ファンタジー・チャット
叉久叉
第一章:巡り合う二人の勇者たち
1.どうしてもファンタジー世界に行きたい!
人は誰しも、ファンタジー、つまり幻想を抱いている。
退屈な現実を抜け出して、どこか別の世界に消えてしまいたい。
少年・
何故なら、彼が生きる世界であるこの小説のジャンルは、ファンタジー。今現実に存在しているのなら、いずれファンタジー世界に飛び込む、もしくは現実が異世界に変わるって事だ。
その朝じいは、珍しくテレビの占いを見た。
「牡羊座のあなた。今日はとても珍しい事が起きるでしょう。新しい世界に足を踏み入れちゃうかも☆」
「……ついに来たか」
じいは確信した。ようやく待ちに待ったXデーが来たと。今日こそ、異世界に転移する日だ。
「ラッキーアイテムは、電子機器☆今日は積極的に機械に触れよう!」
「電子機器って……随分大雑把な指定だな」
身近な電子機器と言えば、携帯電話だ。今日は絶対忘れずに持っていこう。
「でも一つ注意点!」
「ん」
占いは、まだ続いていた。
「一歩間違えると、あなたの望まない世界に踏み込んじゃうかも!くれぐれも気を付けてね!」
望まない世界……ファンタジーじゃない別ジャンル。おどろおどろしいホラーの世界や、殺人事件が頻発するミステリーの世界に飛び込んでしまう可能性があるのか。そんな世界はまっぴらごめんだ。じいは気を引き締め、必ずファンタジー世界に行ってやるぞと誓うのであった。
「行ってきます」
じいは家族の見送りも待たずに、外へ踏み出した。
通学路。何気ない日常の一場面に見えて、見知らぬ人物と多くすれ違うし、自動車事故や自然災害等、思わぬ事態に巻き込まれる可能性が高い危険な場所だ。現に、多くのフィクション作品において、通学路は物語の契機を提供している。
「はっ」
じいが目を見開くことには、見通しの悪い十字路が横たわっているではないか。そう、学園ラブコメ作品でお馴染みの、出会い頭に衝突イベントが頻発する、超危険エリアだ。ここでもし美少女とぶつかりでもしたら、恋愛・ラブコメの世界に突入してしまう事は間違いない。
じいはそーっと左右を確認する。誰も来ていない。自動車の往来もない。じいは安心して十字路を横断し始める。
すると、左方向から、食パンを口に咥えた女子生徒が、マッハ1.5でこちらに突進してくるではないか!
運動神経には自信があるじい。今なら何とか避けられそうだ。体を後ろに退こうとしたその時、微かなエンジン音が耳をかすめた。
なんと、ダンプカーが明らかな法定速度オーバーでこちらに迫ってきているではないか!
じい自身が轢かれれば、これは正しく異世界転生への大チャンス。
しかし、このままでは女子生徒が車に撥ねられて死亡。幽霊になって祟られる。正しくホラーだ。
「……そうはさせるか!」
じいは両手で大きくばつ印を作って、少女に止まれと訴える。少女もそれに気づいて速度を緩め始めたが、やはり間に合わない。
「くそっ!」
捨て身の覚悟で少女に飛びつく。
プオー。
ダンプカーが激しくクラクションを鳴らしながらブレーキをかける。完全に動きが止まる頃には、十字路の交差点を20メートルほど進んでいた。じいが助けなかったら、間違いなく少女は息をしていなかっただろう。
「怪我してませんか?」
少女の服の汚れを払いながら、手を差し伸べるじい。
「大丈夫。ありがとう」
無事なようだ。パンは口に咥えたまま。おっぱいも触っていない。少女も顔を赤らめてはいない。完全にフラグは回避した。
「じゃ、これで」
「あ、待って!」
引き留められる。嫌な予感。
「わたしはネイログループの諜報部隊員、二宮ゆき。さっきの動き、尋常じゃなかった。もしよかったら、あなたわたし達の仲間に……」
そういうパターンでしたか。まずい、現代アクションか、それともSFか。とにかくこの子と関わると望まぬ世界に強制移住させられる。
ダッシュ。
「あっ、ちょっと!」
必要の無い右折左折を繰り返して、少女を撒く。さっきのスピードを出すと、旋回や速度制御は難しいようだったから、割と容易なことであった。
*
やっとのことで学校に到着する。
まさか三つのジャンルが一斉に押し寄せてくるとは思わなかった。今日は難儀しそうだと、じいは思うのだった。
「ようじい。遅かったな」
「ああ、ちょっとな」
じいの隣の席は村井。男である。とりあえず、恋愛・ラブコメの展開は無さそうだ。
「ところで俺好きな人出来たんだけどさー」
「なんでだよ」
急に恋バナを始める村井。じいの言葉には疑問よりも怒りの方が色濃く込められていた。
「なんでって言われても仕方ないだろ、好きになっちゃったんだから」
「……」
ちょっと考え込んでみたが、この話を無下にして人間関係をこじらせてしまい、下手な現代ドラマが始まっても厄介だ。適当に話に付き合おう。
「相手誰なんだよ」
「それがさー、委員長の竹下なんだ。ああいう地味な子全然タイプじゃなかったんだけど、この前話してみたら意外に気さくで、気になっちゃって」
「へー、そう。いいんじゃないか」
「俺、いけると思う?」
「いけるよきっと。応援してる。俺に出来ることは大抵他の奴にも出来ることだから、困ったことがあったら、必ず俺じゃない他の誰かに相談しろよな」
「おう、俺頑張るわ」
無事に話は収束した。なんとか危機は脱したようだ。
「そういえばさ、今やってる大河ドラマめっちゃ面白いよな」
マジかよこいつ。俺の夢を打ち砕くために遣わされた悪魔の使者か何かかよ。次は歴史・時代ジャンルに突入の危機か。
「興味無いわ」
「えーお前めっちゃ歴史好きだって言ってたじゃん。特にドラマが扱ってる戦国時代とか、すげえ詳しいだろ」
「いや無いわ。戦国時代とかマジ無いわ。あんなの大体話盛りまくってるおとぎ話だからね。過去にあった事実として扱うとか、有り得ないわ」
「でもお前もう一時間目の日本史の授業の準備してんじゃん。教科書ノートに、資料集と地図帳まで並べちゃって」
ビリッ。
「チーン!!」
突然じいは教科書の一ページを破って鼻をかんでみせた。
「いやあ鼻がむずむずしちゃって。丁度良かったわー日本史の教科書があって。俺マジ興味無くて全然読まないから」
「お、おう……」
これにはさすがの村井も口をつぐんだ。
早くファンタジーフラグが立たないものか。どうにも俺が行きたくない世界の扉ばかりが、目の前に立って並ぶ。
じいは頭で文句を垂れながら、ラッキーアイテムと思しき携帯電話をいじくる。
と言っても特にやる事もないので、暇つぶしにしているパズルゲームをポチポチするくらいだ。しかし、こういった何気ない普段の習慣が異世界への扉になってたりするから、侮れない。
ブルルルル……。
突然振動するスマートフォン。電話だ。相手は……非通知。もしかして……。
「もしもし」
「じいさん……ですか。わたし、有栖山ひいらぎと申します。あなたの、
ブツッ。
違ったようだ。しかし、先ほどから恋愛・ラブコメのフラグが乱立している。やはり現実世界に最もありふれた要素だからだろうか。
ブルルル……。
まただ。080-×××-△△△△。今度は知らない番号。次こそは……。
「あたし幽霊の花子。今あなたの教室の前に居るの」
ブツッ。普通に怖くて切った。幽霊なら非通知設定にしろよ。何普通の電話番号で掛けて来てんだよ。
その後もバイブ音は鳴りやまないが、碌な期待も抱けなかったので、電源を切って鞄の中にしまったのだった。
「きゃー、大変よー」
その時、女が素っ頓狂な声をあげた。
「おいおい何があったんだ」
教室前の廊下で騒ぎ立てる女子の集団に、クラスメイト達が群がっていく。皆、野次馬根性逞しい。
「おい、大変だぜじい!」
「へえ、そうなんだ。それはやばいな。世界が少しでも平和になる事を祈る」
「何言ってるんだ。やばいんだ、朝練終わった女子連中が更衣室で着替えてたら、大木の制服が盗まれてたって!一体誰がやったって言うんだ……」
ついにミステリーが始まってしまった。また厄介な展開である。
「おい、何してんだお前ら。教室入れ」
そこに担任が到着する。生徒から事情を聴いた先生は、教壇に立って言う。
「大木の制服が盗まれたそうだな。調べた所、このクラス以外の生徒は全員アリバイがある。つまり、犯人はこのクラスの中に居る!!」
有能なのか無能なのか。そんな調査能力があるなら、直接犯人を探しあてて欲しかった。
「現場には血痕が多数残されていた。被害者には外傷が無い。という事はつまり、それは犯人の血液。恐らく興奮して出た鼻血であろう」
駄目だ、やっぱり馬鹿だこいつ。これじゃ事件はいつまで経っても解決しない。
「これから警察を呼んでの現場検証と並行して、一人ずつ証言を取らせてもらう。何か見聞きしたこと、気づいたことがあれば全て教えてほしい。ま、このクラスに名探偵でも居れば直ぐに解決できる事件なんだろうが……」
「はい、先生」
じいは颯爽と立ち上がる。
「おう、不安田。何かわかったのか?」
「僕が犯人です」
「な、何!?本当なのか?」
「はい、すいませんでした。僕を叱って下さい」
「……そうか。とりあえず職員室に来い」
その後必死に謝罪した事で、親や警察への連絡は免れた。勿論、みっちり絞られたが。制服は、後で大木の鞄に戻されていた。じいへ罪を着せる事に罪悪感を覚えた真犯人が、ひっそりと持ち主に返したのだろう。これで事件は円く収まった。じいの見込み通りであった。
今後じいのクラスでの立場は大分不安定になろうが、あのままミステリーワールドに強制突入するよりずっとマシだっただろう。
結局その日は、昼休み中に家に帰された。実質、一日だけの謹慎処分をくらったというところだろうか。
「ふあー……」
家に戻るなり、じいは布団に寝転んだ。
「結局ファンタジー世界への扉は開けなかったな。それとも見逃していたのか……」
まだどこかにチャンスは転がっているかも。目を閉じて、聴覚に意識を集中させる。ヒントは、空気の振動で伝わってくるかもしれない。
ところが聞こえてくるのは、ピコピコバキュンバキュンという電子音だけ。隣の、弟の部屋からだ。
じいの弟、じす太は引きこもり。日もねす部屋に閉じこもって、ゲームやらパソコンやらをいじる毎日。最近は家族との会話も無い。
彼がじいの現実逃避の動機の一つを構成しているのは、言うまでもない。
それから目を逸らすように、弟の部屋に背を向けると、自分のノートPCが目に入った。電子機器とは、パソコンの事かもしれない。じいはそう思った。
早速パソコンを開いて、インターネットに繋ぎ、異世界への足掛かりを探してみる。電子メール、インターネット掲示板、昔やっていたネットゲーム……。しかしどこにも、異世界への手がかりは無い。
好物のアイスクリームを片手に、半ば目標を忘れてネットサーフィンに興じていた時、あるウェブサイトが目に留まる。
「チャットサービス…か」
じい自身は殆ど経験が無いけれど、昔はこういったネット上で見知らぬ人とチャットするのもけっこう流行っていたと聞く。もしか、したら。
「でもチャットで異世界に行くって聞いたことないよなー……」
あまり期待せずにサイトにアクセスする。この際、SFや現代アクションでもいいや。このひどくつまらない世界を変えてくれるなら、多少は妥協できる。そんな思いも、右脳の片隅で存在感を増し始めていた。
色々と考えを巡らせながらも、集中してチャット相手を探す。このサイトは、話し相手を募集するユーザーが、ルームと呼ばれるチャット空間を設けて、そこを訪ねてきた見知らぬユーザーとチャットするという仕組み。言わば、会話の募集者と、応募者が完全に分かれているのだ。
じいは部屋を探す側。そちら側ならば、話す相手を自分で選ぶことができるからだ。
着目するユーザー情報は国籍。ヨーロッパとか南米とか、離れた国の人の方が、異世界への扉を開きやすいと思ったのだ。だが、ルームの主は殆ど日本人、偶に中国やアメリカの人を見かける程度で、いまいち食指が動かない。
十分足らずで探すのに飽きて、自分でルームを設けた。自分で探すより、手間が省ける。主になって分かった事だが、ルームの主の側も、入室希望者を拒否する権利がある。こちらも、消極的とはいえ、会話相手の取捨選択ができるのだ。
「日本人、パス。また日本人、パス。アメリカ人……パス」
そうこうしている内に、やがて誰も入室を希望しなくなった。時間が経つと、ルーム一覧の表示位置が下がり、アクセス率がさがるのだ。
「もう、来ないか…」
諦めてブラウザを閉じようとした瞬間、ピロリと効果音が鳴る。
「来訪者…国籍は……」
じいが目にしたのは、十七年間生きて来て、一度も見たことのない文字列。
「ジーファンタ、帝国……?」
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