4.俺もお前もファンタジー

「やっぱり……やっぱり、ファンタジー世界は実在したんだ!」

 じいは興奮のあまり、半狂乱になっている。

「そうだろ、チャット!やっぱりお前はファンタジー世界の住人だったんだ!」

「だから最初からそう言ってんだろうが!てかちっとは俺の心配しろや!」

「ああ、温めときゃ治るよ」

「適当だなオイ!まったく……なんで今日に限ってこんなに魔法の威力高いんだよ……」


 まるで夢のようだ。じいは今朝から今に至るまで、数々の異世界の片鱗に触れてきた。だが、一つとして、じいが望むような王道ファンタジーの世界は無かった。やはりそんな世界は実在しないんじゃないか、そう諦めかけてた今この時、その存在が証明されたのだ。しかも、その世界と今、交信している。


「ドラゴンは魔法使いだったんだな。早くそれを見せてくれればよかったのに」

「俺の魔法を見せてとは言われたが、ドラゴンの魔法を見せてとは言われなかったからな」

「まあ何はともかく本当にすげえ!俺、未だに信じらんねえよ」

「おいおい、少しは落ち着けって。まったく、さっきとは別人のようだ。まだまだ子どもだな」

「子ども?俺が?大体落ち着いてるとか、大人びてるとか言われるが」

「じゃ、こっちが本当の姿だな、きっと」

 じいのはしゃぐ姿を見て、チャットもどこか満足げである。


「ところで、猫のドラゴンがあんなすげえ魔法使えるのに、チャットは何も出来ないのか?かつての勇者なんだろ?」

「ふっ……この俺が何も出来ないなんて、そんなはずがあるまい。丁度いい機会だ、見せてやろう。俺の力を……!」

「ハッ」という気合の掛け声とともに、チャットは凍傷を負った右腕に意識を集中させる。すると、みるみるうちに怪我が治癒していくではないか!


「すげえ、治ってる……。驚異の回復力、これがチャットの力か……」

「これだけじゃないけどな。本気を出した俺はもっとすげえぜ」

「早く本気出せばいいのに」

「うるせえ」

 今度のじいの言葉は、先ほどまでのような軽蔑交じりの嫌味ではなく、好意からくるからかいの意図で発せられたものだった。

「ところで、燃えた髪の毛は再生させないのか?」

「一度死んだ毛根は、そう簡単には蘇らない」

「そこは、現実と一緒なんだな」

 チャットには新たに、禿という属性が与えられた模様。


「他は?他は何か無いのか?ファンタジーなもの!」

「まあ落ち着けって。んじゃ、外の景色でも見るか?」

「おお、見る!」

 チャットはノートパソコンを手に取って、東向きの部屋の窓の方へと移動する。分厚い黒色のカーテンを捲った先には、"ファンタジー"が広がっていた。


 窓の外に並ぶレンガ造りの建物群は、一見尋常に見えて、球体や円柱状のパーツが不安定に組み合って、まるで物理法則や建築効率を無視している。赤茶を基調とした街並みの中には、所々純白の小さな民家や、淡い青色の大理石でできた四角い塔が顔を見せる。それらの例外は、決して全体に埋没する事なく、かといって浮きすぎるでもなく、色味の単調な景色に、程よいアクセントを与えてくれている。

 建物の隙間隙間に覗くコバルトグリーンの空は、不思議な色味なのに、どこか懐かしい趣があって、そこにそよぐ風の匂いを肌で感じたいという欲求を、じいの中にふつふつと沸き起こす。この家から前に数えて4つ目の家の上には、箒にまたがった男女二人組がふわふわと浮かんでいて、空中サイクリングを楽しんでいるようだ。更にその奥、じいの眼がギリギリ視認できるそこには、大きな翼を羽ばたかせ、長い尻尾を揺らめかす赤い物体があって、それはまさしく竜なのではないかと、じいを興奮させた。

 チャットがパソコンを下に向けると、今度は地上の様子がよくわかる。彼の家の前の通りに立ち並ぶ家屋。そのいくつかは商店のようで、扉は、客が訪れてはひとりでに開き、やがて閉まるを繰り返している。その脇に飾られた木製の看板には店の名前と本日のおすすめ品が交互に映し出され、じいの世界で言う電光掲示板の役割を果たしているようだ。

 路上の人はまばらであるが、時々馬が引かないチャリオットが駆けている。座席の中央先端には舵に似たハンドルが取り付けられているが、それに触れずとも車体は自ずから進んでいく。チャット曰く、この世界で一番ポピュラーな乗り物で、こちらでいう自動車と似たような扱いらしい。

 

「凄いな……あれも魔法で動いてるのか?」

「ああ、そうだな。車体にかけられた魔力によって、運転手が何もしなくても事故を起こさずに進んでくれる。今そっちの自動車でも似たような機能が開発中らしいけどな」

 相変わらず、チャットはじいの世界の事情にも詳しい。


「さて……そろそろ交代の時間だ。今度は俺にそっちの世界を見せてもらおうか」

「えっ、こっちの世界を見たいのか?」

「当たり前だろ。お前に取っちゃ当たり前の世界かもしれないが、俺にとっちゃ全くの異世界、ファンタジーワールドなんだぜ?気になって当然だろ」

 じいはすっかり失念していたが、チャットにとってじいの世界は新鮮で物珍しいものなのだ。それに気づいて、じいはハッとする。

「……そうだな。じゃあ紹介しよう。俺にとってはつまらない現実、でもお前にとってはワクワクのファンタジーである、この世界を」


*


 チャットが強い興味を示したのは、食べ物や衣類、道具雑貨等、じいにとっては取るに足らない身の周りのものだった。曰く、情報技術はファンタジーの世界でも似たような発展を辿っているから、最先端のテクノロジー等よりも寧ろ、普段の生活文化や社会風俗の方が知って面白いらしい。勿論、彼が最も興奮したのは、まだあちらの世界には流れていないジャンプ最新号だったことは言うまでもない。


「いやあ、面白かった、感謝するぜじい。まさか今のそっちのシャーペンがそんなに便利になってるとはなあ。こっちなんてまだ羽ペンだぜ、羽ペン」

「そいつは不便そうだな」

 じいとチャットはハハハと笑い合う。このたった数時間のチャットと通話で、彼らはすっかり打ち解けたようだった。ずっと求めていた異世界の存在を証明してくれ、さらにそこに住まう憧れの存在……。お互いがそうあった事が、彼らの距離を縮めた理由の一つかもしれない。


「……チャット、」

「ん?」

「お前、そんなに悪い奴じゃないし、普通に話もできる。なのに、どうしてニートなんか……」


 ガチャッ。

「ただいまー」

 通話口の奥から、誰かの声が微かに響く。どうやらチャットの家に誰か帰って来たらしい。


「げっ、母ちゃん帰ってきた。悪い、通話はここまでだ」

「あっ……そうか残念だ。まだ訊きたいこと色々あったんだけどな」

「それなら、また続きをやればいい」

「えっ?」


「明日も話そう。ファンタジー・チャットは、まだ終わらないぜ」

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