第2話 この国に潜むロックなヤツラ(2)

 会場は混沌としつつあった。

 『ハイパーエリートQED』が放った暴徒たちは、他県の代表たちに容赦なく襲い掛かった。


 あるブースでは乱闘になり、ライブに支障をきたす事もあった。

 あるいはファンが結託し、暴徒を退ける事もある。

 だがやはり強いのは、演奏者本人に妨害を撃退する強さがあるバンドだ。


 京都府代表、孤高の歌姫『高宮麗香』は魔法のステッキを振り、暴徒たちを無害なニワトリへ変化させた。

 千葉県代表『勇者アルザックの凱旋』の魔法使いマリアは呪文を唱え、指先から放たれた電撃で暴徒たちを感電させ動きを止めた。


 言うまでもない事だが、ライブバトルにおいて、魔法はきわめて有用である。だが魔法だけが妨害への対抗手段というわけでもない。


 茨城県代表『女体幕府』は多数の侍と忍者をダンサーとして抱えているため、暴徒を刀で迎え撃った。

 青森県代表『恐山フィルハーモニー交響楽団』はそもそもバンドの所属人数が大会最多の八十人であったため、暴徒にも数で対抗可能だった。

 北海道代表『モリノクマサン』は、メインボーカルが熊であるため全く問題がなかった。


「おおーっと、四国大陸代表『オージー・パワー』これは総崩れか!?」

「四国大陸は今頃、真冬ですからね……。気温変化に対応できなかったのかもしれません」


 一方で、コンディションを保てなかった者への影響は大きかった。

 「みカンガルー」「うどんコアラ」「エアーズロック竜馬」など四国大陸を代表するゆるキャラ達が、確保していたブースを追われ後退を余儀なくされていた。

 地元と違う真夏の気温に加え、着ぐるみを着ているとあってはスタミナへの負荷は免れないであろう。


「さらにこちらは山口県代表『THE巌流島』ですが……おや、一人見当たりませんか? 確かツインボーカルのバンドだったはず……」

「えー、ただいま入りました情報によると、リーダーのMUSASHI氏が大遅刻、『今起きた』との事です」

「そ、そうですか……。流石に達人として知られるKOJIROU氏といえど、一人でこの場を捌くのは苦しいか!」


「さて、他にどこか動きのありそうなバンドは……こ、これは!?」

「流石に豪快ですね。これでは暴徒もひとたまりもないでしょう」


 彼らが目を留めたのは、奈良県代表のブースである。


 奈良県の代表は、寺の住職たちによるバンドであった。今日日、バンドを組む坊主というのは珍しくもなく、読経・座禅・ライヴが僧侶の「三種の神器」と呼ばれるようになって久しい。


 やはり総本山のひとつとも言える奈良はレベルが高く、DJ宗留津しゅるつやDJ流輝るうでるといった一流の僧侶は最前線の音楽シーンに耐えうる力を持っていた。


 とはいえ、それだけであれば他県の代表と大差はない。真に恐るべきは、奈良の真骨頂は、このバンドが、ダンサーとして起用した存在にこそある。


 着座時で全高十四.七メートル。

 使われた材料から推測される総重量は五百トン以上。


 正式名、東大寺盧舎那仏像とうだいじるしゃなぶつぞう。通称「奈良の大仏」。


 それが関節を駆動させ、音楽に合わせて躍動している。正気の沙汰ではない!

 大会史上最大級の「バックダンサー」を擁する危険なバンド。奈良県代表『偉大なるビッグ・ブッダ』!

 彼らは自らの県最大の武器を、文字通り最大の武器としたのだ。


 この大会で勝ち抜くために必要とされる要素は、主に三つある。


 ひとつは演奏、音楽性。

 ひとつは妨害に耐える腕力。

 最後のひとつが視覚的に観衆を魅了する、パフォーマンス。


 そして『偉大なるビッグ・ブッダ』は、三つめの要素を最も重視する!


「I’ts a SATORI time!」


 DJ宗留津が経典をスクラッチし指をスナップする。

 流れるダンスチューンと共に特注のマニ・ミラーボールが回り、あたりに般若心経の文字列を光とともに映し出した。


 「一回転させるだけでお経を一回読むのと同程度の徳を得られる」マニ車の原理を、空間に応用する。

 これだけで視界におさまる範囲の景色は浄化され、この場の人々の来世の幸福はもはや約束されたであろう。衆生救済!


 偉大なるサトリ・タイムの始まりとともに大仏も頭部の巻き髪のひとつひとつを、極彩色に明滅させた。表面をLEDに置換しているのだ。おお、心なしか大仏が、喜んでいるようにすら見えてくるではないか?


 いや、錯覚ではない。

 仏が、笑っている。


 実際のところこれは、大仏の顔面部に笑顔をプロジェクションマッピングするという技術により可能となった表現である。

 これほどのものを見せられては、暴徒ももはや暴徒ではいられない。一介の哀れな衆生となりさがった群衆はただ地に伏し、救いの大仏をあがめるほかなかった。


 暴徒を鎮めた大仏は、しかしそれに留まらない。全ての人々に救いをもたらしてこその仏! 大仏の巻き髪……LED螺髪らはつはひとつひとつが頭部から分離し、ついに浮いた。


 そして拡散してゆく。各バンドのブースへと向かってゆく。

 救いのレーザー光を照射し、悟りのフィーバータイムで会場を掌握せんがために。


「なんという神々しい光景でしょうか……。心が洗われるようです」

「私、明日には頭を丸めようと思います」


 放送席は、ただ静かに涙した。

 選別は進んでいる。予選ライブは佳境を迎えていた。



 * * *



「ちっ……またか。しつこいな」


 大男はピアノを弾きながら眼前の空を見上げた。極彩色の巻きグソじみた物体が、光を撒き散らしながら迫る。薬物中毒者の見る幻覚か何かであろうか? とにかく地獄のような光景だった。

 一見すると無害のようにも思えるが、異様な存在感があるその物体は、間違いなく彼らのライブを乱していた。


 しかも先ほど、青森県代表『恐山フィルハーモニー交響楽団』のメンバーの何人かが……その光に当てられた瞬間、蒸発したように消え去るのを目撃してしまった。とにかくこれは尋常のものではない。


 大男は鍵盤をひときわ大きく叩き、リズムに一度キリをつけた。大会のルールでは演奏をやめれば負けになる。曲が途切れないように対処する必要がある。


「スリー、ツー、ワン……GO!」


 彼は椅子に座ったまま、ピアノを両手で下から掴んだ。隆々とした両腕の筋肉に血管が浮き上がり、大型のグランドピアノが持ち上がる。男はそのまま、ピアノを横薙ぎに振り払った。

 ブォン、と音のするほどの風圧。そして強烈な打擲音。さらに遠心力で鍵盤が上下し、混沌とした不協和音を奏でた。重量感のある音楽的打撃!


 ギターで殴り掛かるミュージシャンは多くいる。だが重さ、攻撃範囲、何より破壊力において、楽器で強いのはギターよりピアノだ。言うまでもない事だが、ライブバトルにおいて、グランドピアノはきわめて有用である。


 ボン、と空中で乾いた爆発音がした。明滅する蜷局とぐろがひとつ、煙を吹きながら落下していく。いまだ機能を失ってはいないそこから放たれたレーザー光を、ギターを弾いていた女子高生は「ひぃっ」と叫びながら飛び退いてかわした。


 この場においてかえって常識的すぎるほどに、その女子高生はただただ女子高生だった。ブラウスにベージュのセーター、リボンタイ、チェック柄のスカートという制服姿。背中まで伸びた髪を振り乱し、先ほどまでは必死に暴徒から逃げていた。


 暴徒は最終的に大男によってグランドピアノされ、蜘蛛の子を散らすように逃げていったが、涙目でギターを弾きながら逃げまどう女子高生には観客から「頑張れー!」と声援が飛び、会場に奇妙な一体感が生まれていたのも事実ではあった。


 言うまでもない事だが、ライブバトルにおいて、女子高生はきわめて有用である。


「もおー、ゆいちゃんはどこに行ったの!?」


 女子高生……田中安優たなかあゆはボーカルの名を呼んだ。全ての衣服を脱ぎ捨てて絶叫し、駆けて行った女子小学生の名を。

 今はギターとピアノの演奏で間をもたせてはいるが、大会最年少にしてバンドの中心である彼女を欠いては彼らのライブは成立しない。


「待つしかないだろう。大丈夫さ。イカレた時のあいつを信じて、おれ達はここまで来たんだろう」


 大男はピアノを激しく振り回しながら、笑みを作った。彼の頭部には、ウサギの絵が描かれたショーツが装着されている。


「う、うん」


 安優は緊張の面持ちで頷いた。ボーカルを……唯を疑っているわけではない。だが、少女が前に見つけておく必要があった。こちらにも、必要な準備というものがある。

 走り去った唯が発見されたのはそれから数十秒も経たないうちだった。見つけたのは、バンドメンバーよりも放送席が先だった。


「さあ、生き残りのバンドも限られて参りました……続いては、おや、あれは?」

「地元、山梨県代表の……ボーカルの子でしょうか。あれが彼女のステージ衣装と聞いています。何という冒涜的な……」

「攻撃的なチョイスですね。彼女は我々を逮捕する気なのでありましょうか。放送席で話題に上げる事すらはばかられます! ああッ、でも見てしまう!」


「ふ、ふふ服装の話はやめましょう。ところで彼女の向かうあちらの方角は……」

「ええ、立ち入り禁止の区域です。果たして何をしようというのか!?」


 唯が全力で駆けて向かっていたのは、ジモトソニック「本戦用ステージ」。この予選を通過した者たちが戦うための、巨大なライブステージである。当然、ストリートライブ方式での戦いとなるこの予選ライブでは立ち入り禁止だ。


「これは楽しみな展開となりました。本戦用ステージは立ち入り禁止ですが……止める者はおりません!」


 「ジモトソニック」にも、もちろんルールは存在する。参加者にも事前に配られ、通読と同意を求められる。

 ただし……ルールブックの末尾には一行、こう書かれている。


 ・以上のルールを、必ずしも守る必要はない。


 この大会は、ルール違反が禁止されていないのだ!

 もちろん、度を越した違反は観客にそっぽを向かれる危険と隣り合わせである。勝利のためには、観客を沸かせる違反である必要がある。


 しかし、つまり、バンドとして本分を全うする行為である限り。オーディエンスを魅了し、満足させるための行動である限り。

 この戦いは、「何でもアリ」だ!


「あっ……唯ちゃん!?」


 それから十秒ほど経って、安優は遠目に唯を発見した。彼女は本戦用ステージの形状を見て胸騒ぎを覚えた。確信に近い予感だった。

 距離がある。間に合うか? ギターを投げ捨てて彼女は走り出した。



 * * *



 無力感に泣かされ続ける日々だった。


 小学校に入ってしばらくする頃にはもう気づいていた事だ。

 「自分は、大した事のない人間だ」ということ。


 その証拠は、とっくに出揃っていた。

 入学して以来、次々に突き付けられてきた。


 勉強が特別できるタイプではないらしい事がわかった。

 運動が特別できるタイプでもないらしい事がわかった。

 図工も、音楽も、家庭科も、特に秀でているわけではない事がわかった。


 友達も特におらず、人望もないらしい事がわかった。

 衝動的に服を脱ぎ捨てる奇癖はたまに注目されたが、どちらかというと人気はさらに下がった。だいたい、そんな注目は何の役にも立ちはしなかった。


 小学校の、一クラスの中ですら埋もれるような存在だった。

 地域や全国という範囲で見れば、さらに小さく見えるだろう。

 ネットを見れば、「スーパー小学生」と呼ばれるようなとてつもない技能を持った同年代をいくらでも見つける事ができた。

 家では両親にも姉にも逆らうことができず、萎縮させられる日常を送った。


 今回の人生はハズレを引いたのだな、と思ったのは九歳になってすぐの頃だった。

 未来に期待は持てなかった。仮に十年後、二十年後であっても、自分が大成するようなイメージはひとつも持てなかった。


 代わりに、日々不平をこぼしながら、なんとか平凡な生活を送る自分の姿は、あまりにもはっきりと想像できた。

 嫌悪感を覚えるほど、つまらない未来だ。

 そうやって一度、自分という存在に見切りをつけた事もあった。


 このバンドと出会ったのはそんな時だった。気が付けばボーカルを任されており、自分の価値を信じてみたりもした。多少、ワクワクした。

 それは事実だ。

 でも。


 やはり世の中は甘くなかった。目の前の景色を見ればわかる。

 嗚呼、あたしは……なんて無力なんだ!


 自分に巨大熊のようなパワーはない。将軍としてあれほどの人数を虜にする色気もない。パンチやキックで人を洗脳したりもできないし、魔法も使えず、光る大仏より目立つなど夢のまた夢。グランドピアノのように外敵を蹴散らす能力もないし、もちろん女子高生でもない!


 何もかもが許せなかった。許すわけにはいかなかった。


 どいつもこいつも……あたしを上回りやがって!


 衝動に任せて、衣服を脱ぎ散らかして叫んだ。そして走った。

 耐えられなかった。自分が自分である事が我慢ならなかった。今すぐに、消えてしまいたい。


 すると、ちょうどいい処刑台が目に入った。自らを処するための舞台が。

 OKわかった、あそこへ行こう。すべて終わりにしよう。

 これ以上、みじめな自分を見なくてもいいように。



 * * *



 追う安優は、唯が本戦ステージに到達するのを見た。そこで唯がとった行動は、予想通りのものだった。

 少女はステージの屋根を支える柱にとりつき、するするとよじ登った。驚くほど速かった。小学校には昇り棒、という特有の遊具があった事を安優は思い出した。


 やがて、グランドピアノで蹴散らしたはずの暴徒たちがステージの下へ追いつき、同じように昇ろうとした。

 安優は一瞬慌てたが、彼らは成人男性の肉体を屋根まで運ぶほどの筋力を持ち合わせてはおらず、柱の下部でまごつく事しかできなかった。


 続いて唯に追いついたのは、光を放つ複数の巻きグソだった。

 これは明らかに危険であると思われたが、唯はそれらの放つレーザー光を浴びても、不思議と何の影響も受けていないようだった。

 一切意に介す事なく、全裸の幼女はステージの屋根の上によじ登った。


「はぁ、……はぁッ、はぁ、あぁ」


 流石に消耗したようで、唯は息を切らし、ほとんど幅のない肩を上下させた。白い肌が汗に濡れ、まだ幼く柔らかい髪が風に揺れる。

 だが彼女の衝動の火は消えていなかった。すぐに立ち上がる。あまりの高さに少し、足が震えた。


 安優は苦笑した。出会った頃、唯には怖いものなど無いのではないかと思った事があった。だが今は、彼女が年相応の女の子でしかない事も知っている。だから安優は追う必要がある。


「あたしはああアァーーーーーーーーーーーー!」


 立ち上がった唯が叫んだ。


「あたしは……あたしはアァ!」


 とても、よく通る声だった。これがきっかけとなり、周囲の目が唯へ集まった。

 暴徒も巻きグソもものともせず、立ち入り禁止区域の頂上に立っている、全裸の女の子がいる。見るだけで逮捕されてしまいそうだ!

 いま彼女は十分に、注目に値する存在だった。


「おっと……ここで、新たな情報が入って参りました」


 実況者のもとへ、一枚のコピーが手渡される。


「山梨県代表『アフター・スーサイド』。三人のメンバー全員が『樹海帰り』……樹海を見て、生きて帰った人物である。え? これ確かな情報ですか?」

「常識的に考えれば、歴史上存在しないはず、ですね……」


 実況解説とも、驚愕の息を吐いた。やはりあの少女、只者ではない?


 彼女は今、屋根の縁に裸足を乗せている。ほんの一歩先には足場のない中空があるのみ。少女が何をしようとしているか、ここまでくれば誰もが予想可能である。


 ダイブ、というライブパフォーマンスがある。


 ステージから観客席に飛び込むのは、何ら特別な事のないありふれた行為だ。

 ただしそれを野外ステージの屋根から行う者は滅多にいない。まして一人たりとも客のいない、乾いた客席に向かって行うのはクレイジーだ。


 だがこの少女は、それを実行に移そうとしているようにしか見えない。

 完全なる狂気!


「あたし! は!」


 唯のボルテージが最高潮に達した。いよいよだろう。安優は加速する。


「ここまで! だ!」


 そして、唯は足場を蹴って中空に身を投げ出した。



 * * *



「いやぁ……おそるべき、迫真のパフォーマンスでした」

「ええ。本気かと思……いや、本気だった?」

「わかりません。最終的にメンバーに助けられはしたものの、どこまで打ち合わせ済みであったのか。いや……注目させられた時点で彼女らの実力というしかないのでしょう」

「今年の山梨は本気ですね」


 放送席の二人は口の中が乾いていた事に気づき、タイミングを合わせて手元のウーロン茶を飲んだ。


「さて、いずれにしても予選が終了し、本戦のトーナメントへ進む十二組が出揃ったわけですが。いかがでしょう、注目のバンドなど」

「番狂わせの多いトーナメントですからね。優勝予想などはとてもできません。しかし目を引くのは奈良、青森、広島……大穴で、山梨くらいでしょうか」


「なるほど、ありがとうございます。さあ、本戦トーナメントはいよいよ明日開幕。一回戦は一対一、タイマンでのライブバトルとなります。組み合わせは順次、メインステージの大型ビジョンにて公開……


……っと? 早速第一試合のカードが決定したようです。皆さまメインステージにご注目!」


【第一試合】

アフター・スーサイド(山梨県)

VS

ハイパーエリートQED(富山県)


「これは……予選をかき乱した富山と、予選の最後に注目をさらった山梨が激突! なかなか興味深いところではないでしょうか?」

「早いところ、放送席まで蹴りに来て頂ける仕組みを構築して欲しいところです」

「おおっと、これは鋭く的確な解説! お見事です」


 放送席の会話が遠く聞こえる。安優は、気を失った唯を抱きかかえながらその発表を見た。


 勝ち進まなければならない。ひとつでも多く。


 過酷な戦いとなるだろう。正直に言えば、怖くてたまらない。それでも、このバンドとしてしか、自分たちは生きている事ができない。戦うしか道はないのだ。


 ロックで天下を取ろうと思うなら、正気のままではいられない。

 これから始まる戦いの激しさを暗示するように、富士山の麓にかかる夕日が赤々と燃えていた。

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