2.チャット相手は異世界人?

 ジーファンタ帝国……、じいには全く聞き覚えが無かった。どうにも怪しい響きだ。"ジーファンタ"なんて、"ファンタジー"をもじっただけのふざけた名前だし、そもそも帝国なんてのは今の現実世界には存在しないはずだ。

 誰かの悪戯か、あるいは何かしらのバグか、その辺りの線が濃厚だろう。でも、もし、万が一、本当にファンタジー世界の国の名前だったとしたら……?いや、そうでなくとも、こんな珍しい現象は、きっと日常を塗り替えてくれる契機に違いない。不思議と、じいはそう思った。

 そして気づいた時には、入室許可ボタンをクリックしていた。


["chat"さんが入室しました。]


 "chat"はこのサイトにおける初期設定ハンドルネームだ。この時点ではまだ、相手の情報は何も知り得ない。さて、何と話しかけようか……。

 じいが考えている間に、先に向こうからメッセージが送られてきた。


[Hello.Who are you?]


「英語か……まあ外国人だもんな」

 いや、ファンタジー世界の住人なら英語を使うのも大分おかしいのだが、ここは都合よく解釈しておこう。英語ならかなり得意だし、チャットで日常会話くらいできるだろう。じいは少し興奮気味にキーボードを叩く。


[My name is Jii Fuanta. I'm Japanese. What's your name?]


すかさず返答がなされる。


[ああ、日本人か。日本語でおk]


「日本語わかるのかよ……」

 戸惑いつつも、もう少し様子を見てみる事にした。


[俺の名前はニート・チャット・ジョイン。お前たちとは異なる世界、ジーファンタ帝国に住む二十代の男だ]


 チャット相手はジーファンタ帝国在住を主張。これでバグの線は消えたが、やはり疑わしい。しかし名前がニートとは……正直気の毒であるとじいは感じた。


[ニートさんですね]


[いやニートって呼ぶのやめろや。働いてないみたいだろうが。チャットと呼べ]


[わかりました。でも、なんでこっちの世界の"NEET"の意味知ってるんですか?あなた異世界の人なんですよね?]


[あ?そんくらいの異世界知識は普通にあるっつーの。何?疑ってんの?]


[俄かには信じられなくって。チャットさんが住んでるジーファンタ帝国ってのは、どんな世界なんですか?]


[そりゃあお前達が想像する所謂ファンタジーの世界よ。竜が空を舞い、妖精たちが歌い踊る、剣と魔法の世界さ]


[そんな世界にインターネットがあるんですか?]


[いやいや当たり前でしょ。何お前、ファンタジー世界の科学技術は一切進歩せず、俺たちはいつまでもダラダラと未開人みたいな生活送ってると思ってんの?馬鹿にしないで欲しいなー。流石にそっちの世界と同等とまではいかなくても、ゲイツが生きてた頃くらいの技術はあるからね]


[ゲイツはまだ生きてますが]


[あ、死んだのはジョブズの方だったか。ともかく、パソコンもネットも、それなりに発達してんだよ、こっちは]


 おかしい。いくらなんでもこちらの世界の事を知り過ぎている。じいの疑いの眼差しが、更に鋭くなる。


[なんだよ、まだ疑ってんのか?]


[何かファンタジー世界の住人だという事を証明できる手立てはないんですか?魔法を使って見せるとか]


[残念ながら俺は魔法は使えないんだ。それに使えたとしても、チャット上でそれを見せる術は無い]


[それもそうですが、それではやっぱり信じられません]


[じゃあもういいよ、信じてくれなくても。他の奴とチャットするし。それじゃ]


[あっ、待ってください]


 反射的に、引き留めた。


[なんだよ]


[信じていない訳ではないんです。ただ、確証が欲しくて]


[拘るなあ。そんなに俺がファンタジー世界の住人であって欲しいのかよ]


[子どもの頃から、ずっと憧れていたんです。ゲームや映画の中に出てくるような、壮大な空と大地が広がる世界。光が飛び交う煌びやかな城下町。人の訪れぬ魔の領域。今のつまらない現実を抜け出してそんな世界に行けたら、どんなにいいかって。だから、どんなに疑わしくても、あなたをファンタジー世界の住人だと信じたかった]


……


[何か特別な思い入れがあるようだな]


[はい]


[お前の熱意に負けたよ。俺が異世界人である事を証明しよう。お前、スカイプのアカウント持ってるか?]


[ありますけど]


[んじゃあ続きはそっちで話そう。俺のアカウントはneet×××○○だ]


 近頃のファンタジー人はスカイプまで利用するのか……。またも訝しげに思いながら、じいはチャットルームを閉じて、スカイプを立ち上げるのだった。


*


 アカウント名を検索すると、直ぐにヒットした。コンタクト申請すると、間もなく許可される。向こうは既に準備万端のようだ。

 じいがふと国籍を確認すると、謎の紫色のマークの横に、"Jyfanta Empire"と綴られている。ジーファンタ帝国……少し信ぴょう性が増した気がする。


[通話開始するぞ]


[了解です]


 ツー……ツー……。

 なかなか繋がらない。その待ち時間が、じいの緊張と興奮を加速させた。


 ツッ。

 繋がった。じいは今まさしく、異世界との通信に成功したのだ。……恐らく。


「よう、じい。チャットだ」

 先に沈黙を破ったのは、またしてもチャットの方であった。先のルームチャットの内容から予想していたのとは違って、渋く落ち着いた声。まだ二十代だという年齢に不相応な風格を漂わせるその声色こわいろは、彼がいくつもの修羅場を潜り抜けてきた猛者であるように感じさせた。

「初めまして。じいです」

 じいはそのさまに圧倒され、少し強張った返事をする。


「なんだ、思ったより大人しそうな感じか?つーかタメ語でいいわ。異世界人同士の俺らに、上下関係も糞もねえだろ」

 話しぶりは先ほどの話し相手と変わらない。少し安心する。

「……わかった。チャット、でいいんだな?」

「おう、適応が早いな」


「なんだか、すげえ渋い感じの人で驚いたよ。もしかしてチャットは結構すごい奴だったりするのか?」

「まあな。これでも昔は"紅の勇者"と呼ばれていたほどの戦士だった。」

「すげえ」

 子供のように、その言葉に胸躍らせ感動してしまうじい。何を馬鹿なと思うかもしれないが、彼の言葉にはそれだけの重みと力強さがあるのだ。


「よし、ビデオ通話に切り替えるぞ。カメラをオンにしろじい」

「わかった」

 いよいよ、チャットの姿を拝める。そして同時に、彼が住むファンタジー世界の様子を伺い知る事ができるのだろう。

 じいの興奮は頂点に達しようとしていた。


 やがて、一瞬の暗転の後、画面にチャットの姿が映し出される。

 ぼさぼさとした長い髪の毛に、伸びきった無精ひげ。よれよれのTシャツの下には豊満な脂肪が蓄えられ、下半身はだぼだぼのジャージ姿。これは、まさしく……


「チャット、訊きたい事があるんだけど」

「何だ」

「仕事は何しているの?」

「何もしていない」



「ニートじゃねえか!!」

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