第一試合
第3話 上限突破の頭脳バトル
「音楽こそが、人の脳すら自在に支配できる究極の
富山県のある大学講堂にて。ジャスミン・サカキバラ女史は断定的に宣言した。
講壇を見下ろす階段状の座席からは、三百もの疑り深い目線が注がれている。富山の
「これは真実です。私の説に間違いはありません」
しかし若干二十二歳にしてこの壇上に上がる事を許されている俊才のサカキバラ女史は強気である。
「なぜなら……」
この揺るぎない自信はどこからくるのか? それは無論、確かな根拠をもって彼女がここに立っているからにほかならない。
「今日の占いは、双子座が一位だったからです!」
サカキバラは「一位」の部分を強調した。彼女はプレゼンテーション力においても一定の評価がある。
「今の私の運勢は、最高潮であるという事です。『何もかもうまくいっちゃうかも!?』とのコメントもありました。上手くいくのです、何もかもが。即ち本日、私の発言を否定する事は不可能です」
彼女は聴衆を見渡した。全員が納得したという風でもない。まだ、完全にこの場を掌握できてはいないだろう。
案の定すぐに挙手をする者があった。サカキバラはその者を指名し、発言を促す。
「どうぞ」
「にわかには信じがたいですな。学説を主張するのであれば、根拠を示して頂きたい」
「勿論です。こちらをご覧ください」
当然、彼女にはその準備がある。サカキバラ女史は優雅な所作で手にしたリモコンのボタンを押した。
すると背後の巨大スクリーンにプロジェクターの映像が投影される。始まったのは……今朝のニュース、占いコーナーの録画である!
『本日の一位は~~~? ……ジャン! 双子座~~~~~!! 人前に立っても平気な日! 何もかもうまくいっちゃうかも~~? ラッキーアイテムは魚肉ソーセージ!』
「いかがですか」
「ぬう……ッ」
確たる証拠!
発言した老科学者は後ずさった。不覚である。下手な指摘は、かえって相手の論拠を固める結果にもなりかねない。
この自信に満ちた女が、演説の冒頭から魚肉ソーセージを齧り続けていたのには、そのような理由があったのだ! サカキバラ女史は得意げに次の一本を取り出し、ソーセージの端の留め具を噛みちぎった。
だが富山の
「はい」
「どうぞ」
「十時からの情報バラエティーでは、A型がトップでした。サカキバラ先生はAB型であったはず。情報収集を怠られているのでは?」
追及の手が緩められる事はない。それだけ、このジャスミン・サカキバラという科学者は警戒されている。
サカキバラはかつて「スイーツは別腹」という理論を証明しようとして学会の場でステーキ二キロとロールケーキ十五本をたいらげるも、その後トイレで吐いているところを目撃された事で学会を追放されかけた女なのだ。
しかしサカキバラは動じなかった。この相手は既に、語るに落ちている。
彼女は傍らの書類から一冊の本を持ち上げた。
「それについては、言うまでもない事です。こちらの文献をご参照ください」
彼女の指したページ、そこに書かれていたのは――
【AB型】
天才肌。他の人とは違う感性、能力、才能を持っています。
日本人の十パーセント程度しか存在せず、東大生に多い血液型とも言われています。テレビでもそう言ってました。
――『愛されて絶対幸せになる血液型占い』グレゴリウスまさこ・著
六ページより引用
「おっしゃる通り、私はAB型。この天才の発言に間違いがあるとでも?」
「バ、バカな……!」
サカキバラは挑発的に眼鏡を中指で押し上げる。発言者は汗を飛ばし、たたらを踏んだ。
まさかこの女、天才だったとは。
天才が言うなら、そうなのかもしれない……!
聴講席の学者たちはどよめいた。出世の早かったサカキバラには敵も多い。発言者らは今回こそ彼女を論破し、学会から追い落とそうと考えていた。だがこのままでは……逆に論破されるのも時間の問題である!
「貴女の好物はスイーツであった筈です。しかし今日食べているのは魚肉ソーセージ。この不整合が示す可能性は……」
「お言葉ですが、食べ物と学説に、いったい何の関係が?」
「ぐ……ッ!」
何を指摘しても返される。もはや挙手もなくなった。敵対者たちは唇を噛んで沈黙するほかなし! 勝利を悟ったサカキバラ女史は唇を歪めて妖艶に嗤う。彼らはいよいよ追い詰められた。
よって、最後の手段に出るしかなくなった。
「ク……クク……」
その声は聴講席の中段から聞こえた。
「クハ……ハハハ……ハハハハハハハハハ!!」
声はボリュームを上げ、狂気を宿していく。最初は下を向いて陰鬱に笑っていたその男は徐々に顔を上げ、ついには真上を向いて大笑し始めた。そして……おお、波及するようにその笑いは周囲の学者たちにも広がり。
「「「クハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」」」
狂気の
最初に笑い始めた男は片手で顔面を多い、逆の手で壇上のサカキバラを指さした。
「見事……見事だよ。私の計算では99%の確率で勝てると踏んでいたのだが。この私をここまで追い詰めるとは……!」
そのままサカキバラに向けた手を、流れるように自らの白衣のポケットへ。淀みない所作。骨の髄までしみ込んだ科学者としてのムーヴ。洗練された動きで取り出されたのは、注射器である。
皆様も見た事があるはずだ。漫画で、映画で、アニメーションで。研究を生業とする者たちが真に追い詰められた時、彼らがどうしてきたか。
そしてこの場にいるのは、全員が! 研究者である!
「これ以上好きにはさせん。後悔しろ。こうなればもう……私にも止められんのだからなァァーーーーーーーーーーッ!!」
ブスリ、と注射針を首筋に突き立てた。同時に。聴講席の三百人が!
全員が同じ姿勢のまま、壊れたマリオネットのようにガクガクと震え始める。
その様子を、ジャスミン・サカキバラは極めて冷静にただ見ていた。
科学者たちの筋肉は膨張し、白衣を突き破り、上半身の衣服が弾けとんで裸となった。目は充血し、口からは涎を垂らし、明らかに理性を失っている。
「「「ウ……ウガ……ブゴッ……ガ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」
口上を述べていた中段の男、その成れの果てが動いたのが最初だった。残りの三百人も躊躇いなく後に続き、壇上に筋肉の雪崩が殺到した。
科学の、科学による、科学のための暴力。これ以上なく科学者らしい、恐ろしくアカデミックなバイオレンス。
それが眼前に迫ってなお、サカキバラの笑みは消えなかった。
「……これだよ。そうだよなァ」
彼女は眼鏡を外し、傍らの机に置いた。
「どっちが正しいか、なんて、こうやって決めるしかないんだよ。だってここは、研究者の集う、学会なのだから」
最後の魚肉ソーセージを食べ終える。魚臭い息を吐き……彼女の眼光が妖しく光った。
科学者が魚肉を摂取したのである。魚にはDHA、頭脳の働きを助ける成分が含まれている。ただでさえ優れた頭脳を持つ科学者という人種が、さらにDHAを!
サカキバラは右手を軽くスナップする。目の前にいた肉塊が抉れて吹き飛んだ。科学者を超える科学力。なんという頭脳だ!
さらに彼女の両脇から、どす黒く肉体を変質させた助手二名が進み出た。彼らは全身から妖気を放出し威嚇する。筋肉の群れが怯んで後退する。
これこそが学会における戦い。己が理論を拳で証明するための、上限突破の頭脳バトル!
「さあ、証明開始だァ」
サカキバラは愉悦に目を細め、扇情的に舌をなめずった。
* * *
「……
サカキバラが汚れを払うように右手を振る。指先から滴っていた血液が床に移って染みとなった。だがその程度では、彼女の白衣に張り付いた血染めの模様はごまかしようがない。
自身の胸くらいまでの高さがある講壇の上に座り、すらりとした美しい脚をばたつかせながら、女研究者は遊び飽きた少女のように呟く。
「つまらん連中だったな。せめて科学の礎となるがいい」
「……先生」
「どうした。これで学会の承認は降りたろう。何かあるか?」
「いえ、まあ」
元の人間の姿に戻った助手は、ばつが悪そうに少し言い澱んだが、結局平坦な声で
「せっかく用意したアレ、使わなかったなあって」
そう言い、壇上の隅に置かれた機材を親指で示した。
コンピュータと巨大なアンプ。エンターキーひとつで曲が流れるようになっている。彼らが作曲したトランスミュージックが。
「あっ」
らしくなく、サカキバラは美しい唇を半開きにした。
「音楽で洗脳、できませんでしたねえ」
「あれ?」
続けて、首を傾げる。長い髪が頬にかかる。
「マジか」
「マジっす」
「あれ?」
彼らがグループ『ハイパーエリートQED』を結成し、大会参加を表明したのはこの翌日の事であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます