたぜ」

「だな、昼飯食いたいし、ここらで一つブレイクタイムにするか。また一時間後に」

「おいおい、お前受験生なんだろ?話してばっかでいいのか?」

「大丈夫だ、他の時間はみんな勉強に費やしてるから。んじゃ後で」


 一時間後。先にスカイプの席に戻っていたのはじいの方だった。

「おうー、わりいちょっと遅れたか?ドラゴンにも食わせてたら時間掛かっちまって」

「ん、ああ、いいや。そんなに待ってないよ」

「?どうかしたか?」

 チャットの眼には、じいが少し元気を無くしているように見えた。

「元気ねえみてえだが。いつもみてーにうんこちんちん連呼しろよ」

「言ってねーよそんなこと。てかどちらかと言えばお前の方だろそれは」

「なんだ、平常運転だな」

 チャットはちょっとホッとする。


「なあ、ちょっと嫌なこと聞いていいか?」

「あん?何だよ言ってみろよ」

「チャットは、なんでNEETなんかやってんだ?」

 その質問に、チャットは思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「前に一度訊きそびれてさ、ずっと訊きたいって思ってたんだけど、お前自分の話する時もそこだけ避けてたし、話したくないんだろうなとは思ってた。でもどうしても気になって。ほんの少しでもいいから、教えてくれないか?」

「それを教えたら、お前は俺をNEET状態から救ってくれるとでもいうのか?」

「……いや、それは多分できない。俺は只の高校生のガキだし、そもそもお前とは住む世界が違う。聞いても、何もできないと思う。」

「ふっ……安心したぜ。お前が救世主気取りの偽善者じゃなくてよ。いいだろう、少しだけ話してやるよ」

 チャットは、一呼吸置いて、再び話し始める。


「裏切られたんだ、親友にな」

「親友……まさか蒼の勇者か」

「ああ。ずっと一緒に戦ってきた仲間だから、よもや裏切られるなんて思ってなかったぜ。戦いの最中、奴は急に俺を含めた仲間たちに襲いかかり、次々に殺害していった。俺はなんとか難を逃れたけど、その時の事が酷くショックでな、」

 その一瞬のチャットは、じいに視線を向けていながら、どこか、遠いところを見つめているようだった。

「腑抜けて、部屋に引きこもるようになっちまったって訳さ」


 ザーと、強い雨音が耳に響く。俄か雨だ。じいの住む世界に、いやチャットの住む世界にも、同時に降り始めた。

「裏切られた、か……」

「すまんな、面白くもなんともない話で」

「いや、話してくれてありがとう。聞けて良かったよ」

「んで、そういうお前はどうなんだよ?」

「俺?」

「どうしてもファンタジー世界に行きたいってのはさ、要は現実世界に嫌気が差してるって事だろ?何か問題を抱えているんじゃないのか?」

「問題……」

「お?」


「……無いよ。とりあえず今のところは、順風満帆だ」

「なんだ、そうか」

 嘘をついた。じいにはずっと、誰にも言えず抱え込んでいる問題がある。弟じす太の事だ。

 彼もまた、チャットと同じように閉じこもっている。勿論、チャットはじす太に比べて頗る社交的だし、自室の外には出ているようなので、程度も性格も甚だ違う。だけど、同じ引きこもりなら、何か共通点があるかもしれない。それを知れば、あるいは弟の引きこもりを解決する糸口を掴めるかもしれないと、じいは考えていたのだ。

 弟の事を話さなかったのは、じいがそれを恥だと考えていた為かもしれない。相手が自らの事を語ったのに、己は秘密を隠すなんて、不公平だとは自覚している。だけど、じいはどうしても、話す気になれなかった。


 皆勤賞のじいには、引きこもりの気持ちはよくわからない。だけど、じす太にもチャットにも、引きこもりを脱して欲しいと思っている。

 しかし、それは相手の気持ちを度外視した、押し付けがましいお節介なのかもしれない。詳しいことはよくわからないけれど、チャットにも、そしてじす太にも、外に出たくない、あるいは出られない深い理由わけがある。それを無視して、ただ外に出ろと訴えるのは、ひどく暴力的なのかもしれない。

 まずはしっかりと理解し、念頭に置かねばならない。彼らは多くの複雑な事情を抱え、外に出られなくなっている事を―。


「わり、ちょっとコンビニ行ってジュース買って来るわ」

「出れるんかーい」

 

 じいは重大な勘違いをしていたようだ。どうやらチャットは外に出られるらしい。

「あ?どうした?」

「いやお前外出たくねーって言ってたじゃん。てっきり外に一歩も出ない引きニートだと思ってたわ」

「俺が外出たくないのは人に会いたくねえからだからな。こういう大雨で人通りが殆ど無い時は、積極的に外に出るぞ」

 何という天邪鬼か。


「うっほー外、超久しぶりぃ☆彡折角だから魔道公園寄ってこ!ちょっと遅くなるかもしんねえから気長に待っててな!」

 ニート・チャットは決して引きニートなんかじゃない。寧ろ超アクティブ型ソロ充ニートである。

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