5.異世界通信なんて、幻だったのかもしれない

「今日の第一位は牡羊座のあなた!昨日逃したチャンスがもう一度やってくるかも!」

「昨日逃したチャンス、か……」

 今朝も、じいはテレビの占いを見た。

 確かに昨日は異世界に行く事は出来なかったが、交信する事はできた。しっかりチャンスをものにしたから、じいには関係のない占い内容であろう。


「行ってきます」

「気を付けて行ってらっしゃい」

 母すてぃが、じいに見送りの言葉を掛ける。じいの父しすは既に他界しているし、弟じす太は部屋から出てこないから、彼を見送る人物は唯一彼女だけだ。


 昨日は大変だったが、今日は平和な一日が遅れそうだな。そう思いつつじいは玄関の扉を開く。


 すると、玄関先に頭から血を流した男がうつ伏せに横たわっているではないか!


「なんでやねん」

 じいは嘆息した。どうやらじいは昨日のチャンスを見逃したと判定されたらしい。

「意地でも俺を別世界に踏み入れさせる気か」


 下手に警察が来て大事にでもなれば、事件現場の家に住むじい達は否が応でも事情を訊かれるであろうし、そうなればミステリーの世界に突入間違いない。一体どうやって回避したものかと、じいは思案する。

「とりあえず遺体を少しずらしておくか……」

 発見場所が家の真ん前で無ければ、事件との関わりも大分薄れるだろう。

 じいは遺体を引きずって、10メートルほど離れた道の脇に伏せる。これくらいなら遺体遺棄とかには問われないだろう、多分。バスの停留所をこっそり自宅の前に移動する人ってこんな気持ちなのかなと、じいは夢想する。


 しかし、このまま放置して、無事遺体が見つかってくれるかどうか心配である。この道は比較的人通りも少ないし、あるいはじいが学校から帰宅するまで、誰にも気づかれないかもしれない。

 流石にそれでは仏さんが可哀想だ。ご近所さんに通報してもらおう。そう考えたじいは、間近の家のインターホンを鳴らそうと近づく。が、そこで表札に聞き覚えのある名前を認める。


「ん、二宮?それってどこかで……」

 思い出した。昨日ダンプカーにぶつかりそうなのを助けたネイログループの諜報部員だ。またあの女と関わると厄介な事になりそうである。

「はい、二宮あいです」

「いやまだインターホン押してねえよ」

 豪快にフライングしてくる。まるでじいが呼び鈴を鳴らすのをずっと待ち構えていたかのようである。


「やっぱりこっちの家に頼もう」

 じいは向かいの家に足を運ぶ。

 

 有栖山


「こっちは許嫁だったか……」

 てか許嫁こんな近くに住んでたのかよ。これで幼馴染じゃねえっていうのも逆に奇跡的だろ。そんな事を心中でぼやきながら、仕方なく斜向かいの家に赴く。


 川上


 これには全く聞き覚えが無い。まず知り合いではないだろう。じいはインターホンを鳴らす。

ピンポーン。

「はい、幽霊の花子です」

「だから何でお前は普通の家に住んでんだよ」

「今自分の家に居るの」

「当たり前だろボケ」


 すっかり疲れたじいはがっくりと肩を落とす。仕方ない、このまま放置するか。じいは止む無くその場を後にして先を急いだ。

 そろそろあの二宮と遭遇した例の十字路交差点に差し掛かる。また何が襲い掛かって来るかわからない。しっかりと気を引き締めなくては。

「何が来たって避け切ってやる。かかってこい」


 交差点では、ダンプカーが一秒に四台のペースで往来していた。


「どんだけ殺る気まんまんなんだよ」

 よくある異世界転生ものの小説の神様は、手違いで主人公を殺してしまうような迂闊な性格だと聞くが、この世界の神様は何が何でもじいをぶっ殺してやるという気迫に満ち溢れている。

「流石にこれは避け切れる気がしないな……。迂回するか」

 今から遠回りすれば、間違いなく遅刻だ。入学以来の皆勤賞をこんな所で崩してしまうのは少々悔やまれたが、今のじいには大したダメージでは無かった。

 

 今の自分にはこの現実世界だけじゃない。チャットやドラゴン達が住む、ファンタジーの世界がある。

 その思いが、じいの心をこれ以上なく軽くしていた。


「おう、じい。遅かったな」

「ああ、交差点でちょっとした事故があってな」

 結果的に、じいは遅刻せずに済んだ。朝の職員会議が長引いて、担任がまだ教室に着いていなかったのだ。

「なあ聞いてくれよじい」

「そうか、よかったな」

「ちゃんと聞けって。俺、昨日竹下に告ったんだけどさムヒョヒョ、そうしたらどうなったと思う?ムヒョヒョヒョ」

「おめでとう、その話はもう二度と俺にしないでくれ」

 半笑いで自慢話をする村井に、流石のじいも不快感を覚えつつあった。


 その後一日中気を張り詰めさせていたじいであったが、幸い学校内では大した事件は起こらなかった。帰宅中、見知らぬ女性から次々にラブレターを受け取るという珍事があったが、もはや神様もネタ切れでやけくそになってきているようだ。


*


「ただいま」

 返事は返って来ない。母はまだ仕事から戻ってきていないようだ。一応、家にはもう一人居るのだが。

 

 二階をあがって左手の部屋。そこがじいの自室だ。ドアノブに手をかけようとしたその時、向かいの部屋の前のが目につく。

 

 トレーの上に置かれたご飯と味噌汁茶碗、平皿に盛られたおかず。弟、じす太の食事だ。じす太はじい達と共に食事を摂る事は無いので、こうしておぼんに乗せて、母すてぃ子が部屋の前に運んでくる。以前はそれを無言で受け取り、食べ終わったら食器を部屋の前に返していたのだが、最近はその食事に手をつける事も稀になった。


「……また食べてないのか?」

 じいは、ドア越しにじす太に問いかける。返事は無い。もうずっと、誰も彼の声は聞いていない。まるで、声を発する機能を失ってしまったかのようだ。

「マジで食べてないなら、そろそろやばいだろ。心配だから、イエスかノーかだけ答えてくれないか。いつもみたいに、ドア叩いてさ」

 少し空いて、ドン、というドアを叩く音が一つ返ってくる。これがじす太と他の家族とのやり取りの手段。一つドアを叩けばイエス、二つ叩けばノーだ。

「そうか。お腹空いてないのか?」

 また、間が空く。暫くして、ドアが一回叩かれる。

「空いてない。そうか……」


 じいは荷物を自室に放り投げて、一階に降りていく。

 やがて、お皿に盛った握りたてのおにぎり二つを携えて、戻ってきた。


「おにぎり、置いとくぞ。今握ったやつだから」

 返答は、無い。

「さっき答えるのに間があったって事は、満腹ではないんだろ。せっかく作ったの捨てるの勿体ないから、食べちゃってくれよ。な?」

 言い終えると、ドアの叩かれる音を待たずして、じいは自室に入る。


 ずっと引きこもって会話もできないのだから、外に連れ出して学校に復帰させるってのは自分にはできない。だけど、食べ物を口にしないままどんどん衰弱していくのをただ傍観している訳にもいかない。中途半端な責任感だと気づきながらも、そうする事で、じいはなんとか兄としてのアイデンティティを保っていた。


 机に向かったじいは、早速パソコンを起動してスカイプを立ち上げる。

 チャットは、まだログインしていない。

 今日は昨日より授業が短くて、まだ16時前である。来ていなくて当然だろう。

「気長に待つか」

 じいは英語と数学の宿題をサッと終わらせると、手持ち無沙汰を紛らわせるため、絵を描き始めた。じいは、絵を描くのが昔から好きである。自分の想像するファンタジーの世界。それを具現化するただ一つの方法が、彼にとっては絵だったのである。

 大きな翼を持った気高き竜。不思議な青い木の実をつける古い巨木。描き始めると、ずっと止まらなかった。

 だけど、それは昔の話。今のじいは、そういう空想の産物はあまり描かなくなった。思春期の恥ずかしさからか、心のどこかでその存在を否定していた為か、それはわからないが、いつ頃からか、彼の描くものは現実のモチーフばかりになっていた。

 

 あっという間に三時間が経過した。今日は手のデッサン二点に、手近にあった小瓶のスケッチ。それに、ネットで検索した猫のクロッキーを十点ほどしたためた。

 母はとっくに帰ってきている。もうすぐ、夕飯に呼ばれるだろう。

「来ないな、あいつ……」

 もしかしたら、もう二度とチャットとは話せないんじゃないか。そんな予感がよぎる。

 そもそも、昨日の出来事も全て夢幻ゆめまぼろしだったんじゃないか。ファンタジー世界に憧れる俺の心が生み出した、幻想ファンタジー……。本当にそうだったのではないか。昨日の出来事を証明するものは何一つない。火を噴いたドラゴンという猫も、空を舞う竜も、馬が引かないチャリオットも、ニート・チャットとかいうニート野郎も、存在したって言える証は何も残っていない。唯一残ったのはスカイプに表示されたこのアカウント名と所在地。だけど、こんなもの何の証明にもならない。いくらだって偽装できる。

「ファンタジーチャットは終わらない、か……」


 その時、じいを襲ったのは、圧倒的な現実。自分には、夢が無い。希望が無い。友人も居ない。父は死んだ。弟は引きこもっている。それを打開する術も無い。今後もダンプカーの突進や殺人事件の巻き添えという悪夢が次々にやってくるかもしれない。

 目の前が真っ暗になった――。


 瞬間、ポワン、という間抜けな音が暗闇に割り込んでくる。

 スカイプのメッセージ着信音。


[Hey,Sorry for keeping you waiting.]

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